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2016.4.28-29行動【宣言】安倍政権下の日米安保体制と天皇制 4・28-29連続行動集会宣言  

一九五二年四月二八日の、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約の発効によって日本国家は、冷戦体制におけるアメリカの軍事的・政治的ヘゲモニーのもとに、自国の「国益」追求をはかる「戦後」のスタートを切った。それは、日米同盟関係を基軸とし、アジア・太平洋の植民地・被侵略国民衆に対してとるべき戦争・戦後責任を回避し、アメリカの世界戦略・戦争政策に加担する道であった。それはまた、戦後沖縄を「本土」から切り離し、沖縄戦以後続いていた米軍による沖縄への軍事支配を承認することと一体のものであった。まさしくそれは、「対米従属的日米関係の矛盾を沖縄にしわ寄せすることによって、日米関係(日米同盟)を安定させる仕組み」としてある「構造的沖縄差別」(新崎盛暉)であり、さらに「琉球処分」以降の近代天皇制国家による沖縄に対する、植民地主義的支配の戦後的再編であり、継続であったということを、われわれは忘れてはならない。

「本土」から分離された沖縄は、「銃剣とブルドーザー」によって、米軍が自由に使用できる基地の島とされた。「復帰」という名の日本への沖縄再統合に至る過程で、「本土」の基地も沖縄に集中され、そのもとで日本は、朝鮮戦争やベトナム戦争、そして現在アメリカが推し進めている「対テロ戦争」までの戦争支援・協力を続けることになった。そしていま、戦争法制の施行=「集団的自衛権」解禁によって、沖縄の中国・朝鮮を始めとするアジアに対する前線基地としての役割が、ますます強められようとしている。政府は「中国脅威論」を煽りながら、「南西諸島」への自衛隊配備計画を進め、この三月には与那国島に陸上自衛隊が配備された。今後も奄美や宮古、石垣などにそれぞれ五〇〇〜八〇〇人規模の警備部隊とミサイル部隊を配備する計画である。沖縄の島々を、再び日本軍の要塞にしてはならない。

こうした状況に対して、沖縄の人びとは粘り強い抗議の声をあげ続けてきた。普天間基地の閉鎖、オスプレイ撤去、新たな基地を作らせないという長期にわたる沖縄の島ぐるみの闘いは、「辺野古が唯一の解決策」と言い続ける安倍政権の強硬姿勢を、「和解」工作に転じさせるほどの力を持って持続されている。二〇一三年には、四月二八日を「占領からの脱却=国際社会への復帰の日」として天皇出席の国家式典で祝った安倍政権に対して、この日は沖縄にとっては「屈辱の日」であるという強い批判の声も上げられた。沖縄戦や米軍占領を含む、沖縄と日本をめぐる歴史総体に埋め込まれた体験にもとづく、沖縄の人びとの怒りの噴出があるのだ。

明日四月二九日は、天皇制の延命のために敗戦を遅らせ、その結果悲惨な沖縄戦を招いたばかりか、戦後における「構造的沖縄差別」の成立に対しても大きな役割を果たした昭和天皇を賛美する、「昭和の日」である。

昭和天皇は、沖縄への米軍の長期の駐留を「希望」した「天皇メッセージ」を発し、また当時の吉田政権の頭越しに、日米安保締結を推進した。昭和天皇を含む戦後日本の支配層は、アメリカ・ヘゲモニーの下でつくられた戦後体制に大きな責任を負っている。そして戦後再編された象徴天皇制という国家制度は、この戦後体制の重要な構成要素を成すものとして、明仁天皇への代替わりを経て、今なおその独自の役割を果たし続けているのである。

こうした「戦後」総体のあり方に対して、そしてそれを、日米同盟のもとで戦争する国家の具体化の方向で再編強化されつつあるこの政治状況に対して、「ヤマト」の地において安保体制の強化と沖縄の前線基地化を許さない運動を作りだすことが、われわれに対しても要求され続けているのだ。われわれは、戦争法制による集団的自衛権の拡大という状況において進む、安倍政権による社会の全面的な軍事化、「緊急事態条項」などを前面に押し出しての改憲攻撃との対決を掲げて、さまざまな運動と連帯していくなかで、本日の集会と明日の集会・デモに取り組み、この課題を持続的に追求していくことをここに宣言する。

二〇一六年四月二八日
安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う 4・28-4・29連続行動

 

2016.2.11行動【抗議文】2.11当日のデモ警備に対する苦情申し出書

*2.11反「紀元節」行動は、2.11当日のデモ警備に対して、以下の抗議文(苦情申し出)を東京都公安委員会に提出しました。

 

 

苦情申出書

2016年3月20日
東京都公安委員会御中

苦情申出人ら「2.11反『紀元節』行動実行委員会」が、2016年2月11日に実施したデモ行動に対して、警視庁警備部、警視庁公安部、および警視庁渋谷警察署、原宿警察署に所属する警察官によって、不当な妨害を受けたので、これについて、警察法第79条に基づき苦情申出を行う。

1、苦情申出人の氏名

2.11反『紀元節』行動実行委員会
実行委員 事務局員 ○○○○
住所
電話

2、苦情申出の原因たる職務執行の日時、場所とその概要について

年月日:2016年2月11日
時間: 同日16時20分〜17時00分ころ

苦情申出人らは、2016年2月3日に警視庁原宿警察署に赴き、東京都公安委員会に対して集団示威運動許可申請を提出し、同2月10日付東京都公安委員会指令第9054号にある通り、正式な許可を得て同2月11日にデモ行動を実施した。
ところが警視庁は、苦情申出人らの行動が、前記許可書の条件にある「交通秩序維持に関する事項」「危害防止に関する事項」のいずれについてもことさら損なうことは何一つなかったにもかかわらず、不当で暴力的な規制を実施した。

3、苦情申出の原因たる職務執行による申出人らの不利益と、これにかかわる警察職員の職務執行の問題点について

苦情申出人らによる同日の行動においては、デモ行動の前に行なわれた神宮前穏田区民会館における集会に対し、会場周辺に右翼団体が押しかけ、集会の開始直後から30分ほどにわたり、拡声器2台を使って騒音をかきたてる妨害がなされた。また、集会の後半ころからは、これはやや会場から離れた明治通りにおいて、やはり集会を誹謗し妨害する情宣行動がなされている。しかし、デモ行動が開始された段階では、右翼団体の妨害行動はほぼない状態となっていた。
それにもかかわらず、今回のデモ行動に対する警備は、デモ参加者が明治通りに出た後に、極端に厳しいものとなった。警視庁渋谷警察署の警察官、および機動隊員は、まったく平穏に進められようとしているデモ行動の参加者に対して、その行動の間中、ひっきりなしに暴言を吐き、デモ行動の参加者を突き飛ばすなどの暴行を加え続けた。また、デモ行動の先頭にいた宣伝カーに対しても、行動の初めから終わりまで激しく叩き続けてその円滑な進行を妨害した。円滑にデモ行動を進めようとしていたデモ行動の責任者や指揮者、宣伝カーとデモ行動の隊列を連携する役割の連絡員に対しても妨害・排除し、デモ行動の主体的かつ自律的な行動を意図的に混乱させた。さらに、こうした不法な警察官の行動に対して注意し是正しようとした弁護士に対しては、何人もの警察官で取り囲んで威嚇し、デモ行動の隊列から引き離して、行動参加者を守り警察官に法を遵守させる目的でなされた正当な職務を妨害したのである。
こうした警察官たちによるあまりにも明白なデモ行動への妨害に対しても、デモ行動への参加者は、事前の意思確認に基づいていっさい身体的な抵抗をせず、自らの身体を守りながらデモ行動を継続した。むしろ、この日の行動は、こうした警察機動隊員らによる暴行と規制により、その進行を遅らせられたのであった。ところが、デモ行動の歩みがわずかに遅れたと見るや、機動隊員らによるデモ参加者への暴言と、参加者を突き飛ばす暴行は、ますます激しいものとなった。機動隊員らによる左右からのデモ隊列への極端な「圧縮」は、当然にもデモの「条件書」にある「4列縦隊」の行進隊形を、まさに警察官の不当な行動によって損なったのである。警察官の不当な規制によりデモの隊列が伸びたり途切れかけたりすると、警察官による暴言と参加者を突き飛ばす暴行はエスカレートし、それはデモ行動の最後まで変わることはなかった。これにより、デモ行動の目的は損なわれ、障碍者や高齢の参加者の中には、デモ行動中に体調を悪くした者すらいたのである。
以上の通り、警察の規制は、道路交通やデモ行動を円滑に進めるものでは全くなく、行動参加者の自由を侵害するのみであった。

