2015.4.28-29行動【よびかけ】敗戦70年:象徴天皇制の70年を撃つ 4・29反「昭和の日」行動実行委員会へのよびかけ

安倍政権による昨年七月の「集団的自衛権」行使容認の閣議決定にともない、戦争を遂行するために必要な関連法案の「改正」の準備が急ピッチですすんでいる。国会では、安倍首相の戦争挑発外交の結果としておこった「イスラム国」(IS)による日本人殺害をも利用して、自衛隊の強化と海外派兵の拡大、現行法の改正で、海外における「邦人人質救出作戦」が可能であるかのような議論さえなされている。そしてそれは、「他国軍の後方支援」、すなわち日米ガイドライン改定に対応して、米軍と一体となって世界のどこにでも随時派兵を可能とする恒久法の制定へと向かおうとしているのだ。

安倍は、二月一二日の施政方針演説において、「祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、お亡くなりになった、こうした尊い犠牲の上に、私たちの現在の平和があります。/平和国家としての歩みは、これからも決して変わることはありません。国際情勢が激変する中で、その歩みを更に力強いものとする。国民の命と幸せな暮らしは、断固として守り抜く。そのために、あらゆる事態に切れ目のない対応を可能とする安全保障法制の整備を進めてまいります」という。そして「『積極的平和主義』の旗を一掃高く掲げ、日本が世界から信頼される国となる。戦後七十年にふさわしい一年としていきたい」と宣言する。ここにあるのは、「祖国」のために死ぬことを賛美し、その点において過去の戦争と今後の戦争とを、ストレートに結びつけて恥じない姿勢である。そして安倍は「基軸は日米同盟であります」と強調し、「引き続き沖縄の方々の理解を得る努力を続けながら、名護市辺野古沖への移設を進めてまいります」と明言している。

いま、辺野古現地における、海上保安庁職員や県警機動隊による住民に対するひどい暴力の数々が、毎日のように伝えられている。「これ以上示しようのない」民意を明確に示した沖縄の人びとに対して、露骨な暴力をふるい続けることによって、辺野古や高江などへの新基地建設を強行しようというこの安倍政権の姿勢は、こうした「基軸」としての日米同盟の戦略的要請にもとづいていることは明らかだ。

しかしそれだけではない。その暴力は、近代日本国家が歴史的に沖縄に対してふるい続けてきた植民地主義的な暴力の、現在的な発動としてあることも、また明らかである。

アイヌモシリ統合と並んで近代天皇制国家の出発点をなす「琉球処分」、沖縄差別・収奪政策、「皇民化」政策から沖縄戦、米軍支配と「本土」からの切り捨て、「復帰」による再統合と安保前線基地化といった歴史は、そのまま日本による沖縄支配の歴史であり、その一貫した持続であった。そして、北海道・沖縄に始まる植民地主義の拡大は、東アジアへと拡大し、アジア・太平洋戦争へと至る、植民地支配と侵略戦争に行きつき、アジア・太平洋と日本の民衆に大量の被害と死者を生み出すこととなった。

いうまでもなく天皇ヒロヒトは、沖縄における米軍支配を引き続き希望した「天皇メッセージ」に明らかなように、日米安保体制の成立と沖縄「切り捨て」に直接の責任を負っている。一方、その代を次いだアキヒト天皇は、父親にまとわりついていた歴史的な負性を「解消」させるかのように、沖縄への思いをことあるごとに口にし、「慰霊」を繰り返してきた。しかしそれは、日米の前線基地におかれる沖縄において噴出する人びとの怒りをなだめ、矛盾を隠蔽して「日本」に再び包摂する政治的機能を果たすもにほかならないのだ。

私たちは、今年も4・28「沖縄デー」と4・29の「昭和の日」を、反安保を闘う仲間とともに、こうした歴史性をふまえて「天皇制と沖縄」を問う連続行動として、集会とデモに取り組んでいきたいと考えている。アキヒト天皇は、4月8日にアジア太平洋戦争における激戦地・パラオを訪問し、ペリリュー島にある慰霊碑を訪問する予定になっている。この地において、日米両軍に大量の戦死者が出、多くの遺骨がそのままになっている。さきの施政方針演説において安倍は、「国のために戦った方は、国籍を超えて、敬意を表さなければならない」「今も異国の地に眠るたくさんの御遺骨に、一日も早く、祖国へと御帰還いただきたい」などと述べていた。敗戦から七〇年、戦争国家の道を突き進む安倍政権の政治において、天皇のこの「慰霊」の儀式は、死者の「追悼」から国のための死の顕彰へとつながって行かざるをえないのである。

こうした「敗戦七〇年の天皇制」批判という課題と結びつけながら、4・29反「昭和の日」の行動を作りだしていきたい。多くの人びとの参加と協力を!

敗戦70年:象徴天皇制の70年を撃つ 4・29反「昭和の日」行動実行委員会

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

2015.2.11行動【報告】敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反「紀元節」行動報告

安倍首相が中東を歴訪し、「イスラム国」(IS)を挑発した結果としておきた日本人拘束と殺害、そして沖縄では辺野古基地建設における、なりふり構わぬ日本国家による暴力の行使。「戦争ができる国」ではなく「戦争をする国」の道を猛進している政治的状況。こうした中で私たちは、二月一一日、「建国記念の日」を迎えた。この日安倍首相は「建国記念の日」を記念し、改憲をめざすメッセージを出し、神社本庁や日本会議など右派勢力は、明治神宮会館で「日本の建国を祝う会」を行った。
私たちは、今年の反天皇制運動の集会とデモの最初の取り組みとして、千駄ヶ谷区民会館で「敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反「『紀元節』行動」をおこなった(参加者一三〇人)。

私たちの集会は、主催者による基調発言の後、「侵略」上映委員会の森正孝さんから「安倍極右政権の歴史改ざん主義と中国脅威論」というテーマで、九〇分にわたって講演をしていただいた。
森さんのお話は、「戦後七〇年」にむけて準備されている「安倍談話」がねらう歴史の改ざん(軍隊慰安婦と南京大虐殺の否定)、積極平和主義の名による積極的武力主義の一体化した攻撃について指摘。いわゆる「中国脅威論」の問題について批判するものだった。

続いて連帯アピールが、三・一独立運動九六周年集会実行委員会、「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会、福島原発事故緊急会議、警察の人権侵害を許さない会などから行われ、渋谷に向けてデモに移った。

……ここまでは、いつもの集会報告だが、今回、右翼と権力による集会への介入と破壊策動が、また新たに段階を画したことを報告せねばならない。具体的には右翼による脅迫状と、デモでの逮捕弾圧である。

