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2018.4.28-29行動【宣言】4.28-29連続行動集会宣言

3月27日から29日にかけて、明仁・美智子は、「最後の」沖縄訪問をおこなった。3日間でのべ約2万人が歓迎のために集まったとされ、那覇の国際通りでは、自衛隊の陸・空特別編成音楽隊を先頭に、「日の丸」と提灯を掲げた奉迎パレードが行われ、4500人が参加した。今回の沖縄訪問は、天皇として6回目、皇太子時代を含めると11回目となり、今回初めて「国境の島」与那国も訪問した。

明仁の沖縄訪問について、各メディアはその「慰霊」「平和」の思いや「癒し」なるものを最大限持ち上げて報じた。〈1975年、皇太子時代に初めて沖縄を訪問したとき、ひめゆりの塔の前で火焔瓶を投げつけられたが、明仁はそれ以後も一貫して沖縄に心を寄せ続け、沖縄訪問のたびに摩文仁の戦没者墓苑で献花し遺族らと向き合い、その感情に寄り添って平和を祈り続けてきた……〉といった物語である。

今回天皇が沖縄訪問をした3月27日は、いわゆる「琉球処分」=処分官・松田道之が、武装した兵士や警官などを従えて首里城に押しかけ、廃藩置県を布達した日であった。そして、1945年に米軍が慶良間諸島に上陸し、沖縄戦が始まったのは、前日の3月26日にあたる。また今年、天皇が沖縄に着いたまさにその日に、陸上自衛隊は全国の5方面隊を一元的に指揮する司令部として、朝霞駐屯地に「陸上総隊」を発足させ、直轄部隊として「離島防衛」の専門部隊としての「水陸機動団」(日本版海兵隊)をおき、与那国に陸上自衛隊沿岸監視部隊が設置されたのも2年前の3月28日なのである。こうした一連の象徴的な日付のなかで、今回の天皇訪沖があったこと。その政治的意味合いを、私たちは批判し抜いていかなければならない。

天皇を迎えた与那国の外間町長は、「私たちは本土とは隔絶された状況にあり、文化の違いもある。そこから生まれる本土との温度差が、両陛下の与那国訪問でほとんど消えうせたように感じる」と述べた。天皇の役割とは、まず第一に、このような日本と沖縄の歴史が生み出し続けている矛盾や「違和」を消去させ、日本の沖縄支配を正当化し、住民を政治的・文化的に「再統合」していく役割である。明仁は、8月には「北海道命名150年」記念式典に参加するために北海道を訪問するが、ここでも北の離島である利尻島を訪れるという。天皇が重視しているとされる「離島の旅」とは、天皇がそこに足跡を印すことによって、この国の「版図」を再確認するためのものだ。

そして天皇の役割の第二は、遺族に「寄り添い」、「慰撫」するとされるふるまいを通して、天皇制国家の戦争・戦後責任を、観念的に清算し消去していく役割を果たすことだ。

そもそも、1945年2月に「敗戦は最早必至」として終戦工作を勧めた首相・近衛の上奏に対し、「国体護持」のために「もう一度、戦果を挙げてからでないと難しい」といって拒否し、その後の沖縄戦を招いたのが、明仁の父である裕仁だった。天皇制は明らかに沖縄戦の責任を負っている。その裕仁を「常に平和を祈っていた」存在として弁護し続けてきたのが明仁である。これらは同時に、「生前退位」を通じて、象徴天皇制の意味を積極的に再確定していくことをもくろむ、明仁の「公的行為」の総仕上げとしての意味も持つ。

そしてなによりも、与那国への陸自配備、宮古島や石垣島、沖縄本島への配備計画など、軍事的な対中国シフトを強化している現政権の志向と、天皇の沖縄訪問とが、今回はとりわけ露骨にリンクしていたと言わなければならない。