最高裁1975年9月10日の、徳島市公安条例違反とされた件に関する判示では、「『交通秩序を維持すること』を掲げているのは、道路における集団行進等が一般的に秩序正しく平穏に行われる場合これに随伴する交通秩序阻害の程度を超えた、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為を避止すべきこと」としている。今回のデモ行動においては、明らかに「阻害」をもたらしたのは警察官の恣意的で無理かつ不当な警備行動によってなされたものである。これは、明らかに憲法第21条の表現の自由を侵すのみならず、憲法31条の適正手続きの保障にも反するものである。
これらは極めて不当な人権の侵害であり、公務員による職権の濫用であると言わざるを得ない。

苦情申出人らの集団示威行動に対し、警察官らが行った職務執行、権力の行使は、日本国憲法に基づく個人の自由や権利を著しく損なうものであって許されない。
近年では、警察のデモ隊に対する過剰な規制をともなう警備態勢、ひたすら混乱を作り出す公安警察の動きなどが絡まりあって錯綜しながら、憲法に基づく基本的人権の行使が、きわめて異様かつ抑圧的な状態の中に置かれている現実が広がっている。警察が自らこのような混乱を作り暴力的な規制を行なうのは本末転倒である。公務員の役割が、思想・信条の自由、集会や表現の自由を守るためにこそあることに立ち返らせねばならない。

警察は、直ちに正しい事実の調査を行ない、これに基づき、同日の行動の参加者に対する規制や監視の職務執行における誤りを正し、誤った警備行動の中で発生した、参加者への権利の侵害に対する謝罪を行なって、今後、そうした事態が二度と発生しないよう、全職員に対して徹底させるべきである。

以上、苦情を申し出るものである。

2016.2.11行動【声明】デモは権利だ!恩恵ではない:2016年2・11反「紀元節」行動における機動隊の理不尽な規制とデモ妨害に抗議する   

私たち「安倍戦争国家と天皇制を問う2・11反『紀元節』行動」は、今年も渋谷で反天皇制・戦争国家体制に反対する集会とデモに取り組んだ。

この日は、集会会場近辺で奉祝派のデモもあり、右翼街宣車も押しかけるかとも予想されたが、デモの出発地点から離れたところで、在特会系のグループが街宣し、また集会中に徒歩で数名の右翼が登場したほかは、右翼の妨害は例年よりもひどいものではなかった。

一方、この日の警察・機動隊の不当な規制は、度を越えるものであった。何ら正当な理由も必要性もない規制が、出発前から解散地点まで一貫して加えられ続けた。それはまさに、規制のための規制、規制を自己目的化した規制というべきものであった。

警察の指揮者だけでなく、多数の警察官が絶えず宣伝カーの窓ガラスを執拗にたたき続け、「早く行け」「警告」と急がせた。それは運転妨害になるほどだった。デモ隊と宣伝カーが離されないよう、車の横について歩いていた実行委のメンバーは、警官に囲まれ車から引き離された。その結果、宣伝カーとデモ隊との間にすき間ができると、こんどはそれを理由としてデモの参加者の体を押して、早く進めと繰り返す。この不当なやりかたに抗議した監視弁護士さえ、私服警官に囲まれて歩道に押し上げられてしまった。念のために言っておくが、デモ隊はことさらに遅れていたわけではなく、急がされる理由などなにもなかった。しきりに急かすだけの警察官は、「デモの解散時間を知っているのか」という抗議にたいして答えられず、さらには、間違ってデモの進行方向とは逆に誘導しようとする始末であった。

デモ隊全体に対して、機動隊の並進規制や、後方や真横からの圧縮(押し込め)が間断なくなされた。何人もの参加者が突き飛ばされた。途中で具合が悪くなったり、倒れこんだ参加者も出た。これに抗議した実行委のメンバーに対しては、「こいつらを歩かせるように指示しろ」と言い、なおも抗議すると「逮捕するぞ、警告!何時何分……」などと恫喝した。「許可条件を守れ、デモ隊は三列」と警官は繰り返していたが、実は「許可条件」は四列なのである。さらに三列どころか、デモ隊列は二列、一列にさえ押し込められていたのだ。また、「デモは交通の迷惑になる(から規制されて当たり前)」と言い放つ警官もいた。デモは車道を歩くものであり、それが交通に一定の支障を来すのはあたりまえのことである。そのことを前提にして、デモという表現の自由が尊重すべきものとされるのだ。法を遵守しなければならない警察官が言ってよいことではない。

「今回のデモ参加者で、警官に押されたりさわられたりしなかった人間はいなかったのではないか」という感想が聞かれたが、これは決して大げさな話ではない。

とりわけ今回ひどかったのが、警察によるデモの参加者に対する暴言や、侮蔑的な態度である。いつもであれば、デモ隊への妨害は同じであっても、口先だけは「詰めて下さい」「早く進んで下さい」と、表面上「笑顔」さえつくる。しかし、今回は「前に詰めろ!」「お前ら早く進め!」である。表面的な「ていねいさ」さえかなぐり捨て、その言葉つきにふさわしい態度と顔つきは一貫していた。若い機動隊員の中には、薄ら笑いを浮かべつつ、高齢の参加者を「はい、がんばろう!」と言いながら何度も押している奴もいた。実に許しがたいことだ。

こうしたことのすべてに、私たちは何度も抗議をしたが、責任者然とした警官は「デモの許可を出してやったのは警察なんだから、お前らは言うことを聞け」と公言した。デモは憲法に保障された思想・表現の自由、基本的人権に属するものである。公安条例自体が不当なものだが、東京都の場合デモは届け出制であって、基本的に受理しなければならないものなのである。たしかに「許可証」は警察署長の名前で出るが、実際に「許可」するのは東京都公安委員会である。「警察がデモを許可している」などというのは、二重三重に間違った寝言である。

