2015.8.15行動【アピール】8・15反「靖国」行動アピール   

敗戦七〇年の夏、私たちは今年も靖国神社に向うデモに出発する。

一九四五年八月一五日は戦争が終わった日ではない。ポツダム宣言受諾は八月一四日であり、降伏文書への調印は九月二日だ。八月一五日は天皇のラジオ放送がなされた日でしかない。これが「終戦記念日」とされるのは、昭和天皇のいわゆる「聖断」によって戦争が終わり、「国民の命が救われた」という歴史意識を、人々の間に刷り込むためにほかならない。

しかし、昭和天皇こそ、アジアの二〇〇〇万人以上の人々を殺し、日本軍軍人軍属二三〇万人を含む三一〇万人以上の死者を生み出したこの戦争の最高責任者だ。昭和天皇は、一九四五年二月、すでに敗戦は必至であったにもかかわらず、重臣による戦争終結の進言を「もう一度戦果を挙げてから」と言って拒否し、その後東京など各地の空襲、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下を招いた。東京大空襲・沖縄・広島・長崎だけでも、その死者は四八万六〇〇〇人(行政機関発表の数字)にものぼる。民間人の死者の多くが、この時期に死んでいるのだ。最後まで天皇制国家の維持を最優先にして、戦争終結を引き伸ばし続け、国内外の命を奪い続けてきたのが昭和天皇である。戦後の日本国家が、こうした天皇の戦争責任の否認から始まっていることを、私たちは何度でも確認しよう。

靖国神社は天皇のための神社であり続けている。それは、たんなる一宗教法人などではない。天皇の戦争のための死者を「英霊」として祀り、称え続けている戦争のための施設である。戦前は陸海軍によって祭事が執り行われ、戦後もたびたび天皇や首相が参拝し、厚生省から戦没者名簿の提供を受けるなどの便宜を得るなど、国家と深い結びつきを持ち続けてきた。そこに祭神として祭られている者の圧倒的多数は、アジアへの侵略戦争に狩り出され、加害者にされた結果、「殺し殺された」被害者である。そこには、植民地支配の結果日本軍人とされた、朝鮮人・台湾人の死者も含まれている。これらの被害者を「神」として祭り上げ、国のための死を賛美する道具とすることこそ、一貫したこの神社の役割である。

昨日発表された安倍七〇年談話において、日本が引き起こした侵略戦争と、それにいたる植民地支配が、どのように語られるかが注目された。おそらく安倍が、それにふれないですませたかっただろう「村山談話」のキーワード─「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「お詫び」という言葉─は、文字のうえではすべて入った。そこには政治的な駆け引きがあったに違いない。だが出てきたそれは、日本がそれらの行為の主体であり責任の主体であることを回避ないし限りなくぼかし、日本の近代史に居直るロジックに満ちた代物である。「侵略」はたった一カ所、「事変」や「戦争」という言葉と並んで、国際紛争を解決する手段としては二度と用いてはならないという一般論として語られているだけだ。「植民地支配」も、朝鮮や台湾の植民地支配にふれないばかりか、一九世紀の国際社会においては一般的にあったことで、日本はむしろ植民地化の危機をはねのけて独立を守り抜いた、朝鮮半島支配をめぐる帝国主義間戦争にほかならない日露戦争における日本の勝利が、植民地支配にあった人々を力づけたとまで言うのだ。満州事変以後、日本が道を誤ったというが、それも世界恐慌や欧米諸国主導のブロック化によって強いられてそうなったというような口ぶりである。こういう手前勝手な歴史観にもとづいて「反省」や「謝罪」など決してできないが、事実、安倍は「反省」も「謝罪」もしていない。ただ、「我が国は繰り返し痛切な反省と心からのお詫びをしてきました」と述べているだけだ。しかし問題は、これまで政治家たちがたんに言葉の上だけで「反省」や「お詫び」を語り、被害当事者たちへの日本国家による謝罪と補償を一貫して拒否し続けてきたことが批判されているということであり、そのことを忘れてはならない。さらに被害を受けた国々の「寛容」を謳い、「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」というのである。これは、すでにさんざん謝罪の意を示してきたのに、いつまで謝れというのかという、右派の論理をソフトに言い換えただけのことだ。

