2020.4.28-29行動【報告】今こそ問う「安保・沖縄・天皇」4・28-29連続行動実行委員会報告

 新型コロナ騒ぎの真っ只中、今年も4・28-29連続行動を呼びかけるために、〈今こそ問う「安保・沖縄・天皇」4・28-29連続行動実行委員会〉を立ち上げた。連続行動の一〇日前、四月一九日には秋篠宮の「立皇嗣の礼」が予定されていた。天皇「代替わり」締め括りの儀式と位置付けられていた、皇嗣となった秋篠宮の国内外に向けた「お披露目」儀式を黙って過ごすわけにはいかず、実行委はこの日に向けて「天皇も後継ぎもいらない、アキシノノミヤ立皇嗣を認めない」4・19討論集会を準備することとした。しかしコロナ情勢は例外を許さず、私たち実行委をも巻き込んでいった。私たちは、コロナ状況下の運動を課題に議論するという初めての経験も繰り返しすることになった。

【4・19緊急「行幸通り」行動】

4・19討論集会では、「秋篠宮論」と「皇位継承論」を巡って議論を交わす予定だった。しかし巷ではコロナ感染拡大で使用禁止となる会場が続出し、四月に入ると「立皇嗣の礼」延期説も浮上した。実行委では集会開催をめぐり異例の議論を重ねた。結論は、会場が使える場合でも屋内集会は中止とし、実行委有志による街頭での抗議行動に切替えた。たとえ屋外であっても、行動を呼びかける側には立てないという実行委内部からの声があり、そのようなメンバーのスタンスも尊重しつつ、出来る限りの行動も追求するといった議論の結果だ。結局会場は使用禁止となった。当日五日前には「立皇嗣の礼」の延期が閣議決定。それでも予定どおり集まり、「延期ではなく中止しろ!」を訴えることとした。

場所は東京駅中央口(丸の内側)前の「行幸通り」。広場のような広い歩道で、昨年一一月、おわてんねっとの呼びかけで大嘗祭当日の抗議行動を行った皇居から一キロ圏内の、あの場所だ。あの時は大勢の参加者と通行人で賑わった。四月一六日に政府が「緊急事態宣言」を全都道府県に拡大したばかりのこの日は、人通りは極端に少なかった。それでも通行人はいたし、立ち止まって私たちの行動を見物する人たちもちらほら。「緊急事態宣言」下の緊急行動としてはいい出来だったと私たちは考えている。

討論集会を諦め、集まった人も三〇名と小規模だが、参加者の多くが発言してくれ、充実した一時間のトークリレーが作り出された。その後、全員で横断幕やプラカを掲げ、だだっ広い歩行者道を皇居に向かって二〇〇メートルほど歩き、皇居のこんもりとした森を見ながら、実行委声明を読み上げ、みんなでシュプレヒコール。 風を受けながらの実に気持ちのいい行動だった。皇居か
ら八〇〇メートル。私たちの声は皇居に届いたか?

この日の行動は時間や場所など数回の変更を余儀なくされ、チラシやネット上の案内も訂正を繰り返した。デモ申もやっていない。ギリギリの変更に気づかず変更前の会場に参加者が来るのではと、実行委メンバーが変更案内のために会場に出向いたほどだ。それなのに当日現地の警察官は恐ろしく多かった。装甲車も数台。警察の情報網はまったくもって訝しい。

【4・28-29】

二八日の沖縄デー集会は会場が使えずやむなく中止。当日は「米軍優位の日米地位協定と日米合同委員会の密約」というタイトルで吉田敏弘さんに講師をお願いしてあった。チラシも配った後だが、断腸の思いで断念した。

二九日は反「昭和の日」デモ。集合場所に予定していた千駄ヶ谷区民会館も使用できず、会館前に集まった。「緊急事態宣言」直下のデモに八五人以上が参加。私たちの気持ちは大いに盛り上がり、元気に原宿駅前を通り、渋谷の街を歩いた。

少ないとはいえ原宿・渋谷を歩く人たちはいた。私たちは、なぜ新型コロナ感染拡大に怯える街を、わざわざ「昭和の日」に反対してデモをやるのかを訴えた。ここでも恐ろしく警察は出ていたし、装甲車もあちらこちらに列をなしていた。右翼もほとんどいないのに、おかしすぎる。引きこもっている間にとんでもない社会になってしまうのではないか、という懸念は大きくなる一方だ。感染も怖いがこっちも相当に怖い。実行委は「コロナ状況」やさまざまな戒厳体制を乗り越えられる運動の模索を考えていきたい、と思いを新たにしたのだった。

(大子)