「報告」カテゴリーアーカイブ

【報告】YouTube問題について(2015.8.15行動)

昨年(二〇一五年)、8・15デモ出発前に行ったアピール交換のための集会の模様が、会場に紛れ込んだ何者かによって、「潜入スパイ映像」というタイトルでYouTubeに流されるという事態が起こりました。発言者や実行委メンバーの発言内容や顔が明確に分かる動画です。実行委は「撮影希望者は実行委に許可を取る、写真や動画をインターネット上に流さない」という条件を何度も伝えていましたが、動画はそのタイトルにあるとおり、「潜入」という形で撮られたものです。実行委はすぐに動画削除のために動いたのですが、なかなかの悪戦苦闘で、やっと今年の春、削除に成功しましたが、残念なことに現在、別のアカウントで同じ動画がアップされています。再度、削除を試みますが、発言者のみなさま、大変申し訳ありませんでした。

実行委は現在、このような事態をつくり出さないために、会場内での撮影は実行委とその関係者のみということに限定することで、対応しています。ご容赦ください。

2016.8.15行動【報告】「天皇代替わり」過程の開始の中で、7・30前段集会と8・15当日のデモに取り組む

今回の靖国と天皇制を問う実行委員会の行動は、「『聖断神話』と『原爆神話』を撃つ 8・15反『靖国』行動」としてなされました。

伊勢志摩サミットに引き続くかたちでなされたオバマ米大統領の広島訪問では、アメリカによる原爆使用の謝罪は表明されないで、一般的な「核廃絶」メッセージがなされるにとどまったのみならず、戦争において核兵器が使用され、これが批判され続けているにもかかわらず、その後の日米の軍事同盟が盤石なものである、ということこそが強調されたのです。裕仁の決断で戦争が終了したという虚構と、原爆によってこそ戦争を終了させることができたという虚構は、日米それぞれが戦後体制を築く端緒としての歴史の偽造であり、今回の行動ではこれを問題として提起していきました。

実行委の行動としては、七月三〇日に前段討論集会を持ち、八月一五日に当日行動を行なうという組み合わせで進められました。その過程で、明仁天皇じしんが「生前退位」を希望するという、天皇自身によって領導される「天皇制の代替わり」過程が開始され、同時に、与党政権が参院選を経て議会における圧倒的多数を確保したことで、憲法改悪もまた具体的な危機となっています。私たち実行委の行動は、そうした面からも、より重要な意味を持つものとなりました。

七月三〇日の討論集会では、講師として、千本秀樹さん(日本近現代史研究)から、「『聖断』のウソ─天皇制の戦争責任を問う」と題した問題提起を受けました。

昭和天皇裕仁の終焉が近づいた時期になって、「昭和天皇は平和主義者であった」という捏造がメディアに広く流通し始めました。それまで主体的・能動的に政治と戦争を指導してきた裕仁は、悲惨なアジア太平洋戦争における日本の敗戦が蔽いようもなく明らかな最終期になって、その側近たちとともに、天皇制を戦後に生きのびさせるための大掛かりな工作を開始しました。それは、連合国なかでもアメリカの戦後構想に、天皇制国家日本をビルトインさせるものでした。天皇の「聖断」により戦争が終結し「一億総懺悔」するという虚構とともに、国家の犯罪を明らかにする多くの事実や資料は隠滅されました。戦争責任を一つひとつ具体的に問うことが、戦後における民主主義の出発点になるはずでしたが、それらはすべて現在に至るまで未決のままとされています。明仁天皇は、こうした問題をすべて伏せ続けながら、天皇制の延命と天皇制国家の改変プロセスを新たに起動させようとしているのです。講演に引き続き、「沖縄一坪反戦地主会・関東ブロック」、「平和の灯を! ヤスクニの闇へ キャンドル行動実行委員会」、「再稼動阻止全国ネットワーク」から、集会への連帯アピールがなされ、「8・6ヒロシマ平和へのつどい二〇一六実行委」からの連帯アピールが紹介され、今回の8・15行動へのよびかけが参加者全体で確認されました。

八月一五日の行動では、まず在日本韓国YMCAにおいて、前段集会が行われました。今回の行動に参加した「No Welcome !  Tokyo Olympic Games 実行委員会」、「米軍・自衛隊参加の東京都総合防災訓練に反対する荒川・墨田・山谷&足立実行委」、「天皇出席の山形『海づくり大会』反対実行委」、「福島原発事故緊急会議」、「警視庁機動隊は沖縄・高江に行くな! 緊急抗議行動」、「Stop ! 辺野古埋め立てキャンペーン」、「辺野古の闘いを全国へ 辺野古リレー」、「有事立法・治安弾圧を許すな! 北部実行委員会」、日韓民衆連帯全国ネットワーク「東アジアの平和実現9・17集会実行委員会」からの発言を受け、参加者全体により「集会宣言」が採択されて、デモ行進に移りました。

今回の行動に対しても、右翼団体からの攻撃はさまざまになされ、掲げた横断幕を奪おうとする右翼により参加者が指を骨折するなどの状況はありましたが、多くの人々による毅然とした対応により、前回を上回る二百八十人の参加をもって、行動を締めくくることができました。共同行動への熱い支援に心から感謝します。