私たちのデモは、高齢者や「障害者」も参加する、非暴力の市民のデモである。デモにたいして卑劣な暴力を繰り返す街宣右翼などを理由に、警察は陰に陽に、デモへの介入を目論んできた。しかし、今回はそのような右翼は登場しなかった。そのようなかたちでのデモ規制をすることを通して、警察がデモを徹頭徹尾規制していく訓練がなされたのではないかと疑う。今回、警備責任者は、実行委のデモ指揮者さえ無視して、デモ全体を警察の統制の下に進行させようとしたのだ。これは、いつものデモとも、大きく異なるやり方である。おそらく下部の機動隊員は、ただこのデモを急がせろ、規制しろという命令だけを受けて、それを「忠実」に履行するよう徹底されていたのではないか。多くの批判があるように、憲法を蹂躙して恥じない現在の安倍政権の強権的な姿勢が、政権に批判的な言論・表現は規制されて当然という心性を、警察官たちにも与え続けているのではないのか。

今回の警備がこのようなものであり、私たちがそのターゲットとされたことのほんとうの理由は、知るところではない。しかしはっきり言えることは、今回のデモ規制が、われわれの権利としてある表現行為を妨害し、われわれが、われわれのペースとスタイルで街頭の人びとに対して訴えていく権利を侵害したということである。いま、全国各地で、さまざまにおきている街頭での人びとの抵抗や自己表現が、警察権力による不当な介入や弾圧の対象となり、それにともなう人権侵害も目立っている。そこに見られるのは、法を恣意的に運用し、人びとの行動に分断線を引く権力の無法である。

繰り返すが、デモの主体はデモの参加者であり、表現の権利と自由を一片の行政権力が侵すことは許されない。警視庁、機動隊、私服・公安、そして今回のデモに係わった所轄の警備警察官に対して強く抗議し、二度とこのような不当な規制をおこなわないことを強く訴える。

2016年3月22日

安倍戦争国家と天皇制を問う2・11反「紀元節」行動

2016.2.11行動【集会基調】安倍戦争国家と天皇制を問う2・11反「紀元節」行動集会基調

1 2・11と右派の動向

日本会議と神社本庁を中心とする右派勢力は、今年もまたこの二月一一日、各地で式典や行動を繰り広げている。

発足直後の「明治」政府は、それまでに積み上げられた史実に対抗して天皇を中心とする新国家の「正統性」を創作するため、記紀神話が歴史的事実であるかのごとき解釈を編み出した。二月一一日を「紀元節」としたこと自体も、諸外国の制度の模倣として、暦計算のつじつま合わせで設けられたものであり、神武に始まる神代「天皇」の存在も含めて、誰もが知るようになんの根拠もない。この「紀元節」は、戦後改革の中で一九四八年に一度は廃されながらも、日本政府は多くの反対を押し切り、これを一九六六年に「建国記念の日」として新たに制定したものなのだ。

そしてその後も日本国家は、天皇制を強化する目的で、祝日法の改定ばかりでなく「元号法」「国旗・国歌法」などを次々と制定してきた。これらの法律は、制定当初にはこれを強制するものではないとしながら、すぐさま天皇制や国家に対する服属を示す重要な儀礼や制度として、公務員や学校にはじまり、社会の成員全体に向けて強要され続けてきたのである。

昨年の戦争法をめぐる闘いは、大きな政府批判のうねりを作った。しかし、「クーデター的」とも批判された、立憲主義を踏みにじる強行突破によって、その法制化に成功したのち、安倍らの自公政権は、議会における圧倒的多数を背景に、さらに明文改憲へと突き進んでいる。こうした政府の意向をうけて、右派勢力は、自民党の改憲案を実現するための動きを、あらゆる方面からさらに活発化させている。

日本会議は、神社本庁などをはじめとする多数の宗教団体を中心とする右翼・保守主義の団体だが、自民党など右派政党の国会・地方議員の多数も加わり、強大化してきた。これまでにも日本会議は、「国旗・国歌法」や、教育基本法改悪、教科・教科書改変、愛国主義教育をはじめとする教育の国家主義的再編などで、その組織する「国民運動」を展開してきた。さらに、その「家族=国家」観に基づく男女平等政策の圧殺、外国人政策、天皇や政府閣僚らの靖国公式参拝に向けた政治的圧力と宣伝など、いまや安倍らの政府をイデオロギー面においてもバックアップし、まさに領導するほどの巨大な存在となっているのだ。

一昨年一〇月、これらの右派を中心として「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が設立され、一千万人を目標とする署名活動が開始されている。今年一月からは、天皇の元首化、憲法九条の改憲や「国家緊急事態」の制定をはじめとして、自民党改憲草案を丸ごと実現する趣旨で、全国の神社において改憲署名を開始している。

天皇制と「国体」イデオロギーに基づく大日本帝国を否定し、「国民主権」とさまざまな基本的人権の確立、「政教分離」などの重要な政治理念が、この七〇年間に実現されてきたはずだった。しかし、国家や民間経済の破綻と脆弱化をきっかけに、こうした成果の多くを投げうち、政治権力の強大な支配に差し出し、国家による監視体制と情報の管理に自らひれ伏していく傾向が社会全体を満たしつつある。

今年予定されている国政選挙は、その結果によっては、まちがいなく軍や警察、民間右翼による暴力支配と、自治体、企業や学校、メディアを通じた新たな翼賛体制とを形成していくものとなるだろう。私たちは、こうした目前の危機的な現実に向き合い、対決していかなければならない。

2 天皇のフィリピン訪問と安倍政権

一月二六日から三〇日までの五日間、天皇・皇后夫妻は「国交正常化六〇周年」にあたっての「友好親善訪問」の名の下に、「国賓」としてフィリピンを訪問した。

出発にあたり天皇は、羽田空港で「先の戦争において、フィリピン人、米国人、日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては、膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き、この度の訪問を果たしていきたいと思っています。旅の終わりには、ルソン島東部のカリラヤの地で、フィリピン各地で戦没した私どもの同胞の霊を弔う碑に詣でます」と述べた。実際、二七日には歓迎式典のあと「無名戦士の墓」を訪れ、日本政府が建立した「比島戦没者の碑」に出向いたのは二九日だった。

われわれは、この「順序」に、なんとしてもフィリピンにおける日本の戦争責任の追及を「終わり」にしようという、日本のきわめて政治的な意図を見なければならない。

侵略戦争の結果、アジア太平洋戦争を通じてフィリピンではきわめて大量の死者が生み出された。圧倒的多数の民間人を含む、フィリピンの死者は一一一万人にのぼる(日本人死者も、地域別では最多の約五一万八〇〇〇人だ。兵士の多くが餓死であるという)。そういう歴史ゆえに、フィリピンは「反日感情」の強い地域であると言われてきた。明仁天皇は、皇太子時代の一九六二年にも美智子とともにフィリピンを訪問している。日本が軍政をしいたインドネシア訪問に続くものである。この時期日本資本主義は、アジアへの戦後「賠償」の名の下に、借款やODA供与による資本投下を行い、アジア再進出の足がかりとしていた。そのためにも、過去の戦争を「水に流す」セレモニーが必要であったのだ。

