2018.2.11行動【集会基調】「代替わり」と近代天皇制150年を問う2.11反「紀元節」行動集会基調

1 「建国記念の日=紀元節」をめぐる問題

今年もまた、この二月一一日には、神社本庁や日本会議など右派団体の主催による「建国記念の日 奉祝中央式典」と「奉祝パレード」が開催され、また、各地においても式典や集まりが開催されて、政府や自民党をはじめとする政治家たちが参列している。それにもかかわらず、右派が切望する、政府の後援による「国民式典」は、二〇〇五年以降は開催できていない。

発足して間もない「明治」の太政官政府は、「祭政一致」「廃仏毀釈」など神道国教化による政治が破綻するや、諸外国の制度を模倣して大がかりな制度の策定に着手した。一八七二年に太陽暦が導入され、一八七三年には国家の祭日や祝日が布告されて、天皇制にちなんだ「祝祭日」が制定された。二月一一日が「紀元節」と制定されたのは、記述の解釈すら確立していない記紀神話が、「神武」による「肇国」をあたかも歴史的事実であるかのごとく装い、暦計算を曲解しながらつじつまを合わせただけのものに過ぎなかった。

しかし、これによって「神武」にはじまる天皇の「万世一系」の神話が、疑いを入れる余地のない国家的「事実」の地位を占めることになり、同時期に開始された軍制や学制の整備にも重大な影響を与えていくことになったのだ。天皇のための死者を祀る東京招魂社の設置も同時期である。「神武東征」は全き事実として扱われ、さらにその後、「八紘一宇」は大日本帝国の中核的概念とされるに至り、侵略政策を担う思想としてアジア諸国・諸民族にまでも強要された。

「紀元節」は、戦後改革の中で一九四八年に一度は廃され、天皇神話は歴史事実としても否定されてその根拠を喪失していたはずだった。しかし、これが一九六六年に「建国記念の日」として新たに制定されたのちには、これへの批判は徐々に押しつぶされて、その後は一九七九年の「元号法」、一九九九年には「国旗・国歌法」などが次々と制定されてきた。これらの法律は、いずれも制定当初にはこれを強制するものではないとしながら、すぐさま天皇制や国家に対する服属を示す重要な儀礼や制度として、公務員や学校にはじまり、社会の成員全体に向けて強要され続けてきたのである。

こうした経過によって、「建国記念の日=紀元節」は国内外から多数の批判を受け、皇族たちからすらも批判されて宮中祭祀から外されている。これが右派勢力による「民間」式典としてある現状は、むしろその本質を指し示すといってよい。

昨年は、安倍政権の腐敗と身内への利権供与が多くの面で露呈した年でもあったが、その中で、国会決議で明確に否定された教育勅語などに基づいた極右思想が、宗教団体や日本会議などを経由して、右派や保守派全体、そしてさらにインターネットにおける虚構の宣伝や、メディアの屈服と「忖度」によって、幅広い影響力を持っていることが示されている。政府もまたこれを追認するような閣議決定を行なっている。政府が「国際性」を強調するほどに、同時に醜悪な民族差別主義への傾倒も強まっている。

天皇の代替わりが来春に予定されるという状況下にある現在、天皇制の歴史そのものを批判することは、ますます重要な意味を持っている。明治にはじまる「一世一元」の「元号」の改定も、このなかですでに当たり前の事実のように扱われている。天皇の一族を特別な存在として扱う憲法第一章と皇室典範は、男女平等の理念を掘り崩すとともに、「家族=国家」観を天皇制の側から押しつけるものとしてある。こうした世界観、「道徳」認識、歴史認識を強要しようとする右派は、いま、かつて明治天皇にまつわる「明治節」とされた一一月三日を、あらためて「文化の日」から「明治の日」へと復活させようとしている。私たちは、これらを多面的に批判し、戦っていかなければならない。

 

