2020.2.11行動【集会基調】「代替わり」に露出した「天皇神話」を撃つ! 2・11反「紀元節」行動集会基調

はじめに

昨年一年間は、天皇「代替わり」をめぐって、天皇制賛美キャンペーンが吹き荒れた一年だった。私たち反天皇制運動の枠組みとしては、この「代替わり」過程の総体と対決することを目指して、首都圏の仲間たちとともに、「終わりにしよう天皇制!『代替わり』反対ネットワーク」(おわてんねっと)として、さまざまな行動を作りだしてきた。おわてんネットの行動は首都圏における反天皇制運動の結集軸となり、一連の行動には多くの仲間たちが参加し、10・22即位式反対デモにおける三名逮捕という不当弾圧をもはねのけて、それなりの「存在感」のある闘いを組むことができた。

新天皇の即位儀礼は、実に四〇余りのさまざまな儀式によって構成されたものであった。徳仁天皇の「代替わり」儀式は、一一月の「大嘗祭」を頂点として、いずれも皇室神道の儀礼空間に染め上げられていたのである。それらの多くは、「政教分離への配慮」と称して、皇族の「私的行為」という名目でなされたが、「代替わり」というその「公的性格」に鑑みて、総額一六六億円に上る国費が支出されることになった。さらに「国事行為」として行われた「即位の礼正殿の儀」や「剣璽等承継の儀」なども、天皇神話を基礎とする儀式であった。一連の「代替わり」儀式を通じて、わたしたちは、自身「神」とつながり、またそのことを通して、国家の神聖性を文字通り「象徴」として体現する天皇という存在が、象徴天皇制のもとでも明確に生きていることを、確認せざるを得なかった。

われわれは、この「代替わり」に露出した「天皇神話」を撃つという視点から、今年の2・11反「紀元節」行動に取り組む。

1 「紀元節」と右派をめぐる状況

かつて、二月一一日は「紀元節」という国家の祭りの日であった。敗戦によって「紀元節」は廃止されたが、一九六六年に、「建国記念の日」として復活したのである。「国民の祝日に関する法律(祝日法)」によれば、この日は「建国をしのび、国を愛する心を養う」日とされている。「紀元節」は、神武天皇が橿原の地で初代天皇として即位したという『日本書紀』の記述に基づき、一八七二年の太政官布告によって制定された。その同じ日を、「国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」(祝日法)としたのだ。天皇神話に基づき、日本は天皇の国であるということを公然と宣言する「祝日」なのである。

政府の後援による「記念式典」は現在は開催されていないが、神社本庁や日本会議など右派勢力を中心に、毎年「建国記念の日奉祝中央式典」が開催され、五〇〇〇名規模の奉祝パレードが、青山通りにおいて行われている。

それはたんに、ひとにぎりの右派勢力の動きではない。昨年一一月九日に、「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」が、皇居前広場に約六万人を集めて開催された。この国民祭典は、「天皇陛下御即位奉祝委員会」(経団連会長が名誉会長、日商会頭が会長。政財界および各種団体のメンバーを代表世話人とし、地方公共団体や学界、労働界、法曹界など各界代表三〇八名を代表委員とする組織)、「天皇陛下御即位奉祝国会議員連盟」(会長・伊吹文明、社共をのぞく超党派の国会議員五五〇名以上が参加)、神社関係者による「日本文化興隆財団」が共催したものである。この「日本文化興隆財団」は、「建国記念の日奉祝中央式典」の後援団体でもあり、「日本の伝統精神と文化を伝える事業展開を図る」として、記紀神話を語るセミナーを行ったり、「日の丸」の小旗を配布するなど、「国旗国歌の普及活動」に力を入れている団体であり、2・11の奉祝パレードの後援団体でもある。

