「よびかけ」カテゴリーアーカイブ

国家による慰霊・追悼を許すな! 8・15反「靖国」行動への呼びかけ

 私たちは、天皇制日本国家による侵略戦争と植民地支配責任を問い、「慰霊」や「追悼」の国家儀式によってこれらの責任を糊塗し隠滅することはできないし、それは次なる戦争の準備にむけたものである、ということを、これまでずっと主張し批判し続けてきました。そして、今回もまた八月一五日を迎えます。
 一九四五年には、広島と長崎において、アメリカにより初めて核兵器が使用されましたが、ロシアによるウクライナへの軍事侵略が長期化しつつある中で、核兵器の使用を含む世界戦争までもが具体的な可能性として語られているきわめて深刻な状況下にあります。今回の大規模な戦争は、ロシアによるウクライナへの侵略戦争であるとともに、多数の軍事支援をしているアメリカ・イギリスを中心としたNATO体制と核兵器を有する軍事大国であるロシアによる間接的な対決でもあります。このような戦争の構造のなかで、日本は、ウクライナ支援を口実として、東アジアのみならず世界規模においても軍事的な協力関係を拡大しようとしています。
 日本国憲法は前文において、「恒久の平和を念願」し「平和を愛する諸国民の公正と信義」への信頼を語り、同九条において、憲法条文として「戦争の放棄」と戦力の不保持を宣言し、交戦権を否定しました。しかし、これらの理念は実質的にはただちに放擲され、戦力の保持と拡大が既定路線とされました。すでに重要な軍事拠点となっていた沖縄での米軍軍政の継続を支援し、復帰後も米軍の自由使用を担保し、その後は、軍備や戦争費用、軍事人員の提供、さらには、他国の戦場に軍隊を派兵するなど、憲法を否定する軍隊の運用をたびたび行なっています。今年の五月には、政府は、かつて公言していた軍事費をGDP比で1%以下とする制限を振り捨てて、NATO加盟国と同様のGDP比で2%に向けた軍事費増額をも決定しようとしています。これが実現すると、日本は世界第三位の軍事費と兵力を擁する存在となり、アメリカ軍を直接間接に補佐する存在であることを超えうるものとなります。それは同時に、情報においても装備においても、ウクライナ戦争の中であらためて重要な存在となっている世界中の軍事企業やそのビジネスに対する影響力を、公然と強化することでもあります。
 日本は、これまでにも、多数の原発と核燃料・核廃棄物の質と量において潜在的な核保有国であるとみなされてきました。表向きには「非核三原則」をうたいながら、国際会議の場では核兵器の否定や不使用に反対する立場を取り続けており、自民党は、アメリカ軍の「核の傘」ではないかたちでの「核の共有」「核兵器の使用」を肯定する立場を模索し続けています。さらに、報復武力行使を「拡大(核)抑止」に、敵基地攻撃力を「反撃能力」に言い換えて、この日本国家は、ありとあらゆる方面で「平和国家」の理念をなりふり構わず打ち棄てるに至っているのです。そして、極右や保守政党が多数を占める議会の構成は、憲法の明文改定をより容易なものにしています。
 天皇徳仁は、「沖縄復帰五〇周年」式典においても、バイデンアメリカ大統領との会談においても、「日米両国の友好と信頼」を強調しています。しかし、「沖縄返還」がアメリカ単独から日米共同での極東の軍事体制維持のために行われたという実態をみれば、「友好と信頼」(!)とは、日米同盟に基づくさらなる軍事強化へ向けた協力の再確認にほかなりません。
 このような戦争状況と国際環境の中で、日本国家の戦争関与とそこにおける天皇制の役割は、大きく変化しつつあるのではないでしょうか。天皇は、これまで「平和」のメッセージを発し、戦没者追悼式典で「祈る」という姿を見せることで、天皇制による国家統合の機能を強めてきました。戦死者の賛美は、いまあちこちで見られるように、膨大なメディアの操作によって「国家を守る」ために死ぬこと自体を賛美するものと変えられます。天皇や政治家たちによる「慰霊と追悼」とは、まさにそうしたことです。
 私たちは、今年の8月15日の反「靖国」行動が、これまでより重要な意味を持ちうるものだと考え、参加・賛同を呼びかけます。