「戦場の陰に、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいた」とか、「我が国が与えた」苦痛と一方で認めながら、「歴史とは実に取りかえしのつかない、苛烈なもの」「今なお言葉を失い、断腸の念を禁じえない」などと、まるで第三者的な視点で言ってのける態度は許しがたい。そして、「これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります」という。

しかし、こうした論理は、国家による死者の追悼においてはおなじみのものである。本日九段で行なわれた天皇出席の「全国戦没者追悼式」は、靖国のように過去の戦争を公然と賛美することはしないが、戦争の死者が「戦後日本の平和の礎」となったとすることにおいて、「国のための死」を価値づける儀式である。とりわけ、そこに「国民統合の象徴」とされる天皇が出席することによって、それはまさしく「国民的」な儀式となるのである。この「平和のための死」は、過去の戦争の死をそのように解釈してみせるだけではない。安倍政権によって強行的に成立させられようとしている戦争法案は、新たな戦争の新たな死者を生みださざるを得ない。このとき、その死は必ず「平和のための死」として賛美されるだろう。国のための死は尊いということを、毎年国民的に確認するこの国家による追悼儀式に、私たちは反対していく。

なお、今年の全国戦没者追悼式における天皇の「お言葉」には、「さきの大戦に対する深い反省」「平和の存続を切望する国民の意識に支えられ」て戦後の平和が築かれたなどの文言が加えられた。これがおそらく、安倍談話のひどさと対比した天皇の平和主義として、様々な場で肯定的に語られることになるのだろう。しかし、そこで隠されているのは、その戦争を起こした天皇制国家の責任である。天皇の言葉ということで言えば、昭和天皇の「遺徳」を受け継ぐと言って天皇に即位した現天皇という立場を消去した、極めて欺瞞的なものである。

日本国家がなすべきことは、内外に多くの被害を与えた戦争について反省し、戦闘参加者を含むすべての戦争の死者に謝罪し、賠償を行うことだ。だが、戦後日本国家が行ってきたことは、まったく逆である。日本国家が行いつづけてきたことは、国家による戦争が生みだした死者を「尊い犠牲者」として賛美することだ。しかもその死の顕彰は、かつての帝国の序列に従って差別化される。高級軍人の遺族ほど手厚い軍人恩給制度がある一方で、空襲による被害者に対しては「受認論」によってなんの補償もなされないままだ。朝鮮人兵士は軍人恩給からも排除され、「慰安婦」とされた女性や強制労働を強いられた朝鮮人などに対しては、排外主義的な攻撃対象にさえされる。

戦後七〇年、侵略戦争責任・植民地支配責任を一貫してとらず、アメリカの戦争政策につき従ってきたのが戦後日本である。そしていま安倍政権は、「戦後レジームからの脱却」を掲げて、日米同盟の方向性は強化しながら、戦後に含まれていた「民主主義的価値」さえも一掃して、新自由主義と国家主義による戦争国家へと全面的に転換してきている。安倍談話も含めた、この政権の歴史認識総体が批判されなければならない。戦前・戦後の日本国家と天皇制の責任を問い、戦争法案の成立を阻止しよう。安倍政権の戦争政策と対決する闘いに合流し、戦争国家による死者の利用を許さないために、ともに抗議の声を上げよう!

二〇一五年八月一五日

2015.8.15行動【連帯アピール】第42回許すな!靖国国営化8.15集会に参加された皆さんへ

第42回 許すな!靖国国営化 8.15集会に参加された皆さん

 

今年も、この8月15日に、戦争と靖国に反対する行動をつづけておられる皆さんと、連帯の意志を交換できることを大変嬉しく感じています。

私たちは、今年は〈「戦後レジーム」の70年を問う!7・8月行動〉として、7月に日本の戦争責任問題に関する講演集会をおこない、8月には「ヒロシマ平和へのつどい」に参加してきました。安倍政権が推し進めている戦争法制が、新たな戦争における「殺し殺される」関係へと、自衛隊員や日本の民衆を駆り立てていくことは間違いありません。さらに14日に発表されようとしている「謝罪」なき「安倍談話」は、「未来志向」の名のもとに、過去の植民地支配・侵略戦争責任を消し去ろうというものです。そして新たな戦争と過去の戦争とを、肯定的につなげていくために、平和のための死=国のための死は尊いものであるとする「靖国の論理」が呼び出されてこざるを得ません。

