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8.15反「靖国」行動 宣言

宣言文

 四度目の「緊急事態宣言」下、東京五輪が無観客で強行され、徳仁名誉総裁は五輪憲章の定める「国家元首」として開会宣言を行ないました。これは明らかな違憲行為です。天皇家は、宮内庁長官・西村泰彦の「拝察」発言、雅子の欠席、秋篠宮夫妻の五輪結団式での「おことば」等を通じて、世間の反対論にも配慮したポーズを取ったり、「開会宣言」でも「祝い」を「記念する」と言い換えたりしましたが、これも原文(英語)そのままで訳語を変更した姑息なものであったにすぎません。コロナ状況下で、新年と天皇誕生日の一般参賀も中止され「国民」への露出度の減った天皇にとって、オリンピック開催のコロナ感染拡大への懸念を示しつつの「開会宣言」は、「国民に寄り添う」天皇像の自己演出を国内に示し、国外に向けても「元首」としての天皇の地位を国外に示すまたとない機会となったのです(閉会式には皇嗣・秋篠宮が、「元首が指名する者」として出席しました。またパラリンピックの開会式には、再び「元首」として徳仁が出席します)。

 この間、菅政権はワクチン頼みで、五輪開催ありきの「緊急事態宣言」解除と発令を無策に繰り返し、第五波の感染拡大を招き、名ばかりの「復興五輪」を掲げていた福島県も無観客を余儀なくされました。組織委員会会長・森喜朗、電通・佐々木宏の女性蔑視、さらには、障害者差別とホロコースト揶揄という、演出関係者の相次ぐ辞退・解任は、五輪関係者の人権意識の欠如を浮き彫りにさせました。しかしこれらは、野宿者を追い出し、被災者を置き去りにしても強行される五輪、そしてそれを導いたコロナ下での開催をなんとか意味づけようとするバッハ会長、コーツ副会長の広島・長崎訪問という被爆者をも利用しようとするIOCの本質と軌を一にするものに過ぎません。IOCと日本政府の責任は重いのです。

 こうした中で、8月15日をむかえました。今年もわれわれは「全国戦没者追悼式」および靖国神社に抗議するためにここに集まりました。

 「全国戦没者追悼式」はサンフランシスコ講和条約が発効した直後の52年5月2日に、新宿御苑にて天皇出席のもとで最初に開催され、以降は場所も開催日も変遷しましたが、65年以降は武道館にて天皇出席の下で毎年開催され続けています。8月15日は祝日とはされていませんが、82年に日本政府により「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と閣議決定されました。その本質は、「死者への追悼」という一般的に否定しがたい心情と行為を利用して、日本政府と象徴天皇制は、戦争犠牲者を美化し、戦争責任を曖昧化するための式典です。

 しかし今日、政府は、戦後76年を経ても今なお残る沖縄戦の戦死者の遺骨の混じる土砂を辺野古の米軍新基地建設に使用しようとしています。このことが、政府が本当はどのように戦争の死者(犠牲者)と向き合おうとしているかを如実に示しています。戦死者の遺骨の放置とそれの新たな戦争準備のための基地建設への利用――これが「国家による「慰霊・追悼」」によって隠蔽しようとしている事実の一側面です。

 戦争犠牲者を「英霊」として美化し、次の戦争に向けて新たな犠牲者を創りだす「靖国」も「国立追悼施設」もいりません。

2021年8月15日
国家による「慰霊・追悼」を許すな! 8.15 反「靖国」行動

2021.2.11-23行動【宣言】「紀元節」と「天皇誕生日奉祝」に反対する2・11−23連続行動集会宣言

「新型コロナ」感染拡大によって追い込まれた菅政権は、「緊急事態宣言」の延長と同時に、「新型インフルエンザ等特別措置法」などの「改正」にあたって「違反者」への罰則や公表など、個人・私権に対する、人権侵害を伴う強権的な責任転嫁で取り繕おうとしている。こうした政策は、菅政権に対する人びとの怒りを増大させているが、他方でまた、これに便乗する「自粛警察」的な動向に対しても、「お墨付き」を与えるものとして機能するだろう。

公共施設の貸し出し停止など、「緊急事態宣言」の名の下に、またしても表現・言論の自由が制約されている。そのような日常の中で、私たちは今年の2・11反「紀元節」、2・23「天皇誕生日奉祝」反対の連続行動に取り組もうとしている。

2019年に強行された明仁退位・徳仁即位儀式をはじめとする「天皇代替わり」は、2020年11月8日の「立皇嗣の礼」を経て一応の終結をみた。しかし、「新型コロナ」状況は、「代替わり」によって新たな「体制」を作りだそうとする天皇一族のパフォーマンスに対しても、大きな制約を課している。新年の一般参賀に続いて、天皇誕生日の一般参賀も中止になった。新年のビデオメッセージや、オンラインでの「行幸」などがなされてはいるものの、明仁・美智子のような「平成流」の、徳仁・雅子へのスムーズな移行は困難である。その意味では、象徴天皇制は、ある種の「停滞」を余儀なくされている。

しかし、こうした時期においても、やはり天皇制の記念日は、日本国家に不可欠のものとして祝われ続けるのである。2・11「建国記念の日」−2・23「天皇誕生日」というふたつの記念日の近接は、このふたつの日を、我々の側から批判的に意味づける作業を不可避のものとする。「紀元節」は、神武天皇の即位をもって日本が「建国」されたとする天皇神話に基づく記念日である。それが歴史的事実ではないことは、誰しも認めることだろう。しかし、天皇として誕生日を祝われる徳仁は、「神武天皇から数えて126代目の天皇」であると、当然のように語られる。いうまでもなく、天皇誕生日は、かつては「天長節」として祝われ、「紀元節」とともに天皇の祭祀が行われる「四大節」の一つであった。その意味において、神権主義的な天皇と象徴天皇とは、矛盾なく接合されていくのだ。

そのことのもつ意味は、もちろん「皇国史観」の単なる復活なのではなく、「文化・伝統」という回路から、天皇制イデオロギーを「国民」に内面化し、統合しようとするものである。そしてそれは、「文化・伝統」の場面にとどまらず、現在の象徴天皇が果たしている政治的な行為をも、正当なものとして「国民」に受け入れさせることになる。

天皇の記念日は、天皇が「神聖」なものであるとみなす感性を再生産するものである。だからこそわれわれは、反天皇制運動の軸のひとつとして、このような記念日を拒否する闘争を続けていく。今年の2・11−23連続行動に取り組むにあたり、このことを明確に宣言する。

2021年2月11日

「立皇嗣の礼」反対行動【アピール】天皇も跡継ぎもいらない 11.8「立皇嗣の礼」反対緊急行動アピール

10 月9 日、政府は、延期していた「立皇嗣の礼」を11 月8 日に開催する旨閣議決定した。さらに閣議では、祝意を表すため、当日各府省で「日の丸」を掲揚するほか、地方自治体や学校、会社などに掲揚への協力を求めることも決めた。また、衆参両院は、「立皇嗣の礼」に祝賀の意思を表す「賀詞」を、本会議において決議した。

「立皇嗣の礼」は、秋篠宮が「皇嗣」となったことを宣言する「立皇嗣宣明(せんめい)の儀」、天皇にお礼を述べる「朝見の儀」、賓客を招いた祝宴「宮中饗宴(きょうえん)の儀」(都合二回)などからなる儀式で、それぞれ皇居宮殿・松の間で、「国の儀式」として行われることになっていた。今年の4 月19 日に行われる予定になっていたが、新型コロナウイルスによる「緊急事態宣言」体制の下で延期され、「収束状況を踏まえてあらためて日程を決める」としていたものだ。しかし、コロナ状況の「収束」など一向に見通せていないにも関わらず、饗宴の儀を中止し、宣明の儀の参加者も350 人から50 人に減らすなどして儀式を断行しようとしているのだ。

この儀式は一連の「天皇代替わり」の最後の儀式として位置づけられることから、2016 年の明仁の「退位意向表明」から始まった天皇主導の「Xデー」に区切りを付け、天皇・上皇・皇嗣からなる「新しい時代」の天皇制の開始を告げるためのものである。すなわち、明仁が退位し、徳仁が新天皇に即位し、文仁が次の天皇となることを宣言するということで、天皇制という制度は、これからもこうして永続していくのだということを、多額の税金を投入して確認し宣伝するのだ。それは当然、女性宮家容認、旧皇族の復活など、天皇主義者の間でも割れている今後の天皇制のあり方に関する議論(「皇室典範」見直し)とも連続するだろう。