国家による慰霊・追悼を許すな! 8・15反「靖国」行動実行委員会

沖縄・安保・天皇制を問う 4.28-29 連続行動

■今年の4月 28 日は、1952 年にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が占領状態から脱し、独立国としての戦後をスタートさせた日から、70 年目になる。そしてそれは同時に、(旧)日米安保条約の発効からも 70 年目ということでもある。さらには 70 年前に切り捨てられた沖縄が日本「復帰」をしてから50 年目でもある。
■天皇制は、「平和」を語りながら、侵略戦争・植民地支配責任を忘却の彼方におしやり、日米軍事一体化の下で新たな戦争国家へ向けて国家統合体制を整えるという役割を継続・強化している。
■日米安保条約は、この 70 年に驚くべき「進化・深化」を遂げ、自衛隊は琉球弧で増強され続けている。琉球弧では、自衛隊と米軍が一体化した軍事演習が繰り返されている。琉球弧が再び戦場とされる危機が高まっている。
■こうした中で、講和条約・安保条約から 70 年、沖縄「復帰」から 50 年をむかえる今年、改めて、4月 28 日と 29日の両日を、沖縄・安保・天皇制を考える連続行動として取り組みます。

4月28日

 「講和」後 70 年の日本と「復帰」後 50 年の沖縄
象徴天皇制・日米安保体制下の日本と沖縄の歴史と現在

[日 時] 4 月 28 日(木)18:00 開場/18:20 開始
[会 場] 文京区民センター・2A (地下鉄後楽園駅・春日駅)
[資料代] 500 円

[問題提起]
大野光明 さん(運動史研究。著書『沖縄闘争の時代 1960/70』)
 「日本 (ヤマト) にとっての「沖縄問題」への視座」 (仮)
池田五律 さん(戦争に協力しない!させない!練馬アクション)
 「象徴天皇制と日米安保体制がもたらした現在の日本を問う」 (仮)

4月29日

反「昭和の日」デモ

[日 時]  4 月 29 日(金・休)
     12:00 集合/12:30 デモ出発
[集 合]  内神田尾嶋公園
     (地下鉄大手町駅・淡路町駅、JR 神田駅)

428-29_ビラ

沖縄・安保・天皇制を問う 4・28−29連続行動への呼びかけ

 私たちは、60年安保闘争から50年目となる2010年から、4月28日・29日の連続行動に取り組んできた。
 今年の4月28日は、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が占領状態から脱し、独立国としての戦後をスタートさせた日から、70年目になる。そしてそれは同時に、(旧)日米安保条約の発効からも70年目ということでもある。さらには70年前に切り捨てられた沖縄が日本「復帰」をしてから50年目でもある。

誤った戦後日本のスタート
 サンフランシスコ講和条約は、冷戦の激化(朝鮮戦争下)で講和を急ぐ米国主導のもと、最大の被害国である中国と、ソ連を排除した「西側陣営」とのみ結ばれた。その結果、日本の侵略戦争・植民地支配に対する賠償は経済援助方式によって切り縮められ、天皇制国家による侵略戦争責任・植民地支配責任の追及は果たされることはなかった。
 沖縄を含む南西諸島は米軍支配のもとに切り捨てられ、朝鮮半島出身者の地位は、一片の通達によって日本国籍を剥奪された。占領軍であった米軍の特権的地位を有した状態のままでの駐留継続が認められた。
 こうした米国による戦後の対日本政策は、占領政策を有効に進めようとする意図の下で戦犯としての追及をせず延命させた裕仁天皇との米国主導の下での共同作業でもあった。共産主義勢力による戦争責任追及や革命を恐れる裕仁は、米軍の駐留継続を強く望み、そのために沖縄の切り離し(占領の継続)の提案を、日本政府の頭越しに行ったのである。
 こうした流れは、今日の「従軍慰安婦(日本軍性奴隷制度)」問題や「徴用工」問題、辺野古新基地建設に象徴される米軍基地の沖縄への押し付け問題などにもつながっている。