二七日には、マニラの大統領府近くで、元日本軍「慰安婦」の女性たちが、日本政府が事実を認めて謝罪し補償することを求めて集会を行った。抗議のプラカードには「日米のアジア太平洋軍事同盟に反対」という文言もあった。マスコミは、今回の天皇のフィリピン訪問が、戦争の死者を悼み、平和を祈る、あくまで友好親善のためのものと描き出している。しかし中国の大国化や南シナ海の海洋進出、「領土問題」などをめぐって、この地域が日米同盟においても重要な戦略拠点となっている現在、今回の天皇がフィリピンを訪れることの政治的な意味合いは、きわめて露骨なものである。日本が新たな戦争に乗り出していこうというとき、まずかつての戦争を「反省」し「平和」を求めているポーズを示すことが、不可欠の課題となっているからだ。

私たちがこの間直面してきたのは、暴走する安倍「壊憲」政権に対して、「護憲・リベラル」なアキヒト天皇制を対置し、後者を賛美し期待すらする言説の広がりであった。「安倍談話」にたいして、それに対抗的な「天皇談話」が出され、それが安倍政治への痛撃になるのだ、という観測も流れた。実際は天皇は全国戦没者追悼式において「先の大戦に対する深い反省」ということばを盛り込んだにすぎないが、それが、安倍談話より踏み込んだ内容であるとして、メディアなどで持ち上げられた。安倍をたたくために天皇の権威に頼ること自体、民主主義とはほど遠い心性であるが、何よりも天皇制は国家の一つの機関であり、天皇の「おことば」とは国家のことばであることが、繰り返し強調されなければならないだろう。憲法上の地位と歴史的にもつその権威をもって、ときの政権に正統性を与え権威づける儀礼的な側面こそが、天皇の政治的な仕事である。

確かに、象徴天皇制を柱とする戦後秩序に立脚しようとするかにみえる天皇の言動と、安倍個人のイデオロギーとの間に、事実として齟齬はあるかもしれない。けれども、そうであったとしても、それは全体としての政治のなかで調整され、結果としてそれぞれに役割を果たすものだと考えられなければならない。天皇が個人として、安倍を嫌っているかどうかということは関係ないのだ。

このことは、安倍個人の右翼的な政治的資質が、現実の政治において貫徹できていないこととも同質である。安倍靖国参拝への「失望」や、「慰安婦問題日韓合意」への「圧力」に見られるように、日本において右翼主義が全面化することへのアメリカの強い警戒と批判が存在している。対中国をにらんだアメリカのアジア戦略を円滑に進める上で、日韓の対立は得策ではない。「慰安婦」をなかったことにしたい安倍の歴史観は受け入れられるものではない。

だが同時に、グローバル化時代において、新自由主義と新国家主義を強化してきた八〇年代以降の日本の政治過程において、「私が責任者」「私が決める」という独善的な安倍政権の強権性が、時代の要請として登場したことの意味もとらえられなければならない。

ファシズムをも思わせる安倍政権の憲法破壊、政治的な暴走ぶりが、安倍個人のキャラクターに支えられていると同時に、こうした政治が全面化している歴史的段階性をふまえつつ、同じ時代性によって規定されている象徴天皇制の現在もまたあるということを、見すえていかなければならないのだ。

安倍戦争国家と象徴天皇制とを共に問う行動を続けていくなかで、これらの課題を果たしていこう。

3 国家の軍事化と社会の軍事化

欧米諸国は「イスラム国(IS)」による「フランス同時多発テロ」などによって「イスラム国(IS)」と戦争状態に入り、「9・11」以降の終わりなき「対テロ戦争」は世界戦争へ突入した。世界は第二次世界大戦以降の米国を中心とする支配秩序が崩壊しつつある。

米政府は中国の南沙諸島の軍事拠点化や朝鮮民主主義人民共和国の「水爆実験」を理由に戦略爆撃機や空母を派遣し、東アジアに介入して軍事的緊張を高めており、安倍政権は、米国の戦争挑発を支持し、日本独自の制裁も準備して戦争挑発をしている。

第一次安倍政権は、教育基本法改悪、防衛庁・省昇格法、国民投票法などを成立させ、戦争国家の基礎をかため、昨年全国の戦争法案反対の声を踏みにじって派兵恒久法(「国際平和支援法」)と一〇本の戦争法を一つにした「平和安全法制整備法」を強行成立させた。今年三月にも戦争法を施行すれば自衛隊はいつでもどこでも派遣でき米軍と共に戦争することができるようになる。さらに夏の衆参同時選挙を画策し、戦争国家の完成として「緊急事態条項」新設など改憲にむけた動きを加速させようとしている。

安倍政権の「戦争する国」への大転換は、戦争法制や沖縄の米軍・自衛隊基地の強化に止まらない。岩国基地や横田基地など在日米軍基地の強化と木更津駐屯地など自衛隊基地の飛躍的強化が図られ、2016年度の防衛予算は昨年の一・五倍、五兆円を超えた。「思いやり予算」の増額や辺野古の基地建設費用と自衛隊の武器購入のためである。

戦争国家化は、戦争法や軍隊、武器の強化・拡大に止まらず、社会の軍事化も急速にすすめられている。

安倍政権下、ますます新自由主義グローバリズムを推しすすめ、労働法制改悪など労働者の権利と生活は破壊され、増税など民衆への収奪を強め、社会保障を解体し、税金は軍事費と大企業の減税など優遇措置に振り向けている。

二〇一四年に武器輸出三原則を「防衛装備移転三原則」に変えて、武器輸出を全面的に解禁した。その結果日本社会の軍事化は急速に進んだ。三菱重工、東芝、日立製作所など最大手の軍需企業は、原発製造メーカーでもある。ミサイル部品を米国へ輸出したり、英国と兵器の共同研究など既に始まっている。そして昨年一〇月、各自衛隊が個別に担ってきた武器の開発、購入、輸出を一元的に管理する防衛装備庁を発足させ、さらに武器輸出の拡大を図っている。経団連は、武器輸出を「国家戦略として推進すべきだ」と提言し、日本独占資本は安倍政権と一体化して「死の商人」への道をつき進んでいる。

その流れは大学にも及んでいる。防衛省と大学の連携も進み、軍事技術として応用できる基礎研究の公募に、少なくとも一六大学が応じた。公然と軍事研究に手を染め、産官学の共同体制も進んでいる。

昨年二月「ODA(政府開発援助)大綱」を「開発協力大綱」に変え、他国軍への支援を「非軍事」を名目に解禁し、すでに巡視船供与を開始している。

戦争する「国民」への転換の重要な柱として教育への国家の関与が強まり、「日の丸・君が代」を拒否する教育労働者への処分攻撃は言うに及ばず、武道の導入や道徳の教科への格上げがすすめられ、愛国心教育など天皇主義・国家主義教育が強まっている。

安倍政権下、与党自民党が在京テレビ各局に「選挙時期に一層の公平中立な報道」を求める文書を送ったことに見られるようにマスコミに対する圧力は強まり、翼賛報道がすすめられている。

日米の戦争体制の重要な基地として、安倍政権は辺野古新基地建設を推進している。そのために法律を捻じ曲げ、勝手な解釈で悪用し、地方自治も踏みにじり、海上保安庁と警視庁機動隊投入など国家権力を総動員してなり振りかまわない攻撃をかけ、オール沖縄の島ぐるみの反基地闘争を解体せんとしている。

沖縄の日米による軍事基地化をもたらしたのは、天皇制国家の敗戦過程と関わっている。天皇ヒロヒトによる天皇制護持のために敗戦が必至という「近衛上奏文」を「もう一度戦果をあげてから」と一蹴し、凄惨な沖縄戦、原爆被害をもたらした。その上敗戦後に、自らと天皇制の延命のために沖縄を米軍に差し出し、日米安保をもたらしたのだ。戦後の天皇制国家と天皇ヒロヒトが準備した象徴天皇制と日米安保破棄の闘いが重要である。