この奉祝式典では、「古事記」の国生み神話を素材とした「我が国誕生の物語」なる絵画作品の映像が巨大ビジョンに写しだされた。イザナギ・イザナミが海に矛を差し込み、垂れた雫が島となって日本の島々ができたという神話である。そして、それに続いて徳仁天皇の映像が写し出され、「古より我が国は瑞穂の国と呼ばれ、水の恵みを受けてきました。天皇陛下は、以前より、人々の生活と水をテーマに研究を続けられ、世界の安定と発展、防災の礎として、水の重要性を説いてこられました」ということばが続けられるのである。

こうして、神話の世界と現在の天皇制とが無批判に結びつく。それは、新たな天皇神話=天皇教づくりのイベントという他はない。そのようなイベントを、天皇・皇后や首相が出席し、内閣府をはじめとする各省庁が揃って後援しているのだ。

もちろん、それは戦前型の国家神道そのままの復活とはいえない。天皇を神とする宗教的信仰が、前面に出ているわけではない。しかし、「国民の共同の観念」としてある日本の「文化・伝統」のなかに、天皇神話が無媒介に位置づけ直され、象徴天皇制と結びつけられている。そうして天皇神話は、無条件に賛美され尊重されるべきものとして扱われることになる。そのような意味における天皇教の宗教性に注目されなければならない。

一連の天皇「代替わり」の儀式は、政教分離や主権在民の原則に反するという指摘もありながら、そのようなものを超えて存在する日本の文化・伝統として政府によって正当化され、公金が支出され続けてきた。象徴天皇制は現在においても日常的にさまざまな儀式を通じて、天皇主義をすり込み、組織していくイデオロギーとして機能している。われわれはこれを批判しぬいていかなければならない。

2 「女性天皇」も「女系天皇」もNO! 天皇制はいらない

二〇二〇年一月二一日、政府は天皇代替わりに関する「式典委員会」を開催し、四月一九日に予定されている秋篠宮の「立皇嗣の礼」の式次第の概要を決めた。そして次に続くのが「安定的皇位継承」の検討だ。天皇制にとっては、何よりも重要な案件であるはずだが、実際は政府が昨年来、これ以上延長できないというところまで引き伸ばしたスケジュールでもある。

二〇一七年に成立した「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の付帯決議には「1、政府は、安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等について、(中略)本法施行後速やかに(中略)検討を行い、その結果を、速やかに国会に報告すること」「2、1の報告を受けた場合においては、国会は、安定的な皇位継承を確保するための方策について、『立法府の総意』が取りまとめられるよう検討を行う」とある。

この付帯決議に基づき、皇位継承に関する検討は「退位・即位」後、すなわち、五月一日以降かという当初の予想から、「即位・大嘗祭」終了後、そして「立皇嗣の礼」終了後と、政府は先送りし続けた。マスメディアも指摘していることだが、男系男子継承を天皇家の「伝統」として固執する安倍政権は、「女性・女系天皇と女性宮家」論議を避け続けてきたのだ。

現在の「皇室典範」では、皇位継承者は皇嗣である現天皇の弟秋篠宮とその息子悠仁、父親明仁の弟常陸宮正仁だけだ。そして女性皇族は「皇室典範」一二条により、結婚すれば皇室から出ていく。皇位継承者として引退した明仁の弟や現天皇と同世代の弟をカウントするには年齢的に無理があり、実質は一三歳の悠仁のみだ。今のままでは近い将来、皇族不在となるのは明らかで、皇位継承者も途絶える可能性は大きい。緊急措置としても何らかの手を打たざるを得ない事態にあるのだ。また、女性皇族が結婚して皇室を去ってしまえば、これまでなし崩し的に認めさせてきた天皇・皇族の「公的行為」を担う皇族も激減する。そして皇室は悠仁一人で支えるという日を迎えることとなるだろう。男系男子主義者にとっても危機的状況にある。結局のところ「安定的皇位継承」の検討とは、象徴天皇制を維持するために「皇室典範」をどのように改訂するか、ということなのだ。