今回、天皇主義右翼「大行社」は、直前に実行委の参加団体に対して、「天皇制批判のパペット」をやめろ、などとする「申し入れ書」を送り付けてきた。その「申し入れ書」は、「言論・表現の自由」は一般的に認めながら、その「節度」を問うというものとなっている。しかしそれが明らかな脅迫であるのは、当日のデモを監視し、そのような「侮辱表現」があれば、それを「一時的にお預かりする」という点であきらかである。8・15をはじめとするこの間の反天皇制運動のデモに参加された方なら実感されるであろうが、天皇主義右翼による攻撃は、彼らが「侮辱表現」とみなすものにのみ向けられているのではない。それは「一時的にお預かりする」などという「上品」なものではないのだ。彼らが強奪する対象は横断幕やプラカードなどの表現全般、デモ隊への突入や物の投げつけなど、デモそのものが襲撃の対象となっているのだ。これは「シャルリー・エブド事件」における「表現の自由」と「テロ」という問題を想起させるし、彼らもおそらくそれを十分意識していたのではないか。むろん、集会とデモを防衛し、権力批判・天皇制批判の自由を安全に行使するうえでも、われわれとしては、一人でも多くの参加者に結集していただく以外に道はない。そのことに今回、私たちはいっそう努力することになった。当日、とりわけ渋谷では、デモ破壊をねらう街宣右翼が何度も突入を試みが、くだんの団体は、監視以上の行動はなかったようだ。

一方、事前にこの団体による脅迫をも察知していたであろう警視庁は、集会場に向うルートで、検問めいた体制をしき、デモ出発の時点から過剰な規制と大量のビデオ撮影を強行してきた。右翼の攻撃を口実に、デモを不当に規制するのはいつものことだが、今回、赤ジャケットを着た公安警察と思われる部隊がデモに並走して違法撮影をし、しかもデモ隊の中に堂々と入ってくる。これら挑発行為にたいして、原則的に抗議をするのは当然のことである。しかし、この抗議の過程で、仲間の一人が一方的に押し倒され、「公務執行妨害」で逮捕されてしまった。詳しくは別掲の抗議声明を参照していただきたいが、挑発への反撃に逆上した警察官による、「転び公妨」ですらない、ひどい逮捕である。反天皇制実行委のデモへの弾圧で逮捕者が出たのは、おそらく二〇年ぶりくらいのことだ。

その場で「仲間の不当逮捕を許さない。今すぐ仲間を返せ」という声を上げ、デモについていただいていた監視弁護士
には、すぐに接見要求のため原宿署へ向ってもらって、デモを再開。
解散地点の神宮通公園で集約した後、ただちに原宿警察署に移り、三〇人ほどの有志で激励行動に取り組んだ。その場で救援会の準備をすぐに開始し動き始め、翌日には仲間を、完黙のまま取り戻すことができた。

なにやら今年の波乱を予感させる行動となったが、それも、このあまりにひどい政治状況が確実に反映しているであろう。「敗戦七〇年」の今年、私たちは、さまざまな分野で安倍政権との対決に取り組んでいる人びとと、連携を模索しつつ行動を作っていきたい。私たちは、すでに四月二九日の反「昭和の日」行動の準備に入っているが、例年通り、反安保実行委との共催で4・28-29連続行動」という形で集会とデモに取り組んでいきたいと考えている。引き続き、多くの方の参加と協力を訴えます。

(北野誉)

2015.2.11行動【抗議文】2・11反「紀元節」行動での弾圧を許さない! 警視庁・原宿署に抗議します

 私たち「敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反『紀元節』行動」の集会とデモは、130名以上の参加を得て、天皇制と日本国家のあり方を批判する行動を行なうことができました。

 しかし今回の行動では、警察の極めて大規模な警備弾圧が実施され、デモが出発して間もなく、1名の参加者(以下Aさん)が不当逮捕されたのです。逮捕直後から弁護士が接見を試み、デモの終了後、逮捕を実施した原宿署に対する抗議行動を行ない、救援体制もつくり、差し入れも始めました。そして翌日の12日夕方、完全黙秘のまま、被弾圧当該を元気に取り戻すことができました。

 逮捕当日の夜、産経新聞は警察情報垂れ流しの記事を流しました。そこには「逮捕容疑は11日午後4時25分ごろ、東京都渋谷区神宮前の路上で、警戒にあたっていた50代の男性警部補の胸を肘で殴打するなどの暴行を加えたとしている。警部補にけがはなかった」などとあります。

 これは全く逆転した報道です。Aさんが暴行を加えた事実はありません。逆に、この警部補が一方的に暴行を加えた挙句に、Aさんを逮捕したのです。事実は以下の通りです。

 私たちのデモに対しては、日常的に警察のビデオ撮影が実施されています。さらに、機動隊による縦列規制もかけられ、それらによるデモの監視・規制は今回も厳しいものでした。実行委はデモ申請のたびに、思想・信条の自由、表現の自由という権利を、街頭で安全に行使していくために、またそのことを前提に集まってくる参加者の安全を守るために、警察に対して申し入れを行なっています。その一つに、警察による参加者への撮影による肖像権の侵害と威嚇に対する抗議もあります。

 それにもかかわらず、この日の警備においては、赤いチョッキを着た警察官が、ビデオ撮影する警察官とコンビで動きながら撮影を実施していました。彼らは、車道を進んでいるデモの隊列の中にまで割り入って、参加者を押しやりながら堂々と撮影を続けたのです。

 これに対して、Aさんとその周りにいたデモ参加者は、傍若無人の警察官に抗議しながらデモを歩いていました。

 Aさんたちの強い抗議で、ビデオ撮影をしていた警察官は、いったん歩道に上がりました。しかしもう一人の警官(警部補)は、そのままデモの隊列を歩き続けていました。「警察はデモに入ってくるな」という当然の抗議に逆ギレした警部補は、Aさんが手にしていたハンドスピーカーを手ではたき、その拍子に態勢を崩したAさんを転倒させました。その時、多くの公安警察が一斉にデモの隊列に乱入しました。「公務執行妨害」「あの女をとれ!」と指示がとび、Aさんは警官に囲まれて連行され、そのまま逮捕されてしまいました。それまでデモは何の混乱もなく、まったく突然のできごとでした。

 

