2016.4.28-29行動【よびかけ】安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う4・28-29連続行動への参加・賛同を

昨年九月に「戦争」法を強引に成立させ、安倍政権は戦争遂行国家の完成に向けてひた走っている。それは法整備に続き、自衛隊の強化(五兆円という軍拡予算を見よ!)と武力行使を伴う海外派兵の拡大へと向かっている。それはもちろん、米軍と一体となっての、世界中での軍事力行使への道である。そしてその負担は、沖縄にのしかかる。

来年度の防衛予算では、南西諸島など島嶼防衛の強化を謳い、垂直離着陸輸送機V22オスプレイ四機(四四七億円、一機約一〇〇億円、ちなみに米軍は約半額の一機五〇億から六〇億円で購入しているという)や水陸両用車「AAV7」一一両(七八億円)の導入費、鹿児島・奄美大島と沖縄・宮古島への部隊配備費(一九五億円)が計上された。与那国島には、航空機や艦艇の動向を探り、中国軍の通信を傍受する沿岸監視隊の駐屯地建設が進められており、宮古島には、地対空・地対艦ミサイル部隊、警備中隊など七〇〇人の陸自部隊を配備する計画が進行中である。昨年一一月には、陸上自衛隊による、南西防衛を目的にした初めての実動演習も九州・沖縄で行われた。

そして辺野古。国と沖縄県との「和解」で一時「休戦」の模様だが、安倍政権は、「(普天間移設は)辺野古基地建設が唯一の解決策」との姿勢をまったく崩さず、沖縄県議会選挙(六月)や参議院選挙(七月)後には、またあらゆる強引な手法によって米軍海兵隊の新基地建設を強行してくるだろう。

アイヌモシリ統合と並んで近代天皇制国家の出発点をなす「琉球処分」、沖縄差別・収奪政策、「皇民化」政策から沖縄戦、米軍支配と「本土」からの切り捨て、「復帰」による再統合と安保前線基地化といった歴史は、そのまま日本による沖縄支配の歴史であり、その一貫した持続であった。そして、北海道・沖縄に始まる植民地主義の拡大は、東アジアへと拡大し、アジア・太平洋戦争へと至る、植民地支配と侵略戦争に行きつき、アジア・太平洋と日本の民衆に大量の被害と死者を生み出すこととなった。

米国の世界戦略の中で、こうした日本の植民地支配・侵略戦争の責任は曖昧にされ、その補償は不十分な形に切り縮められ、戦後国際社会に復帰することになる(サンフランシスコ講和条約)。同時に成立した日米安保条約(旧条約)は、天皇ヒロヒトが、自己保身と天皇制維持のために、沖縄を米国に「売り渡す」(天皇メッセージ)など積極的に推進した結果、生まれたものである。

戦前・戦中にくわえて、戦後における天皇が沖縄に対して負う重大な責任は、アキヒト天皇が、沖縄への思いをことあるごとに口にし、「慰霊」を繰り返したとしても相殺されるものではまったくない。むしろそれは、日本国家(天皇制)の沖縄差別支配の歴史と現在を隠蔽し、日米の前線基地におかれる沖縄において噴出する人びとの怒りをなだめ再び「日本(ヤマト)」に包摂する政治的機能を果たそうとするものにほかならない。

戦後日本の象徴天皇制国家は、「構造的沖縄差別」によってこそ「日米安保体制」を維持し続けてきたのである。

「誤った戦前・戦中の日本のあり方」を総括して精算して再スタートするべきであった戦後の出発点(4・28)は、「誤った戦後国家」のスタートとなってしました。

4・28(沖縄デー:誤った戦後のスタートから六四年目)と4・29(「昭和の日」:六九年前に沖縄を「売り渡した」天皇ヒロヒトの誕生日)の歴史を問う、反戦・反天皇制の連続行動を今年も作りだしていきたい。多くの人びとの参加と協力を!

