「よびかけ」カテゴリーアーカイブ

「退位特例法」反対行動【よびかけ】「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」を廃案にすることを求めます

 私たちは、以下のメッセージへの賛同を集め、国会議員に向けて送る予定です。時期も迫っておりますので、すでに5月18日段階で仮集約を行い、閣議決定がなされるという19日付で、国会議員やマスコミに向けて現在の賛同団体の連名で発信を行います。
なお、こののちにも引き続き賛同を集めたいと考えます。この文書に賛同をいただける団体は、メールを、
taiihou@han.ten-no.net ……にお送りください。

8・15 反「靖国行動」実行委員会(準)


【要旨】天皇の「発議」による法の制定は違憲であり、日本国憲法体制の根幹を否定する。異なった見解を排除してなされる立法は、民主主義に反するもので許されてはならない。あらためて広く議論を喚起するべきであり「退位特例法」は廃案にせよ。

 

現在制定されようとしている「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」には、その立法の前提に憲法上の重大な問題があります。このような法律を、十全な論議も経ないで制定されることがあってはなりません。

日本国憲法は、第四条において、天皇の国政に関する権能を否定しました。さらに、第九九条において、天皇自身に憲法の尊重と擁護の義務を課しています。

二〇一六年夏のいわゆる「天皇メッセージ」において、明仁天皇は、天皇が高齢になり身体が衰えても「国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくこと」は無理だとし、重病などによりその機能を果しえなくなった場合に、天皇の行為を代行する摂政を置くことについても、適用を否定しました。天皇による「拒否権」の事実上の行使により、皇室典範上に規定のない「天皇の退位」を求め、天皇・皇室関連法の改定を要請したのです。これは、明らかに国政に関する干犯であり、違憲行為であることを十分に認識しながらなされた、天皇による政治行為です。

現天皇は、即位にあたって「日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い」、それからのちにも「護憲」の意思を繰り返し表明しています。にもかかわらずなされた今回の天皇自身による違憲行為は、明確に否定されねばなりません。事実上、天皇の「発議」による皇室関連法の改定は、現憲法と皇室関連法の法的位置を、大日本帝国憲法と旧皇室典範のそれに、限りなく近づけるものです。

現天皇は、さきの「天皇メッセージ」においても、またそれまでの多くの発言においても、「国事行為」として憲法に規定のない自らの公的な行為のすべてを「象徴としての行為」としています。このように、天皇や皇族たちにより現実に進められていることは、一貫して天皇の権能の拡大であり、解釈改憲とも呼ぶべき事態がそこにはあります。

天皇の「退位」は、現憲法においても皇室典範においても規定がなく、憲法制定の当初から、むしろ意図的に天皇の「退位」は否定されてきていますが、それでも、天皇の究極の「人権」として、天皇の地位からの「脱出の権利」を認めるべきではないかという有力な憲法解釈が存在します。しかし、今回のいわゆる「退位特例法」は、まったくそのようなものではありません。

今回の「退位特例法」には、第一条に「趣旨」として、天皇のこれまでの国事行為のほか「象徴としての公的な御活動」を賛美し、「国民」が天皇を「深く敬愛し」「お気持ちを理解し、これに共感」という、法として他に類例のない記述で満たされています。これらはいずれも立法にあたって議論の対象とすらされていません。そのことは、この法案がきわめて異質なものであることを表しています。

また「退位特例法」においては、現天皇は退位後に天皇に準じる「上皇」となり、現皇后は皇太后に準ずる「上皇后」となります。「上皇」が憲法上の国事行為を行うことができないのは明らかですが、そもそも憲法上の規定のない「象徴としての行為」については、さらに憲法上の制約があいまいなものとして、恣意的に維持されることになるでしょう。「上皇后」については、皇太后と同様の存在とされており、摂政となることも否定されていません。

「上皇」「上皇后」という存在とともに、同じく新たに規定された「皇嗣」という存在ともあわせ、天皇および皇族の地位や権能は、明らかに拡大されており、日本国憲法体制における天皇や皇族の制約もまた、同時に緩和されています。これらはいずれも、立憲主義に基づいた法体制を突き崩し、「天皇制」を強化安定させるためのものです。敷衍するなら、それは即ち、憲法上の国民主権をも揺るがすものとしてあります。

天皇や皇族の権能やその行為について、厳密な議論をすることなく、それどころか国会での開かれた議論自体があたかも「不敬」であるかのごとく拒絶して、衆参両院議長の与野党間調整により、法制定の内容や経過を隠蔽しつつ進められていることは許されません。

さらに、天皇の「退位」に伴い、新天皇による「皇位の継承」がなされることになります。「退位特例法」制定における、このような憲法上の問題をそのままに、なし崩しの退位や即位が行なわれることに対して、私たちは強く懸念を持ち、批判せざるを得ません。私たちは、まずもって「退位特例法」の廃案を強く求めます。

2017年5月19日

アジア連帯講座
安倍靖国参拝違憲訴訟・東京事務局
茨城不安定労働組合
映画『侵略』上映委員会
関西単一労働組合
京都「天皇制を問う」講座実行委員会
研究所テオリア
札幌・改憲阻止!労働者市民行動
参戦と天皇制に反対する連続行動
しずおか改憲阻止の会
静岡県学校労働組合
志太憲法を大切にしよう会
宗教者平和の会・今治
象徴天皇制を考える会
女性と天皇制研究会
人権と報道・連絡会
全関東単一労働組合
戦時下の現在を考える講座
戦争と「日の丸・君が代」に反対する労働者連絡会・豊中・北摂
立川自衛隊監視テント村
天皇制いらないデモ実行委員会
天皇制に問題あり!福岡連絡会
天皇制を考える会(静岡)
反安保実行委員会
反戦反天皇制労働者ネットワーク
反戦反天皇制労働者ネットワーク・関東
反天皇制運動連絡会
反天皇制市民1700ネットワーク
ピース・フィロソフィー・センター(カナダ・バンクーバー)
「日の丸・君が代」強制に反対の意思表示の会
「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会
ピリカ全国実関東グループ
福岡地区合同労働組合
平和をあきらめない人々のネットワーク・福岡
平和を考え行動する会
不戦へのネットワーク
辺野古リレー~辺野古のたたかいを全国へ~
靖国合祀イヤです!アジアネットワーク
靖国・天皇制問題情報センター
連帯社
労働運動活動者評議会
労働者共闘

