8.15反「靖国」行動 宣言

宣言文

 四度目の「緊急事態宣言」下、東京五輪が無観客で強行され、徳仁名誉総裁は五輪憲章の定める「国家元首」として開会宣言を行ないました。これは明らかな違憲行為です。天皇家は、宮内庁長官・西村泰彦の「拝察」発言、雅子の欠席、秋篠宮夫妻の五輪結団式での「おことば」等を通じて、世間の反対論にも配慮したポーズを取ったり、「開会宣言」でも「祝い」を「記念する」と言い換えたりしましたが、これも原文(英語)そのままで訳語を変更した姑息なものであったにすぎません。コロナ状況下で、新年と天皇誕生日の一般参賀も中止され「国民」への露出度の減った天皇にとって、オリンピック開催のコロナ感染拡大への懸念を示しつつの「開会宣言」は、「国民に寄り添う」天皇像の自己演出を国内に示し、国外に向けても「元首」としての天皇の地位を国外に示すまたとない機会となったのです(閉会式には皇嗣・秋篠宮が、「元首が指名する者」として出席しました。またパラリンピックの開会式には、再び「元首」として徳仁が出席します)。

 この間、菅政権はワクチン頼みで、五輪開催ありきの「緊急事態宣言」解除と発令を無策に繰り返し、第五波の感染拡大を招き、名ばかりの「復興五輪」を掲げていた福島県も無観客を余儀なくされました。組織委員会会長・森喜朗、電通・佐々木宏の女性蔑視、さらには、障害者差別とホロコースト揶揄という、演出関係者の相次ぐ辞退・解任は、五輪関係者の人権意識の欠如を浮き彫りにさせました。しかしこれらは、野宿者を追い出し、被災者を置き去りにしても強行される五輪、そしてそれを導いたコロナ下での開催をなんとか意味づけようとするバッハ会長、コーツ副会長の広島・長崎訪問という被爆者をも利用しようとするIOCの本質と軌を一にするものに過ぎません。IOCと日本政府の責任は重いのです。

 こうした中で、8月15日をむかえました。今年もわれわれは「全国戦没者追悼式」および靖国神社に抗議するためにここに集まりました。

 「全国戦没者追悼式」はサンフランシスコ講和条約が発効した直後の52年5月2日に、新宿御苑にて天皇出席のもとで最初に開催され、以降は場所も開催日も変遷しましたが、65年以降は武道館にて天皇出席の下で毎年開催され続けています。8月15日は祝日とはされていませんが、82年に日本政府により「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と閣議決定されました。その本質は、「死者への追悼」という一般的に否定しがたい心情と行為を利用して、日本政府と象徴天皇制は、戦争犠牲者を美化し、戦争責任を曖昧化するための式典です。

 しかし今日、政府は、戦後76年を経ても今なお残る沖縄戦の戦死者の遺骨の混じる土砂を辺野古の米軍新基地建設に使用しようとしています。このことが、政府が本当はどのように戦争の死者(犠牲者)と向き合おうとしているかを如実に示しています。戦死者の遺骨の放置とそれの新たな戦争準備のための基地建設への利用――これが「国家による「慰霊・追悼」」によって隠蔽しようとしている事実の一側面です。

 戦争犠牲者を「英霊」として美化し、次の戦争に向けて新たな犠牲者を創りだす「靖国」も「国立追悼施設」もいりません。

2021年8月15日
国家による「慰霊・追悼」を許すな! 8.15 反「靖国」行動