そもそも「立皇嗣の礼」なるものは、何かと言えば「伝統」を重んじるという天皇家にとっても、前例のない儀式である。それは「立太子の礼」に準ずるものしてなされようとしているが、「立太子の礼」もまた現行の皇室典範にすら規定のない、全く不要であり違憲の儀式であることを確認しておかなければならない。

近代天皇制においては新天皇の即位後に、次の皇太子に対する儀礼である「立太子の礼」がこれまで4 回行われてきた。戦前には立太子にまつわる詳細を定めた立儲令というものがあったが、これに基づいて儀式を行ったのは昭和天皇だけであり、同令も1947 年に廃止されている。

そして多くの天皇制の儀式がそうであるように、この儀式も皇室祭祀と結びついたものである。「立皇嗣宣明の儀」の後で天皇から受け取る壺切御剣(つぼきりのぎょけん)は、「皇嗣」の「護り刀」であり、これを受けて初めて「皇嗣」は、「天神地祇」や「皇祖神」などを祀った宮中三殿の殿上に昇ること(昇殿)ができるようになる。これが彼らにとって重要なのは、11 月23 日に宮中で行われる新嘗祭などの神事に、天皇と「皇嗣」がともに神に奉仕することが必要だからだ。政府は、それらは天皇の「私事」の世界であると言い張るが、新嘗祭には三権の長や閣僚も参列しており、国家が天皇教に関わる、明確な政教分離違反の儀式である。

私たちは、延期になった4 月19 日にも、皇居の見える東京駅丸の内口の広場において、「『立皇嗣の礼』は延期じゃなくて中止だ! 身分差別と格差を温存し拡大する天皇制は廃止だ! あらゆる人びとへの生活と命の保障を!」と訴えた。そして、天皇出席の「全国戦没者追悼式」に反対するデモに取り組んだ私たち反天皇制運動の実行委は、本日、「立皇嗣の礼」に反対する反天皇制デモに出発する。天皇も跡継ぎもいらない。コロナ禍における違憲の「立皇嗣の礼」の強行に、われわれは強く抗議する。

2020 年11 月8 日
国家による「慰霊・追悼」を許すな! 8.15 反「靖国」行動

2020.8.15行動【宣言】国家による「慰霊・追悼」を許すな! 8・15 反「靖国」行動宣言

今年もまた8月15日のこの日、政府主催の「全国戦没者追悼式」は、新型コロナ感染拡大の影響で縮小されたものの例年どおり行われ、天皇・皇后が出席し言葉を述べた。靖国神社には閣僚や国会議員たちが参拝した。マスメディアは毎年、この8.15を「終戦記念日」と称し、「反戦」を誓い「平和」を祈念する日として、さまざまなメッセージを流す。そして私たちは例年通り、「全国戦没者追悼式」と「靖国神社」に抗議をの声を上げるためにここに集まった。敗戦75年の今年、この8.15という日の意味を、改めて確認したい。

政府主催・天皇の「お言葉」つき「全国戦没者追悼式」や、政治家たちの「靖国」参拝が作り出してきたものは、日本の侵略戦争や植民地支配の歴史に対する責任を、極一部に押し付け、天皇以下の指導者から免責してきたことを正当化する論理である。あるいは「戦没者」のおかげで戦後日本の「繁栄」がもたらされたという嘘であり、「戦没者」を「英霊・神」として讃える戦争を肯定・賛美する思想である。それらが繰り返されることによって、現在では「南京大虐殺はなかった」「慰安婦はいなかった」等々、隠蔽と改竄の歴史認識が公式見解のように暴力的に大手を振っている。

「追悼」という言葉はあらがい難い力をもつ。多くの人は8.15を「終戦記念日」と語り、政府の言葉どおり「追悼と平和を祈念する日」と認識し、政府や天皇の追悼と閣僚・国会議員の「靖国」参拝を受け入れ、あるいは良しとする。だがそこには、国家によって侵略戦争の兵士として戦地に送られ、加害者にさせられ、そして殺され、あるいは餓死・病死等々で死んだ人々への、責任ある者としてのあるべき謝罪は一言もない。あるのは、「私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたもの」という昨年の首相の言葉が示すように、侵略戦争や植民地支配によって現在の「平和と繁栄」が築かれたという、戦争肯定の論理だけだ。一方、「靖国」はそういった死者を「よくやった」と褒め称え顕彰する。その「靖国」を閣僚や国会議員といった公人たちが参拝することで、「靖国」思想をこの社会が肯定することを指し示していく。国家は「国民」を、アジア諸国への侵略者に仕立て上げ、そこで殺された人々を、いまも利用し尽くしているのだ。

また、8月15日を「終戦記念日」と認識させ、「平和を祈念する日」とすることの政治的な意図が、歴史修正主義や無責任体制の温存・強化にあることを、再度確認しておこう。

8月15日とは、1945年のこの日、日本政府がポツダム宣言を受諾したことを、戦争の最高責任者だった昭和天皇が「国内」に伝えた、いわゆる「玉音放送」が流された日でしかない。実際にポ
ツダム宣言を受諾したのは8月14日であり、降伏文書に調印したのは9月2日だ。

昭和天皇の「玉音放送」の日を「終戦の日」とすることで、天皇の「聖断」によって戦争が終結したという神話を流布し、天皇の命によって死んでいった兵士たちと、その兵士たちに殺された多くのアジアの人々の、その死への責任を曖昧にする「おことば」政治の舞台をその神話の日に求めているのだ。天皇制国家はこの75年間、そのようにして延命してきた。このような式典や「靖国」参拝を許し続けている日本社会は猛反省しなくてはならない。

日本政府がやるべきことは、侵略戦争・植民地支配の被害者へのまっとうな謝罪と賠償である。

そして反省を込めて天皇制を廃止することだ。私たちは今日、そのことを訴えるデモに出発する。ともに歩こう!

2020 年8 月15日
国家による「慰霊・追悼」を許すな!8.15反「靖国」行動

「立皇嗣の礼」反対行動【声明】「立皇嗣の礼」は延期じゃなくて中止だ! 身分差別と格差を温存し拡大する天皇制は廃止だ! あらゆる人びとへの生活と命の保障を!

4月14日、政府は持ち回りの閣議で、19日に予定されていた「立皇嗣の礼」を延期することを決定した。新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、収束状況を踏まえてあらためて日程を決めるという。

天皇徳仁の弟である秋篠宮が、次の天皇となることを内外に宣言する儀式である「立皇嗣の礼」は、皇嗣となったことを宣言する「立皇嗣宣明(せんめい)の儀」、天皇にお礼を述べる「朝見の儀」、賓客を招いた祝宴「宮中饗宴(きょうえん)の儀」(都合二回)からなる儀式で、それぞれ皇居宮殿・松の間で、国費を支出して「国の儀式」として行われることになっていた。それがこの間のコロナ状況を受け、縮小(饗宴の儀の中止、宣明の儀の参加者を350人から50人に減らすなど)して強行しようとしていたが、「緊急事態宣言」体制の下で、正式に延期が決まったわけである。

「不要不急」ということでいえば、これほど不要な国家行事はない。そもそも、この儀式そのものが、明確な法的根拠に基づいたものではない。それだけではない。儀式に使われる税金が4000万円。それはまた、昨年1年間かけて166億円もの即位関連費用をつぎ込んで行われた、一連の天皇「代替わり」儀式とも連動している。明仁が退位し、徳仁が新天皇であることを宣言し、文仁が次の天皇となることを宣言する──天皇制という制度は、これからもこうして永続していくのだということを、多額の税金を投入して確認し宣伝する儀式である。たんに不要不急なのではなく、廃絶されるべき害悪である。

秋篠宮が「皇嗣」となることによって、「お世話をする」ための職員はこれまでの20人余りから50人以上に増員され、その住居も約33億円かけて大規模改修される。延べ床面積も約1600平方メートルから5500平方メートルにまで拡張されるのだ。これとは別に、完成までの仮寓所の費用として、約9億8千万円が支出される。

退位した「上皇」の住まいとなる赤坂御所の改修費にも7億円が計上されている。天皇とその一族のためには、特別に手厚い手当が、国によって惜しみなくなされているのだ。

ひるがえって、コロナ状況に生きている大多数の人間の暮らしはどうか。保険・医療環境の新自由主義的破壊のなかで、劣悪な医療状況に甘んじることを強いられ、不安を抱きつつ検査すら受けられず、補償がほとんどないに等しい状況で、自己責任で「三密」を避け、自宅にとどまるよう「要請」される、「テレワーク」などできようもない人びとは、往復の通勤電車に揺られて首都圏を移動せざるをえない、リスクばかりが一方的に負わされる。