「防衛白書」などに盛り込まれた「島嶼防衛」は、離島奪還を前提とするもので、いわゆる「領土・領海」を防衛することが目的であって、そこに暮らす住民の生活や安全などもとより考えられていない。その発想は、沖縄の住民を天皇制国家の延命のための「犠牲」とした沖縄戦とまったく同質のものである。今回与那国では、町内のあちこちに、自衛隊協力会によって、「奉迎」「ご来島ありがとうございます」と書かれた横断幕が掲げられた。また天皇が乗った車は、自衛隊与那国駐屯地の隊員によって、と列で迎えられた。天皇が直接自衛隊員を鼓舞する場面が演出されたわけではないにせよ、それは天皇と軍隊との関係を、疑いなく強化した。

天皇の沖縄訪問の期間には中止されていた辺野古の基地建設工事は再開され、海を埋め立てる護岸工事が始まって1年たったいま、列をなす工事車両を阻止しようと座り込む人びとの闘いが続いている。安保を「国体」とする日本国家によって、沖縄に押しつけられていく米軍・自衛隊基地に反対する沖縄の人びとの闘いに、「本土」の私たちはどのように運動的に応えるべきか。そのことを自ら問い、基地と安保をなくすために可能なさまざまな行動に取り組んでいこう。

私たちは、3月24日に「天皇の沖縄・与那国訪問を問う」集会をもち、本日ここに「明治150年:日本(ヤマト)による沖縄差別を問う」集会をもった。そして明日4月29日には、沖縄戦をもたらし、戦後は「天皇メッセージ」を発して安保体制の成立にむけて沖縄を差し出した裕仁の責任をも問うべく、裕仁とその時代を賛美する「昭和の日」に反対するデモに取り組む。

一連の行動を通して私たちは、現在に続く日本と沖縄の関係を再度とらえ直し、それを含む近代日本150年のありよう、とりわけ、サンフランシスコ条約と日米安保体制によって規定された戦後象徴天皇制国家・日本の「平和と民主主義」の内実を批判しつつ、来年にかけての天皇「代替わり」に反対していく運動を持続していく。

2018年4月28日

天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4.28-29行動

天皇の沖縄・与那国訪問反対行動【集会宣言】天皇の沖縄・与那国訪問を許さない!

天皇と皇后は、来る3月27日から29日まで、沖縄・与那国島を訪問する。明仁天皇は皇太子時代(5回)も含め今回で11回目、来年4月末で皇位を徳仁へ譲ることになっているので、天皇として最後の沖縄訪問となる。

明仁天皇は、「象徴としての務め」として、「先の大戦」の犠牲者に対する「慰霊」と「追悼」の旅を繰り返し、その都度、「お言葉」を述べてきた。沖縄への度重なる訪問は、唯一の地上戦を経験し、住民の4人に1人が戦死したといわれる沖縄ついてはひときわその思いが強いからである、といわれている。

かつて明仁天皇は、「日本は昭和の初めから昭和20年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした。この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは日本人自身にとって、また日本人が世界の人々と交わっていく上にも極めて大切なことと思います」と述べている(2005年誕生日の記者会見)

「先の大戦」中、天皇は、大日本帝国憲法により「神聖不可侵」とされ、軍隊の最高指揮権(統帥権)を保持していた。「国民」の精神(生き方や死に方)を大きく規定していたのは「教育勅語」であり、軍隊では「軍人勅諭」という「天皇の言葉」であった。そして沖縄が地上戦を戦わざるを得なかったのは、「国体護持」を至上命題とした天皇制国家による「捨て石」とされたからである。

「先の大戦」の犠牲者は、地震や台風といった災害の被災者ではない。まぎれもなく、天皇を頂点に戴く国家の作為による犠牲者である。しかし明仁天皇の慰霊・追悼の旅にかかわる「お言葉」には、もちろん、父・裕仁の、そして自ら継承した天皇(制)の責任には一切ふれられることはない。謝罪の言葉が含まれることもない。「過去の歴史」を「正しく理解しようと努める」という姿勢はそこにはまったくみられない。それどころかそれとは逆に、事実を歪め、天皇(制)の責任を糊塗・隠蔽し、そうすることによって、天皇制による国家・国民(再)統合を意図しているものにすぎない。

さらに、今回の沖縄・与那国への天皇の訪問は、これまでにない特異な様相も備えている。

まず、天皇が沖縄を訪ねる3月27日は、139年前(1879年)に内務官僚・松田道之が、軍隊300名と警官160名余を率いて首里城に入り、琉球国王に城の明け渡しを求め廃藩置県を布告した日である。