なお、今年は山形「海づくり大会」を取り組む現地の人たちからの呼びかけがあり、実行委として課題に加えて、7・18集会開催と現地行動への参加も取り組みました。

(nomad)

2016.8.15行動【報告】被災者切り捨ての中、「東北復興」を掲げた天皇行事をはねかえせ! 山形海づくり大会反対を闘う

三大天皇行事の一つ『第三六回全国豊かな海づくり大会〜やまがた』が「森と川から 海へとつなぐ 生命のリレー」を大会テーマに山形県庄内地方(式典は酒田市、放流行事は鶴岡市)で開催された。現地で反対闘争が準備されているので本実行委は七月一八日「海の日」に、築地社会教育会館で、会場周辺に公安がひしめく中、五〇人弱の参加を得て集会を行った。

山形の鈴木雄一さん(反戦反天皇制労働者ネットワーク・山形)は、「東北(支配)と水産業」と題して報告を行った。山形「海づくり大会」は、二〇一六年岩手「国体」、二〇一八年福島「植樹祭」へと続く、復興(新秩序)と振興(侵攻)につながる、鎮撫と「富国強兵」政策に向うためのものである。「東北」、や「鼠ヶ関」(ねずがせき)という地名は、外敵の住む北のはずれを意味する蔑視感があふれている。さらに東北は戊辰戦争で朝廷にさからって以降、仙台におかれた第二師団を中心に経済と行政がつくられてきた。「海づくり大会」の式典会場である酒田市も製鉄業など軍需産業のまちとして形成された。東北は「明治」に二回の天皇行幸が行われたが、その目的は自由民権運動弾圧と軍隊の慰労が主であり、軍隊を通して天皇制が入ってくるという今と同様のことが行われた。山形「海づくり大会」は「森と川から、海にも直接、放射能汚染による生命の危機リレー」である。福島原発事故の凍土壁工事は失敗し、汚染地下水は流出し、さらに大量のタンクの汚染水を海洋投棄によるさらなる海洋汚染を隠蔽し、被害者切り捨てに対する天皇による鎮撫工作である。復興演出のための、天皇のための行事であると弾劾し、現地闘争への参加を呼びかけた。

天野恵一さん(8・15反「靖国」行動実)は、「天皇行事の政治的意図」と題して、「天皇の『生前退位』が発表され、今日は、偶然だが最初の反撃の集会となった。昭和天皇のXデープロセスは自粛騒ぎだったが、今回は天皇アキヒトが生きたまま始まった。皇室典範改正や天皇が生きたまま即位したり、元号が変わったりする。今後の天皇儀礼は、全部Xデープロセスとして演出される。棄民化政策、被災者の切り捨てを行いながら『震災の復興』を演出し、その総仕上げとして『復興』茶番の東京オリンピックが行われる。「共産党が、天皇出席の国会開会式に出席するなど護憲派の総崩れの中で、『違憲行為はやめろ』という土俵で共闘する運動をどのように作っていくかが問われていると訴えた。現地闘争への結集を確認して集会を終えた。

九月一〇日、一一日の「海づくり大会」当日には、「反戦天皇制労働者ネットワーク・山形」の主催で現地闘争が闘われた。

一〇日は酒田市総合文化センターで、各地から反天皇制を闘う仲間三〇人超が結集し集会を行った。会場の内外を公安刑事がひしめいているのは天皇行事の恒例である。

主催者は「天皇アキヒトの『生前退位』意向表明後初の「地方公務」であり、3・11以降東北での初めての天皇行事である。今回の「海づくり大会」の目的は、放射能汚染の隠蔽、東北復興を演出することである。山形『海づくり大会』に続いて、岩手、二〇一八年福島と続く天皇制攻撃を、東北全体ではね返す最初の闘いにしたい」と訴えた。

続いて酒田現地から報告を受けた。報告者は大連に生まれ、満州での戦時体験を今に伝える語り部でもあり、戦後、弁論大会で天皇の戦争責任を追及しようとした「どしょっぽね」の持ち主である。大連で経験した学校と教師と戦争と経済を、実体験を元に教師の変貌のあり方として断罪した。

続いて鶴岡からは、雑木林再生のために子どもたちと植林した天然林を「海づくり大会」のために刈り払いされたことや漁場汚染の実態が批判された。

反戦反天皇制労働者ネットワークの吉田宗弘さんは、二〇一三年水俣の「海づくり大会」は水俣病が発生した「水俣の海の再生」、二〇一二年沖縄は「復帰四〇年を祝う」という政治的目的が明らかであり、天皇の「公的行為」とは「政治行為」であると断罪した。

靖国・天皇情報センター、立川、筑波、三鷹、静岡、札幌の参加者から連帯とアピールを受けて、集会を終えた。翌日一一日は九時半から参加者の決意表明を受け、式典時間にあわせ、式典会場近くを通るデモ行進を行った。「天皇出席の海づくり大会反対」「天皇制はいらない」などシュプレヒコールを上げるデモ隊と大量の機動隊と公安は近隣住民の注目の注目を浴びた。機動隊も秋田や山口などから集められていた。

闘争後、天皇の車列のために私たちの車が通行妨害を受けるという事態まで体験したが、天皇代替わり攻撃、天皇制賛美報道の中で、「天皇制廃絶」の声をあげることの解放感を実感した闘いであった。

(野村洋子)

2016.4.28-29行動【報告】安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う4.28-29 連続行動報告