安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う4・28-4・29連続行動

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」の強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

 

2016.2.11行動【報告】安倍戦争国家と天皇制を問う2・11反「紀元節」行動報告

今年も二月一一日反「紀元節」行動の日を迎えた。今年の名称は「安倍戦争国家と天皇制を問う2・11反『紀元節』行動」とした。会場は、「反『紀元節』行動」では初めての神宮前穏田区民会館(原宿)である。当日は、原宿駅を明治神宮側に降りて、集会場に行く時、「日本の建国を祝う会」主催の「建国記念の日奉祝パレード」に遭遇した。パレードは日の丸を掲げ、いつも私たちのデモの反対側にいて、日本会議や神社本庁など天皇元首化などの改憲運動をすすめる人たちであり、改めて集会開催地がそういう場所であることを実感した。

集会場は、例年右翼の街宣車が怒鳴り立てているが、今年はそういう場所だからか、警察の規制のためか静かで、集会開始前にハンドマイクを持つ七〜八人が来たのと、終わり近くに離れた位置で街宣があっただけであった。参加者は会場いっぱいの約一〇〇人で熱気あふれる集会となった。

講師は「戦争国家と天皇の『慰霊』─『戦没者』における受難と貢献」を須永守さん(近現代史研究)が行った。講演は、「8・15」反靖国行動に繋がるようなテーマであり、重要な提起であった。残念だったのは都合で質疑ができなかったことである。

講演後はさまざまな取り組みを行う各団体─「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会、福島原発事故緊急会議、2016 3・1集会実行委員会、STOP辺野古埋め立てキャンペーン、有事立法・治安弾圧を許すな!北部集会実行委員会、3・11行動実行委員会から連帯のアピールを受け、今年も反天皇制の声をあげつづけようと確認してデモに出発した。

警察は、会場を出たところから「横断幕を巻け!小さくしろ」と横柄な態度で規制を始めた。今回の警察は、これまでと全く違い、「市民警察」の装いをかなぐり捨てて、デモ参加者に暴言を吐き、指示・命令を繰り返し、突き飛ばすなどの暴力をふるい治安警察の本性をあらわにした。とにかくデモの宣伝カーと隊列を分断し、車には連絡係のみならず弁護士を含めだれも近づけなかった。車は、少しでもスピードを落とすと機動隊によって車の窓をバンバン叩かれ、指揮者から警告も出された。例年は右翼が車を叩き、妨害するのだが今年は街宣車など右翼の攻撃はほとんどなく、警察の暴力性だけが突出した。例年は最後尾の参加者を「圧縮」といって押していたが、今回は前から、後から、横からも押され、突き飛ばされるなど暴力をふるわれ、その上、「お前ら」「こいつらをさっさと歩かせろ」などの暴言も終始吐かれた。弁護士を取り囲んで動けなくしたり、「デモ申通り行け」「許可条件を守れ」「デモを許可したのはおれたちだ」など警察は言いたい放題であった。まさしく安倍政権の戦時下での「基本的人権」「表現の自由」は警察の統制下にあることを示しており、まるで警察によるデモ隊を完全にコントロールする訓練のようだった。そのような警察の暴力、暴言を跳ね除け、「建国記念の日反対」「天皇制いらない」の声をあげつづけ、渋谷までデモを貫徹した。

実行委員会は、今回のような警察のデモへの規制に抗議をすることを決めている。4・28-29行動も厳しい攻撃が予想されるが、安倍政権が戦争・改憲に突き進もうとする今こそ反天皇制の声を大きくしていかなければならない。大きな声で反戦、反天皇制を訴えよう。

(野村洋子)

2016.2.11行動【抗議文】2.11当日のデモ警備に対する苦情申し出書

*2.11反「紀元節」行動は、2.11当日のデモ警備に対して、以下の抗議文(苦情申し出)を東京都公安委員会に提出しました。

 

 