明仁は、「私にとっては沖縄の歴史をひも解くということは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした。しかし、それであればこそ沖縄への理解を深め、沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければならないと努めてきたつもりです」(2003年誕生日の記者会見)とのたまっている。そう言いつつ、この日に沖縄を訪問するとは何をかいわんやである。

また、翌28日に明仁は、初めて与那国島を訪問するが、この日は、ちょうど2年前(2016年)に、自衛隊与那国駐屯地が開設され、与那国沿岸監視隊(150名程度)が配備された日にあたる。住民虐殺(強制死)を含む皇軍(日本軍)の振る舞いの記憶が残る沖縄(南西諸島を含む)では、当然ながら自衛隊配備に反対する声が多い。与那国でも意見が分かれ住民投票が行われている。中国脅威論を煽り、南西諸島(宮古島、石垣島、奄美黄島)への自衛隊配備・増強を進める安倍政権にとって、地域住民の「融和」と「辺地」へ配備される自衛官の「慰撫」は必要不可欠となる。そうしたなかでの、今回の天皇の「開庁日」にあたる日の訪問は、表だって自衛隊施設を訪れるということではないにしろ、その意図するところは明白である。

日本国憲法を踏みにじり、自らの意志により、生前退位による皇位継承の路線を引いた明仁が、退位を前にして、後継に期待する新たな「象徴としての務め」がそこに見えてこないだろうか。  天皇(制国家)と沖縄との歴史を顧みれば、今回の訪問はおよそ許されるものではない。

明仁天皇の沖縄・与那国訪問を許してはならない!

2018年3月24日

天皇の沖縄・与那国訪問を問う3・24 集会参加者一同

2018.2.11行動【集会基調】「代替わり」と近代天皇制150年を問う2.11反「紀元節」行動集会基調

1 「建国記念の日=紀元節」をめぐる問題

今年もまた、この二月一一日には、神社本庁や日本会議など右派団体の主催による「建国記念の日 奉祝中央式典」と「奉祝パレード」が開催され、また、各地においても式典や集まりが開催されて、政府や自民党をはじめとする政治家たちが参列している。それにもかかわらず、右派が切望する、政府の後援による「国民式典」は、二〇〇五年以降は開催できていない。

発足して間もない「明治」の太政官政府は、「祭政一致」「廃仏毀釈」など神道国教化による政治が破綻するや、諸外国の制度を模倣して大がかりな制度の策定に着手した。一八七二年に太陽暦が導入され、一八七三年には国家の祭日や祝日が布告されて、天皇制にちなんだ「祝祭日」が制定された。二月一一日が「紀元節」と制定されたのは、記述の解釈すら確立していない記紀神話が、「神武」による「肇国」をあたかも歴史的事実であるかのごとく装い、暦計算を曲解しながらつじつまを合わせただけのものに過ぎなかった。

しかし、これによって「神武」にはじまる天皇の「万世一系」の神話が、疑いを入れる余地のない国家的「事実」の地位を占めることになり、同時期に開始された軍制や学制の整備にも重大な影響を与えていくことになったのだ。天皇のための死者を祀る東京招魂社の設置も同時期である。「神武東征」は全き事実として扱われ、さらにその後、「八紘一宇」は大日本帝国の中核的概念とされるに至り、侵略政策を担う思想としてアジア諸国・諸民族にまでも強要された。

「紀元節」は、戦後改革の中で一九四八年に一度は廃され、天皇神話は歴史事実としても否定されてその根拠を喪失していたはずだった。しかし、これが一九六六年に「建国記念の日」として新たに制定されたのちには、これへの批判は徐々に押しつぶされて、その後は一九七九年の「元号法」、一九九九年には「国旗・国歌法」などが次々と制定されてきた。これらの法律は、いずれも制定当初にはこれを強制するものではないとしながら、すぐさま天皇制や国家に対する服属を示す重要な儀礼や制度として、公務員や学校にはじまり、社会の成員全体に向けて強要され続けてきたのである。