琉球弧を再び戦場にするな
 敗戦の年(1945年)は、明治維新による近代天皇制国家成立から77年であった。そして今年(2022年)は、その敗戦から77年目にあたる。この長い時間のなかでいまだ果たされない侵略戦争・植民地支配の責任を追及し続けなければならない。また被害者に対する謝罪と補償も実現されなくてはならない。
 天皇制は、「平和」を語りながら、侵略戦争・植民地支配責任を忘却の彼方におしやり、日米軍事一体化の下で新たな戦争国家へ向けて国家統合体制を整えるという役割を継続・強化している。
 日米安保条約は、この70年間に驚くべき「進化・深化」を遂げ、台湾有事を想定した中国包囲網のなかで、特に、琉球弧(南西諸島)において自衛隊の配備は増強され続け、米軍と一体化した実戦的訓練が頻繁に行われるようになった。琉球弧が再び戦場となる危機が高まっているのだ。
 今年の5月15日には復帰50年の政府主催の式典が、沖縄と東京の二箇所で行われる。徳仁天皇もオンラインで参加し「お言葉」を発する予定という。われわれは天皇制による沖縄(琉球弧)の包摂も利用も許してはならない。サンフランシスコ講和条約・日米安保体制から70年、沖縄「復帰」から50年をむかえる今年、改めて、4月28日と29日の両日を連続行動として取り組む意義を強調したい。

 実行委員会への参加・賛同を呼びかけます。共に闘いましょう!

沖縄・安保・天皇制を問う4・28-29連続行動実行委員会

2.11反「紀元節」行動へ参加を

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2.11 反「紀元節」集会&デモ
「建国神話」のタネあかし
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講演:「天皇制文化の象徴としての「紀元節」に抗して:民衆の文化とは何か」
講師:千本秀樹さん(現代史研究)
[日 時] 211 日(金・休)13:30 開始
[会 場] アカデミー文京・リクリエーションホール
     *文京シビックセンター・地下1階 *地下鉄 後楽園駅・春日駅直結
[資料代] 500 円 
★集会後 デモ15:45 出発予定)

 日本の「建国記念の日」を「神武天皇の即位」に求めることが、歴史的には根拠のないものであることは初めから明らかです。
 しかし、そうであるにもかかわらず、神武天皇を初代とし、現在の徳仁天皇が126代であるとする「説明」は公的なものとされ、天皇家と日本の歴史と伝統の古さが、いまも事実のように語られ続けています。
 元首相の安倍晋三は、かつて「私たちの先祖が紡いできた歴史が、一つの壮大なタペストリーのような織物だとすれば、中心となる縦糸こそが、まさに皇室であろう」「二千年以上の歴史を持つ皇室と、たかだか六十年あまりの歴史しかもたない憲法や、移ろいやすい世論を、同断に論じることはナンセンスでしかない」と語ったことがあります。
 「二千年以上」であれ、7世紀末以来であれ、「日本」の歴史は一貫して天皇を中心にまとまってきた「長い歴史と伝統を持っている」のだというのが、「建国記念の日」=「紀元節」を「国民の祝日」として抱き続けようとする支配層が、描き出したいと願うこの国の自画像です。
 そうした歴史観は、「天皇を中心にまとまってきた日本」という偽りの歴史像を私たちに強い、そのもとで「国民」のまとまりを作りだそうという機制のひとつです。それは本質的に、この地域に生きる人びとの多様な生活や人権をふみにじることにおいてしか成り立ちえません。
 私たちはそうした偽りの歴史を生きようとは思いません。
 ぜひ集会&デモにご参加下さい!