さいごに

以上のように、安倍政権は法整備をはじめ、教育、産業、科学技術、財界といった、国家機構全体の軍事化をはかり、眼前の課題としての川内に次ぐ高浜原発の再稼働を押し切り、再稼働ラッシュを目論んでいる。福島原発事故の原因究明もないまま、事故の責任は国も東電もとらずじまいで、被害者へのまともな保障もなく、今後の事故対応の保障もないままの再稼働である。また、国際的には軍事協力、武器輸出、原発輸出の進行をスピードアップさせつつ、戦争法の具体的な運用としての派兵が進められるだろう。この政策の下では、人びとの生存権・人権は世界規模でさらに切り捨てられていくことはあきらかである。

一方、天皇とその一族は平和と護憲の看板を掲げつつも、この安倍政権の政策を承認させていく象徴天皇としての役割、安倍政権に対立的な言動をできるだけ小さく押しとどめるというその役割を、今後も担い続けるしかない。その役割はさらに大きなものになっていくであろう。国内における「巡行」と「皇室外交」のあらゆる局面でそれは展開され、護憲・平和天皇の空疎な言動は、これまでがそうであったように、安倍政権と対立的な構造で演出されるかもしれない。しかしそれは、社会的な対立、安倍政権への批判や抗議の声をかき消す役割を果たすためのものでしかない。天皇とその一族の言動を、私たちは今後も注意深く監視し、安倍の政策ともども批判し抗議の声をあげていきたい。

今年の大きな天皇行事は天皇・皇后のフィリピン訪問に始まった。そして例年どおり、3・11の「東日本大震災五周年追悼式」、三大天皇行事である「67回全国植樹祭(6/5、長野)」、「36回全国豊かな海づくり大会(9/10・11、山形)」、「71回国民体育大会(10/1〜11、岩手)」があり、例年の8・15「全国戦没者追悼式」がある。戦争法が制定され、新たな戦死者が想定される現在、新しい国家による戦死者追悼の形が模索されているのは間違いなく、その死を遺族と社会が受け入れていく装置としての儀礼空間が天皇を使って作りだされるだろう。問題は安倍たちの歴史認識だけではすまない時代にすでに入っているのだ。また、五月二六日・二七日には、伊勢志摩サミットが開催され、集まる各国要人との「皇室外交」も予想される。

天皇は政治利用されるために存在している。政策を円滑に進めるための「非政治的・権威的」存在として機能していることを、私たちは何度でも主張したい。そして、政策によって切り捨てられる側にある私たちはともに、政策を遂行する政権と、政権と一体のものとしてある天皇制に、NOの声をあげていくしかない。

私たちは今日、天皇制反対、「紀元節」反対の声を上げるために仲間とともにデモに出発する。右翼と警察の挑発・弾圧に負けず、歩きとおそう!

天皇神話の建国記念日はいらない! 戦争反対! 天皇のフィリピン訪問に抗議する! 声をあげよう!

二〇一六年二月一一日

2016.2.11行動【連帯アピール】第50回なくせ!建国記念の日・許すな!靖国国営化 2・11東京集会に参加された皆さんへ

第50回なくせ!建国記念の日・許すな!靖国国営化 2・11東京集会に参加された皆さん

今年、私たちは「安倍戦争国家と天皇制を問う」というテーマで、渋谷で集会とデモに取り組んでいます。

先日、天皇はフィリピンを訪問し、戦争の「死者」の「慰霊」儀式をおこないました。現地では、戦争責任を追及する、元「日本軍慰安婦」の女性たちの抗議デモもありました。100万人を超える多くの現地の人々を死に追いやった日本の戦争責任が、天皇の訪問で解消されることなどありえません。いうまでもなくフィリピンは、日米同盟の下での対中国戦略において、きわめて重要な位置をしめるものであり、そのフィリピンとの「友好親善」の強化は、新しい戦争へとつきすすむ安倍政権の戦争政策の一環です。天皇は、全体としてのその政治の一翼を、過去の戦争を反省しているポーズを示す、日本国家の外交的な役割を担っています。私たちは、今年もこういった天皇制の役割と、安倍政権の戦争政策との関係を、問い続けていきたいと考えています。

今日も皆さんが、同じ東京で、「紀元節」と安倍政権の政治に反対の声を上げ、集会とデモに取り組んでおられます。その皆さんと連帯アピールの交換ができることに、強い励ましを与えていただいています。ともに連帯して街頭で声をあげていきましょう。

2016年2月11日
安倍戦争国家と天皇制を問う 2.11反「紀元節」行動参加者一同

2015.8.15行動【アピール】8・15反「靖国」行動アピール   

敗戦七〇年の夏、私たちは今年も靖国神社に向うデモに出発する。

一九四五年八月一五日は戦争が終わった日ではない。ポツダム宣言受諾は八月一四日であり、降伏文書への調印は九月二日だ。八月一五日は天皇のラジオ放送がなされた日でしかない。これが「終戦記念日」とされるのは、昭和天皇のいわゆる「聖断」によって戦争が終わり、「国民の命が救われた」という歴史意識を、人々の間に刷り込むためにほかならない。

しかし、昭和天皇こそ、アジアの二〇〇〇万人以上の人々を殺し、日本軍軍人軍属二三〇万人を含む三一〇万人以上の死者を生み出したこの戦争の最高責任者だ。昭和天皇は、一九四五年二月、すでに敗戦は必至であったにもかかわらず、重臣による戦争終結の進言を「もう一度戦果を挙げてから」と言って拒否し、その後東京など各地の空襲、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下を招いた。東京大空襲・沖縄・広島・長崎だけでも、その死者は四八万六〇〇〇人(行政機関発表の数字)にものぼる。民間人の死者の多くが、この時期に死んでいるのだ。最後まで天皇制国家の維持を最優先にして、戦争終結を引き伸ばし続け、国内外の命を奪い続けてきたのが昭和天皇である。戦後の日本国家が、こうした天皇の戦争責任の否認から始まっていることを、私たちは何度でも確認しよう。

靖国神社は天皇のための神社であり続けている。それは、たんなる一宗教法人などではない。天皇の戦争のための死者を「英霊」として祀り、称え続けている戦争のための施設である。戦前は陸海軍によって祭事が執り行われ、戦後もたびたび天皇や首相が参拝し、厚生省から戦没者名簿の提供を受けるなどの便宜を得るなど、国家と深い結びつきを持ち続けてきた。そこに祭神として祭られている者の圧倒的多数は、アジアへの侵略戦争に狩り出され、加害者にされた結果、「殺し殺された」被害者である。そこには、植民地支配の結果日本軍人とされた、朝鮮人・台湾人の死者も含まれている。これらの被害者を「神」として祭り上げ、国のための死を賛美する道具とすることこそ、一貫したこの神社の役割である。