「女性宮家」を容認するのか。その場合、そこに生まれた子どもの「身分」はどうなるのか。皇位継承者として受け入れるのか。女性・女系天皇を認めた場合、皇位継承の順番をどうするのか。長子主義とするのか、男性優先とするのか。長子主義を取った場合、愛子天皇の成立もあり得る。男系男子を主張する政府は、皇室離脱した「旧宮家」を引っ張り出して女性皇族と結婚させる、あるいは天皇にするというという案も出しているが、このような問題だらけの案を容認するのか。こういったことを天皇制維持のために大真面目に国をあげて議論するのだ。男系男子派と女性・女系容認派の落とし所は、「まずは女性宮家を」といったところだろう。しかし「女性宮家」は最終的には女系天皇問題に繋がる。男系男子主義派が直面しているジレンマだ。

このような議論には天皇制の身分差別をはじめとするさまざまな問題が内包されているが、メディアはそういった一切を無視し「女性・女系・女性宮家」の容・否認についての言論のみを流し続ける。一方、無視された問題はメディア報道を通して、むしろ伝統や価値として日本社会に内在させていく経緯となりかねない。それ自体が天皇制の大きな問題である。また、法律を変えなくては維持できないこのような天皇制について、維持を当然とする「常識」、天皇制の是非を問うことを許さない「常識」がこの社会を覆っていることそのものが天皇制の問題である。民主主義、平等主義、主権在民原則に基づいて、改めて問うていきたい。

私たちはもちろん、天皇制の伝統である男尊女卑・家父長制的家制度に反対である。しかし「女性・女系」天皇の容認で、それらが解決するわけでない。男系が女系になったところで、世襲的差別構造に変わりはなく、女性に課された「子産み」強制も続く。そこには正義も、主権在民原則も、民主主義・平等主義もない。
差別制度のトップに女性が就くことによる女性解放などない。天皇制維持のための皇位継承対策、「女性・女系・女性宮家」論議については、性差別、身分差別や排外主義に反対する人々、天皇制の歴史や現在的な問題を考える等々の人々とともに考え、反天皇制の運動を作り出していきたい。

天皇制は、人々を、とりわけ女性たちを苦しめてきた天皇制の男系男子主義によって自己破滅するかもしれない。しかし私たちは、この社会の民主化や平等を望む、天皇制の歴史責任を追求する人々の声によって、この天皇制を廃止に追い込みたいと思う。そこから天皇制を救おうとする動きに対しては、ともにNO!の声を上げていこう。

3 安保、軍事、沖縄米軍基地、「積極的平和主義」 戦争の時代の「平和」天皇

天皇制は戦争国家でこそその威力を発揮する。

徳仁天皇(制)は、新たな戦争時代の象徴天皇(制)として開始された。「代替わり」後はじめての国賓は米大統領トランプであり、菅官房長官はこれを「日米同盟のゆるぎない絆を象徴するもの」と強調した。翌日には安倍首相とトランプ大統領は、海上自衛隊の護衛艦「かが」に乗りこみ、「日米同盟の結束」をアピールした。

今年は日米安保条約署名から六〇年を迎えた。安倍首相は一月一九日の条約署名六〇周年を記念する式典で、「(日米安保条約は)今やいつの時代にもまして不滅の柱。アジアとインド太平洋、世界の平和を守り、繁栄を保障する不動の柱だ」「六〇年、一〇〇年先まで日米同盟を堅牢(けんろう)に守り、強くしていこう」と述べ、日米戦争同盟の一層の強化にむけた決意を述べている。

安倍政権は、日米同盟を至上の価値とし、日米軍事一体化をすすめ、米国トランプ政権によるイラン攻撃と一体の自衛隊中東派兵をおこなうなど具体的な日米共同戦争体制に踏み込むと同時に、韓国や朝鮮民主主義人民共和国や中国などへの排外主義を煽動し、九条改憲による戦争国家完成を果たさんとしているなかで、徳仁天皇(制)戦争時代の天皇(制)にならざるをえない。