こうした経過によって、「建国記念の日=紀元節」は国内外から多数の批判を受け、皇族たちからすらも批判されて宮中祭祀から外されている。これが右派勢力による「民間」式典としてある現状は、むしろその本質を指し示すといってよい。

昨年は、安倍政権の腐敗と身内への利権供与が多くの面で露呈した年でもあったが、その中で、国会決議で明確に否定された教育勅語などに基づいた極右思想が、宗教団体や日本会議などを経由して、右派や保守派全体、そしてさらにインターネットにおける虚構の宣伝や、メディアの屈服と「忖度」によって、幅広い影響力を持っていることが示されている。政府もまたこれを追認するような閣議決定を行なっている。政府が「国際性」を強調するほどに、同時に醜悪な民族差別主義への傾倒も強まっている。

天皇の代替わりが来春に予定されるという状況下にある現在、天皇制の歴史そのものを批判することは、ますます重要な意味を持っている。明治にはじまる「一世一元」の「元号」の改定も、このなかですでに当たり前の事実のように扱われている。天皇の一族を特別な存在として扱う憲法第一章と皇室典範は、男女平等の理念を掘り崩すとともに、「家族=国家」観を天皇制の側から押しつけるものとしてある。こうした世界観、「道徳」認識、歴史認識を強要しようとする右派は、いま、かつて明治天皇にまつわる「明治節」とされた一一月三日を、あらためて「文化の日」から「明治の日」へと復活させようとしている。私たちは、これらを多面的に批判し、戦っていかなければならない。

 

2 「明治一五〇年キャンペーン」に反対しよう

着々と進む「代替わり」儀式の準備と並行して、政府は、「明治一五〇年」の祝賀事業を進めている。

「長州出身」の首相として、安倍晋三は、明治一五〇年記念のイベントを、自ら主導して行いたいと早くから口にしていたという。すでに二〇一六年一〇月には、菅官房長官の指示により、内閣官房に「明治一五〇年」関連施策推進室という専門部局が設置され、翌月には各省庁の連絡調整機関である「明治一五〇年」関連施策各府省庁連絡会議のもとで、さまざまなプロジェクトの検討が始まった。

現時点では、開催も含めて確定してはいないが、メインの儀式として、当然、政府主催の記念式典が想定されているはずである。
一九六八年の「明治一〇〇年」の際には、「明治改元」の日である一〇月二三日に、昭和天皇夫婦や皇族、閣僚・国会議員、各国の外交団、各界代表など一万人を集めて、九段の日本武道館において政府式典が挙行された。首相や天皇の式辞、各界祝辞に続いて「明治一〇〇年」を祝う音楽などが演奏され、最後に、安倍の祖父の弟に当たる佐藤栄作首相の音頭で「日本国万歳」が三唱されている。

今回、計画されている記念事業について見てみると、昨年末現在で、国主催のものが一五二件、地方公共団体レベルのものが二〇〇八件にのぼる。ほとんどが展示会や講演会、アーカイブの構築などで、なかには既存のイベントに「明治一五〇年」の冠をかぶせただけのものも少なくない。記念切手や記念硬貨の発行も計画されているが、比較的大規模なものとして、昨年夏に閣議決定された、大磯にある伊藤博文の旧邸を中心に、近隣の「明治の元勲」の旧別荘を一括整備して「明治記念大磯庭園」とする計画がある。国は同園の年内公開をめざすとしている。

明治一五〇年の施策に関して政府の文書は、「明治の精神に学び、更に飛躍する国へ向けて」と称して、「明治期においては、従前に比べて、出自や身分によらない能力本位の人材登用が行われ、機会の平等が進められた。……『明治150年』を機に、国内外でこれらを改めて認知する機会を設け、明治期に生きた人びとのよりどころとなった精神を捉えることにより、日本の技術や文化といった強みを再認識し、現代に活かすことで、日本の更なる発展を目指す基礎とする」と述べている。