2 「明治一五〇年キャンペーン」に反対しよう

着々と進む「代替わり」儀式の準備と並行して、政府は、「明治一五〇年」の祝賀事業を進めている。

「長州出身」の首相として、安倍晋三は、明治一五〇年記念のイベントを、自ら主導して行いたいと早くから口にしていたという。すでに二〇一六年一〇月には、菅官房長官の指示により、内閣官房に「明治一五〇年」関連施策推進室という専門部局が設置され、翌月には各省庁の連絡調整機関である「明治一五〇年」関連施策各府省庁連絡会議のもとで、さまざまなプロジェクトの検討が始まった。

現時点では、開催も含めて確定してはいないが、メインの儀式として、当然、政府主催の記念式典が想定されているはずである。
一九六八年の「明治一〇〇年」の際には、「明治改元」の日である一〇月二三日に、昭和天皇夫婦や皇族、閣僚・国会議員、各国の外交団、各界代表など一万人を集めて、九段の日本武道館において政府式典が挙行された。首相や天皇の式辞、各界祝辞に続いて「明治一〇〇年」を祝う音楽などが演奏され、最後に、安倍の祖父の弟に当たる佐藤栄作首相の音頭で「日本国万歳」が三唱されている。

今回、計画されている記念事業について見てみると、昨年末現在で、国主催のものが一五二件、地方公共団体レベルのものが二〇〇八件にのぼる。ほとんどが展示会や講演会、アーカイブの構築などで、なかには既存のイベントに「明治一五〇年」の冠をかぶせただけのものも少なくない。記念切手や記念硬貨の発行も計画されているが、比較的大規模なものとして、昨年夏に閣議決定された、大磯にある伊藤博文の旧邸を中心に、近隣の「明治の元勲」の旧別荘を一括整備して「明治記念大磯庭園」とする計画がある。国は同園の年内公開をめざすとしている。

明治一五〇年の施策に関して政府の文書は、「明治の精神に学び、更に飛躍する国へ向けて」と称して、「明治期においては、従前に比べて、出自や身分によらない能力本位の人材登用が行われ、機会の平等が進められた。……『明治150年』を機に、国内外でこれらを改めて認知する機会を設け、明治期に生きた人びとのよりどころとなった精神を捉えることにより、日本の技術や文化といった強みを再認識し、現代に活かすことで、日本の更なる発展を目指す基礎とする」と述べている。

また、二〇一六年におこなわれた「各府省庁連絡会議」のヒアリングには東大名誉教授の山内昌之や帝京大学教授の筒井清忠が招かれ、基本方針についての意見を述べた。山内は、「犠牲者を最小限に」して統一国家、主権独立国家体制が築き上げられたことを評価し、筒井は、「五箇条の御誓文」と、それに続く明治憲法体制・議会政治の「延長線上に」現在の日本の民主政治がある、能力主義による人材登用や、外国文明の「取り入れの達人」である日本人の特性が、伝統との「バランス」のとれた日本の近代化を成し遂げたというのである。

これらの言説は、イノベーションやらクールジャパンなどといった、安倍や財界が求める流行の価値観を日本近代の出発点に投影した、「ニッポンスゴイ」論であるといえる。それは、起点としての明治の始まりを賛美するだけでなく、「一五〇年」を、今に続く一連の発展を遂げた近代化の歴史ととらえ、それをもたらした精神文化の称揚とともに、まるごと賛美・肯定しようとするものだ。だからもちろん、その近代化の内実に目が向けられることはない。「一五〇年」の基調をなしている思想は、「一〇〇年」のときと同じく、近代化(賛美)論である。しかし「明治一〇〇年」のときには、欺瞞的なものにすぎないとはいえ、それでも存在した「物質文明による自然と人間性の荒廃」などの反省的なポーズすら、今回はまったく消えて、「明治の精神」がひたすら賛美されているのだ。