24時間体制での、自分たちの健康管理がなされる医療が保証され、通勤電車に乗る必要もなく、家族や関係者とも、2メートルどころではない充分な距離をとれる居住環境と、NPOに多額の寄付ができるくらいの金銭的余裕がある生活、それが天皇一族だけのものであってよいはずがないではないか。少なくとも、不平等が是正されなければならないと思うのがあたりまえだ。天皇家は特別だからと思わされてしまうのが、身分差別社会に毒された感覚というものである。

4月10日、徳仁は住まいの赤坂御所に政府の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議のメンバーを呼び、「ご進講」を受けた。徳仁は「私たち皆がなお一層心を一つにして力を合わせながら、この感染症を抑え込み、現在の難しい状況を乗り越えていくことを心から願っています」と述べ、さらに「国民が一丸となって乗り越えなければならないですね」と話したという。コロナウイルスという「国難」に対して、挙国一致で事に当たるべきだという安倍政権の方向を支持し、自ら「国民統合」の装置としての役割を果たすことが強く意識されている発言だ。

いま、「立皇嗣の礼」だけでなく、天皇関連の儀式も次々と中止あるいは延期されている。それは、本当のところ、この社会において天皇が行わなければならない仕事など、何ひとつないことを明らかにしているとともに、天皇制という制度において、制度を肉体的に支える一族の「健康」が、天皇制の将来にストレートに直結しているという事実を明らかにしている。だから私たちは訴える。

「立皇嗣の礼」は延期じゃなくて中止だ!
身分差別と格差を温存し拡大する天皇制は廃止だ!
あらゆる人びとへの生活と命の保障を!

2020年4月19日

今こそ問う「安保・沖縄・天皇」4.28-29連続行動実行委員会

2020.2.11行動【集会基調】「代替わり」に露出した「天皇神話」を撃つ! 2・11反「紀元節」行動集会基調

はじめに

昨年一年間は、天皇「代替わり」をめぐって、天皇制賛美キャンペーンが吹き荒れた一年だった。私たち反天皇制運動の枠組みとしては、この「代替わり」過程の総体と対決することを目指して、首都圏の仲間たちとともに、「終わりにしよう天皇制!『代替わり』反対ネットワーク」(おわてんねっと)として、さまざまな行動を作りだしてきた。おわてんネットの行動は首都圏における反天皇制運動の結集軸となり、一連の行動には多くの仲間たちが参加し、10・22即位式反対デモにおける三名逮捕という不当弾圧をもはねのけて、それなりの「存在感」のある闘いを組むことができた。

新天皇の即位儀礼は、実に四〇余りのさまざまな儀式によって構成されたものであった。徳仁天皇の「代替わり」儀式は、一一月の「大嘗祭」を頂点として、いずれも皇室神道の儀礼空間に染め上げられていたのである。それらの多くは、「政教分離への配慮」と称して、皇族の「私的行為」という名目でなされたが、「代替わり」というその「公的性格」に鑑みて、総額一六六億円に上る国費が支出されることになった。さらに「国事行為」として行われた「即位の礼正殿の儀」や「剣璽等承継の儀」なども、天皇神話を基礎とする儀式であった。一連の「代替わり」儀式を通じて、わたしたちは、自身「神」とつながり、またそのことを通して、国家の神聖性を文字通り「象徴」として体現する天皇という存在が、象徴天皇制のもとでも明確に生きていることを、確認せざるを得なかった。

われわれは、この「代替わり」に露出した「天皇神話」を撃つという視点から、今年の2・11反「紀元節」行動に取り組む。

1 「紀元節」と右派をめぐる状況

かつて、二月一一日は「紀元節」という国家の祭りの日であった。敗戦によって「紀元節」は廃止されたが、一九六六年に、「建国記念の日」として復活したのである。「国民の祝日に関する法律(祝日法)」によれば、この日は「建国をしのび、国を愛する心を養う」日とされている。「紀元節」は、神武天皇が橿原の地で初代天皇として即位したという『日本書紀』の記述に基づき、一八七二年の太政官布告によって制定された。その同じ日を、「国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」(祝日法)としたのだ。天皇神話に基づき、日本は天皇の国であるということを公然と宣言する「祝日」なのである。

政府の後援による「記念式典」は現在は開催されていないが、神社本庁や日本会議など右派勢力を中心に、毎年「建国記念の日奉祝中央式典」が開催され、五〇〇〇名規模の奉祝パレードが、青山通りにおいて行われている。

それはたんに、ひとにぎりの右派勢力の動きではない。昨年一一月九日に、「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」が、皇居前広場に約六万人を集めて開催された。この国民祭典は、「天皇陛下御即位奉祝委員会」(経団連会長が名誉会長、日商会頭が会長。政財界および各種団体のメンバーを代表世話人とし、地方公共団体や学界、労働界、法曹界など各界代表三〇八名を代表委員とする組織)、「天皇陛下御即位奉祝国会議員連盟」(会長・伊吹文明、社共をのぞく超党派の国会議員五五〇名以上が参加)、神社関係者による「日本文化興隆財団」が共催したものである。この「日本文化興隆財団」は、「建国記念の日奉祝中央式典」の後援団体でもあり、「日本の伝統精神と文化を伝える事業展開を図る」として、記紀神話を語るセミナーを行ったり、「日の丸」の小旗を配布するなど、「国旗国歌の普及活動」に力を入れている団体であり、2・11の奉祝パレードの後援団体でもある。

この奉祝式典では、「古事記」の国生み神話を素材とした「我が国誕生の物語」なる絵画作品の映像が巨大ビジョンに写しだされた。イザナギ・イザナミが海に矛を差し込み、垂れた雫が島となって日本の島々ができたという神話である。そして、それに続いて徳仁天皇の映像が写し出され、「古より我が国は瑞穂の国と呼ばれ、水の恵みを受けてきました。天皇陛下は、以前より、人々の生活と水をテーマに研究を続けられ、世界の安定と発展、防災の礎として、水の重要性を説いてこられました」ということばが続けられるのである。

こうして、神話の世界と現在の天皇制とが無批判に結びつく。それは、新たな天皇神話=天皇教づくりのイベントという他はない。そのようなイベントを、天皇・皇后や首相が出席し、内閣府をはじめとする各省庁が揃って後援しているのだ。

もちろん、それは戦前型の国家神道そのままの復活とはいえない。天皇を神とする宗教的信仰が、前面に出ているわけではない。しかし、「国民の共同の観念」としてある日本の「文化・伝統」のなかに、天皇神話が無媒介に位置づけ直され、象徴天皇制と結びつけられている。そうして天皇神話は、無条件に賛美され尊重されるべきものとして扱われることになる。そのような意味における天皇教の宗教性に注目されなければならない。

一連の天皇「代替わり」の儀式は、政教分離や主権在民の原則に反するという指摘もありながら、そのようなものを超えて存在する日本の文化・伝統として政府によって正当化され、公金が支出され続けてきた。象徴天皇制は現在においても日常的にさまざまな儀式を通じて、天皇主義をすり込み、組織していくイデオロギーとして機能している。われわれはこれを批判しぬいていかなければならない。

2 「女性天皇」も「女系天皇」もNO! 天皇制はいらない

二〇二〇年一月二一日、政府は天皇代替わりに関する「式典委員会」を開催し、四月一九日に予定されている秋篠宮の「立皇嗣の礼」の式次第の概要を決めた。そして次に続くのが「安定的皇位継承」の検討だ。天皇制にとっては、何よりも重要な案件であるはずだが、実際は政府が昨年来、これ以上延長できないというところまで引き伸ばしたスケジュールでもある。

二〇一七年に成立した「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の付帯決議には「1、政府は、安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等について、(中略)本法施行後速やかに(中略)検討を行い、その結果を、速やかに国会に報告すること」「2、1の報告を受けた場合においては、国会は、安定的な皇位継承を確保するための方策について、『立法府の総意』が取りまとめられるよう検討を行う」とある。

この付帯決議に基づき、皇位継承に関する検討は「退位・即位」後、すなわち、五月一日以降かという当初の予想から、「即位・大嘗祭」終了後、そして「立皇嗣の礼」終了後と、政府は先送りし続けた。マスメディアも指摘していることだが、男系男子継承を天皇家の「伝統」として固執する安倍政権は、「女性・女系天皇と女性宮家」論議を避け続けてきたのだ。