また、二〇一六年におこなわれた「各府省庁連絡会議」のヒアリングには東大名誉教授の山内昌之や帝京大学教授の筒井清忠が招かれ、基本方針についての意見を述べた。山内は、「犠牲者を最小限に」して統一国家、主権独立国家体制が築き上げられたことを評価し、筒井は、「五箇条の御誓文」と、それに続く明治憲法体制・議会政治の「延長線上に」現在の日本の民主政治がある、能力主義による人材登用や、外国文明の「取り入れの達人」である日本人の特性が、伝統との「バランス」のとれた日本の近代化を成し遂げたというのである。

これらの言説は、イノベーションやらクールジャパンなどといった、安倍や財界が求める流行の価値観を日本近代の出発点に投影した、「ニッポンスゴイ」論であるといえる。それは、起点としての明治の始まりを賛美するだけでなく、「一五〇年」を、今に続く一連の発展を遂げた近代化の歴史ととらえ、それをもたらした精神文化の称揚とともに、まるごと賛美・肯定しようとするものだ。だからもちろん、その近代化の内実に目が向けられることはない。「一五〇年」の基調をなしている思想は、「一〇〇年」のときと同じく、近代化(賛美)論である。しかし「明治一〇〇年」のときには、欺瞞的なものにすぎないとはいえ、それでも存在した「物質文明による自然と人間性の荒廃」などの反省的なポーズすら、今回はまったく消えて、「明治の精神」がひたすら賛美されているのだ。

現実の明治=近代日本の一五〇年とは、その前半は、アイヌモシリ・琉球の帝国主義的統合に始まり、上からの資本主義化を急速におしすすめ、農民反乱や自由民権運動などを暴力的に圧殺し、アジア侵略・植民地支配と戦争に彩られたものであった。そしてその後半は、安保体制に基づくアメリカの世界支配戦略に積極的に加担し続け、象徴天皇制のもとで侵略戦争と植民地支配から目を背けてきた。そして、開発優先の経済成長政策の果てに、3・11の原発事故もまた引き起こされたということも、忘れ去ることはできない。「一五〇年」はそのように無条件に賛美されるような歴史では決してないのだ。

私たちは、この「明治一五〇年」が、明仁天皇「代替わり」の前哨戦として行われるイベントであることに注目しなければならない。一九六六年の「建国記念の日」=「紀元節」復活も、「明治一〇〇年記念式典」と連動したものであった。「明治一五〇年」とは、「天皇制国家の一五〇年」にほかならない。どのような立場でこの歴史を検証し、捉えるべきかが問われているのだ。こうした歴史を見すえ、近代天皇制の歴史総体を批判していくという立場から、今年一年間の反天皇制闘争を開始していきたい。

 

3 「天皇退位特例法」と天皇状況

二〇一六年七月一三日、NHKへのリークという形で天皇明仁が「生前退位」の意向を表明し、八月八日には、直接私たちに語りかける映像ビデオが一斉にTV放映された。天皇はそのビデオで、天皇の大切な「務め」として「何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ること」をあげ、「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なもの」と語った。さらに、「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろう」とし、摂政の拒否もつけ加えている。そして「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。/国民の理解を得られることを、切に願っています」と結んだ。

天皇の「祈り」の公然化は憲法二〇条の政教分離原則に抵触する。国内巡行等の「公務」も憲法の天皇規定から外れ、私たちは違憲と考える。それらを天皇は自らの言葉で、天皇の「務め」、象徴的行為として正当化し、憲法に規定されている「摂政」を拒否し、「生前退位」への「国民の理解」を求めたのだ。

このメッセージから約一〇ヶ月後の二〇一七年六月九日、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が全会一致で可決し、第一条にはこの天皇の言葉を大きく反映した条文が、しかも敬語で盛り込まれた。「国民」は「公務」に励んできた天皇を「敬愛」し、高齢によりそれが充分に果たせないという天皇の思いを「理解・共感」している。それらを考慮して特例法を制定するというのだ。「国民の総意」は、天皇発議の法制定や、「公務」容認、天皇の拒否権行使など、ことごとく違憲性の高いこの特例法のエクスキューズとして使われたのである。

実際、メディアにあふれる言説では、安倍たち伝統主義右派を除く政治家、学者、ジャーナリスト、護憲派を含む多くの活動家や市民は、一部の例外を除き、天皇の「お気持ち」忖度、天皇の希望に応えるという一方向に向かっていた。天皇はあたかも社会全体を味方につけ、安倍政権と対峙したかのような状況がつくり出されたのである。