  今回の逮捕は、この警部補のAさんに対する暴行を正当化するために、逆にありもしないAさんによる暴行をでっち上げようとしたとしか思えないものでした。警部補は大柄で屈強であり、Aさんは痩せ型の女性です。Aさんが一方的に暴行を加えられた様子は、多くの目撃者がいます。したがって警察の側も、今回の弾圧には強弁しうる正当性のかけらさえないことを、十分自覚せざるをえなかったのではないでしょうか。逮捕翌日の12日夕方には、Aさんを釈放せざるをえませんでした。

 釈放は勝ち取りましたが、Aさんは「被疑者在宅による任意捜査」に切り替えられた状態です。事後弾圧や、出頭攻撃など予断を許さない部分もありますが、今回の弾圧にたいしては、確かな反撃をかちとることができています。

 今回の反「紀元節」行動に対しては、事前に右翼団体から、私たちのデモに対する襲撃予告とも思われる文書が送りつけられ、警視庁は、会場周辺を含めた大規模な警備体制を実施していました。決して私たちの本意ではありませんが、反天皇制運動のデモは、ここ数年、今回同様に右翼団体からの暴力的な攻撃や挑発、「右翼対策」を口実とした警察のデモ隊に対する過剰な規制をともなう警備態勢、ひたすら混乱を作り出す公安警察の動きなどが絡まりあって、錯綜しながら、きわめて異様かつ抑圧的な状態の中に置かれている現実があります。また、天皇制に批判的な人々に対して、公安警察による尾行やつきまといなどの人権侵害もおきています。天皇制批判という表現の自由がおかされること、警察による具体的な人権侵害にたいして、ひとつひとつ抗議の声を上げていかなくてはならないと考えます。

 敗戦70年の今年は、さまざまな行動が多くの人びとにより準備されています。その中で、今回のような弾圧は、誰に対しても実施されうるものであり、事実至るところで現実化していることです。
 

 すべてのみなさんに、今後も、熱く堅いつながりをともにつくりあげていくことを呼びかけます。

2015.2.11行動【抗議文】産経新聞の報道に抗議する

*反「紀元節」行動では、2.11デモの逮捕弾圧に関して報じた産経新聞の記事内容に抗議し、以下の文章を送りました。

 

産經新聞社東京本社編集局長 殿

私たち「敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反『紀元節』行動」は、2月11日午後、東京・原宿において集会を行い、その後のデモ行進を主催した団体です。この日警視庁は、繰り返しデモに対する不当な規制と挑発を繰り返し、それに抗議した参加者1名を、不当逮捕しました。

この件について、貴社は「『天皇制反対』デモ中、警察官に暴行 氏名不詳の女逮捕」と題して、当日の21時33分に記事を配信し、同記事は翌日付朝刊にも掲載されました。

私たちは、この事件を報じた貴社の姿勢に、看過しがたいものを感じ、以下の抗議内容を申し入れます。

記事は、「天皇制反対などを訴えるデモを警備していた警察官に暴行したとして、警視庁公安部は11日、公務執行妨害の現行犯で、氏名不詳の女を逮捕した。……東京都渋谷区神宮前の路上で、警戒にあたっていた50代の男性警部補の胸を肘で殴打するなどの暴行を加えたとしている。警部補にけがはなかった」としています。これは、警察発表を垂れ流しにしただけの記事にすぎません。この女性が暴行を加えた事実はありません。逆に、この警部補が一方的に暴行を加えて逮捕したのです。女性は、デモ隊のなかに入って違法な写真撮影などを公然と行っていたこの警部補らに対して、口頭で抗議をしていました。デモの隊列自体は混乱もなく進んでいたのです。抗議に逆上していた警部補がいきなり女性を転倒させ、「公妨」と叫び、これに呼応した警官隊が一斉にデモの隊列に襲いかかったのが事実です。そのことは、多くの目撃者も映像記録もあります。

警察の側にとっても今回の逮捕の不当性は、まったくの不手際であり、なんら言い逃れできないものと自覚していたと思われます。勾留請求はおろか、身柄を検察庁に送致することさえできずに、逮捕翌日の12日夕方に、Aさんを釈放せざるをえませんでした。

これは、あきらかに権力による不当な行為であり、人権侵害です。しかるに貴紙は、ただ警察発表を一方的に垂れ流し、記事を配信しました。マスコミの社会的役割は、言論・表現の自由を擁護する立場にたち、権力者の暴走を監視することにあると思いますが、百歩譲っても、当事者双方の言い分を取材して記事にするくらいのことが、なぜできないのですか。今回の記事は、警察のでっち上げ発表をそのまま垂れ流すことによって、被逮捕者への人権侵害を拡大するものでしかありません。

以上、同様の案件がけっして繰り返されないよう、強く猛省を求めます。

2015年2月23日

敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反「紀元節」行動

2015.2.11行動【連帯アピール】第49回なくせ!建国記念の日・許すな!靖国国営化 2.11東京集会に参加されている皆さんへ

第49回 なくせ!建国記念の日・許すな!靖国国営化 2.11東京集会に参加されている皆さん

 

今年も、私たち2・11反「紀元節」行動は、皆さんと同じ時間帯に、東京・原宿で集会を行い、渋谷へのデモに向かいます。

今回のISによる日本人拘束事件とその結果が明らかにしたことは、安倍政権のすすめる政治が明確な戦争挑発であり、そしてその国家の目的のためには、人びとの命を差し出すことに何のためらいも持たないということでした。安倍はこの事件を奇貨として、海外派兵の拡大、九条改憲を口にしています。安倍政権の暴力性は、沖縄辺野古の新基地建設反対運動参加者に対する、人命に関わるような弾圧にも現れています。

こうした安倍政権の政治に対して、それを危惧し、反対する行動が高まってきています。今日行われる二つの集会とデモも、そうした大きな流れの中にあることを確認したいと思います。

安倍政権の戦争政策が必然的に招き寄せている、新たな戦争による死者の発生、そしてそれを追悼・顕彰することで、戦争を正当化し動員していくことが、始まろうとしています。今日の皆さんの集会がテーマとしている靖国と戦争の問題は、私たちもまた、八月に向けて、今年一年間のテーマとして追求していきたいと思います。ともにがんばりましょう。

2015年2月11日

敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ2・11反「紀元節」行動

2015.2.11行動【基調】敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ2・11反「紀元節」行動集会基調

1 安倍政権と敗戦七〇年

今年も天皇神話に基づく「建国記念の日」(「紀元節」)を、天皇制に反対する行動の幕開けとして迎えた。一方、これも例年どおりだが、神社本庁や「日本会議」など「日本の建国を祝う会」も「奉祝式典」を行った。この「国民の祝日」の制定は一九六六年(施行一九六七年)のことで、敗戦後初の、神権天皇制的な価値を法的に整備したものだった。政府はその後も「元号」「日の丸・君が代」の法制化など、一貫して天皇制強化をはかってきている。