2017.4.29行動【よびかけ】天皇「代替わり」と安保・沖縄・「昭和の日」を考える4.29行動への参加・賛同を

今年二月の安倍・トランプの日米首脳会談における共同声明では、日米同盟の強化が謳われ、「核及び通常戦力の双方によるあらゆる種類の米国の軍事力を使った日本の防衛に対する米国のコミットメントは揺るぎない。(略)米国は地域におけるプレゼンスを強化し、日本は同盟におけるより大きな役割及び責任を果たす」とされた。

米国では、「日本の首相はトランプ大統領の心をつかむ方法を教えてくれた。それは媚びへつらうことだ」(米誌タイム)、「トランプ大統領との個人的な結びつきを強めようとする安倍首相の強い決意は他の国の首脳とは対照的」(ワシントン・ポスト)などと報道された安倍は、札付きの天皇主義右翼である。

また、先の共同声明では、さらに「両首脳は、日米両国がキャンプ・シュワブ辺野古崎地区(沖縄県名護市)及びこれに隣接する水域に普天間飛行場(同県宜野湾市)の代替施設を建設する計画にコミットしていることを確認した。これは、普天間飛行場の継続的な使用を回避するための唯一の解決策である」とも盛り込まれた。

他の解決策を真剣に探ることなく、ただただ沖縄に押しつければよいという日本政府・安倍政権が振り回す「唯一の解決策」という文言がここでも使われている。

ひたすら米国に「媚びへつらう」ことと愛国(天皇制の信奉)の矛盾(天皇ヒロヒトにとっては自身の「保身」として矛盾しなかったが、安倍にとっては明らかに矛盾)。日米同盟の歪さ(在日米軍の特権的な地位での存在)を隠すための沖縄への基地のしわ寄せ・押しつけ(構造的沖縄差別による日米安保体制の維持)。

これらは、明治以降の植民地支配・侵略戦争を展開した天皇制国家の(沖縄を捨て石にしての)敗北から、米軍占領を経て(冷戦という国際政治環境のなかで)、サンフランシスコ講和条約(と同時に結ばれた日米安保条約とともに)という形での日本の主権回復(沖縄の切り捨て)によってもたらされた矛盾である。

私たちは、戦前・戦中の天皇制国家の大罪を敗戦を契機として償う(償わせる)ことができなかったうえに、さらに「誤った」戦後の歴史を積み重ねてきてしまっている。

アイヌモシリ統合と並んで近代天皇制国家の出発点をなす「琉球処分」、沖縄差別・収奪政策、「皇民化」政策から沖縄戦、米軍支配と「本土」からの切り捨て、「復帰」による再統合と安保前線基地化といった歴史は、そのまま日本による沖縄支配の歴史であり、その一貫した持続であった。

4.28=一九五二年に「誤った」戦後が始まった日。沖縄が米国に売り渡された日。4.29=その責任を負う天皇ヒロヒトの誕生日。
今年もこの両日を視野に、戦後日本の象徴天皇制国家と「構造的沖縄差別」によって維持されている「日米安保体制」を問う行動に取り組む(今年は、29日に集会とデモを予定)。

多くの人びとの参加・賛同をお願いします!

天皇「代替わり」と安保・沖縄・「昭和の日」を考える4.29行動

【呼びかけ団体】
アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/ピープルズ・プラン研究所/「日の丸・君が代」の強制に反対する意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

2017.2.11行動【よびかけ】天皇制はいらない!「代替わり」を問う2.11反「紀元節」行動への参加・賛同を

七月一三日のNHKの報道、そして八月八日の明仁天皇自身のメッセージ読み上げによって、いわゆる「生前退位」をめぐって、次代の天皇制をどのように再編成していくかが、支配階級にとっての大きな課題となった。

明仁の最大のメッセージは、「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果す」こと、すなわち、天皇制はたんに、いまある「国民統合」を象徴しているだけの受動的な存在なのではなくて、あるべき「国民統合」を積極的に作り出す存在であるということである。そしてそれは、「地方への旅」や式典での「おことば」、国内外における「慰霊」や「海外親善」などをこなしてきた天皇自身の自負に支えられている。しかし、それら「天皇の象徴的行為」なるものは明確な憲法違反の行為である。天皇の行為は、憲法に具体的に明記された名目的かつ儀礼的な「国事行為」のみに限定されており、そうしてはじめて天皇制の存続は許された。政府は「生前退位」などを論議する「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」を発足させ、すでに一六人のヒアリングを終えて、メンバーによる論点整理に入っている。一二月七日の第六回会合では、「公的行為」については、その時々の天皇が「自らの考えで程度、内容などを決めていけばよい。天皇、時代によって異なるべきだ」との認識でおおむね一致し、また、ヒアリングで賛否が拮抗した「生前退位」については、一定の条件を付けたうえで容認すべきだとの意見が出たと報じられている。「公的行為」の内容を天皇が決めてよいというこの見解は、きわめて驚くべきことである。それは、内閣の「助言と承認」のもとにしかその行為をなしえない天皇の地位を、能動的な君主へと変更することを意味するからだ。

まだ結論は見えないが、当初、すぐにでも「皇室典範」改正まで進むかのように見えた「生前退位」をめぐる論議が、「一代限り」「特例法」の線にまで「後退」していくにあたっては、その保守的家族観から男系主義に固執する安倍をはじめとする右派勢力の引き戻しがあっただろう。しかしわれわれは、このような論議の土俵を先制的に作り出したものが、天皇それ自身の言葉であったということを、再度確認しておかなければならない。