一方で、恒久的「生前退位」や「安定的皇位継承としての女性宮家」等々を容認できない安倍首相は、安倍の支持基盤である伝統主義右派への配慮もあいまって、目に見える形の抵抗を試みている。二〇一六年九月二三日に発足した「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」は、「生前退位」ではなく「公務の負担軽減」を目的に動き出したのだ。そこでは、「生前退位」を容認するか、その場合は「特例法」か「恒久法」か等々、「国論」を二分するかのような状況もつくられたが、すぐさま、安倍たちと天皇「忖度」派の妥協のための「調整」の時間へと向かった。翌年二〇一七年からは、天皇課題で反対意見を出させないという全会一致可決を目指し、衆参両院議長・副議長が調整のために奔走した。その翼賛国会の結果が「特例法」である。衆参両院議長・副議長による調整は、「国民」の代表による合意とされ、ここでも「国民の総意」言説がつくられた。

こういった国会内の伝統主義的右派とリベラル天皇主義の妥協は、結果としてより強力な象徴天皇制を作り出した。たとえば、「皇室典範」に「この法律の特例として天皇の退位について定める天皇の退位等に関する皇室典範特例法は、この法律と一体を成すものである」という一文を附則として追加する改正を特例法の附則に入れ、これが「将来の天皇が退位する際の先例」となり得ることを明言した。さらに「公務」前提の法律とした。あるいは法案採決にあたり「政府は女性宮家創設など安定的な皇位継承のための諸課題について、皇族の事情も踏まえて検討を行い、速やかに国会に報告する」とする附帯決議をした。これらの天皇制にとって好都合な結果は、すべて妥協のための「調整」がつくり出したものだ。

二〇一七年一二月一日、皇室会議が開催され、安倍は天皇の「退位」を二〇一九年四月三〇日、「即位・改元」を五月一日と定めた。「即位・大嘗祭」も、二〇一九年秋予定との報道がすでに流れている。式典準備委員会も設置され、事態は着実に進められている。また、二〇一八年度予算には、上皇夫婦、新天皇一家の住居改修や「即位の礼」関連儀式準備、職員増員のための費用として、三五億六〇〇〇万円が計上された。これらはもちろん、庶民のなけなし生活費からはぎ取った税金だ。そしてそこには、いま話題沸騰の秋篠宮眞子結婚への持参金、一億五三〇〇万円も含まれているが、結婚延期となった今、少なくともこの金額は削減されるべきだ。

こういった「代替わり」関連情報は今後も増え続け、それに比例して人々の関心は天皇制へと向かわされていく。そして今後展開されるのはさまざまな「退位・即位」にまつわる儀式であり、報道を通した服属儀礼への強制参加である。

私たちは、「平和」と「慈愛」と「護憲」を建前に「国民」にすり寄ってくる天皇一家の言動が、現政府の思惑や政策を補完する関係でしかあり得ないことを繰り返し訴えたい。そして、天皇が君主然として振るまい始めている天皇状況と、「明治一五〇年」を祝おうという政府の思惑が、この社会をさらに民主主義からも平和からも遠ざけていくということを、多くの人たちと共有し、これから始まる天皇代替わり状況と対峙していきたい。

 

4 「天皇制国家劇場の連続興行」と改憲にNОを!

「明治一五〇年」とは、そのまま神話にもとづく天皇制によって国民が統合された近代天皇制国家の一五〇年である。政府の目論む「明治一五〇年」記念事業は、列強から独立を守り、一等国へと成り上がった「国家建設の成功物語」への郷愁である。

しかしその「物語」は七二年前に国際的にも国内的に膨大な被害もたらしたあげくに完全な破綻へと帰結した(天皇制国家がおかした侵略戦争・植民地支配に対する謝罪と補償はなされていない)。そうした史実を糊塗するとともに、現在の日本国家(あるいはグローバル世界資本主義)が抱える矛盾(財政破綻、格差拡大、原発事故等々)から眼をそらさせことも意図して、「国家建設の成功物語」再現ムード(イメージづくり)が醸成されようとしているのである。

