2015.8.15行動【よびかけ】「戦後レジーム」の70年を問う 7・8月行動実行委員会へのよびかけ

敗戦七〇年の今年五月二六日、天皇夫婦は、東京大空襲の被害者の遺骨が納められている東京都慰霊堂(墨田区)への追悼セレモニーに出かけた。これは一九九五年の敗戦五〇年の「慰霊巡行」以来のことである。天皇夫婦は昨年、沖縄、長崎、広島を訪問している。敗戦六〇年(二〇〇五年)には、かつて日本が侵略し植民地支配をし続けた激戦地サイパン訪問をしたが、天皇夫婦は今年、もう一つの激戦地パラオへの「慰霊巡行」にも出かけている(四月八日〜九日)。

戦後の節目の年に、なぜ天皇は、こういった大量の戦死者たちへの追悼セレモニーの政治を繰り返し、「平和天皇」をアピールしてみせるのであろう。それは天皇の軍隊(戦争)がつくりだした戦争被害、その結果に対する戦争責任をまったく取らないで、占領した米国の力をかりて延命した天皇制国家の責任を隠蔽し続けるためである。そしてそれは、侵略戦争がもたらした死をひたすら「平和」のための「尊い犠牲」という倒錯した認識の方へ、人々の意識を逆転させるための政治セレモニーでもあるのだ。

これは、安全保障関連法案の一括国会審議に入っている安倍晋三政権が、「集団的自衛権」を行使し米軍とともにグローバルに戦争する軍隊に自衛隊を再編する法案を軸に、戦後国家・社会の全面軍事化へ向けて暴走し、平和憲法を全面破壊しながら、それを平然と「積極的平和主義」と名づけ続けている姿勢と対応している。これは、「平和・安全」の名の下に、自衛官を戦地に派遣し、殺し殺させる関係に入ることを強制するものである。

安倍にとって〈戦争〉が〈平和〉であるなら、天皇にとっても同様である。両者は戦争国家の役割を分担し合っているにすぎないのだ。

島ぐるみで、ノーの声をあげている沖縄に対して、辺野古に新米軍基地づくりを暴力的に強行している論理もそれだ。米軍基地は「平和のための抑止力」として不可欠という主張だ。空に地上に海に、終わりなき放射能被害を拡大し続けている福島原発事故後の今、原発再稼働へ向かう安倍政権の論理もそうだ。「平和利用」のための核は「安全」という論理である。もちろん、そこにはプルトニウム生産システムを手放すまいという核兵器への意志も潜在していることは明白である。核大国・軍事強国日本づくりが、「世界平和」への道だという、信じがたい詭弁に満ちた強弁を、まかり通そうとしているのだ。

こうした方向を、安倍政権は「戦後レジームからの脱却」と名づけている。その政治のステップとして安倍首相は八月に「安倍談話」なるものを準備している。世界が注視しているそれは、敗戦五〇年(一九九五年)の村山談話における「侵略」と「植民地支配」への「反省と謝罪」という内容を否定し、「未来志向」の名の下に「強国化」の主張が盛り込まれるだろう。

私たちは、こうした安倍政治と全面的に対決しぬく「7・8月行動」をつくりだすための実行委員会づくりに向かう。私たちの、安倍政権の「戦後レジームからの脱却」の政治に立ちむかう思想的〈原点〉とは、単純に「村山談話」の防衛などではない。「反省と謝罪」の村山談話は、談話発表直後の「天皇には戦争責任はない」という村山の記者会見での発言とセットで考えられるべきである。

首都東京をはじめとする大都市、そして地方都市の空爆。住民の四人に一人は被害者となったといわれる沖縄戦。さらには広島・長崎への原爆投下による大量殺傷の被害。これらは、天皇制国家の開始した戦争、植民地支配と侵略戦争によってもたらされたものである。それらの被害が戦争末期に集中していることは、それらがみな「国体護持」(天皇制の延命)のための時間かせぎの間にもたらされた惨劇である事実を、明らかにしている。

天皇制国家の戦争責任、それを取らないことで成立したアメリカじかけの象徴天皇制国家の戦後責任を問い続ける。これこそが敗戦七〇年の今も私たちの運動の思想的原点である。八・一五の政府主催の戦没者追悼式典と首相・閣僚の靖国神社参拝に反対するのも、その視点からである。戦争責任の主役である天皇と国家のリーダーたちが戦死者を追悼し「平和」を語ること自体が政治的欺瞞である。彼らには、その資格はない。

敗戦七〇年の今年は、広島、長崎の被爆七〇年の年でもある。私たちは、今年は「8・6ヒロシマ平和の集い2015」とむすびながら運動をつくっていく。

積極的に参加・賛同されんことを!