※2月23日に予定されていた集会は、中止いたしました。たいへん申しわけございませんが、次の案内をお待ちくださいませ。

「紀元節」と「天皇誕生日奉祝」に反対する2/11―2/23連続行動の呼びかけ

 国境を超える新型コロナウイルス感染症の蔓延と、これに伴う経済不況は、世界的なコンフリクトを生みだしました。これによってもたらされた多くの領域における社会的な危機状況は、感染症の流行の「波」の上下にも影響されながら、今後も続くものと考えられています。
 このような状況は、政治支配の不安定化につながると同時に、強権的な支配や制度への傾斜を、国家にも民衆にも意識させるものでもあります。このかん、世界各地の民主主義は、感染症対策において必要とされるところを大幅に超えて後退させられ、独裁的制度、軍事的支配や、国家間における軍事対決までもが、リアリティをもって露出してきています。

 戦後から一貫してアメリカに依存する右派政権が続いているこの日本国家においては、九〇年代から三〇年もの長きにわたって、さまざまな方面で緩やかに頽落していっています。それを「打破」することが国家目標とされ、「二〇二〇東京オリンピック・パラリンピック」の開催が、世論の八〇%近くの反対を押し切って、強権的な手法をとりながら進められました。しかし、当初に期待された観光ビジネスや消費拡大は早々に雲散霧消したばかりか、民衆監視の管理システムと、社会や経済の「自粛」がはびこっています。オリパラ開催により、コロナ感染者のこれまでにないほどの拡大と、発病者を放置する「自宅療養」政策にみられるような医療体制の崩壊が発生し、自治体や官公庁の予算を長期にわたって脅かす負債のみが残され、私たちに押しつけられようとしています。
 政治・経済の破綻という無惨な事態を隠蔽しようとする、一つの安易な方法としてあるのが、国家の宣撫政策、イデオロギー政策です。これは、日本国家においては、天皇制イデオロギー教育を中核に据えたものです。今回のオリパラでは、天皇らがあたかも「国家元首」であるかのようにふるまってみせました。
 これまでにも、天皇や天皇神話を強調する教科書の検定や「つくる会」系教科書の推進、日の丸・君が代の強要などが、強力に推進されてきました。歴史学は、ほんらい、考古学や科学的な事実の同定、文献などをはじめとする多数の歴史資料を、ときには国や地域や文化をも超えながら検証していくことです。しかし、日本社会では、「神武」にはじまる「天皇の歴史」が、とりわけ近世から近代にかけての、当時の「先進国」からのインパクトを経て、神話など事実の捏造を含めて真偽取りまぜ、種々雑多なコンクリートとなって、批判を受けつけない硬直した歴史観や人間観を形づくっています。
 こうして歪められた政治意識が、どのような方向にむかうのかということは、二一年秋の自民党総裁選挙において、SNSやメディアを通じ全社会的に流布された政治イデオロギーが、その直後の国政選挙を経て、議会の3分の2を改憲右派勢力が占めるに至ったという現実として、記憶に新しいところです。

 二〇一九年から二〇年にかけての天皇の「代替わり」により、徳仁が元号「令和」における「天皇」として即位し、「平成」の明仁と美智子が「上皇・上皇后」となり、秋篠宮文仁が「皇嗣」となりました。「皇室神道」に基づいたとされる多数の宗教的儀式が行われ、その多くはメディアにおいても大きく報道され解説されました。しかし、これらの経過によっても、天皇や皇族の身分や基盤は、あまり強化されていないかに見えます。
 それを露呈した例が、文仁の娘である眞子の結婚と、「臣籍降下」ともいわれる皇族の「皇籍」からの「離脱」でした。これに際して、メディアはゴシップによるバッシング報道に沸き立ち、宗教右派を中心とする「ネット世論」が、皇族を含む関係者らに対して嫌悪や悪罵をぶつけることまでなされています。政府による「有識者会議」においては皇室典範の改訂が検討されていますが、「女性天皇」「女系天皇」などという愚かな弁別に加え、「女性天皇」を可能とする「宮家」創設や、「男系」旧皇族の復帰ももくろまれています。こうしたなか、改憲などを含めた形で、より強権的かつ排外主義的な思想統制へと進む危険性が高まっているのではないでしょうか。
 私たちはいま、「神武」の即位により日本が「建国」されたという天皇神話上の「記念日」である二・一一の「紀元節」と、「第一二六代」とされる徳仁の二・二三「天皇誕生日」が、こうした現実の中でどのような役割を果たしていくことになるのかを考え、これに対抗する行動をつくりだしてゆきたいと考えています。実行委員会への参加と賛同と協力をお願いいたします。