今年の四・二八〜二九連続行動は「安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う」というテーマで設定された。この間、反天皇制を課題とする実行委の行動は、一九五二年四月二八日のサンフランシスコ講和条約と日米安保条約の発効に始まる、沖縄に対する米軍支配の問題を、昭和天皇裕仁の戦争・戦後責任の問題と重ねて提起、二〇一〇年からは「反安保実行委員会」との共闘による連続行動として取り組まれている。今回の闘争は、とりわけ、昨年九月に強行され、今年三月末に「発効」させられたばかりの安倍戦争法下においてのものとして、重要な意味を持つものでもある。施行された戦争法の「集団的自衛権」により、沖縄は米軍と自衛隊の最前線としての存在を、これまでよりさらに厳しく強いられることになった。

四月二八日は、これまでも「沖縄デー」として数々の闘いが重ねられてきているが、この日、実行委は、文京区民センターにおいて屋内集会を開催した。沖縄から日本基督教団うるま伝道所牧師の西尾市郎さんをお招きして「沖縄『構造的差別』の歴史と現在」と題した講演をしていただいた。

現在、自民党は改憲の突破口として、東日本大震災や現在も続く熊本・大分の大震災を利用し、憲法に「緊急事態」条項を挿入しようとしている。これが実現すると、災害などをきっかけに憲法を停止した独裁がすぐに行使されるだろう。西尾さんは、この「緊急事態」法と辺野古における闘いが一つのものだというところから語り起こされた。
沖縄における反戦・反基地の闘いの基底には、沖縄戦における苛酷な経験が語り継がれ、共有されていることが存在する。「蛆が人間を食う音」「人間が腐っていく強烈な臭い」などのリアルな体験が沖縄戦の記憶としてあり、これらが「平和」を希求する意思をつくっているのだ。人の痛みに共感する人間性こそが、辺野古をはじめとする現在の沖縄における闘いの根本だ。だからこそ、私たちの闘いは分断され対立させられてはならない。こうした体験をもとに、平和をアジアとの連帯の中で実現していくことの重要性が、講演の中で何度も強調された。

引き続き、今回の実行委から天野恵一が発言。いま、昭和天皇の「沖縄メッセージ」による沖縄の米軍への売り渡しの事実や「尖閣」諸島など「領土」問題が、歴史修正主義者たちの主要な論点として浮上しており、なかでもR・D・エルドリッジによる歴史解釈の読み替え(「オキナワ論」新潮新書ほか)については、今後も批判的検討が重要になることが、集会資料の解説とともに報告された。

引き続き、会場発言として、一坪反戦地主会関東ブロックの大仲さん、辺野古への基地建設を許さない実行委員会の中村さん、ストップ辺野古埋め立てキャンペーンの芦沢さんから問題提起。さらに、明治公園野宿者への攻撃への反撃を訴えるアピールが反五輪の会よりなされて、集会は締めくくられた。この日はいろいろな行動と重なることもあってか、参加者は七五名だった。

明けた四月二九日には、新宿柏木公園からデモ行動が行われた。出発前の公園において、まず実行委の国富建治から、前日の集会を要約する報告とともに「この『昭和の日』は、天皇制の延命のために敗戦を遅らせ、悲惨な沖縄戦を招いたばかりか、戦後における『構造的沖縄差別』の成立に対しても大きな役割を果たした昭和天皇を賛美する日だ」と提起、さらに前日に引き続いて西尾さんからも発言を受けた。参加者からは、「自由と生存のメーデー」実行委、「伊勢志摩サミットに反対する実行委」による新宿デモの提起、G7茨城・つくばサミット反対を取り組む戦時下の現在を考える講座、「三多摩メーデー」への参加を呼びかける同実行委からのアピールがなされ、デモに出発した。

今回のデモに臨んでは、二月一一日のような不当な規制がなされないように強く申し入れをしていたこともあってか、警察による弾圧は、これまでのなかでは比較的小さいものだった。もちろん、右翼はつきまとい、妨害・暴行をねらう挑発を繰り返したが、私たちは毅然として行動を貫徹することができた。解散地の柏木公園においては、明治公園弾圧の救援会からのアピールを受け、この日の成果が確認されて行動を終えた。参加者は約九〇名だった。

(のむらとも)

2016.2.11行動【報告】安倍戦争国家と天皇制を問う2・11反「紀元節」行動報告

今年も二月一一日反「紀元節」行動の日を迎えた。今年の名称は「安倍戦争国家と天皇制を問う2・11反『紀元節』行動」とした。会場は、「反『紀元節』行動」では初めての神宮前穏田区民会館(原宿)である。当日は、原宿駅を明治神宮側に降りて、集会場に行く時、「日本の建国を祝う会」主催の「建国記念の日奉祝パレード」に遭遇した。パレードは日の丸を掲げ、いつも私たちのデモの反対側にいて、日本会議や神社本庁など天皇元首化などの改憲運動をすすめる人たちであり、改めて集会開催地がそういう場所であることを実感した。

集会場は、例年右翼の街宣車が怒鳴り立てているが、今年はそういう場所だからか、警察の規制のためか静かで、集会開始前にハンドマイクを持つ七〜八人が来たのと、終わり近くに離れた位置で街宣があっただけであった。参加者は会場いっぱいの約一〇〇人で熱気あふれる集会となった。

