国境を超える新型コロナウイルス感染症の蔓延と、これに伴う経済不況は、世界的なコンフリクトを生みだしました。これによってもたらされた多くの領域における社会的な危機状況は、感染症の流行の「波」の上下にも影響されながら、今後も続くものと考えられています。
このような状況は、政治支配の不安定化につながると同時に、強権的な支配や制度への傾斜を、国家にも民衆にも意識させるものでもあります。このかん、世界各地の民主主義は、感染症対策において必要とされるところを大幅に超えて後退させられ、独裁的制度、軍事的支配や、国家間における軍事対決までもが、リアリティをもって露出してきています。
戦後から一貫してアメリカに依存する右派政権が続いているこの日本国家においては、九〇年代から三〇年もの長きにわたって、さまざまな方面で緩やかに頽落していっています。それを「打破」することが国家目標とされ、「二〇二〇東京オリンピック・パラリンピック」の開催が、世論の八〇%近くの反対を押し切って、強権的な手法をとりながら進められました。しかし、当初に期待された観光ビジネスや消費拡大は早々に雲散霧消したばかりか、民衆監視の管理システムと、社会や経済の「自粛」がはびこっています。オリパラ開催により、コロナ感染者のこれまでにないほどの拡大と、発病者を放置する「自宅療養」政策にみられるような医療体制の崩壊が発生し、自治体や官公庁の予算を長期にわたって脅かす負債のみが残され、私たちに押しつけられようとしています。
政治・経済の破綻という無惨な事態を隠蔽しようとする、一つの安易な方法としてあるのが、国家の宣撫政策、イデオロギー政策です。これは、日本国家においては、天皇制イデオロギー教育を中核に据えたものです。今回のオリパラでは、天皇らがあたかも「国家元首」であるかのようにふるまってみせました。
これまでにも、天皇や天皇神話を強調する教科書の検定や「つくる会」系教科書の推進、日の丸・君が代の強要などが、強力に推進されてきました。歴史学は、ほんらい、考古学や科学的な事実の同定、文献などをはじめとする多数の歴史資料を、ときには国や地域や文化をも超えながら検証していくことです。しかし、日本社会では、「神武」にはじまる「天皇の歴史」が、とりわけ近世から近代にかけての、当時の「先進国」からのインパクトを経て、神話など事実の捏造を含めて真偽取りまぜ、種々雑多なコンクリートとなって、批判を受けつけない硬直した歴史観や人間観を形づくっています。
こうして歪められた政治意識が、どのような方向にむかうのかということは、二一年秋の自民党総裁選挙において、SNSやメディアを通じ全社会的に流布された政治イデオロギーが、その直後の国政選挙を経て、議会の3分の2を改憲右派勢力が占めるに至ったという現実として、記憶に新しいところです。
二〇一九年から二〇年にかけての天皇の「代替わり」により、徳仁が元号「令和」における「天皇」として即位し、「平成」の明仁と美智子が「上皇・上皇后」となり、秋篠宮文仁が「皇嗣」となりました。「皇室神道」に基づいたとされる多数の宗教的儀式が行われ、その多くはメディアにおいても大きく報道され解説されました。しかし、これらの経過によっても、天皇や皇族の身分や基盤は、あまり強化されていないかに見えます。
それを露呈した例が、文仁の娘である眞子の結婚と、「臣籍降下」ともいわれる皇族の「皇籍」からの「離脱」でした。これに際して、メディアはゴシップによるバッシング報道に沸き立ち、宗教右派を中心とする「ネット世論」が、皇族を含む関係者らに対して嫌悪や悪罵をぶつけることまでなされています。政府による「有識者会議」においては皇室典範の改訂が検討されていますが、「女性天皇」「女系天皇」などという愚かな弁別に加え、「女性天皇」を可能とする「宮家」創設や、「男系」旧皇族の復帰ももくろまれています。こうしたなか、改憲などを含めた形で、より強権的かつ排外主義的な思想統制へと進む危険性が高まっているのではないでしょうか。
私たちはいま、「神武」の即位により日本が「建国」されたという天皇神話上の「記念日」である二・一一の「紀元節」と、「第一二六代」とされる徳仁の二・二三「天皇誕生日」が、こうした現実の中でどのような役割を果たしていくことになるのかを考え、これに対抗する行動をつくりだしてゆきたいと考えています。実行委員会への参加と賛同と協力をお願いいたします。