 

国家による「慰霊・追悼」を許すな! 8.15 反「靖国」行動

8.15 反「靖国」デモ

■ 「新型コロナウイルス感染拡大」に対する政府の無策の一方で、「敵基地攻撃能力保有」「国民投票法」「デジタル監視法」「重要土地規制法」など、自由を奪う軍事的あるいは治安維持的な法運用や立法が立て続けになされました。人びとの生存と生活を破壊する一方で、政官財の新たな利権が生みだされ、ますます貧富の格差の拡大に拍車がかけられています。そうした中で、利権と政治利用にまみれた「オリンピック・パラリンピック」も、人びとの命と引き換えに開催されようとしています。そこで「元首」として開会宣言するのは天皇です。
■ このような中で、8月 15 日には、今年も国家による慰霊・追悼の儀式が開催されようとしています。天皇の戦争の死者を「英霊」と顕彰する靖国神社も、「今日の平和と繁栄の礎」であると虚偽で飾り立てる政府主催の戦没者追悼式も、歴史の事実を隠蔽することによって、次なる戦争に向けて「国民」を動員する役割を果たそうとするものでしかありません。
■ 私たちは今年も、こうした国家による慰霊・追悼の欺瞞を撃つ、8.15 反「靖国」行動に取り組みます。コロナ下で屋内集会はあきらめ、今年はデモだけに集中します。是非ご参加を!共に闘いましょう !!

[日 時] 8 月 15 日(日)
15:00 集合
15:30 デモ出発
[集合場所]
内神田尾嶋公園
住所:千代田区内神田 1-5-14
・地下鉄大手町駅・C2b・A1出口より徒歩4分
・JR 神田駅西口より徒歩6分

国家による「慰霊・追悼」を許すな! 8.15 反「靖国」行動よびかけ

 昨年来の「新型コロナウイルス感染拡大」状況は、なんの保障も伴わない「緊急事態宣言」が発表されては延長されるということの繰り返しで、各地で暮らす人びとの生を重く覆いつくしたままの現実が続いています。根拠も定見も持たない政策により、人びとの生存と生活を破壊するこの「事態」は、一方では政官財の新たな利権をも生みだしており、あたかも「戦時体制下」でもあるかのごとくです。

 そして、この疫病の蔓延の中で、衰えた「国威」の発揚と、IOC・JOCにつながる者だけの利益確保をめざす、「オリンピック・パラリンピック」がごり押しされ、教育現場への「動員」ももくろまれています。また、これと同時に、自由を奪う軍事的あるいは治安維持的な法運用や立法が、たて続けになされつつあります。最近のものを挙げても、「敵基地攻撃能力保有」「国民投票法」「デジタル監視法」「重要土地規制法」などが、なし崩し的に進められました。こうした実質的な「改憲」のみならず、明文改憲への策動はますます強まっています。

 世界的にさまざまな「不安」が蔓延し、これをきっかけにする排外主義やレイシズムが広がっています。「超大国」国内での政治対立や弾圧が、国家間の緊張関係を拡大している、このような中で、八月一五日には、またも国家による慰霊・追悼の儀式が開催されようとしています。内戦や侵略戦争などの死者を「英霊」と顕彰する靖国神社も、死者たちが「今日の平和と繁栄の礎」であるなどと虚偽で飾り立てる政府主催の戦没者追悼式も、歴史の事実に向き合わず、事実を隠蔽・糊塗することによって、次なる戦争に向けて「国民」を動員する役割を果たそうとするものでしかありません。

 天皇・皇族や宮内庁は、このコロナ禍において発言の場が限られ、その「影響力」の減少を懸念しているともいわれます。「女性・女系」など天皇の継承問題や、宗教右派勢力相互の軋轢もあり、天皇制は揺らいでいます。だからこそ、天皇は八月一五日の戦没者追悼式へ出席することで、その「統合力」を誇示しようとしているのです。また、オリンピックでは開会宣言を開催国の「元首」がやることとなっており、これを天皇が行うことの問題にも、強く抗議の声をあげたいと考えます。