講師は「戦争国家と天皇の『慰霊』─『戦没者』における受難と貢献」を須永守さん(近現代史研究)が行った。講演は、「8・15」反靖国行動に繋がるようなテーマであり、重要な提起であった。残念だったのは都合で質疑ができなかったことである。

講演後はさまざまな取り組みを行う各団体─「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会、福島原発事故緊急会議、2016 3・1集会実行委員会、STOP辺野古埋め立てキャンペーン、有事立法・治安弾圧を許すな!北部集会実行委員会、3・11行動実行委員会から連帯のアピールを受け、今年も反天皇制の声をあげつづけようと確認してデモに出発した。

警察は、会場を出たところから「横断幕を巻け!小さくしろ」と横柄な態度で規制を始めた。今回の警察は、これまでと全く違い、「市民警察」の装いをかなぐり捨てて、デモ参加者に暴言を吐き、指示・命令を繰り返し、突き飛ばすなどの暴力をふるい治安警察の本性をあらわにした。とにかくデモの宣伝カーと隊列を分断し、車には連絡係のみならず弁護士を含めだれも近づけなかった。車は、少しでもスピードを落とすと機動隊によって車の窓をバンバン叩かれ、指揮者から警告も出された。例年は右翼が車を叩き、妨害するのだが今年は街宣車など右翼の攻撃はほとんどなく、警察の暴力性だけが突出した。例年は最後尾の参加者を「圧縮」といって押していたが、今回は前から、後から、横からも押され、突き飛ばされるなど暴力をふるわれ、その上、「お前ら」「こいつらをさっさと歩かせろ」などの暴言も終始吐かれた。弁護士を取り囲んで動けなくしたり、「デモ申通り行け」「許可条件を守れ」「デモを許可したのはおれたちだ」など警察は言いたい放題であった。まさしく安倍政権の戦時下での「基本的人権」「表現の自由」は警察の統制下にあることを示しており、まるで警察によるデモ隊を完全にコントロールする訓練のようだった。そのような警察の暴力、暴言を跳ね除け、「建国記念の日反対」「天皇制いらない」の声をあげつづけ、渋谷までデモを貫徹した。

実行委員会は、今回のような警察のデモへの規制に抗議をすることを決めている。4・28-29行動も厳しい攻撃が予想されるが、安倍政権が戦争・改憲に突き進もうとする今こそ反天皇制の声を大きくしていかなければならない。大きな声で反戦、反天皇制を訴えよう。

(野村洋子)

2015.8.15行動【報告】「戦後レジーム」の70年を問う 7・8月行動報告

敗戦七〇年の秋、安倍政権は安保法制を強行可決して、その戦争国家体制づくりを更に一段階進めた。同時にその歴史認識においては、植民地支配責任や侵略戦争への責任を限りなく無化し、日米同盟を基軸とする「未来志向」「積極的平和主義」をうたいあげる「安倍談話」を発表した。

安保法案をめぐる国会内外の攻防における安倍政権の対応にみられるように、「戦後レジーム」からの脱却を呼号する安倍政権は、戦後民主主義=平和主義を、暴力的に押しつぶしていく「ファッショ的」政権である。国会周辺に詰めかけた多くの人びとが、そのことに強い危機感をもち、声を上げ続けていたことは疑いない(「民主か独裁か」)。

だが、私たちは同時に、そこでいわれる「戦後レジーム」とはどのようなものであったかを問わないではいられない。たんに「戦後民主主義」の内実がどうだったかと言うだけではない。それ自体が天皇制国家の戦争責任を免罪し、日米安保体制を新たな「国体」とすることを構造化した体制であること、そして安倍の言う「脱却」とは、その体制を現在的に強化するために、「戦後」のなかに確かに含まれていた民主主義や平和主義的なものを破棄していくためのスローガンであることが、確認されなければならない。私たちは、今年の8・15をこういう問題意識にたって取り組むべく、一連の行動を行った。

今年は8・15当日を反「靖国」デモのみとし、講演集会を別におこなった。私たちが常に頭を悩ませているところの会場問題が大きいが、そのことを逆手にとって、講師の話をじっくり聞き、かつデモにも集中することができるとも考えた。

七月二六日には、水道橋の全水道会館で、田中利幸さんをお招きした講演集会。諸集会と重なる日程だったこともあり、参加者はやや少ない五六人。

主催者からの基調的な発言の後、講演。田中さんは、「敗戦七〇周年を迎えるにあたって〜戦争責任の本質問題を考える」として日本の戦争責任、天皇制の役割について、パワーポイントを使いながら講演した。原爆と空襲という無差別大量殺戮=人道に対する罪を犯した責任が問われることがなかったアメリカは、その後も繰り返し各地で多くの市民を殺傷してきた。日本政府が無条件にそれを支持し続けてきたことについて、それを許してきたわれわれの責任がある。日米合作の起源である敗戦時にさかのぼり、戦後を問い直していかなければならないなどと述べた。実行委からは天野恵一がこれに応答するかたちで発言し、講演の趣旨に賛意を示しながら、戦争を終わらせた天皇制の「聖断」という神話とアメリカの「原爆」投下という神話とが、合わせ鏡のように見合って始まった戦後があり、「国体護持」のために戦争を長引かせた天皇制国家には原爆投下を招いた「招爆責任」があるという視点を強調した。