現在の「皇室典範」では、皇位継承者は皇嗣である現天皇の弟秋篠宮とその息子悠仁、父親明仁の弟常陸宮正仁だけだ。そして女性皇族は「皇室典範」一二条により、結婚すれば皇室から出ていく。皇位継承者として引退した明仁の弟や現天皇と同世代の弟をカウントするには年齢的に無理があり、実質は一三歳の悠仁のみだ。今のままでは近い将来、皇族不在となるのは明らかで、皇位継承者も途絶える可能性は大きい。緊急措置としても何らかの手を打たざるを得ない事態にあるのだ。また、女性皇族が結婚して皇室を去ってしまえば、これまでなし崩し的に認めさせてきた天皇・皇族の「公的行為」を担う皇族も激減する。そして皇室は悠仁一人で支えるという日を迎えることとなるだろう。男系男子主義者にとっても危機的状況にある。結局のところ「安定的皇位継承」の検討とは、象徴天皇制を維持するために「皇室典範」をどのように改訂するか、ということなのだ。

「女性宮家」を容認するのか。その場合、そこに生まれた子どもの「身分」はどうなるのか。皇位継承者として受け入れるのか。女性・女系天皇を認めた場合、皇位継承の順番をどうするのか。長子主義とするのか、男性優先とするのか。長子主義を取った場合、愛子天皇の成立もあり得る。男系男子を主張する政府は、皇室離脱した「旧宮家」を引っ張り出して女性皇族と結婚させる、あるいは天皇にするというという案も出しているが、このような問題だらけの案を容認するのか。こういったことを天皇制維持のために大真面目に国をあげて議論するのだ。男系男子派と女性・女系容認派の落とし所は、「まずは女性宮家を」といったところだろう。しかし「女性宮家」は最終的には女系天皇問題に繋がる。男系男子主義派が直面しているジレンマだ。

このような議論には天皇制の身分差別をはじめとするさまざまな問題が内包されているが、メディアはそういった一切を無視し「女性・女系・女性宮家」の容・否認についての言論のみを流し続ける。一方、無視された問題はメディア報道を通して、むしろ伝統や価値として日本社会に内在させていく経緯となりかねない。それ自体が天皇制の大きな問題である。また、法律を変えなくては維持できないこのような天皇制について、維持を当然とする「常識」、天皇制の是非を問うことを許さない「常識」がこの社会を覆っていることそのものが天皇制の問題である。民主主義、平等主義、主権在民原則に基づいて、改めて問うていきたい。

私たちはもちろん、天皇制の伝統である男尊女卑・家父長制的家制度に反対である。しかし「女性・女系」天皇の容認で、それらが解決するわけでない。男系が女系になったところで、世襲的差別構造に変わりはなく、女性に課された「子産み」強制も続く。そこには正義も、主権在民原則も、民主主義・平等主義もない。
差別制度のトップに女性が就くことによる女性解放などない。天皇制維持のための皇位継承対策、「女性・女系・女性宮家」論議については、性差別、身分差別や排外主義に反対する人々、天皇制の歴史や現在的な問題を考える等々の人々とともに考え、反天皇制の運動を作り出していきたい。

天皇制は、人々を、とりわけ女性たちを苦しめてきた天皇制の男系男子主義によって自己破滅するかもしれない。しかし私たちは、この社会の民主化や平等を望む、天皇制の歴史責任を追求する人々の声によって、この天皇制を廃止に追い込みたいと思う。そこから天皇制を救おうとする動きに対しては、ともにNO!の声を上げていこう。

3 安保、軍事、沖縄米軍基地、「積極的平和主義」 戦争の時代の「平和」天皇

天皇制は戦争国家でこそその威力を発揮する。

徳仁天皇(制)は、新たな戦争時代の象徴天皇(制)として開始された。「代替わり」後はじめての国賓は米大統領トランプであり、菅官房長官はこれを「日米同盟のゆるぎない絆を象徴するもの」と強調した。翌日には安倍首相とトランプ大統領は、海上自衛隊の護衛艦「かが」に乗りこみ、「日米同盟の結束」をアピールした。

今年は日米安保条約署名から六〇年を迎えた。安倍首相は一月一九日の条約署名六〇周年を記念する式典で、「(日米安保条約は)今やいつの時代にもまして不滅の柱。アジアとインド太平洋、世界の平和を守り、繁栄を保障する不動の柱だ」「六〇年、一〇〇年先まで日米同盟を堅牢(けんろう)に守り、強くしていこう」と述べ、日米戦争同盟の一層の強化にむけた決意を述べている。

安倍政権は、日米同盟を至上の価値とし、日米軍事一体化をすすめ、米国トランプ政権によるイラン攻撃と一体の自衛隊中東派兵をおこなうなど具体的な日米共同戦争体制に踏み込むと同時に、韓国や朝鮮民主主義人民共和国や中国などへの排外主義を煽動し、九条改憲による戦争国家完成を果たさんとしているなかで、徳仁天皇(制)戦争時代の天皇(制)にならざるをえない。

天皇裕仁は、アジア・太平洋戦争においては唯一最高の統治権者であり、日本国創造の神の万世一系の子孫であるとして神的権威でもあった。大日本帝国憲法下の戦争は天皇の命令・統帥なしにはあり得なかった。未だに日本政府は天皇制の戦争責任を隠ぺいし、天皇裕仁を「戦争終結の『聖断』が戦後平和の原点(『聖断神話』)」などと歴史を偽造し続けてきた。敗戦後も天皇裕仁は、マッカーサーやダレス米国務長官との会見で、米軍の日本自由使用を決めた日米安保の基礎をつくったのである。

「明治」天皇制国家により併合された沖縄(「琉球」)は、それ以降、天皇制国家による差別支配を受け、アジア・太平洋戦争では「本土防衛・天皇制護持」のための「捨て石」として住民の四人に一人が戦死するという凄惨な沖縄戦を強いられた。戦後は日本の独立(サンフランシスコ講和条約)と引き換えの「天皇メッセージ」によって米軍に差し出された。米軍統治下も七二年日本復帰(再併合)後も住民の反対を圧殺して安保維持のために米軍基地、自衛隊基地を押しつけ続けてきた。天皇明仁は、皇太子時代を併せて十一回も沖縄を訪問し、「沖縄に心を寄せる」「平和天皇」などと言われ、沖縄戦被災地訪問や被害者、遺族を「慰霊」「慰撫」してきたが、天皇制と日米安保に対する怒りを鎮め、矛盾を緩和し、国民に統合する天皇(制)の役割を果たしているに過ぎない。戦後象徴天皇制は、一貫して日米安保を推進してきた。原発(国策)事故の被害が深刻化する福島に対しても同様である。被災地訪問を繰り返し、「被災者に寄り添う」演出をしながら、原発事故責任追及・被害補償、ではなく国策である原発を推進するための行為にすぎない。明仁在位三〇年祝賀式典では福島県知事が「国民」代表として感謝の言葉を述べ、天皇が作詞、皇后が作曲した琉歌を沖縄出身の歌手に歌わせるなど意識的におこなっている。

それは、米軍と共に対中国、対朝鮮民主主義人民共和国戦争を念頭に琉球諸島全域の軍事要塞化を強権的にすすめるためである。沖縄県知事をはじめ県民の七割以上が反対している米海兵隊・辺野古新基地は、機動隊、海保を投入して現地で阻止闘争を闘う市民を暴力的に排除して建設をすすめているが、土砂投入から一年たっても埋め立て予定地の一%しか進んでいない。さらに今後、軟弱地盤を含む大浦湾の埋め立ては県への「設計変更」を申請・承認などが待っている。与那国、宮古島、石垣島、奄美大島など琉球諸島全域で自衛隊配備がすすめられ、各地で反基地・反自衛隊闘争が闘われている。天皇(制)が、沖縄住民に「寄り添う」なら、戦争責任を明らかにし、日米安保を破棄し、天皇制を廃止する以外にない。安倍は「積極的平和主義」を唱えながら、自衛隊を派兵し、天皇は「平和」を口にしながら戦争国家の天皇へと変わりゆくのである。

4 徳仁の天皇制との対決を!