すでに、「平成三〇年」にあたる、二〇一八年中の「即位・大嘗祭」が日程として上り始めている。現天皇の「大嘗祭」は、「国の行事」ではなく「皇室の行事」とされたが、「公的な行為」として臨時の予算が国から支出された。「大嘗祭」や、「即位」にともなう「三種の神器」の承継儀式などは皇室神道の儀式であり、国家が宗教的行為を行うことを禁じた憲法の政教分離原則の侵害にあたる。そして二〇二〇年には、天皇を名誉総裁として戴く東京オリンピックが開催され、それが新しい天皇の、国内外における大舞台のデビューとなるだろう。

こういった「公務」の拡大を通じた天皇の「元首」然としたふるまい、公然たる政教分離違反の皇室祭祀の前面化などが、安倍政権の下ですすめられようとしている改憲プランと、その点においては一致していることは明らかである。天皇の「平和主義」は、国際貢献や「積極的平和主義」の名のもとで拡大している、日米同盟のもとでの自衛隊の海外派兵という現実と矛盾することはない。実際に明仁天皇は、PKOに参加した自衛隊員などへの「接見」を、何度も「公務」として行なっている。そして、8.15をはじめとする、天皇による戦争の死者に対する「慰霊」は、再び戦死者が生み出されようとしているこの時代にあって、殺した国の批判ではなく、国のための死の「尊さ」を謳い上げるための儀式とならざるをえない。このような状況のなかで、われわれは、2.11反「紀元節」行動に取り組む。いうまでもなく「紀元節」は、神武天皇の建国神話にもとづく天皇主義の祝日である。宮中祭祀としての「紀元節祭」は戦後とりやめとなったが、現在も「臨時御拝」の名で、同様の宮中祭祀が続けられている。それは、日本は天皇を戴く国であるという、イデオロギー的な基礎を、安倍を含む右派勢力に広く提供し続けているのだ。

「天皇代替わり」状況と、それにたいする抵抗はすでに開始されている。「代替わり」に反対する吉祥寺のデモは、大量の右翼の襲撃と、それを容認する警察による厳しい規制に見舞われた。その存在が引き起こす人権侵害に反撃し、「天皇代替わり」過程の総体にどう向き合っていくかが問われている。この2.11を出発点として闘いを開始しよう。

天皇制はいらない! 「代替わり」を問う 2・11反「紀元節」行動

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/キリスト教事業所連帯合同労働組合/研究所テオリア/市民の意見30の会・東京
スペース21/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/ピープルズ・プラン研究所/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

2016.8.15行動【よびかけ】「聖断神話」と「原爆神話」を撃つ8・15反「靖国」行動への参加・賛同を

五月二七日、「伊勢志摩サミット」に出席していたオバマ米大統領は、現職大統領として初めて広島を訪問した。広島でのオバマ訪問は「歴史的出来事」とされ、マスコミの世論調査で、九割以上の回答者がオバマの広島訪問を「よかった」と答え、それを「コーディネート」してみせた安倍政権の支持率も上昇した。

オバマは広島で「核兵器のない世界を目指す勇気を持たなければならない」と述べたが、それはなんら具体性を伴うものではなく、むしろオバマ政権は核関連予算を増大し、新型核巡航ミサイルなどの「近代化」をすすめるとしている。そして何より、オバマは原爆がこの地にもたらした非人道的な大量無差別虐殺行為について、なんら謝罪することはなかった。アメリカは始めから謝罪を拒否していた。今回のオバマの広島滞在も五〇分にすぎず、原爆資料館には、一〇分もいなかった。そして日本政府もまた、謝罪を要求しなかったのである。

安倍首相は五月中旬、「被爆国の首相と、核兵器を使用した国の指導者がともに犠牲者に哀悼の誠をささげることが核のない世界に向けての一歩になる」と語り、当日も「日本と米国が、力を合わせて、世界の人々に『希望を生み出す灯』となる」と宣言した。また、オバマは、そこから広島へ向かった米軍岩国基地において海兵隊員を激励し、日米同盟が「繁栄の基礎だ」と述べ、広島訪問の意義として「元敵対国が単にパートナーだけでなく、親友、最強の同盟国になれる」と強調している。二五日に行なわれた日米首脳会談においても、沖縄における米軍属による女性殺害・死体遺棄事件への大きな怒りが高まっているのに、「基地縮小」はおろか「日米地位協定の見直し」すら安倍は口にしなかった。

結局、オバマと安倍が広島でおこなったことは、「日米同盟」強化のためのパフォーマンスにすぎなかった。安倍が進める全国家的な再編は、戦争体制構築をその重要な環として進んでいる。自民党改憲草案は、立憲主義を破壊し「天皇元首化」をも掲げるものだが、「緊急事態条項」などを突破口として改憲を明言する安倍政権において、日米の軍事一体化と修正主義的な歴史認識は同時に追求されなければならない課題である。今回のオバマ広島訪問で演出されたのは、原爆殺戮の記憶を「和解と未来志向」で塗りつぶすことだ。明白な戦争犯罪さえもが、日米の「希望」のための道具として利用されたのである。

安倍はここで自らを、「被爆国の首相」とすることで、あたかも戦争の被害者であるかのような物言いをした。だが原爆殺戮は、近代日本の植民地支配と侵略戦争の帰結として引き起こされた、日米両帝国主義の戦争の過程でおきたことである。アメリカに原爆を投下した責任があるのと同じく、日本にはそれを招いた責任がある。強制徴用された多数の朝鮮人や、連合軍の捕虜をも含む二一万人にのぼる広島・長崎の原爆の死者を生み出したのはアメリカと日本であり、広島においてオバマが被害者に対して謝罪しなければならなかったと同様、安倍も被害者に謝罪しなければならなかったのだ。

