今年もまた8月15日のこの日、政府主催の「全国戦没者追悼式」は、新型コロナ感染拡大の影響で縮小されたものの例年どおり行われ、天皇・皇后が出席し言葉を述べた。靖国神社には閣僚や国会議員たちが参拝した。マスメディアは毎年、この8.15を「終戦記念日」と称し、「反戦」を誓い「平和」を祈念する日として、さまざまなメッセージを流す。そして私たちは例年通り、「全国戦没者追悼式」と「靖国神社」に抗議をの声を上げるためにここに集まった。敗戦75年の今年、この8.15という日の意味を、改めて確認したい。
政府主催・天皇の「お言葉」つき「全国戦没者追悼式」や、政治家たちの「靖国」参拝が作り出してきたものは、日本の侵略戦争や植民地支配の歴史に対する責任を、極一部に押し付け、天皇以下の指導者から免責してきたことを正当化する論理である。あるいは「戦没者」のおかげで戦後日本の「繁栄」がもたらされたという嘘であり、「戦没者」を「英霊・神」として讃える戦争を肯定・賛美する思想である。それらが繰り返されることによって、現在では「南京大虐殺はなかった」「慰安婦はいなかった」等々、隠蔽と改竄の歴史認識が公式見解のように暴力的に大手を振っている。
「追悼」という言葉はあらがい難い力をもつ。多くの人は8.15を「終戦記念日」と語り、政府の言葉どおり「追悼と平和を祈念する日」と認識し、政府や天皇の追悼と閣僚・国会議員の「靖国」参拝を受け入れ、あるいは良しとする。だがそこには、国家によって侵略戦争の兵士として戦地に送られ、加害者にさせられ、そして殺され、あるいは餓死・病死等々で死んだ人々への、責任ある者としてのあるべき謝罪は一言もない。あるのは、「私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたもの」という昨年の首相の言葉が示すように、侵略戦争や植民地支配によって現在の「平和と繁栄」が築かれたという、戦争肯定の論理だけだ。一方、「靖国」はそういった死者を「よくやった」と褒め称え顕彰する。その「靖国」を閣僚や国会議員といった公人たちが参拝することで、「靖国」思想をこの社会が肯定することを指し示していく。国家は「国民」を、アジア諸国への侵略者に仕立て上げ、そこで殺された人々を、いまも利用し尽くしているのだ。
また、8月15日を「終戦記念日」と認識させ、「平和を祈念する日」とすることの政治的な意図が、歴史修正主義や無責任体制の温存・強化にあることを、再度確認しておこう。
8月15日とは、1945年のこの日、日本政府がポツダム宣言を受諾したことを、戦争の最高責任者だった昭和天皇が「国内」に伝えた、いわゆる「玉音放送」が流された日でしかない。実際にポ
ツダム宣言を受諾したのは8月14日であり、降伏文書に調印したのは9月2日だ。
昭和天皇の「玉音放送」の日を「終戦の日」とすることで、天皇の「聖断」によって戦争が終結したという神話を流布し、天皇の命によって死んでいった兵士たちと、その兵士たちに殺された多くのアジアの人々の、その死への責任を曖昧にする「おことば」政治の舞台をその神話の日に求めているのだ。天皇制国家はこの75年間、そのようにして延命してきた。このような式典や「靖国」参拝を許し続けている日本社会は猛反省しなくてはならない。
日本政府がやるべきことは、侵略戦争・植民地支配の被害者へのまっとうな謝罪と賠償である。
そして反省を込めて天皇制を廃止することだ。私たちは今日、そのことを訴えるデモに出発する。ともに歩こう!
2020 年8 月15日
国家による「慰霊・追悼」を許すな!8.15反「靖国」行動