敗戦七〇年の今年五月二六日、天皇夫婦は、東京大空襲の被害者の遺骨が納められている東京都慰霊堂(墨田区)への追悼セレモニーに出かけた。これは一九九五年の敗戦五〇年の「慰霊巡行」以来のことである。天皇夫婦は昨年、沖縄、長崎、広島を訪問している。敗戦六〇年(二〇〇五年)には、かつて日本が侵略し植民地支配をし続けた激戦地サイパン訪問をしたが、天皇夫婦は今年、もう一つの激戦地パラオへの「慰霊巡行」にも出かけている(四月八日〜九日)。
戦後の節目の年に、なぜ天皇は、こういった大量の戦死者たちへの追悼セレモニーの政治を繰り返し、「平和天皇」をアピールしてみせるのであろう。それは天皇の軍隊(戦争)がつくりだした戦争被害、その結果に対する戦争責任をまったく取らないで、占領した米国の力をかりて延命した天皇制国家の責任を隠蔽し続けるためである。そしてそれは、侵略戦争がもたらした死をひたすら「平和」のための「尊い犠牲」という倒錯した認識の方へ、人々の意識を逆転させるための政治セレモニーでもあるのだ。
これは、安全保障関連法案の一括国会審議に入っている安倍晋三政権が、「集団的自衛権」を行使し米軍とともにグローバルに戦争する軍隊に自衛隊を再編する法案を軸に、戦後国家・社会の全面軍事化へ向けて暴走し、平和憲法を全面破壊しながら、それを平然と「積極的平和主義」と名づけ続けている姿勢と対応している。これは、「平和・安全」の名の下に、自衛官を戦地に派遣し、殺し殺させる関係に入ることを強制するものである。
安倍にとって〈戦争〉が〈平和〉であるなら、天皇にとっても同様である。両者は戦争国家の役割を分担し合っているにすぎないのだ。
島ぐるみで、ノーの声をあげている沖縄に対して、辺野古に新米軍基地づくりを暴力的に強行している論理もそれだ。米軍基地は「平和のための抑止力」として不可欠という主張だ。空に地上に海に、終わりなき放射能被害を拡大し続けている福島原発事故後の今、原発再稼働へ向かう安倍政権の論理もそうだ。「平和利用」のための核は「安全」という論理である。もちろん、そこにはプルトニウム生産システムを手放すまいという核兵器への意志も潜在していることは明白である。核大国・軍事強国日本づくりが、「世界平和」への道だという、信じがたい詭弁に満ちた強弁を、まかり通そうとしているのだ。
こうした方向を、安倍政権は「戦後レジームからの脱却」と名づけている。その政治のステップとして安倍首相は八月に「安倍談話」なるものを準備している。世界が注視しているそれは、敗戦五〇年(一九九五年)の村山談話における「侵略」と「植民地支配」への「反省と謝罪」という内容を否定し、「未来志向」の名の下に「強国化」の主張が盛り込まれるだろう。
私たちは、こうした安倍政治と全面的に対決しぬく「7・8月行動」をつくりだすための実行委員会づくりに向かう。私たちの、安倍政権の「戦後レジームからの脱却」の政治に立ちむかう思想的〈原点〉とは、単純に「村山談話」の防衛などではない。「反省と謝罪」の村山談話は、談話発表直後の「天皇には戦争責任はない」という村山の記者会見での発言とセットで考えられるべきである。
首都東京をはじめとする大都市、そして地方都市の空爆。住民の四人に一人は被害者となったといわれる沖縄戦。さらには広島・長崎への原爆投下による大量殺傷の被害。これらは、天皇制国家の開始した戦争、植民地支配と侵略戦争によってもたらされたものである。それらの被害が戦争末期に集中していることは、それらがみな「国体護持」(天皇制の延命)のための時間かせぎの間にもたらされた惨劇である事実を、明らかにしている。
天皇制国家の戦争責任、それを取らないことで成立したアメリカじかけの象徴天皇制国家の戦後責任を問い続ける。これこそが敗戦七〇年の今も私たちの運動の思想的原点である。八・一五の政府主催の戦没者追悼式典と首相・閣僚の靖国神社参拝に反対するのも、その視点からである。戦争責任の主役である天皇と国家のリーダーたちが戦死者を追悼し「平和」を語ること自体が政治的欺瞞である。彼らには、その資格はない。
敗戦七〇年の今年は、広島、長崎の被爆七〇年の年でもある。私たちは、今年は「8・6ヒロシマ平和の集い2015」とむすびながら運動をつくっていく。
積極的に参加・賛同されんことを!
「戦後レジーム」の70年を問う 7・8月行動実行委員会
【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国解体企画/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会