2016.8.15行動【よびかけ】「聖断神話」と「原爆神話」を撃つ8・15反「靖国」行動への参加・賛同を

五月二七日、「伊勢志摩サミット」に出席していたオバマ米大統領は、現職大統領として初めて広島を訪問した。広島でのオバマ訪問は「歴史的出来事」とされ、マスコミの世論調査で、九割以上の回答者がオバマの広島訪問を「よかった」と答え、それを「コーディネート」してみせた安倍政権の支持率も上昇した。

オバマは広島で「核兵器のない世界を目指す勇気を持たなければならない」と述べたが、それはなんら具体性を伴うものではなく、むしろオバマ政権は核関連予算を増大し、新型核巡航ミサイルなどの「近代化」をすすめるとしている。そして何より、オバマは原爆がこの地にもたらした非人道的な大量無差別虐殺行為について、なんら謝罪することはなかった。アメリカは始めから謝罪を拒否していた。今回のオバマの広島滞在も五〇分にすぎず、原爆資料館には、一〇分もいなかった。そして日本政府もまた、謝罪を要求しなかったのである。

安倍首相は五月中旬、「被爆国の首相と、核兵器を使用した国の指導者がともに犠牲者に哀悼の誠をささげることが核のない世界に向けての一歩になる」と語り、当日も「日本と米国が、力を合わせて、世界の人々に『希望を生み出す灯』となる」と宣言した。また、オバマは、そこから広島へ向かった米軍岩国基地において海兵隊員を激励し、日米同盟が「繁栄の基礎だ」と述べ、広島訪問の意義として「元敵対国が単にパートナーだけでなく、親友、最強の同盟国になれる」と強調している。二五日に行なわれた日米首脳会談においても、沖縄における米軍属による女性殺害・死体遺棄事件への大きな怒りが高まっているのに、「基地縮小」はおろか「日米地位協定の見直し」すら安倍は口にしなかった。

結局、オバマと安倍が広島でおこなったことは、「日米同盟」強化のためのパフォーマンスにすぎなかった。安倍が進める全国家的な再編は、戦争体制構築をその重要な環として進んでいる。自民党改憲草案は、立憲主義を破壊し「天皇元首化」をも掲げるものだが、「緊急事態条項」などを突破口として改憲を明言する安倍政権において、日米の軍事一体化と修正主義的な歴史認識は同時に追求されなければならない課題である。今回のオバマ広島訪問で演出されたのは、原爆殺戮の記憶を「和解と未来志向」で塗りつぶすことだ。明白な戦争犯罪さえもが、日米の「希望」のための道具として利用されたのである。

安倍はここで自らを、「被爆国の首相」とすることで、あたかも戦争の被害者であるかのような物言いをした。だが原爆殺戮は、近代日本の植民地支配と侵略戦争の帰結として引き起こされた、日米両帝国主義の戦争の過程でおきたことである。アメリカに原爆を投下した責任があるのと同じく、日本にはそれを招いた責任がある。強制徴用された多数の朝鮮人や、連合軍の捕虜をも含む二一万人にのぼる広島・長崎の原爆の死者を生み出したのはアメリカと日本であり、広島においてオバマが被害者に対して謝罪しなければならなかったと同様、安倍も被害者に謝罪しなければならなかったのだ。

こうした中で、私たちは八・一五の反「靖国」行動の準備を始めている。

敗戦七〇年の昨年、私たちは、広島現地で準備された「8・6ヒロシマ平和へのつどい2015」と連動しながら、「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍政権の歴史認識を批判する行動として、八・一五行動を取り組んだ。日本の「侵略」や「植民地支配」の責任の主体を限りなくあいまいにし、「未来志向」を謳い上げた「安倍談話」の思想は、今回の広島訪問における志向性と通底している。そして私たちが忘れてはならないのは、本来敗戦の日ではない八月一五日が「終戦記念の日」「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とされていることの意味である。いうまでもなく、八月一五日とは、天皇の「玉音放送」がなされた日である。ポツダム宣言の受諾は八月一四日であり、ミズーリ号上での降伏文書への調印は九月二日だ。にもかかわらず、八月一五日が「終戦の日」であるのは、いわゆる天皇の「聖断」によって戦争が終結し、日本国民は救われたとする昭和天皇の神話に基づくといわなければならない。アメリカにおいて、戦争を終わらせ多くの米軍兵士の命を救ったものが原爆であるという神話があり、日本においては戦争を終わらせ多くの日本軍兵士と民間人の命を救ったものが天皇の「聖断」であるという神話がある。戦争の「語り」においてこの二つは対応し、かくして、「原爆民主主義」と「天皇制民主主義」が戦後日本の出発において刻印されることになったのだ。それは安保の「核の傘」を支えとして戦後日本に構造化されている。

私たちは、このようなかたちで、日本の植民地支配責任・侵略戦争責任と、アメリカの原爆大量虐殺の責任とを、ともに隠ぺいしていく八・一五をめぐる歴史認識の欺瞞性を撃つ視点から、今年の八・一五行動を取り組んでいきたいと考える。

