国家による慰霊・追悼を許すな! 8・15反「靖国」行動への呼びかけ

 私たちは、天皇制日本国家による侵略戦争と植民地支配責任を問い、「慰霊」や「追悼」の国家儀式によってこれらの責任を糊塗し隠滅することはできないし、それは次なる戦争の準備にむけたものである、ということを、これまでずっと主張し批判し続けてきました。そして、今回もまた八月一五日を迎えます。
 一九四五年には、広島と長崎において、アメリカにより初めて核兵器が使用されましたが、ロシアによるウクライナへの軍事侵略が長期化しつつある中で、核兵器の使用を含む世界戦争までもが具体的な可能性として語られているきわめて深刻な状況下にあります。今回の大規模な戦争は、ロシアによるウクライナへの侵略戦争であるとともに、多数の軍事支援をしているアメリカ・イギリスを中心としたNATO体制と核兵器を有する軍事大国であるロシアによる間接的な対決でもあります。このような戦争の構造のなかで、日本は、ウクライナ支援を口実として、東アジアのみならず世界規模においても軍事的な協力関係を拡大しようとしています。
 日本国憲法は前文において、「恒久の平和を念願」し「平和を愛する諸国民の公正と信義」への信頼を語り、同九条において、憲法条文として「戦争の放棄」と戦力の不保持を宣言し、交戦権を否定しました。しかし、これらの理念は実質的にはただちに放擲され、戦力の保持と拡大が既定路線とされました。すでに重要な軍事拠点となっていた沖縄での米軍軍政の継続を支援し、復帰後も米軍の自由使用を担保し、その後は、軍備や戦争費用、軍事人員の提供、さらには、他国の戦場に軍隊を派兵するなど、憲法を否定する軍隊の運用をたびたび行なっています。今年の五月には、政府は、かつて公言していた軍事費をGDP比で1%以下とする制限を振り捨てて、NATO加盟国と同様のGDP比で2%に向けた軍事費増額をも決定しようとしています。これが実現すると、日本は世界第三位の軍事費と兵力を擁する存在となり、アメリカ軍を直接間接に補佐する存在であることを超えうるものとなります。それは同時に、情報においても装備においても、ウクライナ戦争の中であらためて重要な存在となっている世界中の軍事企業やそのビジネスに対する影響力を、公然と強化することでもあります。
 日本は、これまでにも、多数の原発と核燃料・核廃棄物の質と量において潜在的な核保有国であるとみなされてきました。表向きには「非核三原則」をうたいながら、国際会議の場では核兵器の否定や不使用に反対する立場を取り続けており、自民党は、アメリカ軍の「核の傘」ではないかたちでの「核の共有」「核兵器の使用」を肯定する立場を模索し続けています。さらに、報復武力行使を「拡大(核)抑止」に、敵基地攻撃力を「反撃能力」に言い換えて、この日本国家は、ありとあらゆる方面で「平和国家」の理念をなりふり構わず打ち棄てるに至っているのです。そして、極右や保守政党が多数を占める議会の構成は、憲法の明文改定をより容易なものにしています。
 天皇徳仁は、「沖縄復帰五〇周年」式典においても、バイデンアメリカ大統領との会談においても、「日米両国の友好と信頼」を強調しています。しかし、「沖縄返還」がアメリカ単独から日米共同での極東の軍事体制維持のために行われたという実態をみれば、「友好と信頼」(!)とは、日米同盟に基づくさらなる軍事強化へ向けた協力の再確認にほかなりません。
 このような戦争状況と国際環境の中で、日本国家の戦争関与とそこにおける天皇制の役割は、大きく変化しつつあるのではないでしょうか。天皇は、これまで「平和」のメッセージを発し、戦没者追悼式典で「祈る」という姿を見せることで、天皇制による国家統合の機能を強めてきました。戦死者の賛美は、いまあちこちで見られるように、膨大なメディアの操作によって「国家を守る」ために死ぬこと自体を賛美するものと変えられます。天皇や政治家たちによる「慰霊と追悼」とは、まさにそうしたことです。
 私たちは、今年の8月15日の反「靖国」行動が、これまでより重要な意味を持ちうるものだと考え、参加・賛同を呼びかけます。

国家による慰霊・追悼を許すな! 8・15反「靖国」行動実行委員会