サンフランシスコ条約や日米安保がいまだ発効する以前の時期、昭和天皇裕仁が、すでに再軍備と憲法九条の改定をもくろんでいたということが明らかにされている。日本国憲法が施行され、かつてのような、元首として統治者としての地位も統帥権も持たないことが明らかな状況下で、裕仁は「沖縄メッセージ」をアメリカに伝えていた。裕仁は、その後も「内奏」や「進講」といった手法を通じて、政治的影響力を実質的に行使しており、天皇が「国政に関する権能を有しない」という憲法の条文もまた、さきに神道や軍隊の問題で述べたように、空洞化が進められてきたのだ。右派政党が軌を一にして「改憲」を叫ぶ背景には、このような歴史的事実が存在する。

侵略戦争に深くかかわったことで、戦犯としての存在を歴史的に問われ続けた裕仁は、対外的に「君主」としてふるまいつつも、しかし戦争の記憶が新しいうちは内外の批判を意識せざるを得なかった。これを突破したのが明仁である。明仁は、即位に際して裕仁の歴史を引き継ぐことを宣言しながら、「国民とともに日本国憲法を守」るとした。積極的に「皇室外交」を繰りひろげ、多数の日本軍の死者が出た地域に足をはこび、さらに、国内の被災地にもくまなく巡行して「慰霊」「追悼」の宗教儀式を行ない、メディアに報道させた。そして明仁は同時に、象徴天皇の地位についてその解釈を積極的に公表し、きわめて多数の領域にわたる天皇の行為を「象徴的行為」として、自ら憲法上の枠組みの拡大と正統化にむけて踏み出した。明仁は、退位にあたってもその影響力を発揮してみせた。メディアを通じて自らの意思を示すことで「退位特例法」を制定させ、「上皇」となった。それがこのかんの退位をめぐる経緯である。こうした手法は、新天皇となった徳仁や、皇嗣となる秋篠宮文仁においても継承されているのである。

明仁は在位中「平和天皇」として評価され、美智子や他の皇族とともに、おそらく裕仁より広範な支持をかち得るに至った。しかし、その「平成」の時期には、自衛隊の海外派兵を前提とした解釈改憲や立法が進み、「日の丸」を国旗とし「君が代」を国歌とした「国旗国歌法」が制定され、侵略の事実を否定する歴史修正主義がはびこり、ヘイトクライムはますます猖獗を深めている。

昨年に即位したばかりの天皇徳仁は、憲法においても政治的スタンスにおいても、明仁を承継するという立場を現在のところは崩していない。しかし、安倍がすでに何度も「内奏」を繰り返しているように、その政治影響力を行使するための路線もまた受け継がれている。海外の首脳を「国賓」として迎え、自らも雅子とともに外遊を重ねることで、今後はさらに外交への影響力を発揮することになるだろう。徳仁が皇太子時代に「専攻」したのは、水利や水運、災害や衛生など「水問題」であり、これについて国連の常設機関の「名誉総裁」になるなどの「実績」を持っている。今後さらに気候変動をはじめとする地球環境問題への発言も増えるだろう。

徳仁の天皇制は、階層的な所有と権力がさらに拡大していくグローバリゼーションと新自由主義のもとで、「日本民族」の文化や宗教が少なからず変化することにも順応しながら、その世襲の権威をより安定させることが課題となる。外国人労働者の増加や経済的な貧困化に対し、国粋主義や民族排外主義が国内的に深刻な亀裂となって広がっている。天皇制はこれまでも、障がい者や高齢化社会に対して「融和」の象徴としてふるまってきたが、よりさまざまな領域に天皇や皇族たちが登場することもあり得る。日本国家が人口減少と経済的な衰退の事態を深め、「上皇」明仁のXデーもさほど遠くはない現在、徳仁の天皇制は、これらの現実から目を背けるために、いかに空疎であっても演出されていくことになる。

5 今年も展開される天皇パフォーマンス

現行憲法に規定された「国民統合の象徴」として「地位」、建国神話に始まる「万世一系」という捏造された「歴史と伝統」、神聖不可侵で異を唱えるものは許されなかったという戦前・戦中の絶対的権力者としての「記憶」。

これらが「国民意識」に渾然として存在するのなかにあって、基本的には現実政治権力の意に応える形で、また「象徴」としての自らの地位を維持するために、今年も、天皇(皇族)は「国民」に向けてさまざまなパフォーマンスを展開する。

自然災害の被災者に対する「お見舞い」も明仁天皇同様に展開されるであろう。それ以外に、天皇行事として確実にスケジュール化されているものとして、五月の植樹祭(第七一回 全国植樹祭しまね2020)、九月の海つくり大会(第四〇回全国豊かな海づくり大会〜食材王国みやぎ大会〜)、一〇月の国体(燃ゆる感動かごしま国体 第七五回国民体育大会)と国民文化祭(第三五回国民文化祭・みやざき2020、第二〇回全国障害者芸術・文化祭みやざき大会)がある。これらのイベントは、天皇が日本全国を順次回覧し、地域自治体を窓口としながら、日本の自然と文化に眼を配り・育成する─つまり「国土」と「国民の営み」を天皇のもとに取り込むことを意図して行うパフォーマンスであるにすぎない。実際には、植樹祭のために樹々が切り倒されたりするなど、具体的な被害を伴いながら行われているのである。こうした天皇による、自然・環境や文化を大事にし「国民」に寄り添っていることをアピールするためだけのパフォーマンスに対して、その意図を暴露し、「ふざけるな!」の声を、行事の行われる地域の声とも呼応して、上げ続けて行こう!

さらに今年は、七月に東京オリンピックが行われ、その開会式で、徳仁天皇は開会宣言をする。オリンピック憲章では、この宣言は「元首によるもの」とされている。すでに天皇は他国に対しては「元首」として振る舞い、そのように認知されている。しかし国内ではまだ「天皇=元首」と疑問なく認識されているわけではないし、私たちは天皇を元首としてはもちろん認めない。聖火リレーなど事前行事でも児童・生徒を動員した沿道での「日の丸」振りなどが行われるなど、大会以前から大会開催中における「ナショナリズム」の煽動に対しても、東京オリンピックに反対する運動とも連携しながら、抗議の声を上げていこう。

直近として、四月に中国の習近平国家主席が国賓として来日することが決まり、徳仁天皇との会談も行われる。中国との経済関係を重視せざるを得ないする日本政府・財界は、領土問題や戦争責任問題で声高に反中を叫ぶ右派勢力を押さえるために天皇を利用するのであろう。一方の習近平にすれば、国内にくすぶる戦後補償(個別補償)要求の声を、天皇から「お詫び」あるいは「反省」に類する言葉を引き出すことによって押さえようとする意図があるのかもしれない。また米中経済戦争の渦中で、日中関係を正常に近い形で維持したという思惑もあるだろう。いずれにせよ天皇(利用)の政治が展開される。

私たちは、戦争責任・植民地支配責任(戦後責任も含む)については、天皇制を廃止することによってのみにしか果たされない、ということを改めて明確に主張しておきたい。天皇制を廃止して、真の意味の私たちの主権を確立して、その主体において、侵略戦争・植民地支配に対する謝罪・反省の表明と、被害に対する補償を行うことでしか、中国等被害国に対する責任は果たしようがないのである(この立場は、この原則に固執して、現実的な「解決」の一切をかたくなに拒絶することではもちろんない)。

平和や民主主義、人権は、いずれも天皇制とは両立しない。天皇制を終わりにすることによってこそ実現できるものである。

二〇二〇年の天皇制反対の闘い、終わりにしよう天皇制の闘いを共に!!

