【報告】YouTube問題について(2015.8.15行動)

昨年(二〇一五年)、8・15デモ出発前に行ったアピール交換のための集会の模様が、会場に紛れ込んだ何者かによって、「潜入スパイ映像」というタイトルでYouTubeに流されるという事態が起こりました。発言者や実行委メンバーの発言内容や顔が明確に分かる動画です。実行委は「撮影希望者は実行委に許可を取る、写真や動画をインターネット上に流さない」という条件を何度も伝えていましたが、動画はそのタイトルにあるとおり、「潜入」という形で撮られたものです。実行委はすぐに動画削除のために動いたのですが、なかなかの悪戦苦闘で、やっと今年の春、削除に成功しましたが、残念なことに現在、別のアカウントで同じ動画がアップされています。再度、削除を試みますが、発言者のみなさま、大変申し訳ありませんでした。

実行委は現在、このような事態をつくり出さないために、会場内での撮影は実行委とその関係者のみということに限定することで、対応しています。ご容赦ください。

2016.8.15行動【報告】「聖断神話」と「原爆神話」を撃つ8.15反「靖国」行動実行委員会報告

反天皇制運動の実行委員会による、今年の反「靖国」行動は、〈「聖断神話」と「原爆神話」を撃つ8・15反「靖国」行動〉として取り組まれた。8・15の「聖断神話」と、オバマの広島訪問に通底する、「謝罪」どころか「死者」を利用する政治を、重ねて問題化しようという趣旨だった。

そのテーマはもちろん実行委の行動を通じて貫かれていたが、予想外の天皇制攻撃として出てきた「生前退位」を天皇主導の「Xデー」プログラムとしてとらえ、集会それ自体がそれへの反撃の第一歩となることを、常に意識して取り組んでいくこととなった。

8・15を前に、私たちは二つの集会を持った。まず、七月一八日に「天皇行事の『海づくり大会』はいらない!海づくりは、海こわし」と題して、九月に行なわれた山形「豊かな海づくり大会」反対に向けた討論集会を持った。その五日前にNHKの報道がなされた直後の集会である。実行委から発言した天野恵一がいう通り、天皇の「生前退位」に対する最初の反撃の集会となった。

七月三〇日には、千本秀樹さんを講師に、「『聖断』のウソ─天皇制の戦争責任を問う」と題した講演集会をもった。そして八・一五当日は、多くの団体からのアピールをもらい、デモに出発した。詳しくはそれぞれ別掲報告をみてほしい。

「有識者会議」が発足し、来年の国会に「生前退位」を可能とする法案が上程され、二〇一八年に「即位・大嘗祭」という説も出ている。そして二〇二〇年「東京オリンピック」が、新天皇の本格的な登場の舞台となるだろう。こういったかたちで、あたかも新しい天皇制の登場は、既定のスケジュールとして、私たちの前に示され、人びともまた、日常の中で既に先行的に「統合」しなおされているかのようである。

今後私たちは来年の反天皇制運動の準備に入っていくが、それは当然、この一連の課題を正面に掲げるものとならざるをえない。そこで、どのようなことばで、どのような運動を、どのような陣形で作りあげていくかが、ひとつひとつ問われることになるだろう。 しかし、すでにこの天皇状況の「日常化」に対して、違和を表明し、あえてそれを問題化していくさまざまな行動が各地で始まっているのだ。そうした行動の中から、討論し、考えよう。そしてともに闘い続けよう。

(北野誉)

2016.8.15行動【報告】「天皇代替わり」過程の開始の中で、7・30前段集会と8・15当日のデモに取り組む

今回の靖国と天皇制を問う実行委員会の行動は、「『聖断神話』と『原爆神話』を撃つ 8・15反『靖国』行動」としてなされました。

伊勢志摩サミットに引き続くかたちでなされたオバマ米大統領の広島訪問では、アメリカによる原爆使用の謝罪は表明されないで、一般的な「核廃絶」メッセージがなされるにとどまったのみならず、戦争において核兵器が使用され、これが批判され続けているにもかかわらず、その後の日米の軍事同盟が盤石なものである、ということこそが強調されたのです。裕仁の決断で戦争が終了したという虚構と、原爆によってこそ戦争を終了させることができたという虚構は、日米それぞれが戦後体制を築く端緒としての歴史の偽造であり、今回の行動ではこれを問題として提起していきました。

