反天皇制の大衆運動をつくりあげていこう!
今年の二月十一日は、「天皇制はいらない!『代替わり』を問う 二・一一反『紀元節』行動」として、十二団体の呼びかけにより取り組まれた。
まず、日本キリスト教会館から出発したデモ行動は、早稲田通りを高田馬場駅前まで進み、左折して諏訪通りから明治通りに出て、また早稲田通りから集会場の日本キリスト教会館に戻っていくというコース。十一月二〇日の吉祥寺における反天皇制行動を圧殺しようとした右翼の攻撃と警察の警備を撃ち返そうと、一〇〇名を超える人々が結集してくれた。右翼の妨害はやはりあったが、今回は散発的であり、警察の警備体制がかなり広範囲にデモ行動を取り巻いていたため、右翼による攻撃よりも警察の規制が厳しかったが、旗や横断幕、トラメガを奪われたりすることなく、力強い反「紀元節」・反天皇制の声を上げることができた。
今回の2.11集会は、開始された「天皇代替わり」状況の中で、これらとどのように闘っていくのかについて、現場の活動家の声を中心に、問題提起とシンポジウムを行なっていくという内容で行なわれた。
まず、実行委から、集会基調をベースにしながら、天皇代替わり以降の全体情勢の小括を行なった。その中で強調されたのは、天皇制をめぐる憲法論も歴史的に再論議しなければならないのに、それが等閑視されてしまっていることだ。憲法改悪の問題が重大化している中だからこそ、あらためてこれまでの議論を前提に、反天皇制の立場をより打ち出していかねばならない。
続いて、井上森さん(立川自衛隊監視テント村)から、吉祥寺での「11・20 天皇制いらないデモ」への右翼の襲撃と警察の弾圧の経験をもとに、今後の反天皇制の闘いへの問題提起がなされた。圧倒的な暴力にひとたびは潰されたが、逆に、暴力と弾圧をきっかけに、「平成」天皇制のじっさいの姿が露わに浮かび上がったのだ。反撃への意志が多くの人々との深いつながりとともに形になろうとしており、その態勢こそをこれからの闘いの核にしていきたい、そのための活発な議論を呼びかけたいというものだ。
京極紀子さん(「ひのきみ」法制化と強制に反対する神奈川の会)からは、八九年の代替わり過程への神奈川での取り組みの貴重な資料や報道とともに、当時の状況や問題意識を丁寧に紹介。当時と今とでは、天皇制などに対する批判意識も批判層もあまりに縮小してしまってはいるが、そのときの問題意識を現在につなげながら、新たな「天皇のいない社会」を選択する活動をつくりだしたいと報告。
酒田芳人さん(安倍靖国参拝違憲訴訟弁護団)からは、この靖国訴訟がこれまでに問うてきた、政教分離や信教の自由、平和的生存権をはじめとする重要な内容をあらためて提起。判決日も四月二八日と決定し判決の内容も決して期待はできないが、数々の感動的な原告証言がなされ、大きな意味を持つ裁判となっている。発言では、法曹関係者としてはオフレコの発言も交えながら、今後への決意が表明された。
桜井大子さん(女性と天皇制研究会)からは、天皇制の継承が焦点化される中で、あらためて強調されてきた「家父長制」「男系主義」イデオロギーの問題を提起。代替わり過程で自明視されている「伝統」が、どれほど異様なものであるかを問いながら、「家族国家」観を国家の支配と重ねる、自民党改正憲法草案二四条の批判がなされた。
藤岡正雄さん(はんてんの会・兵庫)からは、明仁のメッセージに対する批判論を一つひとつ紹介しながら、これまでの天皇制に対する関西での反対活動について語った。九五年の阪神淡路大震災への訪問をはじめとする天皇の動きが、多くの人権侵害を生みだしてきた。こうした事実への批判を突き出しながら、労働者や市民の運動をいまこそ深いところから作っていきたいとの発言がなされた。
会場からは、さらに憲法論や共謀罪の問題についての提起があり、これらの発言を受けてディスカッションに。裕仁の重病の発覚から「自粛」強要、そしてその死の経過で展開された「天皇代替わり」と比べると、より翼賛の色の強い今回の「代替わり」過程だが、これまでの議論や闘いの経過をふまえながら、天皇制や安倍政治を撃っていく全国的な行動が必要とされている。多くの論点が出されたが、これらは今後もさらに積み上げていきたい。
最後に、つくばの「戦時下の現在を考える講座」や、キリスト者らにより一九六七年からずっと持続されている「なくせ!建国記念の日・許すな!靖国国営化 2.11東京集会実行委」との連帯アピールを交換し、今回の2.11反『紀元節』行動を締めくくっていった。
(蝙蝠)