こうした中で、私たちは八・一五の反「靖国」行動の準備を始めている。

敗戦七〇年の昨年、私たちは、広島現地で準備された「8・6ヒロシマ平和へのつどい2015」と連動しながら、「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍政権の歴史認識を批判する行動として、八・一五行動を取り組んだ。日本の「侵略」や「植民地支配」の責任の主体を限りなくあいまいにし、「未来志向」を謳い上げた「安倍談話」の思想は、今回の広島訪問における志向性と通底している。そして私たちが忘れてはならないのは、本来敗戦の日ではない八月一五日が「終戦記念の日」「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とされていることの意味である。いうまでもなく、八月一五日とは、天皇の「玉音放送」がなされた日である。ポツダム宣言の受諾は八月一四日であり、ミズーリ号上での降伏文書への調印は九月二日だ。にもかかわらず、八月一五日が「終戦の日」であるのは、いわゆる天皇の「聖断」によって戦争が終結し、日本国民は救われたとする昭和天皇の神話に基づくといわなければならない。アメリカにおいて、戦争を終わらせ多くの米軍兵士の命を救ったものが原爆であるという神話があり、日本においては戦争を終わらせ多くの日本軍兵士と民間人の命を救ったものが天皇の「聖断」であるという神話がある。戦争の「語り」においてこの二つは対応し、かくして、「原爆民主主義」と「天皇制民主主義」が戦後日本の出発において刻印されることになったのだ。それは安保の「核の傘」を支えとして戦後日本に構造化されている。

私たちは、このようなかたちで、日本の植民地支配責任・侵略戦争責任と、アメリカの原爆大量虐殺の責任とを、ともに隠ぺいしていく八・一五をめぐる歴史認識の欺瞞性を撃つ視点から、今年の八・一五行動を取り組んでいきたいと考える。

安倍戦争国家による海外派兵の拡大が、新たな戦争の死者を生み出すことになるのは不可避だ。そういう戦争国家においては、国のための「死者」を、賛美・顕彰する「慰霊・追悼」儀礼と、そのための場所は不可欠である。靖国神社は歴史的にそのような場所であり続けていたし、戦後も一貫して、国の支援を受けてきた戦争神社である。毎年八月一五日に九段で行なわれる天皇出席の「全国戦没者追悼式」もまた、国家の戦争責任を解除し、戦争の死者を「平和」の礎として価値あるものとする儀式である。首相閣僚の靖国神社参拝をめぐって、それが「政教分離」違反であるとの批判を、安倍は「宗教行為ではなく習俗」であると強弁している。さらに伊勢志摩サミットの初日には、公式行事としてG7首脳の伊勢神宮「参拝」がおこなわれた。これらは、神道非宗教論を掲げた戦前の「国家神道」体制の、新たな装いによる再形成の動きともいうべきものである。

われわれはこうした問題意識に立って、今年の反「靖国」行動を、闘っていきたい。実行委員会への参加・賛同・協力を訴える。

 

 

「聖断神話」と「原爆神話」を撃つ8・15反「靖国」行動

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」の強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

2016.4.28-29行動【よびかけ】安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う4・28-29連続行動への参加・賛同を

昨年九月に「戦争」法を強引に成立させ、安倍政権は戦争遂行国家の完成に向けてひた走っている。それは法整備に続き、自衛隊の強化(五兆円という軍拡予算を見よ!)と武力行使を伴う海外派兵の拡大へと向かっている。それはもちろん、米軍と一体となっての、世界中での軍事力行使への道である。そしてその負担は、沖縄にのしかかる。

来年度の防衛予算では、南西諸島など島嶼防衛の強化を謳い、垂直離着陸輸送機V22オスプレイ四機(四四七億円、一機約一〇〇億円、ちなみに米軍は約半額の一機五〇億から六〇億円で購入しているという)や水陸両用車「AAV7」一一両(七八億円)の導入費、鹿児島・奄美大島と沖縄・宮古島への部隊配備費(一九五億円)が計上された。与那国島には、航空機や艦艇の動向を探り、中国軍の通信を傍受する沿岸監視隊の駐屯地建設が進められており、宮古島には、地対空・地対艦ミサイル部隊、警備中隊など七〇〇人の陸自部隊を配備する計画が進行中である。昨年一一月には、陸上自衛隊による、南西防衛を目的にした初めての実動演習も九州・沖縄で行われた。

そして辺野古。国と沖縄県との「和解」で一時「休戦」の模様だが、安倍政権は、「(普天間移設は)辺野古基地建設が唯一の解決策」との姿勢をまったく崩さず、沖縄県議会選挙(六月)や参議院選挙(七月)後には、またあらゆる強引な手法によって米軍海兵隊の新基地建設を強行してくるだろう。

アイヌモシリ統合と並んで近代天皇制国家の出発点をなす「琉球処分」、沖縄差別・収奪政策、「皇民化」政策から沖縄戦、米軍支配と「本土」からの切り捨て、「復帰」による再統合と安保前線基地化といった歴史は、そのまま日本による沖縄支配の歴史であり、その一貫した持続であった。そして、北海道・沖縄に始まる植民地主義の拡大は、東アジアへと拡大し、アジア・太平洋戦争へと至る、植民地支配と侵略戦争に行きつき、アジア・太平洋と日本の民衆に大量の被害と死者を生み出すこととなった。

米国の世界戦略の中で、こうした日本の植民地支配・侵略戦争の責任は曖昧にされ、その補償は不十分な形に切り縮められ、戦後国際社会に復帰することになる(サンフランシスコ講和条約)。同時に成立した日米安保条約(旧条約)は、天皇ヒロヒトが、自己保身と天皇制維持のために、沖縄を米国に「売り渡す」(天皇メッセージ)など積極的に推進した結果、生まれたものである。

戦前・戦中にくわえて、戦後における天皇が沖縄に対して負う重大な責任は、アキヒト天皇が、沖縄への思いをことあるごとに口にし、「慰霊」を繰り返したとしても相殺されるものではまったくない。むしろそれは、日本国家(天皇制)の沖縄差別支配の歴史と現在を隠蔽し、日米の前線基地におかれる沖縄において噴出する人びとの怒りをなだめ再び「日本(ヤマト)」に包摂する政治的機能を果たそうとするものにほかならない。

戦後日本の象徴天皇制国家は、「構造的沖縄差別」によってこそ「日米安保体制」を維持し続けてきたのである。

「誤った戦前・戦中の日本のあり方」を総括して精算して再スタートするべきであった戦後の出発点(4・28)は、「誤った戦後国家」のスタートとなってしました。

4・28(沖縄デー:誤った戦後のスタートから六四年目)と4・29(「昭和の日」:六九年前に沖縄を「売り渡した」天皇ヒロヒトの誕生日)の歴史を問う、反戦・反天皇制の連続行動を今年も作りだしていきたい。多くの人びとの参加と協力を!