 私たちは、こうした事態に向け、少しでもこれを押しとどめるための営為を、今年もまた持続していきたいと考えます。しかし、このかん準備された集会などは、会場を奪われることで立て続けに開催の変更を余儀なくされました。
オリンピック・パラリンピックをはさむこの時期に、集会の日程を入れることが困難となっており、そのため今年は、集会を中止し、デモに集中して、私たちの主張を強く訴えていきたいと考えています。国家による慰霊・ 追悼の欺瞞を撃つ、八・一五の反「靖国」行動に、参加・賛同を呼びかけます。

2021.4.28-29行動【よびかけ】4/28-29連続行動への呼びかけ

 私たちは、60年安保闘争から50年目となる2010年から、4月28日・29日の連続行動に取り組んできた。

 今年の4月28日は、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が占領状態から脱し、独立国としての戦後をスタートさせた日から、69年目になる。そしてそれは同時に、(旧)日米安保条約の発効からも69年目ということでもある。

■誤った戦後日本のスタート

 サンフランシスコ講和条約は、朝鮮戦争下で講和を急ぐ米国主導のもと、最大の被害国である中国やソ連を排除した西側諸国とのみ結ばれた。そして、日本の侵略戦争・植民地支配に対する賠償を経済援助方式によって切り縮めるものであ り、天皇制国家による侵略戦争責任・植民地支配責任の追求とそれがもたらした被害に対する賠償を糊塗してしまうものであった。さらには沖縄を含む南西諸島を米軍支配のもとに切り捨てるものでもあったのだ。

 講和条約と同時に発行した日米安保条約は、占領軍であった米軍の、日本領土内自由行動を含むさまざまな特権的地位を有した状態のままでの、駐留継続を認めるものであった。

 片面講和と米軍の駐留継続。こうした米国による戦後の対日本政策は、占領政策を有効に進めようとする意図の下で戦犯としての追及をせず延命させた裕仁天皇との米国主導の下での共同作業でもあった。共産主義勢力による戦争責任追及や革命を恐れる裕仁は、米軍の駐留継続を強く望み、そのために沖縄の切り離し(占領の継続)の提案を、日本政府の頭越しに行ったのである。

■今こそ問う「戦後の国体」=日米安保と象徴天皇制

 今日の「従軍慰安婦(日本軍性奴隷制度)」問題や「徴用工」問題、辺野古新基地建設に象徴される米軍基地の沖縄への押し付け問題などは、こうした「誤った戦後日本のスタート」に起因するものである。

 侵略戦争・植民地支配による負の遺産は、私たちの手によって清算されなければならない。そのためにも、4月28日と29日の両日を連続行動として問いなおす必要が求められる。天皇は、裕仁から子(明仁)、孫(徳仁)へと引き継がれたが、それぞれ意匠を異にしながらも、侵略戦争・植民地支配責任を忘却の彼方におしやり、日米軍事一体化の下で新たな戦争国家へ向けて国家統合体制を整えるという役割は継続・強化されている。

 今年の4・28─29の連続行動は、戦後の「国体」=象徴天皇制・日米安保体制の総体を改めて見つめ直し、特に、日米安保体制が、どのように私たちの現在を支配しているのか、その仕組みを再確認することで、「国体」を撃つ力としたい。

 実行委員会への参加・賛同を呼びかけます。共に闘いましょう!

日米安保を軸に沖縄・天皇制を考える4・28─29連続行動実行委員会

【呼びかけ団体】
アジア連帯講座/研究所テオリア/スペース21/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会/ピープルズ・プラン研究所/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

2021.2.11-23行動【よびかけ】「紀元節」と「天皇誕生日奉祝」に反対する2・11−23連続行動の呼びかけ

 2020年11月8日に強行された「立皇嗣の礼」を経て、長期にわたる「天皇代替わり」過程は一応の終結をみた。しかし、「立皇嗣の礼」自体がいったん延期され、また、新年の一般参賀など天皇関連の諸行事が軒並み中止に追い込まれていることにも現れているように、「代替わり」したあとの天皇制の本格的な展開は、「新型コロナ」の蔓延によって大きく制約されていると言わざるを得ない。それは、明仁時代の「平成流」、「つねに国民と共にある天皇像」を高く評価し、今後も象徴天皇制を維持し続けていこうという、「リベラルを自称する天皇主義者」にとって、ある種の「危機感」さえ覚えさせるものでもある。

