2015.4.28-29行動【報告】敗戦70年:象徴天皇制の70年を撃つ4・29反「昭和の日」行動 報告

いま「戦後七〇年」を名目として、国家の枠組みと歴史認識が大きく書き換えられようとしている。安倍グループを中心とする自公政権は、彼らが言うところの「戦後レジーム」を否定し、改憲と軍拡による国家主義体制の構築をいよいよ加速させている。

また天皇明仁らは、これまでにも、外交と慰霊にかかわる国家儀礼を中心に「国事行為」の領域を広げてきていた。昨年は、広島や長崎、沖縄などで「慰霊」を実施したが、今年の四月にはパラオ共和国を訪問し「戦没者慰霊」行為を実施した。パラオをはじめとする南洋の各地は、第一次大戦後に大日本帝国が獲得した、国際連盟の「委任統治」という名の植民地だが、この「慰霊」訪問に際して天皇らはその事実に全く触れることなく、戦争と植民地責任を隠蔽した。これは、安倍らによって進められている全社会的改変を、強くバックアップする明確な政治的行為であった。しかし、ほとんどすべての政党や政治勢力はもちろん、メディアも、さらに安倍政権を批判する人びとの多くもまた、この問題に口をつぐんだ。

この状況を批判するべく、私たちの今回の実行委の活動は、反安保実行委員会との共闘により展開された。反安保実との共同行動はここ数年来つづいており、日米安保体制により日本国家の「戦後」の枠組みを決定づけたサンフランシスコ講和条約が発効した四月二八日と、大日本帝国と「象徴天皇制」をつなぐ昭和天皇の誕生日に制定された四月二九日「昭和の日」に向けて取り組まれている。

四月一二日、水道橋の韓国YMCAにおいて実施された集会「天皇のパラオ『慰霊』の旅 責任隠蔽儀礼を許すな! 殺し殺されるということ」においては、文学者の彦坂諦さんにより、「加害者と被害者」「支配者と被統治者」の関係を視えなくさせる国家の仕組みが厳しく指弾され、約五〇名の参加者を交えて活発な議論がなされた。

四月二八日には、千駄ヶ谷区民会館において「占領・『復帰』そして現在 沖縄基地問題から見た戦後七〇年」と題して、高里鈴代さん(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会)により講演がなされた。高里さんは、大日本帝国の戦争のため捨石として全島あげての強制的な徴用がなされた沖縄戦と、戦後は米軍基地の礎とされ続けている歴史を重ねて批判(講演要旨参照)。七五名を集めたこの集会では、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック、有事立法・治安弾圧を許すな!北部集会実行委員会、日韓民衆連帯全国ネットワーク、福島原発事故緊急会議からも、連帯アピールがなされた。

今回の連続行動の締めくくりとして、四月二九日には、「象徴天皇制の七〇年を撃つ 四・二九 反『昭和の日』行動」が新宿柏木公園を出発地とするデモとして取り組まれた。今回のデモにおいては、沖縄の辺野古基地建設において海上保安庁や警察に護られつつ、JVとして中心的な役割を果たしている大成建設への抗議行動も実施した。大成建設は戦前には大倉組として数々の国策事業を推進した過去も持つ。前段集会で、実行委からの前日の集会報告に続き、自由と生存のメーデー、反五輪の会、「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会などからの連帯アピールを受けた後、約一〇〇名の参加者は、「昭和の日」、辺野古基地建設などに反対するコールを高らかに上げながら、新宿を一周するデモを展開した。

「敗戦七〇年と象徴天皇制の七〇年を撃つ」取り組みは、反「紀元節」闘争、そして今回の連続行動として展開されてきた。今回の実行委員会としては一区切りとなるが、もちろん、これはまだまだより大きな闘いへと重ねられていかなければならない。国会においては、憲法九条の原理的な枠組みも、歴代内閣による制約もすべて取り払い、ときの政府による恣意的な解釈により、自衛隊を米軍とともに臨戦態勢へと対応させられようとしている。「戦争は平和である、自由は屈従である、無知は力である」(G・オーウェル)という異様きわまる世界の解釈が、平然とまかり通っている。

さらに安倍は、米国議会そして米軍に対する媚びへつらいと欺瞞に満ちた米連邦議会演説を経て、侵略と戦争への責任をないがしろにする「戦後七〇年談話」を準備中であるとされる。私たちは、今回の行動を通じた人びととのつながりをもって、これら全体と闘う今夏の行動への準備にもとりかかっている。多くの人々とともに、よりいっそう強く幅広い闘いをかちとっていきたいと心から希む。

(蝙蝠)