日本の戦後が、植民地支配と侵略戦争の最高責任者であった天皇を免責し、象徴天皇制として始まったこと。あるいは戦争・戦後責任の基本である賠償すらまともに果たさず、そればかりか戦争特需で経済大国の道をひらいた日本の「戦後復興」について。そして、米国の軍事力の傘下に入ることを自ら選択し、沖縄を売り渡し、A級戦犯を総理に据えつつ、米軍従属の軍事・原発大国となった現在まで続く戦後史。敗戦七〇年は、こういったところから始まるはずである。

しかし、敗戦七〇年、日韓条約締結から五〇年でもある今年を大きな節目(チャンス)と捉える政府は、侵略戦争・植民地支配に対する責任は決済ズミとし、天皇とマスコミを最大限利用しつつ、政府にとって不都合なことには蓋をしてしまい、さらなる戦争国家へとその動きを加速させるであろう。

二〇一四年一二月、第三次安倍政権が最低の投票率で成立し、安倍は首相就任早々、改憲への意欲を表明した。実際は、集団的自衛権行使の容認や、武器輸出三原則にとって代わる「防衛装備移転三原則」導入等によって、すでに九条は事実上骨抜きの状態となっている。教育現場では、道徳教育、教科書検定、教育委員会等々、政府の意向通りの再編が繰り返され、教科書から「従軍慰安婦」「強制連行」という言葉が削除される事態もさらに進行している。まさに「戦争は教室から始まる」という事態にある。

河野・村山談話を踏襲「する・しない」で二転三転を繰り返している、今年八月に出すという「談話」についても、安倍は今年に入り、踏襲ではなく「安倍政権としてこの七〇年をどう考えているかという観点から出したい」との見解を述べた。もともと河野談話を覆すための談話であり、本音はいずれも「継承しない」なのだ。安倍の言う「未来志向」の談話とは、侵略戦争への無反省と「積極的平和主義」という名の新たな戦争のためのものでしかない。厳しい監視と抗議の準備を!

また、『朝日新聞』による「吉田証言」取り消しと謝罪報道を、安倍たちは「従軍慰安婦」問題そのものをなきものとしようとするための言論づくりに利用し尽した。世界では通用しないこれらの言論も、国内メディアで大手を振っている。言論統制の手法はメディアの人事にまで介入し、NHKはいまや政府広報機関として位置づけ直され、すでにその報道に大きな影響が現れている。民放においても、その幹部と定期的に会食を繰り返すなど、メディアへの介入、言論統制と、ファシズム国家への暴走が続いている。

二〇一三年一二月の安倍靖国参拝は国内外で大きな問題となったが、その後も、一〇〇名を超える国会議員や閣僚の参拝は引き続き行われ、安倍本人も玉串料や真榊の奉納を続けている。侵略戦争や植民地支配の歴史と、その歴史に対する謝罪や補償の正当性について教えないばかりか、歴史や事実の捏造・隠蔽に疑問を挟ませない、上意下達方式の教育が横行するのは、侵略戦争肯定の靖国を信奉する国家主義者たちが議会の大半を占め、その体制を日本社会が許していることの結果でしかない。

沖縄においては、衆院選直前、沖縄辺野古基地建設の是非をめぐる沖縄県知事選が闘われ、この選挙でも基地建設反対派が勝利し、「基地はいらない」の民意が示された。しかし、第三次安倍政権成立と同時に、政府は基地建設の強行に出た。日本政府の暴挙と闘う現地の人々からは報告や呼びかけが発信されるが、本土のメディアからそれらを得ることはできない。このメディアのありようは、安倍政権下の影響もさることながら、再度の安倍政権を作りだし、沖縄への基地押しつけの歴史と現実に無関心な社会の反映でもある。このことを忘れるわけにはいかない。

福島原発事故から四年、政府は被災者を切り捨て、犯罪的な原発輸出と再稼働に力を注ぎ続けている。あるいは防衛費を増やし福祉予算を削減した。富裕層のための経済政策でさらに格差を拡大した。そして差別・排外主義をあおり、反テロを合い言葉に「強い国」=戦争国家をめざす。国家主義的な性格をより露骨に出してきた安倍政権と「戦後七〇年」の問題は限りなく大きい。不十分すぎるとはいえ、曲がりなりにも共有されてきた戦後的「平和と民主主義」「人権尊重」という価値を、安倍の目指す国家は一掃する。その安倍政権とそれを支える象徴天皇システム。これらとどう闘っていくのか。ともに考え、声を上げていきたい。

2 日米安保の強化、戦争国家化と沖縄の反基地闘争

安倍首相が銀行や商社、軍事産業など四六社の幹部を引きつれてエジプト、ヨルダン、イスラエルなど中東歴訪を行った。その最中にイスラム国から拘束中の日本人二名と引き換えに二億ドルを要求された。それは偶然ではなく、安倍首相が一月一七日、訪問中のエジプトで「イスラム国対策」のため、イラクやレバノンに二億ドルの支援を表明したからである。難民支援、人道支援と称しているが、昨年から米国主導の有志連合で行っているイスラム国掃討作戦と一体の援助である。それは、安倍首相の「イスラム国の驚異を食い止めるため」との発言で明らかである。拘束されている日本人がいながら、イスラム国を挑発したのだ。さらにイスラエル訪問時にはイスラエルと日本の国旗の前でネタニヤフ首相と連携強化を誓ったのである。まさにイスラム国が言う「イスラム国討伐の十字軍に参加しようとしている」のである。しかし、大手マスコミはほとんどそれを報道せず、安倍首相が人命救助のために総力を挙げているかのような演出に手をかした。また、安倍政権の対応を批判した共産党議員のブログは市民からの批判で炎上し、共産党党首は「政府が全力を挙げて取り組んでいる最中だ」と議員を批判した。これを見ても明らかなように「人質事件」以降、一層の挙国一致、翼賛体制が強化されている。安倍政権は「テロには屈しない」との発言を繰り返し、結局人質二名は殺害されるに至った。イスラム国は日本が「勝ち目のない戦いに加わるという無謀な決断」をしたため人質を殺害し、今後も日本人を殺害すると宣言した。そもそも今回の「人質事件」と人質の殺害に至ったのは、安倍政権の「積極的平和主義」の帰結であり、安倍首相にこそ責任がある。戦争国家とはまさに他国、市民からこのような怨嗟や攻撃をもたらすものであり、死者が日常化し、そのたびに戦争国家化、市民の意識変革を含めてすすめられていく。安倍政権は、自衛隊の外国での邦人救出を可能とする法整備や治安管理強化の名目に「事件」を利用しようとしている。