安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う4・28-4・29連続行動

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」の強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

 

2016.2.11行動【よびかけ】安倍戦争国家と天皇制を問う2.11反「紀元節」行動への参加・賛同の呼びかけ

敗戦七〇年目の二〇一五年は、日本国家が、アメリカ主導の戦争にいつでも、どこでも参加しうる戦争体制に、公然と踏み込んだ年となった。強行的に成立させられてしまった安保関連法案は、二〇一六年三月二九日に施行される。自衛隊が具体的な戦闘行動に参加し、殺し殺される関係へと入っていく危機は、かつてなく高まっている。さらに安倍は、「憲法改正をはじめ、占領時代につくられたさまざまな仕組みを変えていくことが(自民党)立党の原点だ」と述べ、二〇一六年の参院選での「勝利」をバネに、改憲攻撃をさらに強めようとしている。憲法を無視し、現実的にそれを破壊しながら、他方で憲法それ自体をも変えていこうというのだ。

戦後日本の「国体」といえる安保体制と象徴天皇制こそ、「占領」下で日米が合作してつくりだしたものにほかならない。しかし、安倍にとってはそれは否定されるべきものではない。いわゆる「戦後的価値」、平和主義や基本的人権を国家に「優先」させる思想こそ、安倍自民党が否定しようとしているものである。それらは、「私が責任者」と豪語する安倍の、国家主義的・強権的な政治手法と根本的に対立する。二〇一五年秋に、国会前で叫ばれていたのは、こうした強権政治への否認であったはずである。

他方、この一月二六日には、明仁天皇夫婦が、フィリピンを「公式訪問」する予定だ。マニラで歓迎式典やアキノ大統領との会見、晩餐会に出席し、日本政府が一九七三年にラグナ州に建てた「比島戦没者の碑」を訪れるという。日本の侵略戦争の結果、アジア太平洋戦争を通じてフィリピンではきわめて大量の死者が生み出された。圧倒的多数の民間人を含む、フィリピンの死者は一一一万人にのぼる。日本人死者も、地域別では最多の約五一万八〇〇〇人だ。兵士の多くが餓死であるという。

昨年四月、天皇は「激戦地」パラオを訪問し、死者の「慰霊・追悼」をおこなった。それは、「戦争という悲劇の死者に思いをはせ、戦争の悲惨さを心に刻む天皇」といった文脈で描き出された。だが、この多数の死者を生み出した戦争、その戦争をひきおこした近代天皇制国家の責任は、決して問われることはなかった。

今回のフィリピン訪問においても、同じような語りが繰り返されるに違いない。占領下の天皇制は、戦後の象徴天皇制に衣替えし、戦争責任を回避しえた。戦争・戦後責任を一貫して果たさ戦後国家の象徴こそ天皇制である。決して責任者を名指ししない国家による死者の「慰霊・追悼」においては、死者は国家がひきおこした戦争の被害者であるというより、なによりもまず、いまの「平和」をもたらした「尊い犠牲」となる。それは国民こぞって追悼しなければならない。こうして国家責任が問われることはなくなる。そして新たな戦争の死者も、「平和」のための死、国家のための死の賛美という点では、同様の位置づけをされることになるだろう。天皇を中心としてなされる、国家による「慰霊・追悼」を決して許さない。

この間、安倍の強権政治と比較して、天皇の「護憲・平和主義」が肯定的に言及されることが多い。しかし、天皇の役割とは、つねに、現実が生み出す社会的な亀裂を、観念的に糊塗し「修復」する機能を、国家の装置として果すことである。安倍政権による「戦後」総括と戦争政策、改憲攻撃と対決し、その中における天皇制の役割を批判しぬく反天皇制運動をつくっていこう。二〇一六年の反天皇制運動の展開の第一波として準備される、2・11反「紀元節」行動への、多くの方の参加・賛同を訴える。

安倍戦争国家と天皇制を問う 2・11反「紀元節」行動実行委員会

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

 

2015.8.15行動【よびかけ】「戦後レジーム」の70年を問う 7・8月行動実行委員会へのよびかけ

敗戦七〇年の今年五月二六日、天皇夫婦は、東京大空襲の被害者の遺骨が納められている東京都慰霊堂(墨田区)への追悼セレモニーに出かけた。これは一九九五年の敗戦五〇年の「慰霊巡行」以来のことである。天皇夫婦は昨年、沖縄、長崎、広島を訪問している。敗戦六〇年(二〇〇五年)には、かつて日本が侵略し植民地支配をし続けた激戦地サイパン訪問をしたが、天皇夫婦は今年、もう一つの激戦地パラオへの「慰霊巡行」にも出かけている(四月八日〜九日)。

戦後の節目の年に、なぜ天皇は、こういった大量の戦死者たちへの追悼セレモニーの政治を繰り返し、「平和天皇」をアピールしてみせるのであろう。それは天皇の軍隊(戦争)がつくりだした戦争被害、その結果に対する戦争責任をまったく取らないで、占領した米国の力をかりて延命した天皇制国家の責任を隠蔽し続けるためである。そしてそれは、侵略戦争がもたらした死をひたすら「平和」のための「尊い犠牲」という倒錯した認識の方へ、人々の意識を逆転させるための政治セレモニーでもあるのだ。