実行委の行動としては、七月三〇日に前段討論集会を持ち、八月一五日に当日行動を行なうという組み合わせで進められました。その過程で、明仁天皇じしんが「生前退位」を希望するという、天皇自身によって領導される「天皇制の代替わり」過程が開始され、同時に、与党政権が参院選を経て議会における圧倒的多数を確保したことで、憲法改悪もまた具体的な危機となっています。私たち実行委の行動は、そうした面からも、より重要な意味を持つものとなりました。

七月三〇日の討論集会では、講師として、千本秀樹さん(日本近現代史研究)から、「『聖断』のウソ─天皇制の戦争責任を問う」と題した問題提起を受けました。

昭和天皇裕仁の終焉が近づいた時期になって、「昭和天皇は平和主義者であった」という捏造がメディアに広く流通し始めました。それまで主体的・能動的に政治と戦争を指導してきた裕仁は、悲惨なアジア太平洋戦争における日本の敗戦が蔽いようもなく明らかな最終期になって、その側近たちとともに、天皇制を戦後に生きのびさせるための大掛かりな工作を開始しました。それは、連合国なかでもアメリカの戦後構想に、天皇制国家日本をビルトインさせるものでした。天皇の「聖断」により戦争が終結し「一億総懺悔」するという虚構とともに、国家の犯罪を明らかにする多くの事実や資料は隠滅されました。戦争責任を一つひとつ具体的に問うことが、戦後における民主主義の出発点になるはずでしたが、それらはすべて現在に至るまで未決のままとされています。明仁天皇は、こうした問題をすべて伏せ続けながら、天皇制の延命と天皇制国家の改変プロセスを新たに起動させようとしているのです。講演に引き続き、「沖縄一坪反戦地主会・関東ブロック」、「平和の灯を! ヤスクニの闇へ キャンドル行動実行委員会」、「再稼動阻止全国ネットワーク」から、集会への連帯アピールがなされ、「8・6ヒロシマ平和へのつどい二〇一六実行委」からの連帯アピールが紹介され、今回の8・15行動へのよびかけが参加者全体で確認されました。

八月一五日の行動では、まず在日本韓国YMCAにおいて、前段集会が行われました。今回の行動に参加した「No Welcome !  Tokyo Olympic Games 実行委員会」、「米軍・自衛隊参加の東京都総合防災訓練に反対する荒川・墨田・山谷&足立実行委」、「天皇出席の山形『海づくり大会』反対実行委」、「福島原発事故緊急会議」、「警視庁機動隊は沖縄・高江に行くな! 緊急抗議行動」、「Stop ! 辺野古埋め立てキャンペーン」、「辺野古の闘いを全国へ 辺野古リレー」、「有事立法・治安弾圧を許すな! 北部実行委員会」、日韓民衆連帯全国ネットワーク「東アジアの平和実現9・17集会実行委員会」からの発言を受け、参加者全体により「集会宣言」が採択されて、デモ行進に移りました。

今回の行動に対しても、右翼団体からの攻撃はさまざまになされ、掲げた横断幕を奪おうとする右翼により参加者が指を骨折するなどの状況はありましたが、多くの人々による毅然とした対応により、前回を上回る二百八十人の参加をもって、行動を締めくくることができました。共同行動への熱い支援に心から感謝します。

なお、今年は山形「海づくり大会」を取り組む現地の人たちからの呼びかけがあり、実行委として課題に加えて、7・18集会開催と現地行動への参加も取り組みました。

(nomad)

2016.8.15行動【報告】被災者切り捨ての中、「東北復興」を掲げた天皇行事をはねかえせ! 山形海づくり大会反対を闘う

三大天皇行事の一つ『第三六回全国豊かな海づくり大会〜やまがた』が「森と川から 海へとつなぐ 生命のリレー」を大会テーマに山形県庄内地方(式典は酒田市、放流行事は鶴岡市)で開催された。現地で反対闘争が準備されているので本実行委は七月一八日「海の日」に、築地社会教育会館で、会場周辺に公安がひしめく中、五〇人弱の参加を得て集会を行った。

