敗戦七〇年目の二〇一五年は、日本国家が、アメリカ主導の戦争にいつでも、どこでも参加しうる戦争体制に、公然と踏み込んだ年となった。強行的に成立させられてしまった安保関連法案は、二〇一六年三月二九日に施行される。自衛隊が具体的な戦闘行動に参加し、殺し殺される関係へと入っていく危機は、かつてなく高まっている。さらに安倍は、「憲法改正をはじめ、占領時代につくられたさまざまな仕組みを変えていくことが(自民党)立党の原点だ」と述べ、二〇一六年の参院選での「勝利」をバネに、改憲攻撃をさらに強めようとしている。憲法を無視し、現実的にそれを破壊しながら、他方で憲法それ自体をも変えていこうというのだ。
戦後日本の「国体」といえる安保体制と象徴天皇制こそ、「占領」下で日米が合作してつくりだしたものにほかならない。しかし、安倍にとってはそれは否定されるべきものではない。いわゆる「戦後的価値」、平和主義や基本的人権を国家に「優先」させる思想こそ、安倍自民党が否定しようとしているものである。それらは、「私が責任者」と豪語する安倍の、国家主義的・強権的な政治手法と根本的に対立する。二〇一五年秋に、国会前で叫ばれていたのは、こうした強権政治への否認であったはずである。
他方、この一月二六日には、明仁天皇夫婦が、フィリピンを「公式訪問」する予定だ。マニラで歓迎式典やアキノ大統領との会見、晩餐会に出席し、日本政府が一九七三年にラグナ州に建てた「比島戦没者の碑」を訪れるという。日本の侵略戦争の結果、アジア太平洋戦争を通じてフィリピンではきわめて大量の死者が生み出された。圧倒的多数の民間人を含む、フィリピンの死者は一一一万人にのぼる。日本人死者も、地域別では最多の約五一万八〇〇〇人だ。兵士の多くが餓死であるという。
昨年四月、天皇は「激戦地」パラオを訪問し、死者の「慰霊・追悼」をおこなった。それは、「戦争という悲劇の死者に思いをはせ、戦争の悲惨さを心に刻む天皇」といった文脈で描き出された。だが、この多数の死者を生み出した戦争、その戦争をひきおこした近代天皇制国家の責任は、決して問われることはなかった。
今回のフィリピン訪問においても、同じような語りが繰り返されるに違いない。占領下の天皇制は、戦後の象徴天皇制に衣替えし、戦争責任を回避しえた。戦争・戦後責任を一貫して果たさ戦後国家の象徴こそ天皇制である。決して責任者を名指ししない国家による死者の「慰霊・追悼」においては、死者は国家がひきおこした戦争の被害者であるというより、なによりもまず、いまの「平和」をもたらした「尊い犠牲」となる。それは国民こぞって追悼しなければならない。こうして国家責任が問われることはなくなる。そして新たな戦争の死者も、「平和」のための死、国家のための死の賛美という点では、同様の位置づけをされることになるだろう。天皇を中心としてなされる、国家による「慰霊・追悼」を決して許さない。
この間、安倍の強権政治と比較して、天皇の「護憲・平和主義」が肯定的に言及されることが多い。しかし、天皇の役割とは、つねに、現実が生み出す社会的な亀裂を、観念的に糊塗し「修復」する機能を、国家の装置として果すことである。安倍政権による「戦後」総括と戦争政策、改憲攻撃と対決し、その中における天皇制の役割を批判しぬく反天皇制運動をつくっていこう。二〇一六年の反天皇制運動の展開の第一波として準備される、2・11反「紀元節」行動への、多くの方の参加・賛同を訴える。
安倍戦争国家と天皇制を問う 2・11反「紀元節」行動実行委員会
【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会