これは、安全保障関連法案の一括国会審議に入っている安倍晋三政権が、「集団的自衛権」を行使し米軍とともにグローバルに戦争する軍隊に自衛隊を再編する法案を軸に、戦後国家・社会の全面軍事化へ向けて暴走し、平和憲法を全面破壊しながら、それを平然と「積極的平和主義」と名づけ続けている姿勢と対応している。これは、「平和・安全」の名の下に、自衛官を戦地に派遣し、殺し殺させる関係に入ることを強制するものである。

安倍にとって〈戦争〉が〈平和〉であるなら、天皇にとっても同様である。両者は戦争国家の役割を分担し合っているにすぎないのだ。

島ぐるみで、ノーの声をあげている沖縄に対して、辺野古に新米軍基地づくりを暴力的に強行している論理もそれだ。米軍基地は「平和のための抑止力」として不可欠という主張だ。空に地上に海に、終わりなき放射能被害を拡大し続けている福島原発事故後の今、原発再稼働へ向かう安倍政権の論理もそうだ。「平和利用」のための核は「安全」という論理である。もちろん、そこにはプルトニウム生産システムを手放すまいという核兵器への意志も潜在していることは明白である。核大国・軍事強国日本づくりが、「世界平和」への道だという、信じがたい詭弁に満ちた強弁を、まかり通そうとしているのだ。

こうした方向を、安倍政権は「戦後レジームからの脱却」と名づけている。その政治のステップとして安倍首相は八月に「安倍談話」なるものを準備している。世界が注視しているそれは、敗戦五〇年(一九九五年)の村山談話における「侵略」と「植民地支配」への「反省と謝罪」という内容を否定し、「未来志向」の名の下に「強国化」の主張が盛り込まれるだろう。

私たちは、こうした安倍政治と全面的に対決しぬく「7・8月行動」をつくりだすための実行委員会づくりに向かう。私たちの、安倍政権の「戦後レジームからの脱却」の政治に立ちむかう思想的〈原点〉とは、単純に「村山談話」の防衛などではない。「反省と謝罪」の村山談話は、談話発表直後の「天皇には戦争責任はない」という村山の記者会見での発言とセットで考えられるべきである。

首都東京をはじめとする大都市、そして地方都市の空爆。住民の四人に一人は被害者となったといわれる沖縄戦。さらには広島・長崎への原爆投下による大量殺傷の被害。これらは、天皇制国家の開始した戦争、植民地支配と侵略戦争によってもたらされたものである。それらの被害が戦争末期に集中していることは、それらがみな「国体護持」(天皇制の延命)のための時間かせぎの間にもたらされた惨劇である事実を、明らかにしている。

天皇制国家の戦争責任、それを取らないことで成立したアメリカじかけの象徴天皇制国家の戦後責任を問い続ける。これこそが敗戦七〇年の今も私たちの運動の思想的原点である。八・一五の政府主催の戦没者追悼式典と首相・閣僚の靖国神社参拝に反対するのも、その視点からである。戦争責任の主役である天皇と国家のリーダーたちが戦死者を追悼し「平和」を語ること自体が政治的欺瞞である。彼らには、その資格はない。

敗戦七〇年の今年は、広島、長崎の被爆七〇年の年でもある。私たちは、今年は「8・6ヒロシマ平和の集い2015」とむすびながら運動をつくっていく。

積極的に参加・賛同されんことを!

「戦後レジーム」の70年を問う 7・8月行動実行委員会

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国解体企画/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

2015.4.28-29行動【よびかけ】敗戦70年:象徴天皇制の70年を撃つ 4・29反「昭和の日」行動実行委員会へのよびかけ

安倍政権による昨年七月の「集団的自衛権」行使容認の閣議決定にともない、戦争を遂行するために必要な関連法案の「改正」の準備が急ピッチですすんでいる。国会では、安倍首相の戦争挑発外交の結果としておこった「イスラム国」(IS)による日本人殺害をも利用して、自衛隊の強化と海外派兵の拡大、現行法の改正で、海外における「邦人人質救出作戦」が可能であるかのような議論さえなされている。そしてそれは、「他国軍の後方支援」、すなわち日米ガイドライン改定に対応して、米軍と一体となって世界のどこにでも随時派兵を可能とする恒久法の制定へと向かおうとしているのだ。

安倍は、二月一二日の施政方針演説において、「祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、お亡くなりになった、こうした尊い犠牲の上に、私たちの現在の平和があります。/平和国家としての歩みは、これからも決して変わることはありません。国際情勢が激変する中で、その歩みを更に力強いものとする。国民の命と幸せな暮らしは、断固として守り抜く。そのために、あらゆる事態に切れ目のない対応を可能とする安全保障法制の整備を進めてまいります」という。そして「『積極的平和主義』の旗を一掃高く掲げ、日本が世界から信頼される国となる。戦後七十年にふさわしい一年としていきたい」と宣言する。ここにあるのは、「祖国」のために死ぬことを賛美し、その点において過去の戦争と今後の戦争とを、ストレートに結びつけて恥じない姿勢である。そして安倍は「基軸は日米同盟であります」と強調し、「引き続き沖縄の方々の理解を得る努力を続けながら、名護市辺野古沖への移設を進めてまいります」と明言している。

いま、辺野古現地における、海上保安庁職員や県警機動隊による住民に対するひどい暴力の数々が、毎日のように伝えられている。「これ以上示しようのない」民意を明確に示した沖縄の人びとに対して、露骨な暴力をふるい続けることによって、辺野古や高江などへの新基地建設を強行しようというこの安倍政権の姿勢は、こうした「基軸」としての日米同盟の戦略的要請にもとづいていることは明らかだ。