天皇裕仁は、アジア・太平洋戦争においては唯一最高の統治権者であり、日本国創造の神の万世一系の子孫であるとして神的権威でもあった。大日本帝国憲法下の戦争は天皇の命令・統帥なしにはあり得なかった。未だに日本政府は天皇制の戦争責任を隠ぺいし、天皇裕仁を「戦争終結の『聖断』が戦後平和の原点(『聖断神話』)」などと歴史を偽造し続けてきた。敗戦後も天皇裕仁は、マッカーサーやダレス米国務長官との会見で、米軍の日本自由使用を決めた日米安保の基礎をつくったのである。

「明治」天皇制国家により併合された沖縄(「琉球」)は、それ以降、天皇制国家による差別支配を受け、アジア・太平洋戦争では「本土防衛・天皇制護持」のための「捨て石」として住民の四人に一人が戦死するという凄惨な沖縄戦を強いられた。戦後は日本の独立(サンフランシスコ講和条約)と引き換えの「天皇メッセージ」によって米軍に差し出された。米軍統治下も七二年日本復帰(再併合)後も住民の反対を圧殺して安保維持のために米軍基地、自衛隊基地を押しつけ続けてきた。天皇明仁は、皇太子時代を併せて十一回も沖縄を訪問し、「沖縄に心を寄せる」「平和天皇」などと言われ、沖縄戦被災地訪問や被害者、遺族を「慰霊」「慰撫」してきたが、天皇制と日米安保に対する怒りを鎮め、矛盾を緩和し、国民に統合する天皇(制)の役割を果たしているに過ぎない。戦後象徴天皇制は、一貫して日米安保を推進してきた。原発(国策)事故の被害が深刻化する福島に対しても同様である。被災地訪問を繰り返し、「被災者に寄り添う」演出をしながら、原発事故責任追及・被害補償、ではなく国策である原発を推進するための行為にすぎない。明仁在位三〇年祝賀式典では福島県知事が「国民」代表として感謝の言葉を述べ、天皇が作詞、皇后が作曲した琉歌を沖縄出身の歌手に歌わせるなど意識的におこなっている。

それは、米軍と共に対中国、対朝鮮民主主義人民共和国戦争を念頭に琉球諸島全域の軍事要塞化を強権的にすすめるためである。沖縄県知事をはじめ県民の七割以上が反対している米海兵隊・辺野古新基地は、機動隊、海保を投入して現地で阻止闘争を闘う市民を暴力的に排除して建設をすすめているが、土砂投入から一年たっても埋め立て予定地の一%しか進んでいない。さらに今後、軟弱地盤を含む大浦湾の埋め立ては県への「設計変更」を申請・承認などが待っている。与那国、宮古島、石垣島、奄美大島など琉球諸島全域で自衛隊配備がすすめられ、各地で反基地・反自衛隊闘争が闘われている。天皇(制)が、沖縄住民に「寄り添う」なら、戦争責任を明らかにし、日米安保を破棄し、天皇制を廃止する以外にない。安倍は「積極的平和主義」を唱えながら、自衛隊を派兵し、天皇は「平和」を口にしながら戦争国家の天皇へと変わりゆくのである。

4 徳仁の天皇制との対決を!

サンフランシスコ条約や日米安保がいまだ発効する以前の時期、昭和天皇裕仁が、すでに再軍備と憲法九条の改定をもくろんでいたということが明らかにされている。日本国憲法が施行され、かつてのような、元首として統治者としての地位も統帥権も持たないことが明らかな状況下で、裕仁は「沖縄メッセージ」をアメリカに伝えていた。裕仁は、その後も「内奏」や「進講」といった手法を通じて、政治的影響力を実質的に行使しており、天皇が「国政に関する権能を有しない」という憲法の条文もまた、さきに神道や軍隊の問題で述べたように、空洞化が進められてきたのだ。右派政党が軌を一にして「改憲」を叫ぶ背景には、このような歴史的事実が存在する。

