一一月三〇日に公表された誕生日記者会見における秋篠宮の発言は、国費を使って「公的」に行われる天皇の「代替わり」儀式がどうあるべきかということを皇族自らが語ったという意味で、「生前退位」の意向を表明した明仁の発言がそうであったように、明白な政治的発言にほかならなかった。前回の「代替わり」儀式において、「政教分離」の観点から疑義が提出され、その違憲性が訴訟でも争われた大嘗祭に関して、「やはり内廷会計で行うべきだと思っています」と秋篠宮は述べた。「大嘗祭自体は絶対にすべきものだ」が、「できる範囲で身の丈に合った儀式で行うのが、本来の姿ではないかなと思います」というのだ。
政教分離と簡素化に配慮しているかのように報じられたこの発言は、しかし、大嘗祭をめぐる政教分離とは何かというときに、それが天皇家の「私費」とされる内廷費から支出しさえすれば問題ないという解釈を、皇室の側から示してみせたものとしてとらえなければならない。しかし、政教分離は国家が宗教的行為を行うことを禁止する規定であって、それは当然、国家の機関としての天皇にも及ぶのだ。内廷費も税金であり、とりわけ大嘗祭は、新天皇に神格を付与する「代替わり」における宮中の秘儀として、きわめて大きな意味が与えられ、マスメディアもこれを大々的に報道する。内廷費であれば請求分離違反にならないなどというのは、まったくのごまかしである。
他方、政府の側は、即位の礼正殿の儀や剣璽等承継の儀などを「国事行為」として、また、大嘗祭を「公的」なものとして公費を支出する姿勢を変えようとはしない。少なくとも、大嘗祭に関してはその宗教性を国も認めているのに、「日本国および国民統合の象徴」である天皇の即位に関わる重大な儀式であるからとして、そのような行為を正当化しているのである。
二〇一九年、一年をかけて行われる天皇「代替わり」とは、四〇ほどの一連の儀式と行事の総体である。それは、象徴天皇制の下で、日常的には表に出ないで隠れている皇室祭祀が、天皇制を支えるもう一つの柱にほかならないという事実をさらけだす。日頃、明仁天皇が「護憲」天皇であると持ち上げる人々は、これを「伝統・文化」の儀式として強弁するだろうが、それが紛れもなく国家神道の儀式であることを無視してはならない。
そして天皇「代替わり」とは、このように神聖化された天皇儀式を経て、「新たな時代」の天皇制国家・日本の姿を演出する、大きな機会となるのである。安倍政権の掲げていた「改憲四項目」の国会提示は来年以降に持ち越される見込みだが、「新たな時代」の演出が、いわゆる「戦後レジーム」を最後的に解体する明文改憲への動きと連動していくことは間違いない。新天皇徳仁が、そこにおいていかなるイメージをまとうことになるのかはまだ不分明であるが、新天皇即位直後の五月に、新天皇・トランプ会見が予定されていることに明らかなように、日米同盟のもとでの戦争国家体制に、より適合的な天皇制として、その役割を果たすに違いない。
私たちは、この「代替わり」総体との対決という課題を掲げた、二〇一九年の反天皇制運動を、2・11反「紀元節」行動から開始していくべく、準備を開始している。言うまでもなく2・11は、神武天皇の建国神話に基づく天皇制の記念日だ。そして私たち反天皇制運動の実行委構成団体も合流して、首都圏において、反天皇制運動の大きな枠組みとして「終わりにしよう!天皇制『代替わり』反対ネットワーク」(おわてんねっと)も結成され、2・24の天皇在位三〇年式典反対行動に取り組もうとしている。この式典は、まさに「平成天皇制の三〇年」を向こう側から総括し、それを「国民こぞって」祝い、「代替わり」に向かっていこうという儀式となる。そして、新「元号」発表、四月三〇日の明仁退位─五月一日の徳仁即位、愛知植樹祭や秋田海づくり大会、茨城国体への新天皇の出席などが続く。新潟でおこなわれる国民文化祭は、「代替わり」後に天皇行事へと「昇格」する。そうして、秋の即位の礼、大嘗祭へと天皇行事は続いていくのだ。
次から次へと、さまざまな天皇儀式が繰り出され、天皇制が神聖かつ大切なものであるという意識が、人びとの日常意識にすり込まれる。それは、天皇の神聖性を通して日本国家の神聖性を自明のものとする、国家主義の攻撃でもある。こうした攻撃にひとつひとつ反撃し、さまざまな視点から天皇制を問い続けていこう。2・11反「紀元節」行動への参加賛同を訴える。
天皇「代替わり」に反対する 2・11反「紀元節」行動
【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村 /反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制に反対の意思表示の会/連帯社/労働運動活動者評議会