昨日発表された安倍七〇年談話において、日本が引き起こした侵略戦争と、それにいたる植民地支配が、どのように語られるかが注目された。おそらく安倍が、それにふれないですませたかっただろう「村山談話」のキーワード─「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「お詫び」という言葉─は、文字のうえではすべて入った。そこには政治的な駆け引きがあったに違いない。だが出てきたそれは、日本がそれらの行為の主体であり責任の主体であることを回避ないし限りなくぼかし、日本の近代史に居直るロジックに満ちた代物である。「侵略」はたった一カ所、「事変」や「戦争」という言葉と並んで、国際紛争を解決する手段としては二度と用いてはならないという一般論として語られているだけだ。「植民地支配」も、朝鮮や台湾の植民地支配にふれないばかりか、一九世紀の国際社会においては一般的にあったことで、日本はむしろ植民地化の危機をはねのけて独立を守り抜いた、朝鮮半島支配をめぐる帝国主義間戦争にほかならない日露戦争における日本の勝利が、植民地支配にあった人々を力づけたとまで言うのだ。満州事変以後、日本が道を誤ったというが、それも世界恐慌や欧米諸国主導のブロック化によって強いられてそうなったというような口ぶりである。こういう手前勝手な歴史観にもとづいて「反省」や「謝罪」など決してできないが、事実、安倍は「反省」も「謝罪」もしていない。ただ、「我が国は繰り返し痛切な反省と心からのお詫びをしてきました」と述べているだけだ。しかし問題は、これまで政治家たちがたんに言葉の上だけで「反省」や「お詫び」を語り、被害当事者たちへの日本国家による謝罪と補償を一貫して拒否し続けてきたことが批判されているということであり、そのことを忘れてはならない。さらに被害を受けた国々の「寛容」を謳い、「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」というのである。これは、すでにさんざん謝罪の意を示してきたのに、いつまで謝れというのかという、右派の論理をソフトに言い換えただけのことだ。

「戦場の陰に、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいた」とか、「我が国が与えた」苦痛と一方で認めながら、「歴史とは実に取りかえしのつかない、苛烈なもの」「今なお言葉を失い、断腸の念を禁じえない」などと、まるで第三者的な視点で言ってのける態度は許しがたい。そして、「これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります」という。

しかし、こうした論理は、国家による死者の追悼においてはおなじみのものである。本日九段で行なわれた天皇出席の「全国戦没者追悼式」は、靖国のように過去の戦争を公然と賛美することはしないが、戦争の死者が「戦後日本の平和の礎」となったとすることにおいて、「国のための死」を価値づける儀式である。とりわけ、そこに「国民統合の象徴」とされる天皇が出席することによって、それはまさしく「国民的」な儀式となるのである。この「平和のための死」は、過去の戦争の死をそのように解釈してみせるだけではない。安倍政権によって強行的に成立させられようとしている戦争法案は、新たな戦争の新たな死者を生みださざるを得ない。このとき、その死は必ず「平和のための死」として賛美されるだろう。国のための死は尊いということを、毎年国民的に確認するこの国家による追悼儀式に、私たちは反対していく。

なお、今年の全国戦没者追悼式における天皇の「お言葉」には、「さきの大戦に対する深い反省」「平和の存続を切望する国民の意識に支えられ」て戦後の平和が築かれたなどの文言が加えられた。これがおそらく、安倍談話のひどさと対比した天皇の平和主義として、様々な場で肯定的に語られることになるのだろう。しかし、そこで隠されているのは、その戦争を起こした天皇制国家の責任である。天皇の言葉ということで言えば、昭和天皇の「遺徳」を受け継ぐと言って天皇に即位した現天皇という立場を消去した、極めて欺瞞的なものである。

日本国家がなすべきことは、内外に多くの被害を与えた戦争について反省し、戦闘参加者を含むすべての戦争の死者に謝罪し、賠償を行うことだ。だが、戦後日本国家が行ってきたことは、まったく逆である。日本国家が行いつづけてきたことは、国家による戦争が生みだした死者を「尊い犠牲者」として賛美することだ。しかもその死の顕彰は、かつての帝国の序列に従って差別化される。高級軍人の遺族ほど手厚い軍人恩給制度がある一方で、空襲による被害者に対しては「受認論」によってなんの補償もなされないままだ。朝鮮人兵士は軍人恩給からも排除され、「慰安婦」とされた女性や強制労働を強いられた朝鮮人などに対しては、排外主義的な攻撃対象にさえされる。

戦後七〇年、侵略戦争責任・植民地支配責任を一貫してとらず、アメリカの戦争政策につき従ってきたのが戦後日本である。そしていま安倍政権は、「戦後レジームからの脱却」を掲げて、日米同盟の方向性は強化しながら、戦後に含まれていた「民主主義的価値」さえも一掃して、新自由主義と国家主義による戦争国家へと全面的に転換してきている。安倍談話も含めた、この政権の歴史認識総体が批判されなければならない。戦前・戦後の日本国家と天皇制の責任を問い、戦争法案の成立を阻止しよう。安倍政権の戦争政策と対決する闘いに合流し、戦争国家による死者の利用を許さないために、ともに抗議の声を上げよう!

二〇一五年八月一五日

2015.8.15行動【連帯アピール】第42回許すな!靖国国営化8.15集会に参加された皆さんへ

第42回 許すな!靖国国営化 8.15集会に参加された皆さん

 

今年も、この8月15日に、戦争と靖国に反対する行動をつづけておられる皆さんと、連帯の意志を交換できることを大変嬉しく感じています。

私たちは、今年は〈「戦後レジーム」の70年を問う!7・8月行動〉として、7月に日本の戦争責任問題に関する講演集会をおこない、8月には「ヒロシマ平和へのつどい」に参加してきました。安倍政権が推し進めている戦争法制が、新たな戦争における「殺し殺される」関係へと、自衛隊員や日本の民衆を駆り立てていくことは間違いありません。さらに14日に発表されようとしている「謝罪」なき「安倍談話」は、「未来志向」の名のもとに、過去の植民地支配・侵略戦争責任を消し去ろうというものです。そして新たな戦争と過去の戦争とを、肯定的につなげていくために、平和のための死=国のための死は尊いものであるとする「靖国の論理」が呼び出されてこざるを得ません。

私たちは、本日午後、靖国神社に向けてデモをおこないます。それぞれの場所から、ともに、戦争反対・靖国反対の声を上げていきましょう。

2015年8月15日
「戦後レジーム」の70年を問う!7・8月行動

2015.8.15行動【抗議文】警視庁神田警察署に所属する警察官の不当な対応についての苦情申し出書

反「靖国」行動は、8月12日、デモ申請時の警視庁神田署署員の不当な対応について以下の苦情申し出を、東京都公安委員会宛に出しました。

 

苦情申出書

2015年8月12日
東京都公安委員会御中

苦情申出人ら「8・15反『靖国』行動実行委員会」が、2015年8月11日に実施したデモ申請に対して、警視庁神田警察署に所属する警察官によって、不当な対応を受けたので、これについて、警察法第79条に基づき苦情申出を行う。

1、苦情申出人の氏名

8・15反『靖国』行動実行委員会
実行委員 事務局員 ○○○○
住所
電話

2、苦情申出の原因たる職務執行の日時、場所とその概要について

年月日:2015年8月11日
時間: 同日18時20分ころ

苦情申出人らは、2015年8月11日に警視庁神田警察署に赴き、東京都公安委員会に対して集団示威運動許可申請を提出した。
そのさい、苦情申出人らは、8月15日に予定している集団示威運動が安全にかつ円滑に行動できるようにという目的で、添付する要請書を持参し、神田警察署の当直担当者の面前において読み聞けを行なった。