侵略戦争に深くかかわったことで、戦犯としての存在を歴史的に問われ続けた裕仁は、対外的に「君主」としてふるまいつつも、しかし戦争の記憶が新しいうちは内外の批判を意識せざるを得なかった。これを突破したのが明仁である。明仁は、即位に際して裕仁の歴史を引き継ぐことを宣言しながら、「国民とともに日本国憲法を守」るとした。積極的に「皇室外交」を繰りひろげ、多数の日本軍の死者が出た地域に足をはこび、さらに、国内の被災地にもくまなく巡行して「慰霊」「追悼」の宗教儀式を行ない、メディアに報道させた。そして明仁は同時に、象徴天皇の地位についてその解釈を積極的に公表し、きわめて多数の領域にわたる天皇の行為を「象徴的行為」として、自ら憲法上の枠組みの拡大と正統化にむけて踏み出した。明仁は、退位にあたってもその影響力を発揮してみせた。メディアを通じて自らの意思を示すことで「退位特例法」を制定させ、「上皇」となった。それがこのかんの退位をめぐる経緯である。こうした手法は、新天皇となった徳仁や、皇嗣となる秋篠宮文仁においても継承されているのである。

明仁は在位中「平和天皇」として評価され、美智子や他の皇族とともに、おそらく裕仁より広範な支持をかち得るに至った。しかし、その「平成」の時期には、自衛隊の海外派兵を前提とした解釈改憲や立法が進み、「日の丸」を国旗とし「君が代」を国歌とした「国旗国歌法」が制定され、侵略の事実を否定する歴史修正主義がはびこり、ヘイトクライムはますます猖獗を深めている。

昨年に即位したばかりの天皇徳仁は、憲法においても政治的スタンスにおいても、明仁を承継するという立場を現在のところは崩していない。しかし、安倍がすでに何度も「内奏」を繰り返しているように、その政治影響力を行使するための路線もまた受け継がれている。海外の首脳を「国賓」として迎え、自らも雅子とともに外遊を重ねることで、今後はさらに外交への影響力を発揮することになるだろう。徳仁が皇太子時代に「専攻」したのは、水利や水運、災害や衛生など「水問題」であり、これについて国連の常設機関の「名誉総裁」になるなどの「実績」を持っている。今後さらに気候変動をはじめとする地球環境問題への発言も増えるだろう。

徳仁の天皇制は、階層的な所有と権力がさらに拡大していくグローバリゼーションと新自由主義のもとで、「日本民族」の文化や宗教が少なからず変化することにも順応しながら、その世襲の権威をより安定させることが課題となる。外国人労働者の増加や経済的な貧困化に対し、国粋主義や民族排外主義が国内的に深刻な亀裂となって広がっている。天皇制はこれまでも、障がい者や高齢化社会に対して「融和」の象徴としてふるまってきたが、よりさまざまな領域に天皇や皇族たちが登場することもあり得る。日本国家が人口減少と経済的な衰退の事態を深め、「上皇」明仁のXデーもさほど遠くはない現在、徳仁の天皇制は、これらの現実から目を背けるために、いかに空疎であっても演出されていくことになる。

5 今年も展開される天皇パフォーマンス

現行憲法に規定された「国民統合の象徴」として「地位」、建国神話に始まる「万世一系」という捏造された「歴史と伝統」、神聖不可侵で異を唱えるものは許されなかったという戦前・戦中の絶対的権力者としての「記憶」。

これらが「国民意識」に渾然として存在するのなかにあって、基本的には現実政治権力の意に応える形で、また「象徴」としての自らの地位を維持するために、今年も、天皇(皇族)は「国民」に向けてさまざまなパフォーマンスを展開する。

自然災害の被災者に対する「お見舞い」も明仁天皇同様に展開されるであろう。それ以外に、天皇行事として確実にスケジュール化されているものとして、五月の植樹祭(第七一回 全国植樹祭しまね2020)、九月の海つくり大会(第四〇回全国豊かな海づくり大会〜食材王国みやぎ大会〜)、一〇月の国体(燃ゆる感動かごしま国体 第七五回国民体育大会)と国民文化祭(第三五回国民文化祭・みやざき2020、第二〇回全国障害者芸術・文化祭みやざき大会)がある。これらのイベントは、天皇が日本全国を順次回覧し、地域自治体を窓口としながら、日本の自然と文化に眼を配り・育成する─つまり「国土」と「国民の営み」を天皇のもとに取り込むことを意図して行うパフォーマンスであるにすぎない。実際には、植樹祭のために樹々が切り倒されたりするなど、具体的な被害を伴いながら行われているのである。こうした天皇による、自然・環境や文化を大事にし「国民」に寄り添っていることをアピールするためだけのパフォーマンスに対して、その意図を暴露し、「ふざけるな!」の声を、行事の行われる地域の声とも呼応して、上げ続けて行こう!