講演に続き、「2015 平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動」、つくばの「戦時下の現在を考える講座」、安倍靖国参拝違憲訴訟の会・東京から、それぞれアピールをいただいた。

八月四日からは、田中利幸さんが代表をつとめた「8・6ヒロシマ平和のつどい2015」に参加。この集会は「検証:被爆・敗戦70年─日米戦争責任と安倍談話を問う」と題されて行われたもので、私たちも今年の8・15行動の一連の取り組みの中に、これへの合流を位置づけていたもの。実行委員会からも多くのメンバーが、広島市まちづくり市民交流プラザにおいて開催されたこの集会に参加した。三日間にわたり、八つの講演会とまとめ集会からなる、きわめて充実した講演と討論が行われた(講師は上野千鶴子・渡辺美奈・高島伸欣・市場淳子・天野恵一・安次富浩・中北龍太郎・武藤一羊)。また呉や岩国、原民喜の足跡をめぐるフィールドワークもあり、六日には原爆ドーム前のグラウンド・ゼロのつどい、中国電力本社前へのデモと脱原発座り込み行動に参加した。

そして八月一五日の反「靖国」デモ。二二〇名余りの参加者があり、デモ前の打ち合わせ会場である「スペースたんぽぽ」に入りきれない。出発前の集会では、戦時下の現在を考える講座、自衛隊・米軍参加の東京都・立川市総合防災訓練―九都県市防災訓練に反対する実行委員会、辺野古への基地建設を許さない実行委員会から、それぞれアピールを受けた。続いて、前日発表された「安倍談話」に対する批判を含めた「反『靖国』行動アピール」を全体で確認し、神保町から靖国神社の大鳥居を望む九段下交差点を通り、水道橋駅近くの小公園までのデモに出発した。今年は敗戦七〇年という節目であるからか、警備も例年にない右翼シフトを敷いて、街宣右翼を大幅にシャットアウトしたために、デモ隊への突入や宣伝カーへの攻撃、横断幕やプラカードの強奪といった事態は、昨年までに比べればきわめて軽微にすんだ。しかし、機動隊のデモへの圧縮などの妨害、公安警察による違法なビデオ撮影は、これまで同様、あるいはそれ以上のものがあった。他方、在特会など「行動する保守」の連中は、かなり参加者を減じたように見えた。

特筆すべきは、九段の交差点近くで、「アベ政治を許さない」というプラカードを掲げた女性が、私たちのデモ隊に声援を送っている姿が見えたことである。ほかの場所でも、同様の人がいたという。当日、千鳥ヶ淵でおこなわれた集会の参加者かもしれない。しかし、右翼と警官に囲まれながら、堂々とアピールするその姿はすばらしかった。

7・8月行動は終了したが、参加者の多くが、8・15を前後する国会周辺の安保法制反対行動に通い詰める日々に忙殺されたはずである。戦争国家が必然的に招き寄せる戦争の死者を、戦争目的を賛美するために国家が利用する「慰霊・追悼」という問題は、ますますリアルなものとなってきている。今後も続くであろう戦争法の実質化、戦争国家を拒否する闘いに参加する中で、こうした課題を訴え続けていきたい。

最後に、きわめて残念なことだが、8・15集会に潜入した右翼によって集会の模様が盗撮され、youtubeに動画がアップされるという事態がおきてしまった。これについて現在、弁護士とも相談しながらyoutubeへの動画取り下げ要請などを続けているところである。これについては、今後、何らかのかたちで報告したい。

(北野誉)

2015.4.28-29行動【報告】敗戦70年:象徴天皇制の70年を撃つ4・29反「昭和の日」行動 報告

いま「戦後七〇年」を名目として、国家の枠組みと歴史認識が大きく書き換えられようとしている。安倍グループを中心とする自公政権は、彼らが言うところの「戦後レジーム」を否定し、改憲と軍拡による国家主義体制の構築をいよいよ加速させている。

また天皇明仁らは、これまでにも、外交と慰霊にかかわる国家儀礼を中心に「国事行為」の領域を広げてきていた。昨年は、広島や長崎、沖縄などで「慰霊」を実施したが、今年の四月にはパラオ共和国を訪問し「戦没者慰霊」行為を実施した。パラオをはじめとする南洋の各地は、第一次大戦後に大日本帝国が獲得した、国際連盟の「委任統治」という名の植民地だが、この「慰霊」訪問に際して天皇らはその事実に全く触れることなく、戦争と植民地責任を隠蔽した。これは、安倍らによって進められている全社会的改変を、強くバックアップする明確な政治的行為であった。しかし、ほとんどすべての政党や政治勢力はもちろん、メディアも、さらに安倍政権を批判する人びとの多くもまた、この問題に口をつぐんだ。

この状況を批判するべく、私たちの今回の実行委の活動は、反安保実行委員会との共闘により展開された。反安保実との共同行動はここ数年来つづいており、日米安保体制により日本国家の「戦後」の枠組みを決定づけたサンフランシスコ講和条約が発効した四月二八日と、大日本帝国と「象徴天皇制」をつなぐ昭和天皇の誕生日に制定された四月二九日「昭和の日」に向けて取り組まれている。