ところが、その当直担当者は、その読み聞けの直後に、「これは受け取れない」「受け取るなと指示がある」と言い、苦情申出人らの面前で、その要請書をゴミ箱に投棄した。

さらに、苦情申出人らが、これに抗議し、当直担当者の氏名や役職、要請書に関わる指示命令の出所、根拠を尋ねても、これに答えず、無視した。

3、苦情申出の原因たる職務執行による申出人らの不利益と、これにかかわる警察職員の職務執行の問題点について

苦情申出人らは、上記に述べたように、8月15日に予定している行動が安全かつ円滑に進むようにという善意の目的を持って、当日の行動を所轄する神田警察署に対して、許可申請を行うと同時に、当日の警備に対する要請を行なったものである。

このような要請が、警察官の受け取るべき要請書の形式を満たさないものであるとしても、公務員として必要な行動は、まず、文書の形式、提出の形式について丁寧に案内を行なうことでなくてはならないはずである。

少なくとも、そうした説明もないまま、申出人らの面前で、文書を投棄したり破棄したりするという行為は、きわめて侮辱的なものであり、公務員による職務執行として適切なものであるとは、とうてい考えられない。

このように平然と侮辱的な行為を行い、恥じることのないような警察官らによって、警備行動がなされるということは、基本的人権を擁護するべき警察官の行動が、集団示威運動の場においてはもちろん、それ以外の局面においても、適切になされるかどうかについて大きな疑念を持たせるものである。

そのことは、警察全体に対する信頼にも関わることであり、軽視できない。

また、当該の警察官は、苦情申出人らがその氏名や役職を尋ねた際に、それを無視し、答えようとしなかった。また警察手帳の提示も行わなかった。

苦情申出人らは、当日、正規に警視庁警備部警備連絡係において作成した集団示威運動許可申請を持参しており、これを受け取ったのも当該の警察官である。

前述のように、この苦情申出書においては「警察官」と記述しているが、実際にその者が神田署に所属する警察官であるかどうかについて、申出人らは確認する手段を持つことができなかったというのが事実である。

このような状況では、真実の警察官が適切に職務を執行しているのであるのかどうかについて、申出人らは確信を持つことができない。

これもまた、警察全体に対する信頼を揺るがせかねないものであり、軽視されるべきではない。

警察は、直ちに正しい事実の調査を行ない、これに基づき、適切な手続きが十分な信頼関係の下で、実施されるようにするべきである。また、不適切な職務執行について謝罪を行なって、今後、そうした事態が二度と発生しないよう、警察の全職員に対して徹底させるべきである。

以上、苦情を申し出るものである。

 

添付資料
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2015年08月11日

警視庁警備部長 殿
警視庁神田警察署長 殿
警視庁麹町警察署長 殿

8・15反「靖国」行動実行委員会

私たち反「靖国」行動実行委員会は、8月15日、「『戦後レジーム』の70年を問う 8・15反『靖国』行動」を行うにあたり、これまでの実行委員会が主催したデモの経験を踏まえ、8月15日当日の貴職らによる警備について、申し入れます。

近年、右翼団体の排外主義的な政治活動が猖獗をきわめ、それとともに右翼暴力団の構成員らによって、集会やデモの参加者が直接的な暴力にさらされる事態も頻発しています。

このような現実に際して、警察により実施される警備は、集会やデモを憲法の理念に基づいて保障するものではありません。それどころか、右翼暴力団が参加者に対してほしいままの暴行をなすことや、轟音による妨害行為を行うことを勧めているに等しいものであり、およそ表現の自由を認める法治国家とは言えない事態です。

2013年および2014年8月15日の私たちの行動に対する警備は、大音量の騒音をまきちらす右翼の街宣車こそ遠ざけられたものの、多数の右翼団体構成員が私たちのデモ行動に並行してつきまとい、デモの参加者に対してたびたび暴行をふるい、参加者の持っていた横断幕やプラカードを強奪し破壊しました。また、私たちの宣伝カーに対しても暴行を繰り返しました。多数の右翼団体構成員が自由にデモコースの車道に入り込み、なおかつ、公安警察官がそれを抑止することを一切しないため、一車線と制限されたデモの隊列は著しく狭められ、これに加えて機動隊の左右からの厳しい規制により、集団行動による意思表示の目的を達することが極めて困難なものとなりました。

今年は、敗戦70年という歴史的な節目であるとともに、安倍政権が、ほぼすべての憲法学者や、歴代の内閣法制局長官、法曹関係者らがこぞって憲法違反を指摘する戦争法案を強行しようとしています。自公政権による国会での強行採決もあり、首相の70年談話などに国際的な懸念が高まったことも相まって、政府への批判が厳しくなり政権基盤がゆらいでいます。それに危機感を持つ極右団体も活性化し暴力性を強めています。

2011年8月には右翼団体構成員がデモ隊列に暴力を振るい抑止された現場から、その所持していたと思われるナイフが発見され、2014年4月には右翼がデモコースに隠していた木刀ようの武器を手にしたところで抑止されたという事態も発生しています。右翼暴力団の行動はきわめて危険な状況にありながら、にもかかわらず、公安警察官はそれを見て見ぬふりをしてほとんど規制しようとしません。

集会や集団示威行動においては、まずなによりも参加者の主体的な意志や表現が尊重されねばなりません。しかし、右翼や道路交通等を警備の名目としながら、警察による警備が、集会やデモに対してのみきわめて抑圧的に実施される状況が拡大しています。右翼団体のかきたてる騒音と警察官らの拡声器により、集会やデモの表現が圧殺されるような事態が頻発しています。

私たちはこのような事態を繰り返すことなく、思想・信条の自由、表現の自由という権利を街頭で安全に行使していくために、またそのことを前提に集まってくる参加者の安全を守るために、再度、貴職に対し、以下を強く要請します。

1.右翼のデモ参加者に対する威嚇・妨害行為に対して、警察は厳正に当たること
・右翼に実行委員会のいかなる情報も流さないこと。
・右翼の街宣車をデモコースに配置させないこと。
・右翼団体構成員によるデモ参加者へのつきまといや暴行をさせないこと。

2.集会会場付近での参加者の監視行動や、デモ時、デモ参加者の写真やビデオ撮影を行わないこと。
デモ隊前後の警察車両からビデオ撮影をしないこと。肖像権侵害は違法行為であるとの認識を周知徹底すること。

3.機動隊の指揮官車を、デモ宣伝カーの前につけないこと
デモを指揮するのは警察ではないという認識を周知徹底すること。指揮官車はデモを監視しているようにしか受け取れない。

4.デモ参加者への規制および大音量でデモの示威行為を妨害しないこと
早く歩くように指示したり、デモの後ろから押したりしないこと。不当に左右から挟み込んだり圧縮しないこと。また、大音量によるデモ行進の告知をしないこと。デモ行進は一目瞭然であって告知は不要であり、大音量のアナウンスはデモの示威行為を妨害している。

以上

2015.2.11行動【抗議文】2・11反「紀元節」行動での弾圧を許さない! 警視庁・原宿署に抗議します

 私たち「敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反『紀元節』行動」の集会とデモは、130名以上の参加を得て、天皇制と日本国家のあり方を批判する行動を行なうことができました。

