2016.4.28-29行動【宣言】安倍政権下の日米安保体制と天皇制 4・28-29連続行動集会宣言  

一九五二年四月二八日の、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約の発効によって日本国家は、冷戦体制におけるアメリカの軍事的・政治的ヘゲモニーのもとに、自国の「国益」追求をはかる「戦後」のスタートを切った。それは、日米同盟関係を基軸とし、アジア・太平洋の植民地・被侵略国民衆に対してとるべき戦争・戦後責任を回避し、アメリカの世界戦略・戦争政策に加担する道であった。それはまた、戦後沖縄を「本土」から切り離し、沖縄戦以後続いていた米軍による沖縄への軍事支配を承認することと一体のものであった。まさしくそれは、「対米従属的日米関係の矛盾を沖縄にしわ寄せすることによって、日米関係(日米同盟)を安定させる仕組み」としてある「構造的沖縄差別」(新崎盛暉)であり、さらに「琉球処分」以降の近代天皇制国家による沖縄に対する、植民地主義的支配の戦後的再編であり、継続であったということを、われわれは忘れてはならない。

「本土」から分離された沖縄は、「銃剣とブルドーザー」によって、米軍が自由に使用できる基地の島とされた。「復帰」という名の日本への沖縄再統合に至る過程で、「本土」の基地も沖縄に集中され、そのもとで日本は、朝鮮戦争やベトナム戦争、そして現在アメリカが推し進めている「対テロ戦争」までの戦争支援・協力を続けることになった。そしていま、戦争法制の施行=「集団的自衛権」解禁によって、沖縄の中国・朝鮮を始めとするアジアに対する前線基地としての役割が、ますます強められようとしている。政府は「中国脅威論」を煽りながら、「南西諸島」への自衛隊配備計画を進め、この三月には与那国島に陸上自衛隊が配備された。今後も奄美や宮古、石垣などにそれぞれ五〇〇〜八〇〇人規模の警備部隊とミサイル部隊を配備する計画である。沖縄の島々を、再び日本軍の要塞にしてはならない。

こうした状況に対して、沖縄の人びとは粘り強い抗議の声をあげ続けてきた。普天間基地の閉鎖、オスプレイ撤去、新たな基地を作らせないという長期にわたる沖縄の島ぐるみの闘いは、「辺野古が唯一の解決策」と言い続ける安倍政権の強硬姿勢を、「和解」工作に転じさせるほどの力を持って持続されている。二〇一三年には、四月二八日を「占領からの脱却=国際社会への復帰の日」として天皇出席の国家式典で祝った安倍政権に対して、この日は沖縄にとっては「屈辱の日」であるという強い批判の声も上げられた。沖縄戦や米軍占領を含む、沖縄と日本をめぐる歴史総体に埋め込まれた体験にもとづく、沖縄の人びとの怒りの噴出があるのだ。

明日四月二九日は、天皇制の延命のために敗戦を遅らせ、その結果悲惨な沖縄戦を招いたばかりか、戦後における「構造的沖縄差別」の成立に対しても大きな役割を果たした昭和天皇を賛美する、「昭和の日」である。

昭和天皇は、沖縄への米軍の長期の駐留を「希望」した「天皇メッセージ」を発し、また当時の吉田政権の頭越しに、日米安保締結を推進した。昭和天皇を含む戦後日本の支配層は、アメリカ・ヘゲモニーの下でつくられた戦後体制に大きな責任を負っている。そして戦後再編された象徴天皇制という国家制度は、この戦後体制の重要な構成要素を成すものとして、明仁天皇への代替わりを経て、今なおその独自の役割を果たし続けているのである。

こうした「戦後」総体のあり方に対して、そしてそれを、日米同盟のもとで戦争する国家の具体化の方向で再編強化されつつあるこの政治状況に対して、「ヤマト」の地において安保体制の強化と沖縄の前線基地化を許さない運動を作りだすことが、われわれに対しても要求され続けているのだ。われわれは、戦争法制による集団的自衛権の拡大という状況において進む、安倍政権による社会の全面的な軍事化、「緊急事態条項」などを前面に押し出しての改憲攻撃との対決を掲げて、さまざまな運動と連帯していくなかで、本日の集会と明日の集会・デモに取り組み、この課題を持続的に追求していくことをここに宣言する。

二〇一六年四月二八日
安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う 4・28-4・29連続行動