苦情申出書

2016年3月20日
東京都公安委員会御中

苦情申出人ら「2.11反『紀元節』行動実行委員会」が、2016年2月11日に実施したデモ行動に対して、警視庁警備部、警視庁公安部、および警視庁渋谷警察署、原宿警察署に所属する警察官によって、不当な妨害を受けたので、これについて、警察法第79条に基づき苦情申出を行う。

1、苦情申出人の氏名

2.11反『紀元節』行動実行委員会
実行委員 事務局員 ○○○○
住所
電話

2、苦情申出の原因たる職務執行の日時、場所とその概要について

年月日:2016年2月11日
時間: 同日16時20分〜17時00分ころ

苦情申出人らは、2016年2月3日に警視庁原宿警察署に赴き、東京都公安委員会に対して集団示威運動許可申請を提出し、同2月10日付東京都公安委員会指令第9054号にある通り、正式な許可を得て同2月11日にデモ行動を実施した。
ところが警視庁は、苦情申出人らの行動が、前記許可書の条件にある「交通秩序維持に関する事項」「危害防止に関する事項」のいずれについてもことさら損なうことは何一つなかったにもかかわらず、不当で暴力的な規制を実施した。

3、苦情申出の原因たる職務執行による申出人らの不利益と、これにかかわる警察職員の職務執行の問題点について

苦情申出人らによる同日の行動においては、デモ行動の前に行なわれた神宮前穏田区民会館における集会に対し、会場周辺に右翼団体が押しかけ、集会の開始直後から30分ほどにわたり、拡声器2台を使って騒音をかきたてる妨害がなされた。また、集会の後半ころからは、これはやや会場から離れた明治通りにおいて、やはり集会を誹謗し妨害する情宣行動がなされている。しかし、デモ行動が開始された段階では、右翼団体の妨害行動はほぼない状態となっていた。
それにもかかわらず、今回のデモ行動に対する警備は、デモ参加者が明治通りに出た後に、極端に厳しいものとなった。警視庁渋谷警察署の警察官、および機動隊員は、まったく平穏に進められようとしているデモ行動の参加者に対して、その行動の間中、ひっきりなしに暴言を吐き、デモ行動の参加者を突き飛ばすなどの暴行を加え続けた。また、デモ行動の先頭にいた宣伝カーに対しても、行動の初めから終わりまで激しく叩き続けてその円滑な進行を妨害した。円滑にデモ行動を進めようとしていたデモ行動の責任者や指揮者、宣伝カーとデモ行動の隊列を連携する役割の連絡員に対しても妨害・排除し、デモ行動の主体的かつ自律的な行動を意図的に混乱させた。さらに、こうした不法な警察官の行動に対して注意し是正しようとした弁護士に対しては、何人もの警察官で取り囲んで威嚇し、デモ行動の隊列から引き離して、行動参加者を守り警察官に法を遵守させる目的でなされた正当な職務を妨害したのである。
こうした警察官たちによるあまりにも明白なデモ行動への妨害に対しても、デモ行動への参加者は、事前の意思確認に基づいていっさい身体的な抵抗をせず、自らの身体を守りながらデモ行動を継続した。むしろ、この日の行動は、こうした警察機動隊員らによる暴行と規制により、その進行を遅らせられたのであった。ところが、デモ行動の歩みがわずかに遅れたと見るや、機動隊員らによるデモ参加者への暴言と、参加者を突き飛ばす暴行は、ますます激しいものとなった。機動隊員らによる左右からのデモ隊列への極端な「圧縮」は、当然にもデモの「条件書」にある「4列縦隊」の行進隊形を、まさに警察官の不当な行動によって損なったのである。警察官の不当な規制によりデモの隊列が伸びたり途切れかけたりすると、警察官による暴言と参加者を突き飛ばす暴行はエスカレートし、それはデモ行動の最後まで変わることはなかった。これにより、デモ行動の目的は損なわれ、障碍者や高齢の参加者の中には、デモ行動中に体調を悪くした者すらいたのである。
以上の通り、警察の規制は、道路交通やデモ行動を円滑に進めるものでは全くなく、行動参加者の自由を侵害するのみであった。