私たちは、本日午後、靖国神社に向けてデモをおこないます。それぞれの場所から、ともに、戦争反対・靖国反対の声を上げていきましょう。

2015年8月15日
「戦後レジーム」の70年を問う!7・8月行動

2015.8.15行動【抗議文】警視庁神田警察署に所属する警察官の不当な対応についての苦情申し出書

反「靖国」行動は、8月12日、デモ申請時の警視庁神田署署員の不当な対応について以下の苦情申し出を、東京都公安委員会宛に出しました。

 

苦情申出書

2015年8月12日
東京都公安委員会御中

苦情申出人ら「8・15反『靖国』行動実行委員会」が、2015年8月11日に実施したデモ申請に対して、警視庁神田警察署に所属する警察官によって、不当な対応を受けたので、これについて、警察法第79条に基づき苦情申出を行う。

1、苦情申出人の氏名

8・15反『靖国』行動実行委員会
実行委員 事務局員 ○○○○
住所
電話

2、苦情申出の原因たる職務執行の日時、場所とその概要について

年月日:2015年8月11日
時間: 同日18時20分ころ

苦情申出人らは、2015年8月11日に警視庁神田警察署に赴き、東京都公安委員会に対して集団示威運動許可申請を提出した。
そのさい、苦情申出人らは、8月15日に予定している集団示威運動が安全にかつ円滑に行動できるようにという目的で、添付する要請書を持参し、神田警察署の当直担当者の面前において読み聞けを行なった。

ところが、その当直担当者は、その読み聞けの直後に、「これは受け取れない」「受け取るなと指示がある」と言い、苦情申出人らの面前で、その要請書をゴミ箱に投棄した。

さらに、苦情申出人らが、これに抗議し、当直担当者の氏名や役職、要請書に関わる指示命令の出所、根拠を尋ねても、これに答えず、無視した。

3、苦情申出の原因たる職務執行による申出人らの不利益と、これにかかわる警察職員の職務執行の問題点について

苦情申出人らは、上記に述べたように、8月15日に予定している行動が安全かつ円滑に進むようにという善意の目的を持って、当日の行動を所轄する神田警察署に対して、許可申請を行うと同時に、当日の警備に対する要請を行なったものである。

このような要請が、警察官の受け取るべき要請書の形式を満たさないものであるとしても、公務員として必要な行動は、まず、文書の形式、提出の形式について丁寧に案内を行なうことでなくてはならないはずである。

少なくとも、そうした説明もないまま、申出人らの面前で、文書を投棄したり破棄したりするという行為は、きわめて侮辱的なものであり、公務員による職務執行として適切なものであるとは、とうてい考えられない。

このように平然と侮辱的な行為を行い、恥じることのないような警察官らによって、警備行動がなされるということは、基本的人権を擁護するべき警察官の行動が、集団示威運動の場においてはもちろん、それ以外の局面においても、適切になされるかどうかについて大きな疑念を持たせるものである。

そのことは、警察全体に対する信頼にも関わることであり、軽視できない。

また、当該の警察官は、苦情申出人らがその氏名や役職を尋ねた際に、それを無視し、答えようとしなかった。また警察手帳の提示も行わなかった。

苦情申出人らは、当日、正規に警視庁警備部警備連絡係において作成した集団示威運動許可申請を持参しており、これを受け取ったのも当該の警察官である。

前述のように、この苦情申出書においては「警察官」と記述しているが、実際にその者が神田署に所属する警察官であるかどうかについて、申出人らは確認する手段を持つことができなかったというのが事実である。

このような状況では、真実の警察官が適切に職務を執行しているのであるのかどうかについて、申出人らは確信を持つことができない。

これもまた、警察全体に対する信頼を揺るがせかねないものであり、軽視されるべきではない。

警察は、直ちに正しい事実の調査を行ない、これに基づき、適切な手続きが十分な信頼関係の下で、実施されるようにするべきである。また、不適切な職務執行について謝罪を行なって、今後、そうした事態が二度と発生しないよう、警察の全職員に対して徹底させるべきである。

以上、苦情を申し出るものである。

 