四月一二日、水道橋の韓国YMCAにおいて実施された集会「天皇のパラオ『慰霊』の旅 責任隠蔽儀礼を許すな! 殺し殺されるということ」においては、文学者の彦坂諦さんにより、「加害者と被害者」「支配者と被統治者」の関係を視えなくさせる国家の仕組みが厳しく指弾され、約五〇名の参加者を交えて活発な議論がなされた。

四月二八日には、千駄ヶ谷区民会館において「占領・『復帰』そして現在 沖縄基地問題から見た戦後七〇年」と題して、高里鈴代さん(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会)により講演がなされた。高里さんは、大日本帝国の戦争のため捨石として全島あげての強制的な徴用がなされた沖縄戦と、戦後は米軍基地の礎とされ続けている歴史を重ねて批判(講演要旨参照)。七五名を集めたこの集会では、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック、有事立法・治安弾圧を許すな!北部集会実行委員会、日韓民衆連帯全国ネットワーク、福島原発事故緊急会議からも、連帯アピールがなされた。

今回の連続行動の締めくくりとして、四月二九日には、「象徴天皇制の七〇年を撃つ 四・二九 反『昭和の日』行動」が新宿柏木公園を出発地とするデモとして取り組まれた。今回のデモにおいては、沖縄の辺野古基地建設において海上保安庁や警察に護られつつ、JVとして中心的な役割を果たしている大成建設への抗議行動も実施した。大成建設は戦前には大倉組として数々の国策事業を推進した過去も持つ。前段集会で、実行委からの前日の集会報告に続き、自由と生存のメーデー、反五輪の会、「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会などからの連帯アピールを受けた後、約一〇〇名の参加者は、「昭和の日」、辺野古基地建設などに反対するコールを高らかに上げながら、新宿を一周するデモを展開した。

「敗戦七〇年と象徴天皇制の七〇年を撃つ」取り組みは、反「紀元節」闘争、そして今回の連続行動として展開されてきた。今回の実行委員会としては一区切りとなるが、もちろん、これはまだまだより大きな闘いへと重ねられていかなければならない。国会においては、憲法九条の原理的な枠組みも、歴代内閣による制約もすべて取り払い、ときの政府による恣意的な解釈により、自衛隊を米軍とともに臨戦態勢へと対応させられようとしている。「戦争は平和である、自由は屈従である、無知は力である」(G・オーウェル)という異様きわまる世界の解釈が、平然とまかり通っている。

さらに安倍は、米国議会そして米軍に対する媚びへつらいと欺瞞に満ちた米連邦議会演説を経て、侵略と戦争への責任をないがしろにする「戦後七〇年談話」を準備中であるとされる。私たちは、今回の行動を通じた人びととのつながりをもって、これら全体と闘う今夏の行動への準備にもとりかかっている。多くの人々とともに、よりいっそう強く幅広い闘いをかちとっていきたいと心から希む。

(蝙蝠)

2015.2.11行動【報告】敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反「紀元節」行動報告

安倍首相が中東を歴訪し、「イスラム国」(IS)を挑発した結果としておきた日本人拘束と殺害、そして沖縄では辺野古基地建設における、なりふり構わぬ日本国家による暴力の行使。「戦争ができる国」ではなく「戦争をする国」の道を猛進している政治的状況。こうした中で私たちは、二月一一日、「建国記念の日」を迎えた。この日安倍首相は「建国記念の日」を記念し、改憲をめざすメッセージを出し、神社本庁や日本会議など右派勢力は、明治神宮会館で「日本の建国を祝う会」を行った。
私たちは、今年の反天皇制運動の集会とデモの最初の取り組みとして、千駄ヶ谷区民会館で「敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反「『紀元節』行動」をおこなった(参加者一三〇人)。

私たちの集会は、主催者による基調発言の後、「侵略」上映委員会の森正孝さんから「安倍極右政権の歴史改ざん主義と中国脅威論」というテーマで、九〇分にわたって講演をしていただいた。
森さんのお話は、「戦後七〇年」にむけて準備されている「安倍談話」がねらう歴史の改ざん(軍隊慰安婦と南京大虐殺の否定)、積極平和主義の名による積極的武力主義の一体化した攻撃について指摘。いわゆる「中国脅威論」の問題について批判するものだった。

続いて連帯アピールが、三・一独立運動九六周年集会実行委員会、「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会、福島原発事故緊急会議、警察の人権侵害を許さない会などから行われ、渋谷に向けてデモに移った。

……ここまでは、いつもの集会報告だが、今回、右翼と権力による集会への介入と破壊策動が、また新たに段階を画したことを報告せねばならない。具体的には右翼による脅迫状と、デモでの逮捕弾圧である。