しかしそれだけではない。その暴力は、近代日本国家が歴史的に沖縄に対してふるい続けてきた植民地主義的な暴力の、現在的な発動としてあることも、また明らかである。

アイヌモシリ統合と並んで近代天皇制国家の出発点をなす「琉球処分」、沖縄差別・収奪政策、「皇民化」政策から沖縄戦、米軍支配と「本土」からの切り捨て、「復帰」による再統合と安保前線基地化といった歴史は、そのまま日本による沖縄支配の歴史であり、その一貫した持続であった。そして、北海道・沖縄に始まる植民地主義の拡大は、東アジアへと拡大し、アジア・太平洋戦争へと至る、植民地支配と侵略戦争に行きつき、アジア・太平洋と日本の民衆に大量の被害と死者を生み出すこととなった。

いうまでもなく天皇ヒロヒトは、沖縄における米軍支配を引き続き希望した「天皇メッセージ」に明らかなように、日米安保体制の成立と沖縄「切り捨て」に直接の責任を負っている。一方、その代を次いだアキヒト天皇は、父親にまとわりついていた歴史的な負性を「解消」させるかのように、沖縄への思いをことあるごとに口にし、「慰霊」を繰り返してきた。しかしそれは、日米の前線基地におかれる沖縄において噴出する人びとの怒りをなだめ、矛盾を隠蔽して「日本」に再び包摂する政治的機能を果たすもにほかならないのだ。

私たちは、今年も4・28「沖縄デー」と4・29の「昭和の日」を、反安保を闘う仲間とともに、こうした歴史性をふまえて「天皇制と沖縄」を問う連続行動として、集会とデモに取り組んでいきたいと考えている。アキヒト天皇は、4月8日にアジア太平洋戦争における激戦地・パラオを訪問し、ペリリュー島にある慰霊碑を訪問する予定になっている。この地において、日米両軍に大量の戦死者が出、多くの遺骨がそのままになっている。さきの施政方針演説において安倍は、「国のために戦った方は、国籍を超えて、敬意を表さなければならない」「今も異国の地に眠るたくさんの御遺骨に、一日も早く、祖国へと御帰還いただきたい」などと述べていた。敗戦から七〇年、戦争国家の道を突き進む安倍政権の政治において、天皇のこの「慰霊」の儀式は、死者の「追悼」から国のための死の顕彰へとつながって行かざるをえないのである。

こうした「敗戦七〇年の天皇制」批判という課題と結びつけながら、4・29反「昭和の日」の行動を作りだしていきたい。多くの人びとの参加と協力を!

敗戦70年:象徴天皇制の70年を撃つ 4・29反「昭和の日」行動実行委員会

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

2015.2.11行動【よびかけ】敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ2・11反「紀元節」行動への参加・賛同の呼びかけ

二〇一五年、私たちは敗戦七〇年目の年を迎えようとしている。
すでにマスメディアでは、戦後七〇年を意識したキャンペーンが始まっている。この一年、日本の戦後史とその評価をめぐって、さまざまな言論が登場するはずである。そこで、いわば戦後の「総括」の場がつくり出されることは明らかである。

安倍首相は、七〇年目にあたって「安倍談話」を発表したい意向だと言われている。しかし安倍政権においても、右派が期待するような、「従軍慰安婦問題」や日本の侵略を認めた「河野談話」や「村山談話」などを否定する談話を出すことは、事実上不可能だろう。そうではなく、それらを「継承する」と言いながら、あたかも新たな談話を上書きすることで、実質的にそれらを骨抜きにする方向がめざされるのではないか。そしてそれが、植民地支配やアジア太平洋戦争に対する日本の責任に対する言及を欠き、自国中心主義的な「未来志向」を謳うものとなることも明らかだろう。

一九九五年、敗戦五〇年目に出された「村山談話」や「国会決議」は、もとよりきわめて不十分なものでしかなく、それどころか「談話」について解説した村山首相は、「天皇に戦争責任はない」とわざわざ明言していたのだ。しかし、これに対して右派のバックラッシュが巻き起こった。そしてその先頭に立っていたひとりが、ほかならぬ安倍だったのである。

七〇年目を区切りとして、さまざまな場面において、日本の戦後を向こう側から総括し、平和主義や基本的人権など「戦後的価値」を一挙的に清算し、国家主義・強権的方向で「戦争をする国家」への全面的転換を果そうとするのが、安倍の進める政治に他ならない。そしてその道が、今回の衆院選における「勝利」によって「国民の信任を得た」といういい方で、より加速されようとするだろう。

他方、この四月には、明仁天皇夫婦が、パラオを「慰霊訪問」するという。かつて日本の「委任統治領」であった南洋群島のひとつであるこの地は、アジア太平洋戦争中、三か月にわたるペリリュー島の凄惨極まる消耗戦で、日米両軍に大量の死者を出した場所である。未収集の大量の遺骨も放置されたままというこの地での天皇の「慰霊」行為は、悲劇の戦場で「追悼」する天皇、「戦争の死者に思いをはせ、戦争の悲惨さを心に刻む天皇」といった文脈で描き出されることになるだろう。しかし、そこでは、その死者を生み出した戦争、その戦争をおこした近代天皇制国家の責任は、決して問われることはない。

死者は国家がひきおこした戦争の被害者であるというより、なによりもまず、いまの「平和」をもたらした「尊い犠牲」なのだ、だから国民こぞって追悼しなければならない。天皇を先頭に作り出されるこうしたムードは、「お国のために尊い命を捧げた英霊」を、国が顕彰しなければならないという「靖国」の論理と、「国家による死者の利用」という点でつながるものである。それは、その地における具体的な死者と結びつけられるがゆえに、きわめて強固な政治力を発揮するだろう。

明仁天皇は、即位以来、東南アジアや中国などへの「皇室外交」、沖縄や広島・長崎、東京下町、硫黄島、サイパンなど、戦争に関わる加害と被害の地を精力的に回り続けてきた。八・一五における「全国戦没者追悼式」も含めて、国家による「追悼」とそこでの天皇の行為は、つねに国家の戦争・戦後責任を解除し、問わなくさせるための儀式でしかなかった。さらに、「東日本大震災」以降、三・一一が、国家の原発推進政策と原発事故の責任を解除させるための天皇儀式の日ともなっている。

