二〇一九年四月三〇日明仁「退位」、五月一日徳仁「即位」、同日「改元」という日程が、政令として公布された。政府は、菅官房長官をトップとする準備組織を二〇一八年一月に発足させる。これによって、二〇一六年七月一三日の突然のNHKの報道に始まり、明仁天皇自身のビデオメッセージ、「有識者会議」と「退位特例法」の制定と進んできた「生前退位」の道筋が確定した。
私たちも繰り返し主張してきたように、一連の経過のなかで実現したことは、「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果す」こと、すなわち、天皇があるべき「国民統合」を積極的に作り出す能動的存在であるという定義を天皇自身が下し、国会が一致してそれを支持し「国民」がそれに「共感」するという、文字通りの天皇翼賛・挙国一致的な事態であった。
マスコミ挙げての天皇賛美や、隠然と、あるいは公然と露出する右翼暴力に支えられて、天皇制に対する疑問を公然と口にすることが憚られる社会状況が作り出されている。
明仁の退位にあたっては、「退位の儀」なるものを「国事行為」として行う方向性が示されている。当然のことだが、近代天皇制の歴史においてそのような儀式がおこなわれたことなどなく、もちろん、憲法上に何の規程もない。また、明仁即位の時と同様、徳仁即位に関する諸儀式が「国事行為」としておこなわれることもすでに前提とされており、「高御座」や装束など、その儀式に使うための経費の一部として、一二月に発表された財務省の予算案には、早々と一六億円が計上されている。「即位の礼」において新天皇が登る「高御座」とは、高天原から地上に下った皇祖神が座ったとされる神座であり、「皇位の象徴」とされているものだ。このような「天皇制神話」に基づく儀式を、政府は国費で執り行おうとしているのである。
われわれは、こうした状況のなかで、2・11反「紀元節」行動の準備を開始している。この「紀元節」こそ、神武天皇の建国神話にもとづく天皇主義の祝日である。そして、今年の秋(一〇月二三日が予想される)には、「明治一五〇年式典」が、政府主催で行なわれようとしている。私たちは、一九六六年に制定された「建国記念の日」=「紀元節」復活が、一九六八年一〇月二三日に行われた「明治百年記念式典」と連動したものであったことを確認しておかなければならない。それは、日本は歴史貫通的に天皇の国であって、近代化もまた再編された天皇制のもとで実現したという歴史観に基づいている。
今回の一五〇年式典にあたって政府は、「明治以降の近代化の歩みを次世代に残す」とし、「明治の精神に学び、日本の強みを再認識し、更なる発展を目指す基礎とする」などと、その「基本的な考え方」を示している。言うまでもなく、「明治一五〇年」とは、そのまま「近代天皇制一五〇年」にほかならない。それは、植民地化と侵略戦争に始まる近代日本の一五〇年を一連の「近代化過程」としてとらえ、「不幸な時代」はありつつも、それを乗り越えて現在の「平和と繁栄」につながっているのだという、歴史の肯定と賛美とならざるをえない。さらに、かつて「昭和の日」を実現させた民間右派勢力は、現在「文化の日」である一一月三日を「明治の日」とする運動を進めている。「紀元節」「昭和の日」「明治一五〇年」と続く一連の「記念日」を通して、今年一年、天皇と天皇制をめぐる向こう側の歴史観の押しつけは、強化されていくだろう。そしてそれが、来年の天皇「代替わり」に向けた前哨戦となることも確実だろう。
われわれは、この間各地でさまざまなかたちで取り組まれている「天皇代替わり」状況にたいする抵抗とつながりあいながら、今年一年の運動を展開していきたいと考えている。2.11反「紀元節」行動への、多くの参加・賛同、協力を訴えたい。
「代替わり」と近代天皇制150年を問う 2.11反「紀元節」行動
【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制に反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会