添付資料
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2015年08月11日

警視庁警備部長 殿
警視庁神田警察署長 殿
警視庁麹町警察署長 殿

8・15反「靖国」行動実行委員会

私たち反「靖国」行動実行委員会は、8月15日、「『戦後レジーム』の70年を問う 8・15反『靖国』行動」を行うにあたり、これまでの実行委員会が主催したデモの経験を踏まえ、8月15日当日の貴職らによる警備について、申し入れます。

近年、右翼団体の排外主義的な政治活動が猖獗をきわめ、それとともに右翼暴力団の構成員らによって、集会やデモの参加者が直接的な暴力にさらされる事態も頻発しています。

このような現実に際して、警察により実施される警備は、集会やデモを憲法の理念に基づいて保障するものではありません。それどころか、右翼暴力団が参加者に対してほしいままの暴行をなすことや、轟音による妨害行為を行うことを勧めているに等しいものであり、およそ表現の自由を認める法治国家とは言えない事態です。

2013年および2014年8月15日の私たちの行動に対する警備は、大音量の騒音をまきちらす右翼の街宣車こそ遠ざけられたものの、多数の右翼団体構成員が私たちのデモ行動に並行してつきまとい、デモの参加者に対してたびたび暴行をふるい、参加者の持っていた横断幕やプラカードを強奪し破壊しました。また、私たちの宣伝カーに対しても暴行を繰り返しました。多数の右翼団体構成員が自由にデモコースの車道に入り込み、なおかつ、公安警察官がそれを抑止することを一切しないため、一車線と制限されたデモの隊列は著しく狭められ、これに加えて機動隊の左右からの厳しい規制により、集団行動による意思表示の目的を達することが極めて困難なものとなりました。

今年は、敗戦70年という歴史的な節目であるとともに、安倍政権が、ほぼすべての憲法学者や、歴代の内閣法制局長官、法曹関係者らがこぞって憲法違反を指摘する戦争法案を強行しようとしています。自公政権による国会での強行採決もあり、首相の70年談話などに国際的な懸念が高まったことも相まって、政府への批判が厳しくなり政権基盤がゆらいでいます。それに危機感を持つ極右団体も活性化し暴力性を強めています。

2011年8月には右翼団体構成員がデモ隊列に暴力を振るい抑止された現場から、その所持していたと思われるナイフが発見され、2014年4月には右翼がデモコースに隠していた木刀ようの武器を手にしたところで抑止されたという事態も発生しています。右翼暴力団の行動はきわめて危険な状況にありながら、にもかかわらず、公安警察官はそれを見て見ぬふりをしてほとんど規制しようとしません。

集会や集団示威行動においては、まずなによりも参加者の主体的な意志や表現が尊重されねばなりません。しかし、右翼や道路交通等を警備の名目としながら、警察による警備が、集会やデモに対してのみきわめて抑圧的に実施される状況が拡大しています。右翼団体のかきたてる騒音と警察官らの拡声器により、集会やデモの表現が圧殺されるような事態が頻発しています。

私たちはこのような事態を繰り返すことなく、思想・信条の自由、表現の自由という権利を街頭で安全に行使していくために、またそのことを前提に集まってくる参加者の安全を守るために、再度、貴職に対し、以下を強く要請します。

1.右翼のデモ参加者に対する威嚇・妨害行為に対して、警察は厳正に当たること
・右翼に実行委員会のいかなる情報も流さないこと。
・右翼の街宣車をデモコースに配置させないこと。
・右翼団体構成員によるデモ参加者へのつきまといや暴行をさせないこと。

2.集会会場付近での参加者の監視行動や、デモ時、デモ参加者の写真やビデオ撮影を行わないこと。
デモ隊前後の警察車両からビデオ撮影をしないこと。肖像権侵害は違法行為であるとの認識を周知徹底すること。

3.機動隊の指揮官車を、デモ宣伝カーの前につけないこと
デモを指揮するのは警察ではないという認識を周知徹底すること。指揮官車はデモを監視しているようにしか受け取れない。

4.デモ参加者への規制および大音量でデモの示威行為を妨害しないこと
早く歩くように指示したり、デモの後ろから押したりしないこと。不当に左右から挟み込んだり圧縮しないこと。また、大音量によるデモ行進の告知をしないこと。デモ行進は一目瞭然であって告知は不要であり、大音量のアナウンスはデモの示威行為を妨害している。

以上