二〇二〇年二月一一日

2019.8.15行動【宣言】天皇に平和を語る資格なし 国家による「慰霊・追悼」反対! 8・15集会宣言

 私たちは、本日、徳仁が天皇として初めて「全国戦没者追悼式典」に出席し、「おことば」を述べる儀式に反対するために集会を行い、式典会場・靖国神社にほど近い九段方面に向けてデモに出発しようとしている。

 5月1日の「即位後朝見の儀」において徳仁は、「ここに、皇位を継承するに当たり、(30年以上の長きにわたり、世界の平和と国民の幸せを願われてきた)上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し……国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望いたします」と述べた。ここで徳仁が明仁から引き継ぐと明言した「平和」とは一体何であるのかが問われなければならない。

 今年の2月24日、明仁は、在位30年記念式典の「おことば」において次のように述べていた。

「平成の30年間、日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちましたが、それはまた、決して平坦な時代ではなく、多くの予想せぬ困難に直面した時代でもありました。……(30年前の)全国各地より寄せられた『私たちも皇室と共に平和な日本をつくっていく』という静かな中にも決意に満ちた言葉を、私どもは今も大切に心にとどめています」。

 しかし、明仁の30年は、自衛隊の海外派兵の30年であり、安保法制等による海外での武力行使を準備する30年にほかならなかった。明らかに天皇制にとっての「平和」とは、まずは国内において戦闘行為がないことだけを意味し、皇室と国民が一体となって享受する「日本」なる共同性における「平和」でしかない。

 しかし私たちは、そのようなものとしての「平和」が、世界中で侵略と軍事恫喝を続けている米国との軍事同盟によって支えられたものであり、構造的に戦争を内包してきた体制の中にいまもあり続け、この社会の内外において、侵略戦争・植民地支配責任を問い続ける少数者や、戦争の被害当事者を抑圧することによって成り立ってきたことを知っている。この間の「最悪」と言われる日韓関係を生み出しているのも、安倍政権による歴史修正主義や、社会的に広がる差別排外主義の風潮によるものであると同時に、植民地支配合法論を前提とし、被害当事者の声(請求権)を認めようとしない、戦後日本の一貫した立場──現在における植民地主義に起因することは明らかである。

 本日の「全国戦没者追悼式」は、戦争の死者を「戦後日本の平和の礎」となった尊い犠牲として「天皇と国民」とによって顕彰する儀式である。それは、加害者である国家の責任を無化し、被害者の死を国のための死として賛美する。しかし、加害者が平和を語り、「慰霊・追悼」する資格などない。なすべきことは、自らの加害責任を認め、内外の被害者への謝罪と補償を行うことでしかありえない。

 国家による「慰霊・追悼」反対! 天皇に平和を語る資格なし! 終わりにしよう天皇制!

 

   2019年8月15日

天皇に平和を語る資格なし 国家による「慰霊・追悼」反対! 8・15集会参加者

2019.2.11行動【申し入れ書】東京都公安委員会への苦情申出書

*2.11デモの警備実施に対して、実行委員会では、以下の「苦情申し立て」を東京都公安委員会宛に行いました。

 

苦情申立書

2019年3月30日
東京都公安委員会御中

2019年2月11日、千代田区内において開催されたデモ行動に対する、警視庁神田警察署の警備課、警視庁警備部および警視庁公安部による規制に関して、警察法第79条に基づき苦情申出を行う。

申立人:
天皇「代替わり」に反対する 2・11反「紀元節」行動
事務局員・○○○○
連絡先:住所、電話番号

私たち天皇「代替わり」に反対する 2・11反「紀元節」行動は、千代田区内で集会を持ち、その後16時45分より約40分間にわたり、御茶ノ水・淡路公園を解散地点とするデモに取り組んだ。
この日は、在特会系と思われるグループが「カウンター」を事前予告し、また「日の丸」などを掲げた街宣右翼が数人、いくつかの交差点などにかたまっていたが、右翼によるデモへの攻撃や妨害は、例年に比べて大きなものとはいえなかった。

これに比べて、この日の警察・機動隊の不当な規制はひどく、何ら正当な理由も必要性もない規制が、出発前から解散地点まで一貫して加えられた。ひたすらデモを早く進行させ、彼らの言うところの「デモの間延び」をさせないために、デモ参加者の体を押し、圧縮させ、シュプレヒコールをかきけすような大声で「前に詰めろ」と怒鳴り続け、抗議する参加者に暴言を吐いた。私たちのデモが遅れていたわけでもなく、デモの間隔が空いているというが、警察の言うとおりにしていたら、前を歩く人と身体をくっつけなければいけなくなる。なんの理由もない、規制のための規制であったというしかない。

こうした不当な警備の過程で、JR御茶ノ水駅近辺において、デモ隊の後方を歩いていた足の悪い高齢者が転倒させられた。しかも、それを助け起こそうと近づいた参加者を暴力的に阻止し、「前に進め」と押し続けたのである。しかも、この時警察官は、その高齢者に対して「早く歩け、歩けないなら外に出ろ」という暴言を浴びせていたのだ。デモは私たちの表現であり、誰でも安全に、自分のペースで自由に歩くのが本来の姿だ。警察が自分の価値観で、好きなように規制することが許されるようなものではありえない。こうした発言には怒りを禁じ得ない。

私たちのデモにおいて、大なり小なり常に加えられるこうした警察の不当な警備に対して、私たちは、そういうことをしないように、デモ申請の際に毎回申し入れをし、公安委員会や所轄警察署に何度も苦情申し立てや抗議をしている。しかし、一向に警察の態度が改まらないのはどういうことか。

一方、警備に当たる警察の口調や態度は、集会ごとに微妙な違いがあるということもまた事実である。それは私たちに対する口調が「詰めろ」という命令口調であるか、「お詰めください」という「お願いの口調」であるのか、身体を寄せてきたり後ろから直接押したりするか、直接の接触は避けるか、指揮官車の指示の音量や回数などの違いということに過ぎないが、それは、私たちのデモに対しては、今回はここまで規制するということを、あらかじめ意思一致しているのではないかということを疑わせるに足る。同じようなコースの、同じような状況において、機動隊の対応に差があるのは、どう考えても不自然だ。機動隊は、私たちのデモを、さまざまな警備のやり方の実戦訓練の場として利用しているのではないかとしか思えない。

デモは憲法上最大限保障されるべき表現の自由であって、デモの主体はデモの参加者である。しかるに、警察によるこの対応は、「デモを許可してやっているのは警察だ」「デモは規制されて当然」という根深い発想に囚われているとしか言えない。

今回の行為が、われわれの権利としてある表現行為を妨害し、われわれが、われわれのペースとスタイルで街頭の人びとに対して訴えていく権利を侵害したということは確実である。法律を遵守することで違法な権力の発動に歯止めがかけられているはずの警察官の無法行為は許されない。

もう一点、これも日常的になされていることであるが、指揮官車両や歩道上から、公安警察や「警視庁」という腕章を巻いた警察官によって、デモ参加者の顔などが撮影され続けていたことも許されない。犯罪捜査などの特別な理由もなく、デモ参加者を撮影することは、プライバシーの侵害であるばかりでなく、表現の自由を犯罪とみなし、委縮効果にもつながるものである。これらの行為がまったく必要な状況ではなかったにもかかわらず、参加者からの抗議を無視して撮影が続けられたことに対してもあわせて抗議する。

繰り返すが、デモは憲法上の権利であり、これに対する規制を、何らの説明もなく一方的に行うことは許されない。この点において、今回のデモ警備は「適正」な警備であったと言えるものでは決してない。以上、苦情を申し立て、適切な調査と改善がなされることを求める。

 

2019.2.11行動【集会基調】天皇「代替わり」に反対する2・11 反「紀元節」行動集会基調

1 「紀元節」と右派をめぐる状況

 かつて一九四七年に皇室令全体と同時に皇室祭祀令も廃止されるまで、この二月一一日は「紀元節」として大々的に扱われ国家全体で祀られてきた。しかし、二月一一日が「紀元節」と制定されたのは、記述の解釈すらいまなお確立していない記紀神話を基に、「神武」による「肇国」をあたかも歴史的事実であるかのごとく装い、暦計算を曲解しながらつじつまを合わせたことによる。祝祭日の制定じたいも、その根本は明治政府が諸外国の制度を模倣したことにはじまっており、これに当時の「祭政一致」が組み合わされたものであった。

 敗戦から戦後改革の経過で一度は廃止されながら、しかし一九六六年に、多くの批判があるなか、この日は「国民の祝日に関する法律」に組み入れられ、「建国記念の日」として復活した。とはいえ、同法では「建国をしのび、国を愛する心を養う」と記述されているが、期日は「政令で定める日」として現在も法文から外され特定されていない。昭和天皇の「在位六〇年」を前にした一九八五年に始められた政府の後援による「国民式典」も、二〇〇五年以降は開催されておらず、この日を「奉祝」し、「建国記念の日 奉祝中央式典」というかたちで催しを繰り広げるのは、神社本庁や日本会議など右派団体と、その影響下にある議員をはじめとする政財界の連中に過ぎない。

 このような経過をたどっている「建国記念の日=紀元節」だが、「国民の祝日」のほとんどが皇室祭祀と重ねられて制定されているわけでもあり、一九七九年の「元号法」、一九九九年の「国旗・国歌法」などとともに、天皇主義、国家主義のイデオロギーを強く涵養させるものとなっている。昭和天皇裕仁の誕生日を根拠とする「昭和の日」に加え、もともと明治天皇睦仁の誕生日であった「文化の日」を、露骨に「明治の日」としようとする右派の活動も活発化している。

