天皇の沖縄・与那国訪問反対行動【集会宣言】天皇の沖縄・与那国訪問を許さない!

天皇と皇后は、来る3月27日から29日まで、沖縄・与那国島を訪問する。明仁天皇は皇太子時代(5回)も含め今回で11回目、来年4月末で皇位を徳仁へ譲ることになっているので、天皇として最後の沖縄訪問となる。

明仁天皇は、「象徴としての務め」として、「先の大戦」の犠牲者に対する「慰霊」と「追悼」の旅を繰り返し、その都度、「お言葉」を述べてきた。沖縄への度重なる訪問は、唯一の地上戦を経験し、住民の4人に1人が戦死したといわれる沖縄ついてはひときわその思いが強いからである、といわれている。

かつて明仁天皇は、「日本は昭和の初めから昭和20年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした。この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは日本人自身にとって、また日本人が世界の人々と交わっていく上にも極めて大切なことと思います」と述べている(2005年誕生日の記者会見)

「先の大戦」中、天皇は、大日本帝国憲法により「神聖不可侵」とされ、軍隊の最高指揮権(統帥権)を保持していた。「国民」の精神(生き方や死に方)を大きく規定していたのは「教育勅語」であり、軍隊では「軍人勅諭」という「天皇の言葉」であった。そして沖縄が地上戦を戦わざるを得なかったのは、「国体護持」を至上命題とした天皇制国家による「捨て石」とされたからである。

「先の大戦」の犠牲者は、地震や台風といった災害の被災者ではない。まぎれもなく、天皇を頂点に戴く国家の作為による犠牲者である。しかし明仁天皇の慰霊・追悼の旅にかかわる「お言葉」には、もちろん、父・裕仁の、そして自ら継承した天皇(制)の責任には一切ふれられることはない。謝罪の言葉が含まれることもない。「過去の歴史」を「正しく理解しようと努める」という姿勢はそこにはまったくみられない。それどころかそれとは逆に、事実を歪め、天皇(制)の責任を糊塗・隠蔽し、そうすることによって、天皇制による国家・国民(再)統合を意図しているものにすぎない。

さらに、今回の沖縄・与那国への天皇の訪問は、これまでにない特異な様相も備えている。

まず、天皇が沖縄を訪ねる3月27日は、139年前(1879年)に内務官僚・松田道之が、軍隊300名と警官160名余を率いて首里城に入り、琉球国王に城の明け渡しを求め廃藩置県を布告した日である。

明仁は、「私にとっては沖縄の歴史をひも解くということは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした。しかし、それであればこそ沖縄への理解を深め、沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければならないと努めてきたつもりです」(2003年誕生日の記者会見)とのたまっている。そう言いつつ、この日に沖縄を訪問するとは何をかいわんやである。

また、翌28日に明仁は、初めて与那国島を訪問するが、この日は、ちょうど2年前(2016年)に、自衛隊与那国駐屯地が開設され、与那国沿岸監視隊(150名程度)が配備された日にあたる。住民虐殺(強制死)を含む皇軍(日本軍)の振る舞いの記憶が残る沖縄(南西諸島を含む)では、当然ながら自衛隊配備に反対する声が多い。与那国でも意見が分かれ住民投票が行われている。中国脅威論を煽り、南西諸島(宮古島、石垣島、奄美黄島)への自衛隊配備・増強を進める安倍政権にとって、地域住民の「融和」と「辺地」へ配備される自衛官の「慰撫」は必要不可欠となる。そうしたなかでの、今回の天皇の「開庁日」にあたる日の訪問は、表だって自衛隊施設を訪れるということではないにしろ、その意図するところは明白である。

日本国憲法を踏みにじり、自らの意志により、生前退位による皇位継承の路線を引いた明仁が、退位を前にして、後継に期待する新たな「象徴としての務め」がそこに見えてこないだろうか。  天皇(制国家)と沖縄との歴史を顧みれば、今回の訪問はおよそ許されるものではない。

明仁天皇の沖縄・与那国訪問を許してはならない!

