2021.2.11-23行動【よびかけ】「紀元節」と「天皇誕生日奉祝」に反対する2・11−23連続行動の呼びかけ

 2020年11月8日に強行された「立皇嗣の礼」を経て、長期にわたる「天皇代替わり」過程は一応の終結をみた。しかし、「立皇嗣の礼」自体がいったん延期され、また、新年の一般参賀など天皇関連の諸行事が軒並み中止に追い込まれていることにも現れているように、「代替わり」したあとの天皇制の本格的な展開は、「新型コロナ」の蔓延によって大きく制約されていると言わざるを得ない。それは、明仁時代の「平成流」、「つねに国民と共にある天皇像」を高く評価し、今後も象徴天皇制を維持し続けていこうという、「リベラルを自称する天皇主義者」にとって、ある種の「危機感」さえ覚えさせるものでもある。

2016年夏、明仁天皇の「生前退位」の意向表明から始まった「代替わり」は、戦後の皇室典範の規定さえ踏み超えて、天皇主導によって、天皇制のありかたを変容させる、いわば天皇制の「再定義」そのものであった。「生前退位」に関する明仁のメッセージは、かれ自身が誇って見せたように、象徴天皇の「公的行為」の拡大こそが、今後の天皇制の維持・強化のための核心であるという、天皇の側からする宣言であったといえるが、そのことを通して明仁は、天皇制とデモクラシーは矛盾するものではないという社会的意識を拡大した。天皇の意向が「皇室典範」の特例法を成立させたということ自体が、戦後剥奪されたはずの皇室典範の改正についての天皇の発議権が、事実上天皇の手に取り戻されたという意味で、天皇の権能を格段に拡大していく違憲の攻撃に他ならない。いわゆる「リベラル派」の多くがそれに積極的に異を唱えられない事態の現出は、明仁に主導された天皇制の再編に対する「合意」が、「代替わり」過程を通じて制度的に確立していったということをも意味した。

明仁が「上皇」となり、徳仁が新天皇に即位し、そして文仁が「皇嗣」となる。それは、このようなものとして展開してきた象徴天皇制を、三者が一定の役割分担をしながら、皇位継承をめぐる「不安定」さという天皇制にとっての危機を「回避」しつつ、次代に向けて天皇制そのものを賦活していこうとするものでもあっただろう。天皇−皇太子−皇族という従来の天皇制のあり方に対して、上皇や皇嗣という新たな皇室身分を創出することは、全体として天皇一族の権威を強化するものである。しかしそれはまた、結果として天皇に体現されていた権威の分散化と多元化をもたらすことになる。いずれにせよ、コロナ状況などによって、それが充分機能しているとはいえないが、天皇制が、天皇家を中心とする「三つの家族」によって担われるシステムとして登場しつつあることを見るべきである。

同様の皇室身分の創出の動きは、いわゆる「皇位継承問題」と絡んで取りざたされている「女性宮家」問題においても見ることができる。さらに政府は、右派に「配慮」して「女性宮家」は先送りにするかわりに、皇族を離れた女性を「皇女」という称号を持つ「特別公務員」とする案を唐突に出してきた。「皇女」は皇族ではないとされるが、天皇家に生まれた女性であることに起因する新たな身分制度であることは明らかだ。皇室と「平民」とのあいだに特別な身分を立てるというのは、生まれによる身分差別の拡大に他ならない。「新型コロナ」状況下で、表だって天皇一族の動きが目立たない中で、天皇制の制度としての作り替えが進んでいるのだ。

こうしたなかで、われわれは、2・11「紀元節」−2・23「天皇誕生日」に向けて、行動を準備している。「紀元節」は、神武天皇の即位をもって日本が「建国」されたとする天皇神話に基づく記念日である。それが歴史的事実ではないことを前提にしつつも、「文化と伝統」と結びついた、「日本国(民)の物語」として公定されたものとなっているのだ。われわれはそれと同様の事態を、ほかならぬ天皇「代替わり」の諸儀式においてあらためて見せつけられたはずだ。そして、神武から数えて「126代目」とされる徳仁の誕生日を祝う日が、これに続く。「代替わり」を経て新たに演出される天皇と天皇制をめぐる物語を批判的に読み解きつつ、今後展開されていこうとする天皇制とそのイデオロギーに抗する行動を作りだしていこう。実行委への参加・賛同と協力を!

 

「紀元節」と「天皇誕生日奉祝」に反対する2・11−23連続行動

【呼びかけ団体】
アジア連帯講座/キリスト教事業所連帯合同労働組合/研究所テオリア/市民の意見30 の会・東京/スペース21/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/ピープルズ・プラン研究所/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会