 現政権の中心にいる安倍晋三は、なんの実績もないまま、たんなる世襲により政治家として登場しながら、右派の宗教勢力と結びつき、臆面もなく極右思想を前面に出すことで存在を示してきた。さらに安倍政権は、長期化することにより右派のみならぬ利益集団を固め、自民党の内外から財界、官僚、メディアに至るまで、「身内」への利益供与を通じて、その影響力を広く行使するに至っている。この政権下で、ポピュリズムの姿をまとって、醜悪な差別排外主義や、虚偽の情報が意図的に流布されてきた。

 しかし、たびたびの改造を重ねつつ第四次内閣となり、多数を占める議会勢力を背景に憲法の改悪をもめざす現政権だが、その支持母体の右派勢力は、イデオロギーや利権の争いから混迷を深めてもいる。日本会議を構成する有力な「新興宗教」のグループは緩やかに衰えつつある。また神社勢力は、神社本庁と有力神社の間でもこれまでに齟齬をきたしているが、神社本庁みずからや、これに属しない靖国神社をはじめ、その組織内部での争いが激化している。そこからは、「現天皇が靖国神社をつぶそうとしている」という、靖国の宮司による興味深い発言までも漏れてくるに至っているのだ。しかし、この事態を甘く考えるべきではないのはもちろんである。

 頽廃を深めるこの日本国家においては、対外的な「危機」を煽りたて、これに応じるための「改憲」をめざすという、あまりにも使い古された手口が、政権を維持しさらに悪質なものとするために、ますます有効な手段となっている。この状況は、「選挙イヤー」でもある今年、私たちを厳しく取り巻いている。天皇の代替わりを直前にしながら、現天皇夫妻への支持の声はいわゆる「リベラル」層をも巻き込みつつ、より声高になっているということも、これに加えねばならない。とはいえ私たちは、こうした事態に対し悲観的になることなく、天皇代替わりに対抗する大衆的な陣形をつくりあげていきたいと考える。

2 天皇「代替わり」儀式との闘い

 二〇一九年を迎えて、天皇の「代替わり」儀式をどのような形式で行うかということに関する検討が、急ピッチで進んでいる。それは「昭和」から「平成」への一連の儀式を「踏襲する」という基本方針に基づいて、着々と強行されているのだ。

 すでに昨年四月の段階で、政府は、四月三〇日の現天皇の「退位礼正殿の儀」と、五月一日の新天皇の「剣璽等承継の儀」「即位後朝見の儀」、一〇月二二日の「即位礼正殿の儀」と「祝賀御列の儀」、当日以降四日間行われる「饗宴の儀」を「国事行為」として行うことを決定した。また、一一月一四日~一五日の「大嘗祭」に関しては、「趣旨・形式等からして、宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができ」ないということを認めながら、「即位が世襲であることに伴う、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式である皇位の世襲制をとるわが国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手立てを講ずることは当然」、「大嘗祭は、公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当であると考える」という、一九八九年一二月二一日の閣議口頭了解を踏襲することを確認した。その結果、一二月二一日に閣議決定された二〇一九年度予算案では、総額で一四四億円の関連予算が盛り込まれることになった。すでに昨年度予算に盛り込まれた費用と、二〇二〇年度に盛り込まれる予定の費用を合わせると、総額で一六六億円となり、前回「代替わり」費用の一二三億円を大きく上回った。

 天皇「代替わり」儀式とは、一年にわたっておこなわれる、四〇ほどの一連の儀式と行事の総体である。その儀式すべてが、税金をつぎ込んでなされるのだ。

 「国事行為」とされた儀式も、けっして「宗教性」とは無縁の儀式ではあり得ない。「剣璽等承継の儀」の「剣璽」とは、いわゆる「三種の神器」の剣と勾玉のことであり、それは「退位礼正殿の儀」「即位礼正殿の儀」においても使用される。

 このことについて、一月一七日に開かれた天皇「代替わり」にともなう「式典委員会」の第三回会合で、山本宮内庁長官が「(退位の儀式が)皇位の継承に伴う重要な儀式であることを踏まえれば、剣璽等を儀式の場に捧持し、奉安することが、皇室の伝統にも沿うものである」と述べ、横畠内閣法制局長官も、前回の「代替わり」において「十分な検討が行われた」、剣璽は「皇室経済法に規定された『皇位とともに伝わるべき由緒あるもの』」であり、「宗教的意義を有する物ではなく、憲法の定める象徴天皇の制度に沿う物であり、また、政教分離の原則に反するものでもない」などと述べている。

 また、「即位礼正殿の儀」において使用するため、昨年五億円もかけて京都御所から運んだ天皇が立つ高御座と、皇后が立つ御帳台自体が、ニニギノミコトの天孫降臨神話に由来する「皇位の霊座」であるといわれる。この点について、一九九〇年に提訴された「即位の礼・大嘗祭違憲訴訟」において、「宗教的な要素を払拭しておらず、大嘗祭と同様の趣旨で政教分離規定に違反するのではないかとの疑いを一概に否定できない」儀式であるという大阪高裁判決も出されているのだ(一九九五年三月九日)。

 しかしわれわれは、こうした内容の儀式であるにも関わらず、それが「国民統合の象徴」である天皇の「伝統儀式」であり、無条件に「問題ない」ものとされてしまう構造自体を、問題としていかなければならない。

 天皇の「代替わり」儀式を通して私たちは、象徴天皇制の下では天皇家の「私事」という名で、日常的にはあまり表に出てこない皇室祭祀が、天皇制を支える大きな柱であるという一方の事実に、あらためて直面させられることになる。いまの天皇が「護憲」「平和」「リベラル」だと肯定的に評価する言説は、「リベラル派」言論人をまきこんで、ますます幅を利かせているが、天皇制が政教分離違反の違憲の諸儀式に支えられてきたものであるという事実は強調されなければならない。それは、被災地慰問などの「国内巡幸」や「皇室外交」、「国民との対話」などを通じて浸透させてきた「俗」なる象徴天皇制と、「日本の文化・伝統」を体現する「聖」なる天皇制が、一体のものとしてあらためて登場する、天皇「代替わり」攻撃にほかならない。

 従って私たちの闘いは、「代替わり」儀式それ自体がはらんでいる「政教分離原則違反」(国家による「天皇教」の押しつけ)を問うことと同時に、一連の「代替わり」儀式の遂行によってつくり出されようとする、「新たな天皇制社会」を問い、天皇制のもとでの再統合を拒否する闘いでなければならない。そのことを、一連の「代替わり」儀式と、それと並行して行われる新天皇としてのさまざまな行為に対する反対の行動を通じて、追及していく。

3 戦争する国と「平和」天皇

 安倍首相は、戦後レジューム―憲法9条改悪を「悲願」として、中国や朝鮮民主主義人民共和国への排外主義を煽動しながら戦争国家化を進めてきた。昨年末の臨時国会閉幕後の記者会見でも二〇二〇年を新しい憲法施行の年にしたいと言っている。自民党の国会の改憲内容は、憲法9条の「戦争の放棄」、「戦力不保持」を、自衛隊を明記することで無効化するのである。

 同時に安倍政権は、日米安保を基軸にした戦争国家化を果たそうとしている。昨年一二月に、閣議決定された新防衛大綱、中期防衛力整備計画は、中国の台頭を名目に宇宙やサイバー、電磁波を含む平時から有事までを「多次元統合防衛力」として整備、運用することをめざしている。

 トランプ米大統領の対日貿易赤字を理由にした高額兵器押し付けを、言われるままにイージス・アショアやF35B戦闘機購入を決めた結果、中期防五年間の防衛予算は過去最高の二七兆四七〇〇億円となった。護衛艦「いずも」を改修し空母とするなど敵基地攻撃能力に踏み出したのだ。同時に米国の兵器使用は日米軍事一体化を飛躍的にすすめることになる。

 同時に日米の前線基地として奄美諸島を含む琉球弧の軍事基地化が強権的に行われている。政府・防衛省は、沖縄県の「辺野古埋め立て承認取り消し」を無効とし、昨年一二月一四日から辺野古への土砂投入を強行している。さらに、与那国に続き、奄美大島、宮古島、石垣島への自衛隊配備も強行している。

 現在の琉球弧の軍事基地化をもたらしているのはアジア・太平洋戦争で「天皇制護持」のために住民を捲き込んだ凄惨な沖縄戦と戦後も一貫した「天皇制護持」のために沖縄を利用してきたのだ。戦犯天皇ヒロヒトの「天皇メッセージ」によって、沖縄を米国に売り渡し、反共のために「サンフランシスコ講和条約」締結後も米軍駐留―「日米安保体制」を準備したことにある。