この「明治一五〇年」(二〇一八年)は、新天皇即位・改元(二〇一九年)、新天皇の国際デビューである東京五輪(二〇二〇年)と連続する「天皇制国家劇場の連続興行」の皮切りとなる。
新天皇を軸として上皇を含むあらたな天皇制国家への統合(再統合)に向けたこの一連の「興行」(イメージ操作)は、時には暴力剥き出しの弾圧も繰り出されるであろう。

私たちは、天皇の代替わり過程における国家儀礼・儀式に対する抗議の声をあげるとともに、戦後作り上げられてきた天皇による国家統合のさまざま仕組み(植樹祭、海づくり大会、国民体育大会、慰霊追悼の旅、被災地慰問等々)に対して執拗にNО!の声を上げつづけることが必要である。

植樹祭は今年六月に福島県(二〇一九年は愛知県=新天皇の最初の行事か?)、海づくり大会は今年一〇月に高知県(二〇一九年は秋田県)、国体は今年は九月から一〇月に福井県(二〇一九年は茨城県)で行われる予定である。開催現地の反対の声とも呼応して、天皇行事に対する抗議の声を上げていこう。

また、天皇参加で始められた政府主催の東日本大震災追悼式は、秋篠宮の出席を得て今年も三月一一日に行われる。犠牲者を慰霊・追悼するこのセレモニー(儀礼)は、原発避難民の切り捨て、事故原因の追求を棚上げにした原発再稼働政策が推進されるなかで行われることを忘れてはならない。

さらに、明仁天皇の三月(二七〜二九日)の沖縄訪問が発表された。国立沖縄戦没者墓苑への献花と共に、与那国島への初訪問も予定されている。沖縄では、辺野古米軍新基地建設阻止行動が二〇年にわたり続けられている。また与那国島は、二〇一六年に島民世論が割れる中で自衛隊(陸自の駐屯地と沿岸警備隊)配備が南西諸島としては初めて強行された(宮古島、石垣島への配備も強行されつつある)。こうした渦中での天皇の訪沖(訪与那国島)に際しては、「明治一五〇年」の当初から今日まで連続する日本(ヤマト)国家による沖縄の植民地(的)支配、構造的差別構造を改めて厳しく問わなければならない。

政策の失敗それがもたらした被害に対する責任をとらない、無責任国家体制を中核で支えるものこそ天皇(皇族)による慰霊・追悼・慰問なのである。

そして最後になるが、安倍首相は、昨年の五月三日(憲法記念日!)に「二〇二〇年新憲法施行」発言を行った。安倍政権による明文改憲が眼前(早ければ年内の改憲発議、二〇一九年の国民投票)に迫っている。安倍の改憲は、侵略戦争・植民地支配を基調とする明治国家(近代天皇制国家)が目指した国づくりの破綻(反省)によって生み出された日本国憲法の平和主義をなきものにしようとする策動にほかならない。断固としてNО!の声を上げなければならない。

「天皇制国家劇場の連続興行」とその渦中での改憲攻撃に対して、NО!の声を!

その最初の一歩として、今日、私たちは「紀元節」反対の声を上げる。皆さんと共に!

二〇一八年二月一一日

2017.8.15行動【連帯アピール】許すな!靖国国営化 8.15東京集会の皆さんへ

第44回 許すな!靖国国営化 8.15東京集会に参加された皆さん

今年も、本日午後から、同じ在日本韓国YMCAを出発点として九段へのデモに取り組む、反「靖国」行動実行委員会より、皆さんに対する連帯のアピールを送ります。

私たちは、国会内での談合による「翼賛国会」によって天皇の「退位特例法」が成立し、来年末の天皇退位・2019年中の即位礼・大嘗祭と続く「天皇代替わり」過程の本格的な開始を迎え、「代替わり」過程で天皇制と戦争を問う8・15反「靖国」行動として、すでに8月11日に討論集会をおこない、本日の行動に取り組もうとしています。