2018年3月24日

天皇の沖縄・与那国訪問を問う3・24 集会参加者一同

2018.4.28-29行動【よびかけ】天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4.28-29連続行動への参加・賛同の呼びかけ

一八七九年三月二七日に、内務官僚・松田道之は、軍隊三〇〇名余、警官一六〇名余を率いて首里城に入り、琉球国王に城の明け渡しを求め廃藩置県を布告した。いわゆる「琉球処分」の最終局面である。

「明治一五〇年」キャンペーンを政府が展開する今年(二〇一八年)、この三月二七日に、天皇明仁は沖縄へ行く。皇太子時代に五回、天皇になってから五回の訪沖をしている明仁にとって一一回目となる。自ら敷いた路線で来年四月末に退位し、息子・徳仁に皇位をゆずる彼の、天皇として最後の沖縄訪問となるであろう。その翌日の三月二八日には、天皇として初めて国境の島・与那国を訪れる。この日は、二年前(二〇一六年)に、自衛隊与那国駐屯地が開設され、与那国沿岸監視隊(一五〇名程度)が配備された日にあたる。

この三月二七日(琉球処分の日)、二八日(自衛隊開設日)の日程での、天皇の沖縄・与那国訪問は、これまでの天皇による、慰霊や追悼の旅とは違った、別の意味を持つことにだろう。「象徴としてのありかた」を模索してきたという明仁天皇は、自ら「生前退位」の道を開いた。そして次なる天皇の即位を導いた。明仁の最後の沖縄訪問は、徳仁新天皇に課す新たな役割(「象徴的行為」)への布石としての旅かもしれない。

沖縄は、武力によって大日本帝国(天皇制国家)の版図へ強制的に組み込まれ、皇民化政策のもとで植民地的支配を自ら被りながらも、侵略・植民地支配の先兵として動員された。敗戦局面では、本土防衛の捨て石とされ、住民の四人に一人が死を強いられた。そして敗戦後は、間接統治の日本(ヤマト)とは違って、米軍による直接統治下に置かれ、一九五二年にサンフランシスコ講和条約によって「本土」が「主権回復」した後も、裕仁天皇のメッセージによって米軍の占領状態が継続された。同時に結ばれた日米安保条約により、占領(米)軍の日本への駐留が継続されることとなるが、軍政下で銃剣とブルドーザーによる強制的な土地の収用=米軍基地建設が行われた沖縄に、さらに日本からも海兵隊を中心とした米軍基地が移転され、その結果、「国土」の〇・六%を占める土地に七四%の米軍基地が押しつけられることになった。

このように沖縄にとっての「明治一五〇年」とは、大日本帝国による戦争・植民地支配政策(その破綻)と戦後のアメリカ核軍事力に依存した日米安保体制の矛盾が押しつけられてきた一五〇年であるといえる。

軍政下における「島ぐるみ闘争」(一九五六年)から近年の辺野古新基地建設や高江ヘリパッド建設を阻止する運動、オスプレイの配備に反対する運動など、幾たびも沖縄は反基地・反安保の声を上げ続けている。沖縄の声は、しかし、日本(ヤマト)にとって大きくは響いていないようにみなされる。

政府・安倍政権は、中国脅威論を煽りながら、沖縄の米軍基地強化とともに南西諸島(宮古島、石垣島、奄美大島)への自衛隊配備もすすめている。

私たちはヤマトの人間として、安倍政権の「明治の精神に学び、日本の強みを再認識する」として「明治の精神」を礼賛し、戦争と植民地支配の歴史を糊塗し、さらにその破綻の結果として生まれた平和憲法(憲法九条)をもなきものとする動きを許すことはできない。

沖縄を常に利用(構造的差別)し続けた「一五〇年」の歴史=近代天皇制総体の歴史を批判的に検証する集会(4・28:沖縄デー)と、天皇制の戦争責任・植民地支配責任を問い、歴史の改竄を許さない反「昭和の日」デモ(4・29:裕仁誕生日)の連続行動を、今年も作りだしていきたいと思います。ぜひ多くの方の賛同をお願いします。

天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4・28─29 連続行動実行委員会

【呼びかけ団体】

アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/反/安保実行委員会反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」の強制反対の意思表示の会靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

天皇の沖縄・与那国訪問反対行動【集会案内】天皇の沖縄・与那国訪問を問う3.24集会

報告「自衛隊配備と天皇の与那国訪問」

大仲 尊 さん(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)

報告 「アキヒト天皇と沖縄」
天野恵一さん(反天皇制運動連絡会)