今回、天皇主義右翼「大行社」は、直前に実行委の参加団体に対して、「天皇制批判のパペット」をやめろ、などとする「申し入れ書」を送り付けてきた。その「申し入れ書」は、「言論・表現の自由」は一般的に認めながら、その「節度」を問うというものとなっている。しかしそれが明らかな脅迫であるのは、当日のデモを監視し、そのような「侮辱表現」があれば、それを「一時的にお預かりする」という点であきらかである。8・15をはじめとするこの間の反天皇制運動のデモに参加された方なら実感されるであろうが、天皇主義右翼による攻撃は、彼らが「侮辱表現」とみなすものにのみ向けられているのではない。それは「一時的にお預かりする」などという「上品」なものではないのだ。彼らが強奪する対象は横断幕やプラカードなどの表現全般、デモ隊への突入や物の投げつけなど、デモそのものが襲撃の対象となっているのだ。これは「シャルリー・エブド事件」における「表現の自由」と「テロ」という問題を想起させるし、彼らもおそらくそれを十分意識していたのではないか。むろん、集会とデモを防衛し、権力批判・天皇制批判の自由を安全に行使するうえでも、われわれとしては、一人でも多くの参加者に結集していただく以外に道はない。そのことに今回、私たちはいっそう努力することになった。当日、とりわけ渋谷では、デモ破壊をねらう街宣右翼が何度も突入を試みが、くだんの団体は、監視以上の行動はなかったようだ。

一方、事前にこの団体による脅迫をも察知していたであろう警視庁は、集会場に向うルートで、検問めいた体制をしき、デモ出発の時点から過剰な規制と大量のビデオ撮影を強行してきた。右翼の攻撃を口実に、デモを不当に規制するのはいつものことだが、今回、赤ジャケットを着た公安警察と思われる部隊がデモに並走して違法撮影をし、しかもデモ隊の中に堂々と入ってくる。これら挑発行為にたいして、原則的に抗議をするのは当然のことである。しかし、この抗議の過程で、仲間の一人が一方的に押し倒され、「公務執行妨害」で逮捕されてしまった。詳しくは別掲の抗議声明を参照していただきたいが、挑発への反撃に逆上した警察官による、「転び公妨」ですらない、ひどい逮捕である。反天皇制実行委のデモへの弾圧で逮捕者が出たのは、おそらく二〇年ぶりくらいのことだ。

その場で「仲間の不当逮捕を許さない。今すぐ仲間を返せ」という声を上げ、デモについていただいていた監視弁護士
には、すぐに接見要求のため原宿署へ向ってもらって、デモを再開。
解散地点の神宮通公園で集約した後、ただちに原宿警察署に移り、三〇人ほどの有志で激励行動に取り組んだ。その場で救援会の準備をすぐに開始し動き始め、翌日には仲間を、完黙のまま取り戻すことができた。

なにやら今年の波乱を予感させる行動となったが、それも、このあまりにひどい政治状況が確実に反映しているであろう。「敗戦七〇年」の今年、私たちは、さまざまな分野で安倍政権との対決に取り組んでいる人びとと、連携を模索しつつ行動を作っていきたい。私たちは、すでに四月二九日の反「昭和の日」行動の準備に入っているが、例年通り、反安保実行委との共催で4・28-29連続行動」という形で集会とデモに取り組んでいきたいと考えている。引き続き、多くの方の参加と協力を訴えます。

(北野誉)

2014.8.15【報告】安倍戦争国家の「追悼」を許さない! 反「靖国」行動報告

八月一五日、私たちは今年も、「安倍戦争国家の『追悼』を許さない!反『靖国』行動」を、二五〇人の結集(集会二二〇人)をもってかちとった。

何度も繰り返していることだが、私たちの行動は、右翼とそれを利用した警察の介入によって、ひどい妨害を受け続けている。天皇制の戦争責任・戦後責任、今に続く植民地支配責任を問い、靖国と戦争国家による「追悼」を批判するという行動のテーマと同時に、あるいはそれ以上に、「天皇制批判」「靖国批判」を、私たちの言論・表現の自由としてふつうに訴えることが、困難さを伴う目標となってきているのは事実である。その意味で「かちとった」というのは、偽らざる実感である。

それでも、私たちの行動の目的は、やはりデモをすることだけではありえない。この課題に関する議論の場を作っていきたい。それで私たちは今年は、実行委としてふたつの前段集会をもった。ひとつは、六月二六日に、沖縄国際大学名誉教授の石原昌家さんをお招きしての講演会「天皇の沖縄訪問反対!沖縄戦・『対馬丸』事件の責任を問う 6・26集会」(渋谷勤労福祉会館)。

これは、六月二六〜二七日にかけて天皇夫婦が沖縄を「慰霊」訪問し、学童疎開船「対馬丸」記念館を参観するということにたいする反対行動として取り組まれたものである。それは、沖縄戦における、強いられた住民の悲劇であり、同時に戦争の被害者を「協力者」として「慰霊・顕彰」する「援護法」行政(その結果としての靖国合祀)という問題でもある。「慰霊よりも謝罪を」というのが私たちの立場だ。詳しい内容は、なんらかのかたちであらためて出していきたいと考えている。

次いで七月二一日には、笹塚区民会館で「安倍戦争国家の『追悼』を許さない! 8・15反『靖国』行動に向けて」と題した討論集会をもった。これは、例年八月一五日に、さまざまな取り組みを続けているグループから発題してもらい、靖国問題、「戦没者追悼」問題をどうとらえているのか、会場も交えて意見を交換していこうという趣旨だ。発言は、高橋武智さん(日本戦没学生記念会・わだつみ会)、荒井克浩さん(日本キリスト教協議会(NCC)靖国神社問題委員会)、村上らっぱさん(靖国解体企画)、北野誉(本実行委)。政教分離原則、「追悼」や「黙祷」のもつ意味、無宗教の「新しい施設」の評価など、8・15当日の行動に直接関わりを持つ、突っ込んだ議論がなされた。