現実の明治=近代日本の一五〇年とは、その前半は、アイヌモシリ・琉球の帝国主義的統合に始まり、上からの資本主義化を急速におしすすめ、農民反乱や自由民権運動などを暴力的に圧殺し、アジア侵略・植民地支配と戦争に彩られたものであった。そしてその後半は、安保体制に基づくアメリカの世界支配戦略に積極的に加担し続け、象徴天皇制のもとで侵略戦争と植民地支配から目を背けてきた。そして、開発優先の経済成長政策の果てに、3・11の原発事故もまた引き起こされたということも、忘れ去ることはできない。「一五〇年」はそのように無条件に賛美されるような歴史では決してないのだ。

私たちは、この「明治一五〇年」が、明仁天皇「代替わり」の前哨戦として行われるイベントであることに注目しなければならない。一九六六年の「建国記念の日」=「紀元節」復活も、「明治一〇〇年記念式典」と連動したものであった。「明治一五〇年」とは、「天皇制国家の一五〇年」にほかならない。どのような立場でこの歴史を検証し、捉えるべきかが問われているのだ。こうした歴史を見すえ、近代天皇制の歴史総体を批判していくという立場から、今年一年間の反天皇制闘争を開始していきたい。

 

3 「天皇退位特例法」と天皇状況

二〇一六年七月一三日、NHKへのリークという形で天皇明仁が「生前退位」の意向を表明し、八月八日には、直接私たちに語りかける映像ビデオが一斉にTV放映された。天皇はそのビデオで、天皇の大切な「務め」として「何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ること」をあげ、「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なもの」と語った。さらに、「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろう」とし、摂政の拒否もつけ加えている。そして「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。/国民の理解を得られることを、切に願っています」と結んだ。

天皇の「祈り」の公然化は憲法二〇条の政教分離原則に抵触する。国内巡行等の「公務」も憲法の天皇規定から外れ、私たちは違憲と考える。それらを天皇は自らの言葉で、天皇の「務め」、象徴的行為として正当化し、憲法に規定されている「摂政」を拒否し、「生前退位」への「国民の理解」を求めたのだ。

このメッセージから約一〇ヶ月後の二〇一七年六月九日、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が全会一致で可決し、第一条にはこの天皇の言葉を大きく反映した条文が、しかも敬語で盛り込まれた。「国民」は「公務」に励んできた天皇を「敬愛」し、高齢によりそれが充分に果たせないという天皇の思いを「理解・共感」している。それらを考慮して特例法を制定するというのだ。「国民の総意」は、天皇発議の法制定や、「公務」容認、天皇の拒否権行使など、ことごとく違憲性の高いこの特例法のエクスキューズとして使われたのである。

実際、メディアにあふれる言説では、安倍たち伝統主義右派を除く政治家、学者、ジャーナリスト、護憲派を含む多くの活動家や市民は、一部の例外を除き、天皇の「お気持ち」忖度、天皇の希望に応えるという一方向に向かっていた。天皇はあたかも社会全体を味方につけ、安倍政権と対峙したかのような状況がつくり出されたのである。

一方で、恒久的「生前退位」や「安定的皇位継承としての女性宮家」等々を容認できない安倍首相は、安倍の支持基盤である伝統主義右派への配慮もあいまって、目に見える形の抵抗を試みている。二〇一六年九月二三日に発足した「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」は、「生前退位」ではなく「公務の負担軽減」を目的に動き出したのだ。そこでは、「生前退位」を容認するか、その場合は「特例法」か「恒久法」か等々、「国論」を二分するかのような状況もつくられたが、すぐさま、安倍たちと天皇「忖度」派の妥協のための「調整」の時間へと向かった。翌年二〇一七年からは、天皇課題で反対意見を出させないという全会一致可決を目指し、衆参両院議長・副議長が調整のために奔走した。その翼賛国会の結果が「特例法」である。衆参両院議長・副議長による調整は、「国民」の代表による合意とされ、ここでも「国民の総意」言説がつくられた。