安倍戦争国家による海外派兵の拡大が、新たな戦争の死者を生み出すことになるのは不可避だ。そういう戦争国家においては、国のための「死者」を、賛美・顕彰する「慰霊・追悼」儀礼と、そのための場所は不可欠である。靖国神社は歴史的にそのような場所であり続けていたし、戦後も一貫して、国の支援を受けてきた戦争神社である。毎年八月一五日に九段で行なわれる天皇出席の「全国戦没者追悼式」もまた、国家の戦争責任を解除し、戦争の死者を「平和」の礎として価値あるものとする儀式である。首相閣僚の靖国神社参拝をめぐって、それが「政教分離」違反であるとの批判を、安倍は「宗教行為ではなく習俗」であると強弁している。さらに伊勢志摩サミットの初日には、公式行事としてG7首脳の伊勢神宮「参拝」がおこなわれた。これらは、神道非宗教論を掲げた戦前の「国家神道」体制の、新たな装いによる再形成の動きともいうべきものである。

われわれはこうした問題意識に立って、今年の反「靖国」行動を、闘っていきたい。実行委員会への参加・賛同・協力を訴える。

 

 

「聖断神話」と「原爆神話」を撃つ8・15反「靖国」行動

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」の強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

2016.4.28-29行動【報告】安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う4.28-29 連続行動報告

今年の四・二八〜二九連続行動は「安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う」というテーマで設定された。この間、反天皇制を課題とする実行委の行動は、一九五二年四月二八日のサンフランシスコ講和条約と日米安保条約の発効に始まる、沖縄に対する米軍支配の問題を、昭和天皇裕仁の戦争・戦後責任の問題と重ねて提起、二〇一〇年からは「反安保実行委員会」との共闘による連続行動として取り組まれている。今回の闘争は、とりわけ、昨年九月に強行され、今年三月末に「発効」させられたばかりの安倍戦争法下においてのものとして、重要な意味を持つものでもある。施行された戦争法の「集団的自衛権」により、沖縄は米軍と自衛隊の最前線としての存在を、これまでよりさらに厳しく強いられることになった。

四月二八日は、これまでも「沖縄デー」として数々の闘いが重ねられてきているが、この日、実行委は、文京区民センターにおいて屋内集会を開催した。沖縄から日本基督教団うるま伝道所牧師の西尾市郎さんをお招きして「沖縄『構造的差別』の歴史と現在」と題した講演をしていただいた。

現在、自民党は改憲の突破口として、東日本大震災や現在も続く熊本・大分の大震災を利用し、憲法に「緊急事態」条項を挿入しようとしている。これが実現すると、災害などをきっかけに憲法を停止した独裁がすぐに行使されるだろう。西尾さんは、この「緊急事態」法と辺野古における闘いが一つのものだというところから語り起こされた。
沖縄における反戦・反基地の闘いの基底には、沖縄戦における苛酷な経験が語り継がれ、共有されていることが存在する。「蛆が人間を食う音」「人間が腐っていく強烈な臭い」などのリアルな体験が沖縄戦の記憶としてあり、これらが「平和」を希求する意思をつくっているのだ。人の痛みに共感する人間性こそが、辺野古をはじめとする現在の沖縄における闘いの根本だ。だからこそ、私たちの闘いは分断され対立させられてはならない。こうした体験をもとに、平和をアジアとの連帯の中で実現していくことの重要性が、講演の中で何度も強調された。

引き続き、今回の実行委から天野恵一が発言。いま、昭和天皇の「沖縄メッセージ」による沖縄の米軍への売り渡しの事実や「尖閣」諸島など「領土」問題が、歴史修正主義者たちの主要な論点として浮上しており、なかでもR・D・エルドリッジによる歴史解釈の読み替え(「オキナワ論」新潮新書ほか)については、今後も批判的検討が重要になることが、集会資料の解説とともに報告された。

引き続き、会場発言として、一坪反戦地主会関東ブロックの大仲さん、辺野古への基地建設を許さない実行委員会の中村さん、ストップ辺野古埋め立てキャンペーンの芦沢さんから問題提起。さらに、明治公園野宿者への攻撃への反撃を訴えるアピールが反五輪の会よりなされて、集会は締めくくられた。この日はいろいろな行動と重なることもあってか、参加者は七五名だった。

明けた四月二九日には、新宿柏木公園からデモ行動が行われた。出発前の公園において、まず実行委の国富建治から、前日の集会を要約する報告とともに「この『昭和の日』は、天皇制の延命のために敗戦を遅らせ、悲惨な沖縄戦を招いたばかりか、戦後における『構造的沖縄差別』の成立に対しても大きな役割を果たした昭和天皇を賛美する日だ」と提起、さらに前日に引き続いて西尾さんからも発言を受けた。参加者からは、「自由と生存のメーデー」実行委、「伊勢志摩サミットに反対する実行委」による新宿デモの提起、G7茨城・つくばサミット反対を取り組む戦時下の現在を考える講座、「三多摩メーデー」への参加を呼びかける同実行委からのアピールがなされ、デモに出発した。

今回のデモに臨んでは、二月一一日のような不当な規制がなされないように強く申し入れをしていたこともあってか、警察による弾圧は、これまでのなかでは比較的小さいものだった。もちろん、右翼はつきまとい、妨害・暴行をねらう挑発を繰り返したが、私たちは毅然として行動を貫徹することができた。解散地の柏木公園においては、明治公園弾圧の救援会からのアピールを受け、この日の成果が確認されて行動を終えた。参加者は約九〇名だった。

(のむらとも)