最高裁1975年9月10日の、徳島市公安条例違反とされた件に関する判示では、「『交通秩序を維持すること』を掲げているのは、道路における集団行進等が一般的に秩序正しく平穏に行われる場合これに随伴する交通秩序阻害の程度を超えた、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為を避止すべきこと」としている。今回のデモ行動においては、明らかに「阻害」をもたらしたのは警察官の恣意的で無理かつ不当な警備行動によってなされたものである。これは、明らかに憲法第21条の表現の自由を侵すのみならず、憲法31条の適正手続きの保障にも反するものである。
これらは極めて不当な人権の侵害であり、公務員による職権の濫用であると言わざるを得ない。

苦情申出人らの集団示威行動に対し、警察官らが行った職務執行、権力の行使は、日本国憲法に基づく個人の自由や権利を著しく損なうものであって許されない。
近年では、警察のデモ隊に対する過剰な規制をともなう警備態勢、ひたすら混乱を作り出す公安警察の動きなどが絡まりあって錯綜しながら、憲法に基づく基本的人権の行使が、きわめて異様かつ抑圧的な状態の中に置かれている現実が広がっている。警察が自らこのような混乱を作り暴力的な規制を行なうのは本末転倒である。公務員の役割が、思想・信条の自由、集会や表現の自由を守るためにこそあることに立ち返らせねばならない。

警察は、直ちに正しい事実の調査を行ない、これに基づき、同日の行動の参加者に対する規制や監視の職務執行における誤りを正し、誤った警備行動の中で発生した、参加者への権利の侵害に対する謝罪を行なって、今後、そうした事態が二度と発生しないよう、全職員に対して徹底させるべきである。

以上、苦情を申し出るものである。

2016.2.11行動【声明】デモは権利だ!恩恵ではない:2016年2・11反「紀元節」行動における機動隊の理不尽な規制とデモ妨害に抗議する   

私たち「安倍戦争国家と天皇制を問う2・11反『紀元節』行動」は、今年も渋谷で反天皇制・戦争国家体制に反対する集会とデモに取り組んだ。

この日は、集会会場近辺で奉祝派のデモもあり、右翼街宣車も押しかけるかとも予想されたが、デモの出発地点から離れたところで、在特会系のグループが街宣し、また集会中に徒歩で数名の右翼が登場したほかは、右翼の妨害は例年よりもひどいものではなかった。

一方、この日の警察・機動隊の不当な規制は、度を越えるものであった。何ら正当な理由も必要性もない規制が、出発前から解散地点まで一貫して加えられ続けた。それはまさに、規制のための規制、規制を自己目的化した規制というべきものであった。

警察の指揮者だけでなく、多数の警察官が絶えず宣伝カーの窓ガラスを執拗にたたき続け、「早く行け」「警告」と急がせた。それは運転妨害になるほどだった。デモ隊と宣伝カーが離されないよう、車の横について歩いていた実行委のメンバーは、警官に囲まれ車から引き離された。その結果、宣伝カーとデモ隊との間にすき間ができると、こんどはそれを理由としてデモの参加者の体を押して、早く進めと繰り返す。この不当なやりかたに抗議した監視弁護士さえ、私服警官に囲まれて歩道に押し上げられてしまった。念のために言っておくが、デモ隊はことさらに遅れていたわけではなく、急がされる理由などなにもなかった。しきりに急かすだけの警察官は、「デモの解散時間を知っているのか」という抗議にたいして答えられず、さらには、間違ってデモの進行方向とは逆に誘導しようとする始末であった。