山形の鈴木雄一さん(反戦反天皇制労働者ネットワーク・山形)は、「東北(支配)と水産業」と題して報告を行った。山形「海づくり大会」は、二〇一六年岩手「国体」、二〇一八年福島「植樹祭」へと続く、復興(新秩序)と振興(侵攻)につながる、鎮撫と「富国強兵」政策に向うためのものである。「東北」、や「鼠ヶ関」(ねずがせき)という地名は、外敵の住む北のはずれを意味する蔑視感があふれている。さらに東北は戊辰戦争で朝廷にさからって以降、仙台におかれた第二師団を中心に経済と行政がつくられてきた。「海づくり大会」の式典会場である酒田市も製鉄業など軍需産業のまちとして形成された。東北は「明治」に二回の天皇行幸が行われたが、その目的は自由民権運動弾圧と軍隊の慰労が主であり、軍隊を通して天皇制が入ってくるという今と同様のことが行われた。山形「海づくり大会」は「森と川から、海にも直接、放射能汚染による生命の危機リレー」である。福島原発事故の凍土壁工事は失敗し、汚染地下水は流出し、さらに大量のタンクの汚染水を海洋投棄によるさらなる海洋汚染を隠蔽し、被害者切り捨てに対する天皇による鎮撫工作である。復興演出のための、天皇のための行事であると弾劾し、現地闘争への参加を呼びかけた。

天野恵一さん(8・15反「靖国」行動実)は、「天皇行事の政治的意図」と題して、「天皇の『生前退位』が発表され、今日は、偶然だが最初の反撃の集会となった。昭和天皇のXデープロセスは自粛騒ぎだったが、今回は天皇アキヒトが生きたまま始まった。皇室典範改正や天皇が生きたまま即位したり、元号が変わったりする。今後の天皇儀礼は、全部Xデープロセスとして演出される。棄民化政策、被災者の切り捨てを行いながら『震災の復興』を演出し、その総仕上げとして『復興』茶番の東京オリンピックが行われる。「共産党が、天皇出席の国会開会式に出席するなど護憲派の総崩れの中で、『違憲行為はやめろ』という土俵で共闘する運動をどのように作っていくかが問われていると訴えた。現地闘争への結集を確認して集会を終えた。

九月一〇日、一一日の「海づくり大会」当日には、「反戦天皇制労働者ネットワーク・山形」の主催で現地闘争が闘われた。

一〇日は酒田市総合文化センターで、各地から反天皇制を闘う仲間三〇人超が結集し集会を行った。会場の内外を公安刑事がひしめいているのは天皇行事の恒例である。

主催者は「天皇アキヒトの『生前退位』意向表明後初の「地方公務」であり、3・11以降東北での初めての天皇行事である。今回の「海づくり大会」の目的は、放射能汚染の隠蔽、東北復興を演出することである。山形『海づくり大会』に続いて、岩手、二〇一八年福島と続く天皇制攻撃を、東北全体ではね返す最初の闘いにしたい」と訴えた。

続いて酒田現地から報告を受けた。報告者は大連に生まれ、満州での戦時体験を今に伝える語り部でもあり、戦後、弁論大会で天皇の戦争責任を追及しようとした「どしょっぽね」の持ち主である。大連で経験した学校と教師と戦争と経済を、実体験を元に教師の変貌のあり方として断罪した。

続いて鶴岡からは、雑木林再生のために子どもたちと植林した天然林を「海づくり大会」のために刈り払いされたことや漁場汚染の実態が批判された。

反戦反天皇制労働者ネットワークの吉田宗弘さんは、二〇一三年水俣の「海づくり大会」は水俣病が発生した「水俣の海の再生」、二〇一二年沖縄は「復帰四〇年を祝う」という政治的目的が明らかであり、天皇の「公的行為」とは「政治行為」であると断罪した。

靖国・天皇情報センター、立川、筑波、三鷹、静岡、札幌の参加者から連帯とアピールを受けて、集会を終えた。翌日一一日は九時半から参加者の決意表明を受け、式典時間にあわせ、式典会場近くを通るデモ行進を行った。「天皇出席の海づくり大会反対」「天皇制はいらない」などシュプレヒコールを上げるデモ隊と大量の機動隊と公安は近隣住民の注目の注目を浴びた。機動隊も秋田や山口などから集められていた。

闘争後、天皇の車列のために私たちの車が通行妨害を受けるという事態まで体験したが、天皇代替わり攻撃、天皇制賛美報道の中で、「天皇制廃絶」の声をあげることの解放感を実感した闘いであった。

(野村洋子)