 天皇ヒロヒトの戦争終結『聖断神話』、それを引き継いだ天皇アキヒトは、タイ、マレーシア、中国など戦争激戦地への「謝罪なき謝罪」外交を繰り返し、広島、長崎など国内戦争被害地を訪問し、「慰霊」と「追悼」を象徴天皇の公務として続けた。自衛隊(日本軍)の外国派兵にむけた準備となった。戦後初めての公然たる外国派兵部隊、兵士を皇居に招き報告を受け、直接ねぎらいと激励を行っている。アキヒトは最後の昨年天皇誕生日記者会見で、サンフランシスコ講和条約後六五年、「平和と繁栄を築いてきた」「平成が戦争のない時代として終わろうとしている」などと発言し、安倍政権の戦争国家化が「国際平和への貢献」を名目にしているのと同様の歴史認識を示している。

 また、ナルヒト新天皇は即位後、はじめての外国首脳との会談を米大統領トランプと五月にも行うと報道されている。新天皇を国際的に押し出し、日米同盟をうち固め、排外主義を煽動するナルヒト―トランプ会談に反対の声をあげよう。

 天皇制の戦争責任を追及すると共に安倍政権の戦争国家化、改憲と軍事基地強化と闘おう。

4 「代替わり」諸儀式と天皇行事反対の行動へ!

 今年は「代替わり」諸儀式をはじめ、特別な天皇・皇室行事が続く。例年行われる天皇行事もすでにスケジュールが発表されている。「代替わり」という特別な期間中、それぞれがこの国の一大イベントの一つとして演出されるはずだ。

 今年の特別な天皇行事として、まずは内閣主催で開催される二月二四日の「在位三〇年記念式典」がある。「紀元節」同様、天皇の国であることの自明性を主張し、それを賛美する式典である。それは人びとの関心を引くようなイベントとして準備され、「代替わり」直前にあって、在位三〇年を祝い明仁を惜しみつつ、新天皇を迎えるといった言論状況がつくり出されることは必至だ。この式典に反対の声をあげる行動は、私たちも参加する首都圏枠の実行委によって準備されている。ぜひご参加を。

 続く三月一一日、二〇一二年以降、毎年政府主催で行われてきた「東日本大震災追悼式」も、その開催が一月二二日閣議決定した。これには秋篠夫妻が出席する。こちらも同様に反対行動が準備されている。ぜひご参加を。

 そして、四月三〇日の明仁退位と五月一日の徳仁即位と続く。

 即位した新天皇徳仁の最初の重要な仕事として予定されているのが、トランプ米大統領との会見だ。新天皇の重要な初仕事「皇室外交」は、もちろん明確な憲法違憲行為である。また、最初の会見者が米大統領であることの意味は、沖縄への米軍基地押しつけと安保体制の原型を作った裕仁の後継者として、明仁に続き、徳仁も裕仁のスタンスを継承していくことの宣言と見るべきであろう。

 五月以降の、天皇出席を前提とする例年開催されるいわゆる天皇行事や全国戦没者追悼式等は、当然ながら新天皇徳仁出席のもとで開催され、それらは新しい天皇の時代の始まりを賛美する舞台として演出される。また、これまで皇太子行事としてあった、「文化の国体」とも呼ばれている「国民文化祭」は、即位後も引きつづき徳仁の出席が決まり、天皇「三大行事」は「四大行事」となった。お決まりの天皇の地方訪問がまた一つ増える。明仁即位の時は、明仁皇太子時代の出席行事「海づくり大会」を天皇行事にした。代替わりによって天皇の「公務」をなし崩し的に認めさせていくやり方が踏襲されたのだ。

 八月一五日ももちろん、例年どおり政府主催の「全国戦没者追悼式」が開催され、新天皇が追悼のことばを述べるであろう。そして、少なくとも即位・大嘗祭終了後の年末までは、天皇賛美報道がこの社会を席捲することになろう。

 天皇を政治・経済的に利用する支配層。そのことを通して自らの権威を増幅させ、人びとから「敬愛・理解・共感」をかすめ取る天皇・皇族。そして天皇・皇族の「励まし」や「慰め」によって、どのような悲惨な境遇をも受け入れさせられていく「国民」。この関係構造は維持強化され、支配層にとって都合よく機能する循環は強化されるばかりだ。それは、新自由主義社会の底で分断され苦しむ人びとを統合していく新たな力として機能していくことをも目論むものだろう。

 こういった天皇状況に抗議の声をあげ、各地の「天皇いらない」の声と繋がり、大きな反天皇制のうねりをつくりだしていきたい。ともに頑張ろう。

*新たに一つ増えた、今年の天皇「四大行事」は以下のとおり。現地における反対運動への協力・連帯を!
・六月二日、「第70回全国植樹祭あいち2019」
・九月七日(土)・八日(日)、「第39回豊かな海づくり大会あきた大会」
・九月一五日(日)~一一月三〇日(土)「第34回国民文化祭・にいがた2019」「第19回全国障害者芸術・文化祭にいがた大会」
・九月二八日(土)~一〇月八日(火)「第74回国民体育大会 いきいき茨城ゆめ国体2019」、一〇月一二日(土)~一四日(月)「第19回全国障害者スポーツ大会 いきいき茨城ゆめ大会2019」

2018.8.15行動【集会宣言】8.15反「靖国」行動集会宣言

8月15日、今年も天皇・皇后が出席して行われる政府主催の「全国戦没者追悼式」が開催され、天皇は例年どおり言葉を述べた。国会議員など公人による靖国神社参拝もほぼ例年どおり行われた。これら式典と靖国参拝は、植民地主義・占領政策に基づく過去の侵略戦争への、無反省と無責任をごまかし続けるものでしかない。これらが今年も行われることに抗議の声を上げるため、私たちは今日の8.15反「靖国」行動に集まった。

天皇明仁の、天皇として最後となる今年の8.15は、祈る「平和」天皇として明仁がなしてきた「慰霊・追悼」の集大成として位置づけられる。そしてそれは、天皇制国家が起こした戦争の、その責任追及の声を黙らせてきた象徴天皇制の大きな節目としてもある。

天皇のために戦争で死んだ、あるいは「戦闘協力者」とされた「日本人」への補償および顕彰に比し、そうでない国内外の戦争被害者へは無補償といった無責任な日本政府の差別政策に、多くの「日本人」は口をつぐみ、国際的な責任に向きあうことを避け続けてきた。この明仁天皇最後の8.15式典も例外なく、そういった恥ずべき責任隠蔽の歴史をさらに固定化しようという意図に貫かれている。

政府は今年を「明治150年」として、近代150年をまるごと肯定的に評価するキャンペーンを張っているが、それは私たちにすれば植民地支配・侵略戦争の歴史150年を意味する。靖国神社はその象徴的存在であるが、単なる歴史的シンボルとしてではなく、侵略戦争の歴史を肯定し続ける現役の戦争神社として機能し続けている。その靖国神社に公人が参拝することで示されるこの国の歴史観は、過去150年の植民地主義の歴史を肯定するもの以外にない。そして、「全国戦没者追悼式」と、そこで天皇がのべる言葉は、そういった支配層の歴史観を強固なものとするためだけにある。

安倍政権は戦争のための法整備と「国民」づくりを着実に押し進めてきた。2013年には、安倍首相が靖国を参拝し、現在、それに対する抗議の声は司法によって握りつぶされる寸前だ。過去の戦争政策への肯定・礼賛は、それが現在の戦争準備政策に利するためにこそなされる。そういった課題関係を前提に、私たちはこれからも、現在進められている戦争準備政策への抗議とともに、過去の植民地政策・侵略戦争に対する責任追及を粘りづよく続けていきたい。

そして、そういった現実を不可視な状況に追いこむ装置としてあり続ける天皇制を、これ以上続けさせるわけにはいかない。象徴天皇制のもとでも、天皇は君主的な役割を果たし、神々の一族として明確な宗教儀式をさまざまに続けている。また、政府の政策を円滑に進めるために機能し、世襲制で特権的な地位につく差別的な存在である。そのような天皇制は、「代替わり」で延命させるのではなく、なくしていく方向を模索すべきであり、私たちは、このことを諦めず何度でもくり返し訴えていきたい。

天皇の「代替わり」を許さず、天皇制いらないの声を上げ、安倍政権の、現在の改憲・戦争政策に抗議するとともに過去の戦争責任の追及を忘れない行動を、ともに作り上げていこう!

2018年8月15日
8.15反「靖国」行動参加者一同