こういった国会内の伝統主義的右派とリベラル天皇主義の妥協は、結果としてより強力な象徴天皇制を作り出した。たとえば、「皇室典範」に「この法律の特例として天皇の退位について定める天皇の退位等に関する皇室典範特例法は、この法律と一体を成すものである」という一文を附則として追加する改正を特例法の附則に入れ、これが「将来の天皇が退位する際の先例」となり得ることを明言した。さらに「公務」前提の法律とした。あるいは法案採決にあたり「政府は女性宮家創設など安定的な皇位継承のための諸課題について、皇族の事情も踏まえて検討を行い、速やかに国会に報告する」とする附帯決議をした。これらの天皇制にとって好都合な結果は、すべて妥協のための「調整」がつくり出したものだ。

二〇一七年一二月一日、皇室会議が開催され、安倍は天皇の「退位」を二〇一九年四月三〇日、「即位・改元」を五月一日と定めた。「即位・大嘗祭」も、二〇一九年秋予定との報道がすでに流れている。式典準備委員会も設置され、事態は着実に進められている。また、二〇一八年度予算には、上皇夫婦、新天皇一家の住居改修や「即位の礼」関連儀式準備、職員増員のための費用として、三五億六〇〇〇万円が計上された。これらはもちろん、庶民のなけなし生活費からはぎ取った税金だ。そしてそこには、いま話題沸騰の秋篠宮眞子結婚への持参金、一億五三〇〇万円も含まれているが、結婚延期となった今、少なくともこの金額は削減されるべきだ。

こういった「代替わり」関連情報は今後も増え続け、それに比例して人々の関心は天皇制へと向かわされていく。そして今後展開されるのはさまざまな「退位・即位」にまつわる儀式であり、報道を通した服属儀礼への強制参加である。

私たちは、「平和」と「慈愛」と「護憲」を建前に「国民」にすり寄ってくる天皇一家の言動が、現政府の思惑や政策を補完する関係でしかあり得ないことを繰り返し訴えたい。そして、天皇が君主然として振るまい始めている天皇状況と、「明治一五〇年」を祝おうという政府の思惑が、この社会をさらに民主主義からも平和からも遠ざけていくということを、多くの人たちと共有し、これから始まる天皇代替わり状況と対峙していきたい。

 

4 「天皇制国家劇場の連続興行」と改憲にNОを!

「明治一五〇年」とは、そのまま神話にもとづく天皇制によって国民が統合された近代天皇制国家の一五〇年である。政府の目論む「明治一五〇年」記念事業は、列強から独立を守り、一等国へと成り上がった「国家建設の成功物語」への郷愁である。

しかしその「物語」は七二年前に国際的にも国内的に膨大な被害もたらしたあげくに完全な破綻へと帰結した(天皇制国家がおかした侵略戦争・植民地支配に対する謝罪と補償はなされていない)。そうした史実を糊塗するとともに、現在の日本国家(あるいはグローバル世界資本主義)が抱える矛盾(財政破綻、格差拡大、原発事故等々)から眼をそらさせことも意図して、「国家建設の成功物語」再現ムード(イメージづくり)が醸成されようとしているのである。

この「明治一五〇年」(二〇一八年)は、新天皇即位・改元(二〇一九年)、新天皇の国際デビューである東京五輪(二〇二〇年)と連続する「天皇制国家劇場の連続興行」の皮切りとなる。
新天皇を軸として上皇を含むあらたな天皇制国家への統合(再統合)に向けたこの一連の「興行」(イメージ操作)は、時には暴力剥き出しの弾圧も繰り出されるであろう。

私たちは、天皇の代替わり過程における国家儀礼・儀式に対する抗議の声をあげるとともに、戦後作り上げられてきた天皇による国家統合のさまざま仕組み(植樹祭、海づくり大会、国民体育大会、慰霊追悼の旅、被災地慰問等々)に対して執拗にNО!の声を上げつづけることが必要である。

植樹祭は今年六月に福島県(二〇一九年は愛知県=新天皇の最初の行事か?)、海づくり大会は今年一〇月に高知県(二〇一九年は秋田県)、国体は今年は九月から一〇月に福井県(二〇一九年は茨城県)で行われる予定である。開催現地の反対の声とも呼応して、天皇行事に対する抗議の声を上げていこう。