デモ隊全体に対して、機動隊の並進規制や、後方や真横からの圧縮(押し込め)が間断なくなされた。何人もの参加者が突き飛ばされた。途中で具合が悪くなったり、倒れこんだ参加者も出た。これに抗議した実行委のメンバーに対しては、「こいつらを歩かせるように指示しろ」と言い、なおも抗議すると「逮捕するぞ、警告!何時何分……」などと恫喝した。「許可条件を守れ、デモ隊は三列」と警官は繰り返していたが、実は「許可条件」は四列なのである。さらに三列どころか、デモ隊列は二列、一列にさえ押し込められていたのだ。また、「デモは交通の迷惑になる(から規制されて当たり前)」と言い放つ警官もいた。デモは車道を歩くものであり、それが交通に一定の支障を来すのはあたりまえのことである。そのことを前提にして、デモという表現の自由が尊重すべきものとされるのだ。法を遵守しなければならない警察官が言ってよいことではない。

「今回のデモ参加者で、警官に押されたりさわられたりしなかった人間はいなかったのではないか」という感想が聞かれたが、これは決して大げさな話ではない。

とりわけ今回ひどかったのが、警察によるデモの参加者に対する暴言や、侮蔑的な態度である。いつもであれば、デモ隊への妨害は同じであっても、口先だけは「詰めて下さい」「早く進んで下さい」と、表面上「笑顔」さえつくる。しかし、今回は「前に詰めろ!」「お前ら早く進め!」である。表面的な「ていねいさ」さえかなぐり捨て、その言葉つきにふさわしい態度と顔つきは一貫していた。若い機動隊員の中には、薄ら笑いを浮かべつつ、高齢の参加者を「はい、がんばろう!」と言いながら何度も押している奴もいた。実に許しがたいことだ。

こうしたことのすべてに、私たちは何度も抗議をしたが、責任者然とした警官は「デモの許可を出してやったのは警察なんだから、お前らは言うことを聞け」と公言した。デモは憲法に保障された思想・表現の自由、基本的人権に属するものである。公安条例自体が不当なものだが、東京都の場合デモは届け出制であって、基本的に受理しなければならないものなのである。たしかに「許可証」は警察署長の名前で出るが、実際に「許可」するのは東京都公安委員会である。「警察がデモを許可している」などというのは、二重三重に間違った寝言である。

私たちのデモは、高齢者や「障害者」も参加する、非暴力の市民のデモである。デモにたいして卑劣な暴力を繰り返す街宣右翼などを理由に、警察は陰に陽に、デモへの介入を目論んできた。しかし、今回はそのような右翼は登場しなかった。そのようなかたちでのデモ規制をすることを通して、警察がデモを徹頭徹尾規制していく訓練がなされたのではないかと疑う。今回、警備責任者は、実行委のデモ指揮者さえ無視して、デモ全体を警察の統制の下に進行させようとしたのだ。これは、いつものデモとも、大きく異なるやり方である。おそらく下部の機動隊員は、ただこのデモを急がせろ、規制しろという命令だけを受けて、それを「忠実」に履行するよう徹底されていたのではないか。多くの批判があるように、憲法を蹂躙して恥じない現在の安倍政権の強権的な姿勢が、政権に批判的な言論・表現は規制されて当然という心性を、警察官たちにも与え続けているのではないのか。

今回の警備がこのようなものであり、私たちがそのターゲットとされたことのほんとうの理由は、知るところではない。しかしはっきり言えることは、今回のデモ規制が、われわれの権利としてある表現行為を妨害し、われわれが、われわれのペースとスタイルで街頭の人びとに対して訴えていく権利を侵害したということである。いま、全国各地で、さまざまにおきている街頭での人びとの抵抗や自己表現が、警察権力による不当な介入や弾圧の対象となり、それにともなう人権侵害も目立っている。そこに見られるのは、法を恣意的に運用し、人びとの行動に分断線を引く権力の無法である。

繰り返すが、デモの主体はデモの参加者であり、表現の権利と自由を一片の行政権力が侵すことは許されない。警視庁、機動隊、私服・公安、そして今回のデモに係わった所轄の警備警察官に対して強く抗議し、二度とこのような不当な規制をおこなわないことを強く訴える。

2016年3月22日

安倍戦争国家と天皇制を問う2・11反「紀元節」行動