そして迎えた八月一五日当日の行動。集会は、北村小夜さん(元教員)と天野恵一(本実行委)の問題提起。連帯アピールとして、「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会、辺野古への基地建設を許さない実行委員会、福島原発事故緊急会議、安倍靖国参拝違憲訴訟の会・東京、「公安は天皇のための尾行をやめろ!」共同声明実行委員会、差別・排外主義に反対する連絡会、反安保実行委員会、「動き出した日朝交渉いまこそ国交正常化へ!」9・13集会実行委員会。さらに「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動」に参加するために来日していたドイツ人牧師・ポール・シュナイスさんにもご発言をいただいた。

「集会宣言」が読み上げられ、九段方面へのデモに出発。今年も、街宣右翼によるデモ妨害はひどく、宣伝カー、横断幕やプラカードがひっきりなしに襲撃される。また、在特会などは九段下交差点に陣取り、ヘイトスピーチを含む罵声を浴びせ、ペットボトルなども投げ込まれる。

さらに警察による、右翼を利用したデモ規制や違法なビデオ撮影なども相変わらずだ。8・15実行委は解散するが、警察権力による不当なデモ弾圧に対して反撃の準備を始めている。とりあえず、実行委としては、別掲の抗議声明をまとめた。これ以外にも、東京都公安委員会への苦情申し立てをはじめ、継続して問題化していきたいと考えている。この点についても、ブログなどで、近く報告できると思う。

(北野誉)

2014.4.27-29行動【報告】「沖縄・安保・天皇制を問う」4・27/29行動報告

私たち反安保実行委員会と反「昭和の日」行動は、今年も共同で4・28「沖縄デー」に取り組み、4・29「昭和の日」に対するデモと連続した行動を作りだしてきた。

昨年安倍政権は、四月二八日を「主権回復の日」と位置づけ、天皇出席のもと政府記念式典をおこなった。それは、4・28に発効したサンフランシスコ講和条約で、沖縄などが「本土」から切り捨てられ、引き続き米軍政下におかれ続けたといった歴史的な経緯に対してあまりにも無自覚であり、本当のところ沖縄の人びとのことなどまるで念頭にない安倍政権の姿勢を、あからさまに示すものであった。当然のことながら、それは沖縄から大きな批判を浴びた。私たちも昨年、「主権回復の日」なるものは「誤った戦後のスタート」を、その起点において賛美するものであるととらえ、批判の共同声明運動、二八日の集会、二九日のデモに取り組んだ。

今年は政府式典はなかったが、基地問題をはじめとする「本土」の沖縄に対する植民地主義的な権力関係に変わるところがない。それどころか、安倍政権の日米安保強化・沖縄前線基地化政策は、より具体的に強められてきている。私たちは今年も、「沖縄・安保・天皇制を問う4・27/29行動」として二つの日付をつなぐ連続行動を行った(日程の都合上、二七日に討論集会をもった)。

二七日は、東京・水道橋のスペースたんぽぽで、約六〇人が参加して「沖縄と日本の占領と戦後」と題した集会。

講師として、鳥山淳さん(沖縄国際大学教員)をお招きし、「沖縄と日本の占領と戦後」について講演していただいた。

続いて、主催者側を代表して国富建治(反安保実)から、反安保の運動にとって沖縄がどのように捉えられてきたのかについて問題提起がなされた。そのあと、伊達判決を生かす会、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック、日韓つながり直しキャンペーン、立川自衛隊監視テント村、反五輪の会からのアピールがおこなわれた。

続く四月二九日には、新宿・柏木公園で「象徴天皇制の戦争・植民地支配責任を撃つ!4・29反『昭和の日』行動」。こちらには、約一〇〇人が参加した。

前段集会は、まず反安保実行委のメンバーより、二七日の講演集会の報告。続いて、自由と生存のメーデー2014、安倍靖国参拝違憲訴訟東京弁護団、「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会、戦争に協力しない!させない!練馬アクション、安倍のつくる未来はいらない人々、野宿者メーデー実行委員会からそれぞれアピールを受けた。

集会終了後、新宿を一周するデモに出発。

昨年同様、右翼によるデモへの妨害が続く。今年は、沿道にあらかじめ木刀らしきものを隠しておいて、それをもってデモ隊に殴り込もうとした寸前に、警察によって押さえ込まれた右翼の数人が現認されている。また、街宣右翼、在日特権を許さない市民の会などレイシストに加えて、男組・我道会のメンバーが、デモに併走して執拗ないやがらせ、妨害行為を繰り返したのが目立った。彼らは新大久保などではレイシストにたいしてカウンターをしているのだが、同じスタイルを、そのままこちらに向けているつもりなのかもしれない。3・11の東電前アクション!の行動に対しても集会妨害を行った連中でもある。

また、警察のデモへの介入もひどさを増している。違法な写真撮影もやめようとしない。それは、正当な権利としてのデモへの弾圧である。この点についても実行委としては申し入れを準備しているが、その抗議文もこの報告集には掲載した。

本報告集の発送をもって、4・27/29行動は解散するが、私たちは引き続き8・15の反「靖国」行動を準備している。六月末には天皇訪沖(対馬丸記念館訪問)が予定されているが、これに反対する行動を手始めに、反「靖国」行動を作っていきたい。ぜひ、引き続き参加と協力を!

(北野誉)