敗戦が必至となった一九四五年二月、近衛文麿は、早期講和を天皇に上奏したが天皇ヒロヒトの「もう一度戦果をあげてからでないと……」との発言によって、凄惨な地上戦である沖縄戦と広島、長崎への原爆投下を引き出し、今も続く甚大な住民被害をもたらした。そして戦後は、自身と天皇制の延命のために「天皇メッセージ」で沖縄を米国に売り渡し、米軍駐留を継続する日米安保条約締結に積極的に動いた。

自民党政権は戦後日本の国体と言える象徴天皇制と日米安保の強化を図ってきた。安倍政権は、中国や朝鮮民主主義人民共和国の脅威を煽りながらより一層日米安保を強化し、日本を「戦争する国」へと転換してきた。

二〇一三年、戦争体制に不可欠な「日本版NSC設置法」と「特定秘密保護法」を強行採決し、防衛大綱などで、より実践的で陸海空三自衛隊が連携する機動力のある攻撃的な自衛隊に改変することを決めた。そして昨年七月一日、九条改憲に等しい集団的自衛権行使容認を国会議論すらせず、閣議決定をするというブルジョア民主主義すら踏みにじる暴挙を行った。

二〇一五年度防衛予算案はその具体化である。四兆九八〇〇億円と過去最大で、一月九日の一四年度補正予算のうち、一五年度に計画していた事業の前倒し分九五〇億円を加えると五兆円の大台を超える。自衛隊を離島「奪還」など攻撃的部隊に改変するための部隊改変と武器などの購入のためである。同様の目的で海上保安庁の予算も前年度比五割増が要求されている。辺野古新基地建設費も前年度当初予算比で八一倍の一七三六億円が計上された。

そしてヤマトにおける米軍の訓練、基地強化も進められている。オスプレイは沖縄だけでなく全土で自治体への事前通告なしで訓練が行われており、岩国基地は普天間基地からのKC130空中空油機が移駐され、今後厚木基地の空母艦載機の転入が計画されるなど数年後には東アジア最大の米軍基地にされようとしている。さらに一二月には米軍経ヶ岬通信所にはXバンドレーダー(高性能早期警戒レーダー)の運用が開始された。そして、今夏にも米原子力潜水艦ロナルド・レーガンが米海軍横須賀基地に配備されようとしている。日本全土が日米同盟の前線基地となろうとしている。

それと一体に経済社会体制も戦争国家に対応するものに転換されている。安倍首相の独裁権力(官僚機構)がつくり出され、大手マスコミ幹部との会食を頻繁に行うなどマスコミの政権翼賛化が進んでいる。既に述べているように、侵略戦争を肯定する歴史観に基づいた教育、教科書へと国家が強権的に介入し、国家にとって役に立たない者は自ら死を選択させる「尊厳死」法制化が目論まれるなど価値観の大転換が行われている。

二〇一四年「武器輸出三原則」を「防衛装備品移転三原則」と言い換えて、武器輸出解禁と武器の国際共同開発を容易にし、戦争、武器で儲ける「死の商人」へと日本の軍事産業を後押ししている。「宇宙基本法」や「原子力基本法」に安全保障という文言が入れられ、軍事利用に道をひらいた。その目的は核燃料サイクル維持、つまり核武装のため以外にはあり得ない。近く成立が目論まれているODA大綱(開発協力大綱)は他国軍への支援を可能にしようとしている。昨年六月、パリで行われた陸上兵器の国際展示会「ユーロサトリ」に、日本が初めてブースを設け、軍事産業一三社が参加するまでになっている。

そうした安倍政権の戦争国家化と真っ向から対決しているのは沖縄民衆である。昨年の名護市長選、名護市議選、沖縄県知事選、衆議院選で辺野古新基地建設反対派が当選したにも関わらず、普天間基地の辺野古移設が「唯一の解決策」「粛々とすすめたい」と県知事選直後に海底ボーリング調査を再開しようとするなど基地建設反対の沖縄の民意を切り捨てた。さらに翁長県知事の面会要請を安倍首相も菅官房長官も拒否し、沖縄振興策を減額するという露骨な締め付けを行っている。沖縄民衆は安倍首相が海保や警察を恫喝して強権的、暴力的な基地建設をすすめる姿勢にたいして、沖縄を植民地と扱う「宗主国」のやり方だと反ヤマト意識を高揚させ、基地建設反対闘争への結集を強めている。東村高江のオスプレイパッド建設に反対する住民を排除するために日米共同使用の路側帯を米軍専用に区域にするなど強行姿勢は辺野古にとどまらない。安倍政権の工事強行は沖縄民衆の結びつきを強め、基地建設阻止の闘いを強めることにしかならない。与那国でも「自衛隊基地建設」を問う住民投票が二月に行われる。

安倍政権が総力をかける日米安保を基本にする戦争体制、沖縄のさらなる前線基地化を止めているのは沖縄民衆の闘いである。問われているのはヤマトの労働者、市民の反戦、反天皇制に貫かれた民主主義であり、日米安保破棄、日米ガイドライン改定阻止、辺野古新基地建設阻止の闘いである。

3 安倍政権と天皇制

すでに述べてきたように、安倍政権による「戦後民主主義国家」の枠組の根底からの解体、とりわけその強権的な政治手法に対して、人びとの間で危機感が大きく広がり、安倍批判の声が高まっている。しかし他方で、安倍と比較して「天皇のリベラルさ」が強調され、それに期待を寄せる言論が組織されていることに、われわれは批判的に注目せざるを得ない。

今年の年頭に当たり、天皇は宮内庁を通じて感想を公表した。そこでは「終戦から七〇年という節目の年……この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なこと」と述べていた。これに対したとえば、元朝日新聞のコラムニスト・早野透は、それは「日本国民よ、満州事変から敗戦まで一五年間の戦争の歴史を十分に学んでいないのではないか、ここでもう一度、日本のあり方がこれでいいのかどうか考えてみようよ、と呼び掛けているように思える」「昨今の日本政治に平和国家日本のかげりを感じとって、日本のあり方を考えることが「今、極めて大切なこと」とあえて言及したのではないか。これから戦争をいささかでも肯定するような動きが起きないか、心配しておられるのではないか」と書いている。

同様の発言が、この間多くの言論人によってなされている。これら天皇発言のなかに、個人としての天皇の気持ちがどれほど反映されているかは知らないが、安倍の政治路線と齟齬を来しているとみえる部分も確かにあるだろう。しかしそれはむしろ、天皇の発言であることによって、現実の支配体制を別の面から支える政治的な機能を果すものであることが、もっと指摘されなければならない。

