二〇一九年は、文字通り、天皇「代替わり」をめぐって、天皇制賛美キャンペーンが吹き荒れた一年だった。私たち反天皇制運動の枠組みとしては、この「代替わり」過程の総体と対決することを目指して、首都圏の仲間たちとともに、一回り大きな実行委員会を立ち上げ、「終わりにしよう天皇制!『代替わり』反対ネットワーク」(おわてんねっと)として、この一年余り、さまざまな行動を作りだしてきた。おわてんネットの行動は首都圏における反天皇制運動の結集軸となり、一連の行動には多くの仲間たちが参加し、10・22即位式反対デモにおける三名逮捕という不当弾圧をもはねのけて、それなりの「存在感」のある闘いを組むことができた。
新天皇の即位儀礼は、実に四〇余りのさまざまな儀式によって構成されたものであった。おわてんねっとは、明仁天皇の退位・徳仁天皇の即位、即位式、大嘗祭などに対しては、街頭で大衆行動に取り組んできた。この反対行動も一段落したいま、おわてんねっととしては解散することになるが、二〇二〇年も秋篠宮の「立皇嗣礼」などの儀式や周近平・天皇会談、そして夏には天皇が名誉総裁となって開会宣言をおこなうオリンピック・パラリンピックなど、天皇制に関わるさまざまな動きは続いていく。
徳仁天皇の「代替わり」儀式は、一一月の「大嘗祭」を頂点として、いずれも皇室神道の儀礼空間に染め上げられていた。それらの多くは、「政教分離への配慮」と称して、皇族の「私的行為」という名目でなされたが、「代替わり」というその「公的性格」に鑑みて、総額一六六億円に上る国費が支出されることになった。さらに「国事行為」として行われた「即位の礼正殿の儀」や「剣璽等承継の儀」なども、天皇神話を基礎とする儀式である。一連の「代替わり」儀式は、天皇が「神」とつながり、また自身も神であることを確認するものであり、そのことを通して、国家の神聖性を文字通り「象徴」として体現するものである。憲法における政教分離原則は、かつての国家神道への反省から、国家が宗教的行為に関わることを厳格に禁止する規定である。儀式を通じて、そのような意味での国家の宗教が、公然と宣教されていたのである。
一方、マスメディアは、「代替わり」の儀式が、尊重されるべき日本の美しい「文化・伝統」であるかのように描き出した。「文化・伝統」といえば、政治の世界とは切り離された、「国民の共同の観念」として、誰もが「文句なく」受け入れられるものであるかのように言われるが、現実には、いわゆる「国民」の内と外を線引きし、排除と包摂を果たすものとならざるをえない。日本人であれば天皇を敬愛するのは当たり前であり、敬愛しないのは外国人か「非国民」であるというおなじみの論理は、その代表的なものだろう。
私たちは、二〇二〇年の反天皇制運動を開始するにあたり、それ自体が天皇神話に基づく「紀元節」反対の取り組みとして、「代替わり」に露出した「天皇神話」を撃つという視点で、二月一一日に集会とデモに取り組むことを呼びかける。多くの人びとの参加と協力を。
「代替わり」に露出した「天皇神話」を撃つ! 2・11反「紀元節」行動
【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/市民の意見30の会・東京/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会/ピープルズ・プラン研究所/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会