新自由主義政策のもとで拡大する「格差」、大企業や富裕層への優遇と民衆生活の破壊は、この社会に深刻な亀裂を生みだしている。あらゆる分野での国家による「棄民」が進んでいる。こうした分解を観念的に包摂し、「日本」の「国民」として統合する役割は、やはり天皇に与えられているのだ。こうした点において、天皇と安倍政権の役割は「分担」されている。しかし同時に、われわれは、折りに触れて現われる天皇と安倍政権との「齟齬」についても注目していかなければならない。それは少なからぬ「リベラル派」のように、安倍政治を「牽制」するために天皇発言を持ち上げたいからではない。戦後象徴天皇制の現在と、その再編方向をめぐって現われている支配層内部の矛盾が、そこにあらわれているからにほかならない。現天皇によって、二五年以上にわたって重ねられてきたそうした役割を、敗戦七〇年と重ね合わせて、われわれの視点から総括し批判する運動をつくっていかなければならない。

敗戦七〇年の反天皇制運動の第一波として、私たちは例年通り、二・一一反「紀元節」行動の準備を開始している。多くの方の参加・賛同を訴える。

敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反「紀元節」行動

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

 

2014.8.15行動【よびかけ】安倍戦争国家の「追悼」 を許さない!反「靖国」行動実行員会への参加・賛同の呼びかけ

安倍政権による憲法破壊、米軍とともに戦争を遂行する国家への原理的な転換が進んでいる。原発やTPP、安保・沖縄・基地問題、教育、歴史認識、労働法制など各分野にわたって、いわゆる「戦後民主主義」をも根底から否定し、国家主義と強権に貫かれた全面的な再編が成し遂げられようとしている。

五月一五日、首相の「お友だち」による私的諮問機関にすぎない「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の報告書提出を受けて記者会見した安倍首相は「集団的自衛権の行使」を合憲とする「基本的方向性」をはっきりと打ち出した。

それは、「国民の生存の確保」や「平和主義」の名のもとに、「日本が攻撃を受けていない場合」においても海外で軍事行動がとれること、すなわち戦争をすることが可能であるとするものだ。これまで歴代の自民党政権みずからが「集団的自衛権の行使」は違憲としてきたものを、国会での審議すら経ずに、ただ時の内閣が合憲と解釈すれば、いとも簡単に解釈変更ができるという。これはまさにクーデター的手法である。内閣には憲法を遵守する義務はあっても、それを解釈する権利など本来ありえない。憲法は、まさにこうした行政府の恣意を許さないために存在するのだ。

この間安倍政権は、秘密保護法・日本版NSC設置の強行、新防衛大綱と中期防衛力整備計画(中期防)決定をおこない、辺野古への基地建設推進など、日米同盟の一層の強化と、対中国シフトとしての「離島防衛」=沖縄前線基地化に踏み込んでいる。文字通りの戦争国家の道をひた走る安倍政権にとって、戦争の準備は、国家による戦死者の「追悼」の準備をも、要請せざるをえないのである。

昨年一二月二六日、安倍首相は靖国神社を参拝した。アジア諸国のみならず、アメリカから、さらには与党・政権内部からも懸念を示されていたにも関わらず、自分の「気持ち」だけで突っ走ったのだ。

靖国参拝が、国家の宗教との関わりを禁じた憲法の政教分離規定(二〇条)に反する行為であることは明らかである。そればかりではない。靖国神社とは、天皇のための死者、侵略戦争の戦死者を「英霊」として祀る神社であり、その歴史観はかつての戦争を「アジア解放戦争」「聖戦」として賛美するものである。首相としてその神社に参拝することは、日本政府が侵略戦争と植民地支配の歴史総体をも肯定することにしかならない。それはもはや、過去の侵略戦争も、今後準備されるであろう侵略戦争も区別しないということである。過去の戦争もまた「平和」の名のもとに行われたことを忘れてはならない。安倍政権は、国家による戦争発動は、常に正義であると宣言しているに等しいのだ。

こうして国家の戦争が「正当」なものである以上、その死もまた賛美されべきるものとなる。もちろん、「戦争国家」によっておこされる戦争の死者を追悼する中心施設がどのようなものであるべきかという点については議論は分かれている。安倍は明確に靖国派であり、新たな「無宗教の追悼施設」に対しても否定的な態度を示しているが、しかし問題は、靖国神社であれ新しい追悼施設であれ、それが結局「お国のための死」を賛美し、死に追いやった国家の責任を無化し、それへの責任追求に向かわせなくする機能にこそあるのだ。

八月一五日、天皇出席のもとで九段で開かれる「全国戦没者追悼式」も、戦争の死者のおかげで「戦後の平和」がもたらされたとする儀式である。こうした死者の利用は、来るべき戦争において生み出される死者にたいする国家の「追悼」において、まったく同質の姿を見せることになるだろう。

こうしたことを訴える私たちの反天皇制運動に対して、街宣右翼や在特会によるデモ妨害が執拗に繰り返されている。さらに彼ら右翼を利用してデモを規制しようとする警察権力の動きも強化されてきている。右翼的な部分は、私たちの行動は死者への冒涜であるなどと主張する。だが、我々が批判しているのは、そうした死者を生み出し、今後も生み出そうとしている日本国家の歴史的・現在的な負性そのものである。だからこそ私たちは、多くの人びととともに、歴史認識の歪曲・改ざんを許さず、天皇制国家による侵略・植民地支配責任を追及する声をあげ続ける。靖国神社・国家による「慰霊・追悼」反対、天皇制の戦争責任・植民地支配責任の批判と、安倍改憲政権による戦争国家づくり、天皇元首化の実質化、ナショナリズム・排外主義煽動に抗する反天皇制運動をともに作り出していこう。実行委員会への参加・賛同を訴える。

安倍戦争国家の「追悼」 を許さない!反「靖国」行動実行員会

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国解体企画/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会