2016年夏、明仁天皇の「生前退位」の意向表明から始まった「代替わり」は、戦後の皇室典範の規定さえ踏み超えて、天皇主導によって、天皇制のありかたを変容させる、いわば天皇制の「再定義」そのものであった。「生前退位」に関する明仁のメッセージは、かれ自身が誇って見せたように、象徴天皇の「公的行為」の拡大こそが、今後の天皇制の維持・強化のための核心であるという、天皇の側からする宣言であったといえるが、そのことを通して明仁は、天皇制とデモクラシーは矛盾するものではないという社会的意識を拡大した。天皇の意向が「皇室典範」の特例法を成立させたということ自体が、戦後剥奪されたはずの皇室典範の改正についての天皇の発議権が、事実上天皇の手に取り戻されたという意味で、天皇の権能を格段に拡大していく違憲の攻撃に他ならない。いわゆる「リベラル派」の多くがそれに積極的に異を唱えられない事態の現出は、明仁に主導された天皇制の再編に対する「合意」が、「代替わり」過程を通じて制度的に確立していったということをも意味した。

明仁が「上皇」となり、徳仁が新天皇に即位し、そして文仁が「皇嗣」となる。それは、このようなものとして展開してきた象徴天皇制を、三者が一定の役割分担をしながら、皇位継承をめぐる「不安定」さという天皇制にとっての危機を「回避」しつつ、次代に向けて天皇制そのものを賦活していこうとするものでもあっただろう。天皇−皇太子−皇族という従来の天皇制のあり方に対して、上皇や皇嗣という新たな皇室身分を創出することは、全体として天皇一族の権威を強化するものである。しかしそれはまた、結果として天皇に体現されていた権威の分散化と多元化をもたらすことになる。いずれにせよ、コロナ状況などによって、それが充分機能しているとはいえないが、天皇制が、天皇家を中心とする「三つの家族」によって担われるシステムとして登場しつつあることを見るべきである。

同様の皇室身分の創出の動きは、いわゆる「皇位継承問題」と絡んで取りざたされている「女性宮家」問題においても見ることができる。さらに政府は、右派に「配慮」して「女性宮家」は先送りにするかわりに、皇族を離れた女性を「皇女」という称号を持つ「特別公務員」とする案を唐突に出してきた。「皇女」は皇族ではないとされるが、天皇家に生まれた女性であることに起因する新たな身分制度であることは明らかだ。皇室と「平民」とのあいだに特別な身分を立てるというのは、生まれによる身分差別の拡大に他ならない。「新型コロナ」状況下で、表だって天皇一族の動きが目立たない中で、天皇制の制度としての作り替えが進んでいるのだ。

こうしたなかで、われわれは、2・11「紀元節」−2・23「天皇誕生日」に向けて、行動を準備している。「紀元節」は、神武天皇の即位をもって日本が「建国」されたとする天皇神話に基づく記念日である。それが歴史的事実ではないことを前提にしつつも、「文化と伝統」と結びついた、「日本国(民)の物語」として公定されたものとなっているのだ。われわれはそれと同様の事態を、ほかならぬ天皇「代替わり」の諸儀式においてあらためて見せつけられたはずだ。そして、神武から数えて「126代目」とされる徳仁の誕生日を祝う日が、これに続く。「代替わり」を経て新たに演出される天皇と天皇制をめぐる物語を批判的に読み解きつつ、今後展開されていこうとする天皇制とそのイデオロギーに抗する行動を作りだしていこう。実行委への参加・賛同と協力を!

 

「紀元節」と「天皇誕生日奉祝」に反対する2・11−23連続行動

【呼びかけ団体】
アジア連帯講座/キリスト教事業所連帯合同労働組合/研究所テオリア/市民の意見30 の会・東京/スペース21/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/ピープルズ・プラン研究所/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会