現在の天皇の大きな「仕事」のひとつとしてあるのは、戦争の被害者、さまざまな災害や事故の被害者や死者に「寄り添い」、被害者を「慰撫」したり「追悼」してみせたりすることだ。しかし、8・15「全国戦没者追悼式」は、日本国家の戦争責任を覆い隠し、戦争の死者を国家による被害者ではなく戦後日本の「平和の礎」として賛美するものである。とりわけ、日本が「戦争ができる国家」から「戦争をする国家」へと全面的な転換を果そうとしている現在、新たな「戦死者」が生みだされる可能性はきわめて高くなっている。靖国神社や無宗教の国立追悼施設をめぐる論議もさまざまにあるが、戦争の死者を、殺し殺させる国家の側がいかに意味づけ取り込んでいくかが、鋭く問われてこざるを得ない。

また、3・11「東日本大震災追悼式典」は、多くの震災の死者を盾にして、この日を「国策」としての原発政策の帰結としてあった原発事故と切り離し、国家の原発事故責任を覆い隠す政府のイベントである。そこで謳い上げられる「復興」とは、被災者を切り捨て、原発再稼働さえすすめるためのものでしかない。天皇は、こうした「国民的」な儀式に不可欠の道具立てとして、その役割を果しているのだ。

現在、安倍政権が進めようとしている労働法制改悪、社会保障切り捨て、法人税切り下げ・消費税増税、インフレ政策など、新自由主義的「アベノミクス」は、一部富裕層に富をますます偏在させ、他方に貧困を蓄積させて社会的格差をいっそう拡大していく政策である。こうした中で、社会的統合に亀裂が生じていることは明らかである。ここで機能としての象徴天皇制に期待されている役割とは、こうした亀裂を、観念的に修復していくことである。それは、「国民統合の象徴」とされる立場からいっても明らかなことである。

しかし、天皇制というのは日本国家におけるひとつの制度である。日本国家がもたらし、もたらそうとしている被害や生きづらさを、日本国家が「被害者に寄り添う」という姿で慰撫しようとすることは欺瞞である。日本国家がなすべきことは第一に被害補償であり、そうした事態を生みだす政策を変えていくことでしかない。

「国民統合の象徴」であり続ける天皇は、時どきの日本国家のあり方に対して、その立場から正統性を与え続けている制度だ。しかし、天皇は現実政治から超越しているかのように演出され続け、そこにはまるで「国家を超える別の共同性」が体現されているかのようである。

天皇制は主に国家儀礼的な面で、時の政権とその政治的な役割を分担してきているのである。いま、天皇と安倍との間に齟齬があったとしても、そういう同じ基盤の上にあるのだ。

国家の「イデオロギー装置」であり、ナショナリズムの源泉でもある現代天皇制の役割を見据え、その政治的な行動を批判する運動を進めていこう。

おわりに

反天皇制運動の課題に限っても、われわれは、2・11以降もさまざまなかたちで、取り組むべき課題と向き合うことになる。

まず、三月一一日、この日を「未曾有の国難の日」と位置づける「東日本大震災の日」制定に向けた国会審議の中で、「東日本大震災追悼式典」が行なわれようとしている。再稼働反対、住民切り捨て・ゼネコン主導の「復興」反対、国家の原発推進政策責任を追及する反原発の闘いと結びついた、式典批判の声をあげよう。

四月八日・九日には、天皇はパラオを訪問し、アジア太平洋戦争の激戦地のペリリュー島で「戦没者慰霊」が行なわれる。これは、「戦後七〇年」の節目における天皇の「慰霊・追悼」行事の、一つの目玉となるだろう。国家による「慰霊・追悼」が、戦争責任を回避するロジックとなってしまう構造を、問いただしていきたい。引き続き、四月二八日には、いわゆる「沖縄デー」を、近代天皇制国家による「琉球処分」以来、沖縄戦と米軍支配を経て、現在に到る日本の沖縄への植民地主義的支配を問い返す日として、二九日の「昭和の日」に反対する行動と一連のものとして取り組んでいきたい。

いわゆる皇室「三大行事」についても、五月一七日石川全国植樹祭が、九月二六日〜一〇月六日和歌山国体、一〇月二四日、二五日富山全国豊かな海づくり大会が開かれる予定だ。これは、各地方への天皇・皇族の「行幸啓」行事であり、それぞれの地域でさまざまな人権侵害を引き起こすものである。天皇の行動が必然的に引き起こすこうした人権侵害に反対する声を上げていきたい。
そして、八月一五日の反靖国・「全国戦没者追悼式」反対行動。とりわけ今年は、敗戦七〇年をめぐる言論状況のなかで、いわゆる「安倍談話」をめぐってもすでにあらわれているように、植民地支配と戦争の責任、歴史認識が鋭く問われる年となる。それは同時に、戦後象徴天皇制の総括とも連動して、次なる「Xデー」に向けた平成天皇制の「総仕上げ」のキャンペーンともなるはずだ。

反天皇制運動の立場から、さまざまな意思表示を続けていこう。

二〇一五年二月一一日

2015.2.11行動【集会案内】敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ2・11反「紀元節」行動 集会とデモへ!

▼講師   森正孝(映画「侵略」上映委員会)

◯安倍極右政権の歴史改ざん主義と中国脅威論
▼日時 2015年2月11日(水)
13時15分開場 *集会後デモ
▼場所 千駄ヶ谷区民会館2F
JR原宿駅/地下鉄北参道駅下車

▼ 12月の衆院選で「勝利」した安倍政権は、どのような無茶も「国民の信任」のもとで強行できると思い上がっているようだ。もはや法も人権も民主主義もない、傍若無人に戦争をする国づくりに突き進む姿しかみえない。

 

▼ 侵略戦争と植民地支配の歴史。戦前より一貫して利用し尽くすだけの支配的関係を強いてきた沖縄の基地問題。原爆被害をまんまと原発推進にすり替えた詐欺の政治。歴史に頬被りを決め、戦争を「平和」と言いくるめてきた日本政府は、米国との密約を重ねることで無反省・無責任な「敗戦処理」と「戦後復興」を果たした。

▼ その結果とも言える差別・排外主義、偏狭なナショナリズムに社会は席巻され、あらたな棄民政策による貧富の格差は拡大するばかり。憲法破壊と戦争国家のゴールがそこに見えている。

▼ そして天皇一族は、戦後的価値が一掃される中で不安定に陥る社会をまとめるべく、すべての矛盾を覆い隠す役割に、今年も忙しく動くことだろう。すでに3.11の東日本大震災追悼式や4月のパラオ慰霊訪問などが予定されている。

▼ 敗戦から70年の今年、放置され形を変えながら残り続けた問題の一つひとつをたぐり寄せ、現在の問題と繋げながら、日本社会と安倍政権にあらためて突き返していきたい。

▼ 敗戦70年最初の反天皇制行動、2.11反紀元節の集会とデモへ!

敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反「紀元節」行動

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

 

2015.2.11行動【よびかけ】敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ2・11反「紀元節」行動への参加・賛同の呼びかけ

二〇一五年、私たちは敗戦七〇年目の年を迎えようとしている。
すでにマスメディアでは、戦後七〇年を意識したキャンペーンが始まっている。この一年、日本の戦後史とその評価をめぐって、さまざまな言論が登場するはずである。そこで、いわば戦後の「総括」の場がつくり出されることは明らかである。

安倍首相は、七〇年目にあたって「安倍談話」を発表したい意向だと言われている。しかし安倍政権においても、右派が期待するような、「従軍慰安婦問題」や日本の侵略を認めた「河野談話」や「村山談話」などを否定する談話を出すことは、事実上不可能だろう。そうではなく、それらを「継承する」と言いながら、あたかも新たな談話を上書きすることで、実質的にそれらを骨抜きにする方向がめざされるのではないか。そしてそれが、植民地支配やアジア太平洋戦争に対する日本の責任に対する言及を欠き、自国中心主義的な「未来志向」を謳うものとなることも明らかだろう。

一九九五年、敗戦五〇年目に出された「村山談話」や「国会決議」は、もとよりきわめて不十分なものでしかなく、それどころか「談話」について解説した村山首相は、「天皇に戦争責任はない」とわざわざ明言していたのだ。しかし、これに対して右派のバックラッシュが巻き起こった。そしてその先頭に立っていたひとりが、ほかならぬ安倍だったのである。

七〇年目を区切りとして、さまざまな場面において、日本の戦後を向こう側から総括し、平和主義や基本的人権など「戦後的価値」を一挙的に清算し、国家主義・強権的方向で「戦争をする国家」への全面的転換を果そうとするのが、安倍の進める政治に他ならない。そしてその道が、今回の衆院選における「勝利」によって「国民の信任を得た」といういい方で、より加速されようとするだろう。

他方、この四月には、明仁天皇夫婦が、パラオを「慰霊訪問」するという。かつて日本の「委任統治領」であった南洋群島のひとつであるこの地は、アジア太平洋戦争中、三か月にわたるペリリュー島の凄惨極まる消耗戦で、日米両軍に大量の死者を出した場所である。未収集の大量の遺骨も放置されたままというこの地での天皇の「慰霊」行為は、悲劇の戦場で「追悼」する天皇、「戦争の死者に思いをはせ、戦争の悲惨さを心に刻む天皇」といった文脈で描き出されることになるだろう。しかし、そこでは、その死者を生み出した戦争、その戦争をおこした近代天皇制国家の責任は、決して問われることはない。

死者は国家がひきおこした戦争の被害者であるというより、なによりもまず、いまの「平和」をもたらした「尊い犠牲」なのだ、だから国民こぞって追悼しなければならない。天皇を先頭に作り出されるこうしたムードは、「お国のために尊い命を捧げた英霊」を、国が顕彰しなければならないという「靖国」の論理と、「国家による死者の利用」という点でつながるものである。それは、その地における具体的な死者と結びつけられるがゆえに、きわめて強固な政治力を発揮するだろう。

明仁天皇は、即位以来、東南アジアや中国などへの「皇室外交」、沖縄や広島・長崎、東京下町、硫黄島、サイパンなど、戦争に関わる加害と被害の地を精力的に回り続けてきた。八・一五における「全国戦没者追悼式」も含めて、国家による「追悼」とそこでの天皇の行為は、つねに国家の戦争・戦後責任を解除し、問わなくさせるための儀式でしかなかった。さらに、「東日本大震災」以降、三・一一が、国家の原発推進政策と原発事故の責任を解除させるための天皇儀式の日ともなっている。

新自由主義政策のもとで拡大する「格差」、大企業や富裕層への優遇と民衆生活の破壊は、この社会に深刻な亀裂を生みだしている。あらゆる分野での国家による「棄民」が進んでいる。こうした分解を観念的に包摂し、「日本」の「国民」として統合する役割は、やはり天皇に与えられているのだ。こうした点において、天皇と安倍政権の役割は「分担」されている。しかし同時に、われわれは、折りに触れて現われる天皇と安倍政権との「齟齬」についても注目していかなければならない。それは少なからぬ「リベラル派」のように、安倍政治を「牽制」するために天皇発言を持ち上げたいからではない。戦後象徴天皇制の現在と、その再編方向をめぐって現われている支配層内部の矛盾が、そこにあらわれているからにほかならない。現天皇によって、二五年以上にわたって重ねられてきたそうした役割を、敗戦七〇年と重ね合わせて、われわれの視点から総括し批判する運動をつくっていかなければならない。

敗戦七〇年の反天皇制運動の第一波として、私たちは例年通り、二・一一反「紀元節」行動の準備を開始している。多くの方の参加・賛同を訴える。

敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反「紀元節」行動

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

 

2014.8.15行動【報告】反「靖国」行動:報告と抗議声明

八月一五日に行なわれた「安倍戦争国家の『追悼』を許さない!8・15反『靖国』行動」は、今回も警察の厳しい規制や右翼らによる執拗な妨害を受けましたが、けが人などを出すことなく、安倍政権への抗議や反靖国、反天皇制の声をあげていくことができました。今回の集会への参加者は二二〇名、デモへの参加者は二五〇名を数えました。厳しい時代状況の中、この集会とデモに参加された皆さん、また、ご支援、ご協力いただいた皆さんに、心からお礼を申し上げます。

今回の行動に対する警察の警備により、大騒音をかきたてる右翼団体の大型・小型の街宣車については、集会会場やデモ行動から遠ざけた位置で規制されました。しかし、いつものごとく警察の警備行動は、在特会らのレイシストグループにはその街宣の場所を確保するものであり、さらに、右翼団体構成員らがデモ行動につきまとい暴行することに対しては、きわめて恣意的な判断で、ある程度自由にやらせるという警備が実施されました。