[日 時] 3月24日(土)18:00 開始
[会 場] 駒込地域文化創造館 (JR&地下鉄南北線・駒込駅からすぐ)

■来る3月27日から29日にかけて、アキヒト天皇が沖縄・与那国を訪問する。

■アキヒトが沖縄入りする3月27日は、139年前(1879年)に内務官僚・松田道之が、軍隊300名と警官160名余を率いて首里城に入り、琉球国王に城の明け渡しを求め廃藩置県を布告した日である。

■また翌28 日にアキヒトは、初めて与那国島を訪問するが、この日は、ちょうど2年前(2016年)に、自衛隊与那国駐屯地が開設され、与那国沿岸監視隊(150名程度)が配備された日にあたる。

■与那国だけでなく、宮古島、石垣島、奄美大島にも自衛隊配備が強行されつつある中での、自衛隊開設記念日の天皇の訪問は何を意図するものなのか。

■「象徴としてのありかた」を模索してきたというアキヒト天皇の今回の沖縄・与那国訪問の意味を問う。

主催 ●天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4.28-29 連続行動実行委員会

【呼びかけ団体】(2018年3月6日現在)
アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」の強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/労働運動活動者評議会

2018.2.11行動【報告】「代替わり」と近代天皇制150年を問う反「紀元節」2 .11行動報告

今年の二月一一日の反「紀元節」行動は、「明治150年= 近代天皇制を問う」と題して取り組まれた。

集会会場は水道橋の全水道会館大会議室。集会は、実行委員会に参加している立川自衛隊監視テント村からの緊急アピールから始まった。この日のデモの宣伝カーを出す予定であった立川自衛隊監視テント村であったが、早朝から駐車場を右翼の街宣車が囲み、それを取り巻く公安警察も眺めるだけのなかで、宣伝カーの移動をあきらめた旨が報告された。テント村の宣伝カーは、一昨年の一一月の吉祥寺デモの際と昨年一一月の「終わりにしよう天皇制」デモの直前の二度にわたり、右翼によって(いずれも警察の眼前で)フロントガラス等が破壊されている。アピールでは、右翼とその行為を容認する警察による表現の自由・デモの自由に対する攻撃に対して抗議するとともに、多様な協力関係を築き上げながら断固として行動を継続していくことが強調された(テント村の事務所にも右翼団体が押しかけたという)。

実行委のメンバーからの基調報告に続き、太田昌国さんの講演が行われた。 太田さんは、一五〇年前(さらに数十年遡る時代の中)には、その後に日本国家(天皇制国家)が実際に進んだ侵略・植民地支配への道ではない方向へと進む契機や可能性が多様に存在していたことを改めて認識しなければならないと強調された。

質疑応答を挟んで、様々な課題で活動に取り組むグループからの連帯のアピールが行われた。日韓民衆連帯全国ネットワークの渡辺さんからは「3・1朝鮮独立運動99 周年止めよう!安倍政権が煽る米朝戦争の危機2・24 集会」について、一坪反戦地主会・関東ブロックの青木初子さんからは、名護市長選挙の背景にも触れながら「辺野古新基地建設NO!2・25 首都圏行動」のアピール、「オリンピック災害」おことわり連絡会の仲間からは、「オリンピック・パラリンピック教育」の撤回を求める都知事と東京都教育長宛の署名への協力が呼びかけられた。天皇の代替わり過程を首都圏で闘う仲間からは、「新元号制定に反対する署名」への協力の呼びかけ、「安倍靖国参拝違憲訴訟」を担う浅野史生弁護士(デモの監視弁護もしていただいた)から、四月二七日から始まる高裁での闘いに向けてのアピール、「大軍拡と基地強化にNO!アクション2017」の仲間からは、「大軍拡と基地強化にNO!2・24 防衛省デモ&集会」のアピール、そして政府主催の3・11 東日本大震災追悼式に対する抗議行動についてのアピールがなされた。

集会後は、宣伝カーなしにもめげずに、神保町から御茶ノ水へとデモ行進を行って、「民主主義に天皇制はいらない」「神話に基づく記念日はいらない」の声を響かせた。

定員一六〇名ほどの集会会場に入れない人も相当数出る一九〇名が参加した。

(梶野宏)