「戦後レジーム」の70年を問う 7・8月行動実行委員会

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国解体企画/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

2015.4.28-29行動【報告】敗戦70年:象徴天皇制の70年を撃つ4・29反「昭和の日」行動 報告

いま「戦後七〇年」を名目として、国家の枠組みと歴史認識が大きく書き換えられようとしている。安倍グループを中心とする自公政権は、彼らが言うところの「戦後レジーム」を否定し、改憲と軍拡による国家主義体制の構築をいよいよ加速させている。

また天皇明仁らは、これまでにも、外交と慰霊にかかわる国家儀礼を中心に「国事行為」の領域を広げてきていた。昨年は、広島や長崎、沖縄などで「慰霊」を実施したが、今年の四月にはパラオ共和国を訪問し「戦没者慰霊」行為を実施した。パラオをはじめとする南洋の各地は、第一次大戦後に大日本帝国が獲得した、国際連盟の「委任統治」という名の植民地だが、この「慰霊」訪問に際して天皇らはその事実に全く触れることなく、戦争と植民地責任を隠蔽した。これは、安倍らによって進められている全社会的改変を、強くバックアップする明確な政治的行為であった。しかし、ほとんどすべての政党や政治勢力はもちろん、メディアも、さらに安倍政権を批判する人びとの多くもまた、この問題に口をつぐんだ。

この状況を批判するべく、私たちの今回の実行委の活動は、反安保実行委員会との共闘により展開された。反安保実との共同行動はここ数年来つづいており、日米安保体制により日本国家の「戦後」の枠組みを決定づけたサンフランシスコ講和条約が発効した四月二八日と、大日本帝国と「象徴天皇制」をつなぐ昭和天皇の誕生日に制定された四月二九日「昭和の日」に向けて取り組まれている。

四月一二日、水道橋の韓国YMCAにおいて実施された集会「天皇のパラオ『慰霊』の旅 責任隠蔽儀礼を許すな! 殺し殺されるということ」においては、文学者の彦坂諦さんにより、「加害者と被害者」「支配者と被統治者」の関係を視えなくさせる国家の仕組みが厳しく指弾され、約五〇名の参加者を交えて活発な議論がなされた。

四月二八日には、千駄ヶ谷区民会館において「占領・『復帰』そして現在 沖縄基地問題から見た戦後七〇年」と題して、高里鈴代さん(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会)により講演がなされた。高里さんは、大日本帝国の戦争のため捨石として全島あげての強制的な徴用がなされた沖縄戦と、戦後は米軍基地の礎とされ続けている歴史を重ねて批判(講演要旨参照)。七五名を集めたこの集会では、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック、有事立法・治安弾圧を許すな!北部集会実行委員会、日韓民衆連帯全国ネットワーク、福島原発事故緊急会議からも、連帯アピールがなされた。

今回の連続行動の締めくくりとして、四月二九日には、「象徴天皇制の七〇年を撃つ 四・二九 反『昭和の日』行動」が新宿柏木公園を出発地とするデモとして取り組まれた。今回のデモにおいては、沖縄の辺野古基地建設において海上保安庁や警察に護られつつ、JVとして中心的な役割を果たしている大成建設への抗議行動も実施した。大成建設は戦前には大倉組として数々の国策事業を推進した過去も持つ。前段集会で、実行委からの前日の集会報告に続き、自由と生存のメーデー、反五輪の会、「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会などからの連帯アピールを受けた後、約一〇〇名の参加者は、「昭和の日」、辺野古基地建設などに反対するコールを高らかに上げながら、新宿を一周するデモを展開した。

「敗戦七〇年と象徴天皇制の七〇年を撃つ」取り組みは、反「紀元節」闘争、そして今回の連続行動として展開されてきた。今回の実行委員会としては一区切りとなるが、もちろん、これはまだまだより大きな闘いへと重ねられていかなければならない。国会においては、憲法九条の原理的な枠組みも、歴代内閣による制約もすべて取り払い、ときの政府による恣意的な解釈により、自衛隊を米軍とともに臨戦態勢へと対応させられようとしている。「戦争は平和である、自由は屈従である、無知は力である」(G・オーウェル)という異様きわまる世界の解釈が、平然とまかり通っている。

さらに安倍は、米国議会そして米軍に対する媚びへつらいと欺瞞に満ちた米連邦議会演説を経て、侵略と戦争への責任をないがしろにする「戦後七〇年談話」を準備中であるとされる。私たちは、今回の行動を通じた人びととのつながりをもって、これら全体と闘う今夏の行動への準備にもとりかかっている。多くの人々とともに、よりいっそう強く幅広い闘いをかちとっていきたいと心から希む。

(蝙蝠)