それは、参加者の身体を著しく傷つける暴力を振るおうとすることに対しては一応止めようとするものの、宣伝カーへの攻撃や参加者のもっているプラカードの強奪などは黙認するというものでした。こうした矛盾に満ちた警備体制のもと、多くの右翼が、歩道のみならず車道をデモ隊と並走し、ヘイトスピーチを含む暴言を投げ続けました。この場で現実に繰り広げられたのは、宣伝カーに対する器物損壊であり、デモの横断幕や旗竿・プラカードなどの強奪と破壊であり、これら暴行に伴う「殺せ殺せ」という脅迫であり、参加者に掴みかかって衣服を破ったり、蹴りや殴打を加えるなどの直接的な暴力によるデモ行動の妨害でした。さらにこれは、重装備の若い機動隊員をも怯ませるほどの暴力の行使でもありました。

そして、このような右翼団体構成員による暴力が、警備の警察官によって一旦は抑止されても、暴行を加えた同一人物が公安の私服警察官と談笑しながらデモに並進し、警備の隙を狙っては形相を変え何度もデモ隊列に向かって突進するという醜悪きわまる光景を、私たちは幾度となく目撃し、また、身をもって体験させられました。

大阪府警が刑法犯の認知件数を大幅に過少に報告していたという問題が七月末に明らかになっています。このように警察では、事件捜査においても、証拠や調書の扱いにおいても、統計事実の扱いにおいても、恣意的な権力行使と隠蔽が常習化しています。明白な右翼の暴力を見過ごすことも、これと軌を一にする問題だと言えるでしょう。

私たちのデモもそうですが、近年、数多くの表現や行動が右翼暴力団やネット右翼などのグループによる暴力にさらされています。しかし警察は、その目の前でふるわれている暴力を見過ごして立件しようとせず、かえって、国家に対する異議申し立てを行う運動、右翼の暴力に抗議する運動に対して、厳しい弾圧を実施してきました。公安警察などによる違法なビデオ撮影も、右翼の暴行を撮影するというよりは、一貫してデモ隊の参加者の特定のために行なわれていました。

これらの事実は、日本国憲法における表現の自由を著しく侵害するものです。また、私たちのみならず、右翼や警察官を除くすべての人々においても、警察の行為に不信感を抱かせるものです。八月二〇日、二一日に開催された国連人権高等弁務官事務所における人種差別撤廃委員会においても、レイシストの側を守るかのような警察による権力行使が誤っていることについて、厳しく指弾されています。

私たちは、右翼暴力団、レイシストグループらによるデモ行動への攻撃を許しません。そして、こうした右翼の暴挙をむしろ勧奨するかのような、公安・警備の警察官の行動を強く弾劾します。

2014.8.15【報告】安倍戦争国家の「追悼」を許さない! 反「靖国」行動報告

八月一五日、私たちは今年も、「安倍戦争国家の『追悼』を許さない!反『靖国』行動」を、二五〇人の結集(集会二二〇人)をもってかちとった。

何度も繰り返していることだが、私たちの行動は、右翼とそれを利用した警察の介入によって、ひどい妨害を受け続けている。天皇制の戦争責任・戦後責任、今に続く植民地支配責任を問い、靖国と戦争国家による「追悼」を批判するという行動のテーマと同時に、あるいはそれ以上に、「天皇制批判」「靖国批判」を、私たちの言論・表現の自由としてふつうに訴えることが、困難さを伴う目標となってきているのは事実である。その意味で「かちとった」というのは、偽らざる実感である。

それでも、私たちの行動の目的は、やはりデモをすることだけではありえない。この課題に関する議論の場を作っていきたい。それで私たちは今年は、実行委としてふたつの前段集会をもった。ひとつは、六月二六日に、沖縄国際大学名誉教授の石原昌家さんをお招きしての講演会「天皇の沖縄訪問反対!沖縄戦・『対馬丸』事件の責任を問う 6・26集会」(渋谷勤労福祉会館)。

これは、六月二六〜二七日にかけて天皇夫婦が沖縄を「慰霊」訪問し、学童疎開船「対馬丸」記念館を参観するということにたいする反対行動として取り組まれたものである。それは、沖縄戦における、強いられた住民の悲劇であり、同時に戦争の被害者を「協力者」として「慰霊・顕彰」する「援護法」行政(その結果としての靖国合祀)という問題でもある。「慰霊よりも謝罪を」というのが私たちの立場だ。詳しい内容は、なんらかのかたちであらためて出していきたいと考えている。

次いで七月二一日には、笹塚区民会館で「安倍戦争国家の『追悼』を許さない! 8・15反『靖国』行動に向けて」と題した討論集会をもった。これは、例年八月一五日に、さまざまな取り組みを続けているグループから発題してもらい、靖国問題、「戦没者追悼」問題をどうとらえているのか、会場も交えて意見を交換していこうという趣旨だ。発言は、高橋武智さん(日本戦没学生記念会・わだつみ会)、荒井克浩さん(日本キリスト教協議会(NCC)靖国神社問題委員会)、村上らっぱさん(靖国解体企画)、北野誉(本実行委)。政教分離原則、「追悼」や「黙祷」のもつ意味、無宗教の「新しい施設」の評価など、8・15当日の行動に直接関わりを持つ、突っ込んだ議論がなされた。

そして迎えた八月一五日当日の行動。集会は、北村小夜さん(元教員)と天野恵一(本実行委)の問題提起。連帯アピールとして、「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会、辺野古への基地建設を許さない実行委員会、福島原発事故緊急会議、安倍靖国参拝違憲訴訟の会・東京、「公安は天皇のための尾行をやめろ!」共同声明実行委員会、差別・排外主義に反対する連絡会、反安保実行委員会、「動き出した日朝交渉いまこそ国交正常化へ!」9・13集会実行委員会。さらに「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動」に参加するために来日していたドイツ人牧師・ポール・シュナイスさんにもご発言をいただいた。

「集会宣言」が読み上げられ、九段方面へのデモに出発。今年も、街宣右翼によるデモ妨害はひどく、宣伝カー、横断幕やプラカードがひっきりなしに襲撃される。また、在特会などは九段下交差点に陣取り、ヘイトスピーチを含む罵声を浴びせ、ペットボトルなども投げ込まれる。

さらに警察による、右翼を利用したデモ規制や違法なビデオ撮影なども相変わらずだ。8・15実行委は解散するが、警察権力による不当なデモ弾圧に対して反撃の準備を始めている。とりあえず、実行委としては、別掲の抗議声明をまとめた。これ以外にも、東京都公安委員会への苦情申し立てをはじめ、継続して問題化していきたいと考えている。この点についても、ブログなどで、近く報告できると思う。

(北野誉)