さらに今年は、七月に東京オリンピックが行われ、その開会式で、徳仁天皇は開会宣言をする。オリンピック憲章では、この宣言は「元首によるもの」とされている。すでに天皇は他国に対しては「元首」として振る舞い、そのように認知されている。しかし国内ではまだ「天皇=元首」と疑問なく認識されているわけではないし、私たちは天皇を元首としてはもちろん認めない。聖火リレーなど事前行事でも児童・生徒を動員した沿道での「日の丸」振りなどが行われるなど、大会以前から大会開催中における「ナショナリズム」の煽動に対しても、東京オリンピックに反対する運動とも連携しながら、抗議の声を上げていこう。

直近として、四月に中国の習近平国家主席が国賓として来日することが決まり、徳仁天皇との会談も行われる。中国との経済関係を重視せざるを得ないする日本政府・財界は、領土問題や戦争責任問題で声高に反中を叫ぶ右派勢力を押さえるために天皇を利用するのであろう。一方の習近平にすれば、国内にくすぶる戦後補償(個別補償)要求の声を、天皇から「お詫び」あるいは「反省」に類する言葉を引き出すことによって押さえようとする意図があるのかもしれない。また米中経済戦争の渦中で、日中関係を正常に近い形で維持したという思惑もあるだろう。いずれにせよ天皇(利用)の政治が展開される。

私たちは、戦争責任・植民地支配責任(戦後責任も含む)については、天皇制を廃止することによってのみにしか果たされない、ということを改めて明確に主張しておきたい。天皇制を廃止して、真の意味の私たちの主権を確立して、その主体において、侵略戦争・植民地支配に対する謝罪・反省の表明と、被害に対する補償を行うことでしか、中国等被害国に対する責任は果たしようがないのである(この立場は、この原則に固執して、現実的な「解決」の一切をかたくなに拒絶することではもちろんない)。

平和や民主主義、人権は、いずれも天皇制とは両立しない。天皇制を終わりにすることによってこそ実現できるものである。

二〇二〇年の天皇制反対の闘い、終わりにしよう天皇制の闘いを共に!!

二〇二〇年二月一一日

2020.2.11行動【集会案内】「代替わり」に露出した 「天皇神話」を撃つ! 2.11反「紀元節」行動

2020-2-11ビラのサムネイル

2019 年の一年をかけて展開された天皇「代替わり」儀式。それは、象徴天皇制の下で、隠されている皇室祭祀が、天皇制を支えるもう一つの柱にほかならないという事実をさらけだした。一連の「代替わり」儀式のなかで露骨に浮上した「天皇神話」は、しかし以外と無批判に受容され、人びとの日常意識にすり込まれていった。それは、天皇の神聖性を通して日本国家の神聖性を自明のものとする、国家主義の攻撃でもある。こうした攻撃にひとつひとつ反撃し、さまざまな視点から天皇制を問い続けていこう。まずは、神話上の建国の日とされる2.11 反「紀元節」行動へぜひご参加下さい。

講 師 小倉利丸 さん(批評家)

[日 時] 2月11 日(火・休) 13:15 開場(13:30 開始)
[会 場] 文京シビックセンター区民会議室・4Fホール
       (地下鉄後楽園駅・春日駅) 
[資料代] 500 円

*集会後デモやるよ!

主催 ●「代替わり」に露出した「天皇神話」を撃つ! 2.11 反「紀元節」行動

【呼びかけ団体】
アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運
動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会