 しかし今回の行動では、警察の極めて大規模な警備弾圧が実施され、デモが出発して間もなく、1名の参加者(以下Aさん)が不当逮捕されたのです。逮捕直後から弁護士が接見を試み、デモの終了後、逮捕を実施した原宿署に対する抗議行動を行ない、救援体制もつくり、差し入れも始めました。そして翌日の12日夕方、完全黙秘のまま、被弾圧当該を元気に取り戻すことができました。

 逮捕当日の夜、産経新聞は警察情報垂れ流しの記事を流しました。そこには「逮捕容疑は11日午後4時25分ごろ、東京都渋谷区神宮前の路上で、警戒にあたっていた50代の男性警部補の胸を肘で殴打するなどの暴行を加えたとしている。警部補にけがはなかった」などとあります。

 これは全く逆転した報道です。Aさんが暴行を加えた事実はありません。逆に、この警部補が一方的に暴行を加えた挙句に、Aさんを逮捕したのです。事実は以下の通りです。

 私たちのデモに対しては、日常的に警察のビデオ撮影が実施されています。さらに、機動隊による縦列規制もかけられ、それらによるデモの監視・規制は今回も厳しいものでした。実行委はデモ申請のたびに、思想・信条の自由、表現の自由という権利を、街頭で安全に行使していくために、またそのことを前提に集まってくる参加者の安全を守るために、警察に対して申し入れを行なっています。その一つに、警察による参加者への撮影による肖像権の侵害と威嚇に対する抗議もあります。

 それにもかかわらず、この日の警備においては、赤いチョッキを着た警察官が、ビデオ撮影する警察官とコンビで動きながら撮影を実施していました。彼らは、車道を進んでいるデモの隊列の中にまで割り入って、参加者を押しやりながら堂々と撮影を続けたのです。

 これに対して、Aさんとその周りにいたデモ参加者は、傍若無人の警察官に抗議しながらデモを歩いていました。

 Aさんたちの強い抗議で、ビデオ撮影をしていた警察官は、いったん歩道に上がりました。しかしもう一人の警官(警部補)は、そのままデモの隊列を歩き続けていました。「警察はデモに入ってくるな」という当然の抗議に逆ギレした警部補は、Aさんが手にしていたハンドスピーカーを手ではたき、その拍子に態勢を崩したAさんを転倒させました。その時、多くの公安警察が一斉にデモの隊列に乱入しました。「公務執行妨害」「あの女をとれ!」と指示がとび、Aさんは警官に囲まれて連行され、そのまま逮捕されてしまいました。それまでデモは何の混乱もなく、まったく突然のできごとでした。

 

  今回の逮捕は、この警部補のAさんに対する暴行を正当化するために、逆にありもしないAさんによる暴行をでっち上げようとしたとしか思えないものでした。警部補は大柄で屈強であり、Aさんは痩せ型の女性です。Aさんが一方的に暴行を加えられた様子は、多くの目撃者がいます。したがって警察の側も、今回の弾圧には強弁しうる正当性のかけらさえないことを、十分自覚せざるをえなかったのではないでしょうか。逮捕翌日の12日夕方には、Aさんを釈放せざるをえませんでした。

 釈放は勝ち取りましたが、Aさんは「被疑者在宅による任意捜査」に切り替えられた状態です。事後弾圧や、出頭攻撃など予断を許さない部分もありますが、今回の弾圧にたいしては、確かな反撃をかちとることができています。

 今回の反「紀元節」行動に対しては、事前に右翼団体から、私たちのデモに対する襲撃予告とも思われる文書が送りつけられ、警視庁は、会場周辺を含めた大規模な警備体制を実施していました。決して私たちの本意ではありませんが、反天皇制運動のデモは、ここ数年、今回同様に右翼団体からの暴力的な攻撃や挑発、「右翼対策」を口実とした警察のデモ隊に対する過剰な規制をともなう警備態勢、ひたすら混乱を作り出す公安警察の動きなどが絡まりあって、錯綜しながら、きわめて異様かつ抑圧的な状態の中に置かれている現実があります。また、天皇制に批判的な人々に対して、公安警察による尾行やつきまといなどの人権侵害もおきています。天皇制批判という表現の自由がおかされること、警察による具体的な人権侵害にたいして、ひとつひとつ抗議の声を上げていかなくてはならないと考えます。

 敗戦70年の今年は、さまざまな行動が多くの人びとにより準備されています。その中で、今回のような弾圧は、誰に対しても実施されうるものであり、事実至るところで現実化していることです。
 

 すべてのみなさんに、今後も、熱く堅いつながりをともにつくりあげていくことを呼びかけます。

2015.2.11行動【抗議文】産経新聞の報道に抗議する

*反「紀元節」行動では、2.11デモの逮捕弾圧に関して報じた産経新聞の記事内容に抗議し、以下の文章を送りました。

 

産經新聞社東京本社編集局長 殿

私たち「敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反『紀元節』行動」は、2月11日午後、東京・原宿において集会を行い、その後のデモ行進を主催した団体です。この日警視庁は、繰り返しデモに対する不当な規制と挑発を繰り返し、それに抗議した参加者1名を、不当逮捕しました。

この件について、貴社は「『天皇制反対』デモ中、警察官に暴行 氏名不詳の女逮捕」と題して、当日の21時33分に記事を配信し、同記事は翌日付朝刊にも掲載されました。

私たちは、この事件を報じた貴社の姿勢に、看過しがたいものを感じ、以下の抗議内容を申し入れます。

記事は、「天皇制反対などを訴えるデモを警備していた警察官に暴行したとして、警視庁公安部は11日、公務執行妨害の現行犯で、氏名不詳の女を逮捕した。……東京都渋谷区神宮前の路上で、警戒にあたっていた50代の男性警部補の胸を肘で殴打するなどの暴行を加えたとしている。警部補にけがはなかった」としています。これは、警察発表を垂れ流しにしただけの記事にすぎません。この女性が暴行を加えた事実はありません。逆に、この警部補が一方的に暴行を加えて逮捕したのです。女性は、デモ隊のなかに入って違法な写真撮影などを公然と行っていたこの警部補らに対して、口頭で抗議をしていました。デモの隊列自体は混乱もなく進んでいたのです。抗議に逆上していた警部補がいきなり女性を転倒させ、「公妨」と叫び、これに呼応した警官隊が一斉にデモの隊列に襲いかかったのが事実です。そのことは、多くの目撃者も映像記録もあります。

警察の側にとっても今回の逮捕の不当性は、まったくの不手際であり、なんら言い逃れできないものと自覚していたと思われます。勾留請求はおろか、身柄を検察庁に送致することさえできずに、逮捕翌日の12日夕方に、Aさんを釈放せざるをえませんでした。

これは、あきらかに権力による不当な行為であり、人権侵害です。しかるに貴紙は、ただ警察発表を一方的に垂れ流し、記事を配信しました。マスコミの社会的役割は、言論・表現の自由を擁護する立場にたち、権力者の暴走を監視することにあると思いますが、百歩譲っても、当事者双方の言い分を取材して記事にするくらいのことが、なぜできないのですか。今回の記事は、警察のでっち上げ発表をそのまま垂れ流すことによって、被逮捕者への人権侵害を拡大するものでしかありません。

以上、同様の案件がけっして繰り返されないよう、強く猛省を求めます。

2015年2月23日

敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反「紀元節」行動