また、天皇参加で始められた政府主催の東日本大震災追悼式は、秋篠宮の出席を得て今年も三月一一日に行われる。犠牲者を慰霊・追悼するこのセレモニー(儀礼)は、原発避難民の切り捨て、事故原因の追求を棚上げにした原発再稼働政策が推進されるなかで行われることを忘れてはならない。

さらに、明仁天皇の三月(二七〜二九日)の沖縄訪問が発表された。国立沖縄戦没者墓苑への献花と共に、与那国島への初訪問も予定されている。沖縄では、辺野古米軍新基地建設阻止行動が二〇年にわたり続けられている。また与那国島は、二〇一六年に島民世論が割れる中で自衛隊(陸自の駐屯地と沿岸警備隊)配備が南西諸島としては初めて強行された(宮古島、石垣島への配備も強行されつつある)。こうした渦中での天皇の訪沖(訪与那国島)に際しては、「明治一五〇年」の当初から今日まで連続する日本(ヤマト)国家による沖縄の植民地(的)支配、構造的差別構造を改めて厳しく問わなければならない。

政策の失敗それがもたらした被害に対する責任をとらない、無責任国家体制を中核で支えるものこそ天皇(皇族)による慰霊・追悼・慰問なのである。

そして最後になるが、安倍首相は、昨年の五月三日(憲法記念日!)に「二〇二〇年新憲法施行」発言を行った。安倍政権による明文改憲が眼前(早ければ年内の改憲発議、二〇一九年の国民投票)に迫っている。安倍の改憲は、侵略戦争・植民地支配を基調とする明治国家(近代天皇制国家)が目指した国づくりの破綻(反省)によって生み出された日本国憲法の平和主義をなきものにしようとする策動にほかならない。断固としてNО!の声を上げなければならない。

「天皇制国家劇場の連続興行」とその渦中での改憲攻撃に対して、NО!の声を!

その最初の一歩として、今日、私たちは「紀元節」反対の声を上げる。皆さんと共に!

二〇一八年二月一一日

2018.2.11行動【集会案内】明治150年=近代天皇制を問う2.11反「紀元節」行動

日時:2018年2月11日(日)13:00開場

会場:全水道会館4F大会議室 ●集会後デモ

講師:太田昌国さん
資料代:500円

主催:「代替わり」と近代天皇制150年を問う! 反「紀元節」2.11行動

呼びかけ団体:アジア連帯講座/研究所テオリア/市民の意見30の会・東京/スペース21/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/ピープルズ・プラン研究所/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

今秋には、「明治150年式典」が、政府主催で行なわれようとしている。1966年に制定された「建国記念の日」=「紀元節」復活は、1968年10月23日に行われた「明治百年記念式典」と連動したものであった。150年式典にあたって政府は、「明治以降の近代化の歩みを次世代に残す」 とし、「明治の精神に学び、日本の強みを再認識し、更なる発展を目指す基礎とする」などと、その「基本的な考え方」を示している。言うまでもなく、「明治150年」とは、そのまま「近代天皇制150年」 にほかならない。それは、植民地化と侵略戦争に始まる近代日本の150年を一連の「近代化過程」 としてとらえ、「不幸な時代」はありつつも、それを乗り越えて現在の「平和と繁栄」につながっているという歴史の肯定と賛美である。「昭和の日」を実現させた民間右派勢力は、現在「文化の日」である11月3日を「明治の日」とする運動を進めている。「紀元節」「昭和の日」「明治150年」 と続く一連の「記念日」を通して、今年一年、天皇と天皇制をめぐる向こう側の歴史観の押しつけは、 強化されていくだろう。そしてそれが、来年の天皇「代替わり」に向けた前哨戦となることも確実だろう。 私たちは、この間各地でさまざまなかたちで取り組まれている「天皇代替わり」状況にたいする抵抗とつながりあいながら、今年一年の運動を展開していきたいと考えている。2.11反「紀元節」行動へぜひ参加下さい。