「退位特例法」はその条文に天皇明仁の「公務」を初めて明記し、「国民は、……天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感している」と宣言しています。これは天皇と「国民」とは、憲法上の法的な関係であるよりも前に、「情」において結びついているという、「君民一致」の「国柄」であることを宣言したに等しいものです。

安倍政権による改憲の動きは、この間の支持率急落などに伴い、一定程度の見直しを余儀なくされているようですが、天皇条項については、すでに明仁天皇のリーダーシップによって解釈改憲されています。

すでに各地で、「天皇代替わり」に反対するさまざまな取組みがはじまっています。本日も、各地で集会が行われています。私たちも東京で、皆さんとともに、靖国・天皇制問題を訴えていく声を上げていきます。ともにがんばりましょう。

2017年8月15日

「代替わり」過程で天皇制と戦争を問う8・15反「靖国」行動

2017.8.15行動【宣言】8.15 集会宣言

明仁天皇の「生前退位」の意向表明にはじまり、テレビ画面を通じた天皇の「玉音放送」から1年。談合による「翼賛国会」によって天皇の「退位特例法」が成立させられ、来年末の天皇退位・2019年中の「即位礼・大嘗祭」と続く「天皇代替わり」過程が、本格的に開始されている。

「退位特例法」はその条文で天皇明仁の「公務」を初めて明記し、「国民は、……天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感している」と宣言した。これは、天皇と「国民」とは「君民一致」で結びついているということの、公然たる宣言だ。

天皇の憲法違反は許されない。天皇の「公務」自体はいらない。天皇制そのものが廃止されなければならない。こういった声は決して多数派のものではないとはいえ、この1年間にも、各地で、天皇制に反対するさまざまな取組みが重ねられてきた。

安保法案に続き、共謀罪を強行成立させた安倍政権は、その勢いを駆って9条を突破口にした2020年までの改憲に向け、今年中の改憲案提出を明言した。

この間の支持率急落によってそれは一定の見直しを余儀なくされているようだが、来年の「明治150年式典」、天皇「代替わり儀式」、そして東京オリンピックに向かうなかで、「戦後」という時代の「転換」を図ろうとするのは、すでに既定の路線だろう。

中国や朝鮮の脅威を煽り、沖縄を日米の前線基地とし、大量の機動隊を連日投入して暴力的に新基地建設を推し進める政府の姿勢に変化はない。

日米同盟を基軸とした戦争国家の進展において、戦争の死者を国家が「追悼」することで、国のために死ぬことを尊いものとするイデオロギーは、強化されざるを得ない。本日、天皇出席のもと九段で行なわれている「全国戦没者追悼式」は、戦争の死者を戦後日本の「平和と繁栄」のための「尊い犠牲」として称えることで、人びとを死に追いやった日本国家の責任を解除する欺瞞的な儀式だ。

そして靖国神社は、政府機関の援助を戦後も受け続けながら、より露骨にかつての戦争を「聖戦」として賛美し、首相のみならず天皇の参拝によって、「英霊」を顕彰しようとする政治的施設である。

われわれは、本日の行動をステップとして、この秋から来年、再来年と続いていく「天皇の季節」を拒否するための行動を続けていくことを、ここに宣言する。

2018年8月15日

「代替わり」過程で天皇制と戦争を問う 8.15 反「靖国」行動 参加者一同

「退位特例法」反対行動【声明】「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」成立糾弾!

「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」は6月9日、参院本会議において可決・成立させられてしまいました。天皇の「意向表明」から始まったこの法案は、その経緯自体が違憲であり、そのことが問われないまま、国会をパスさせようとする異常な議会運営がありました。もちろん、その法案自体違憲性が高い、問題だらけのものでした。実質的な異論なしで、全会一致で早期可決された天皇翼賛状況は、強く批判されなければなりません。

私たちは、憲法を守るべき義務を負う天皇や議員たちが、こぞって違憲行為に走っている状況について、国会に向けて直接、批判の声を上げ、天皇制タブーが議会に及んでいることの非を訴えるべく、以下の共同声明をまとめました。この文書は、同法案が国会提出された5月19日にマスコミ等に一斉発信し、22日には国会議員宛申し入れ文を、衆参の全議員にポスティングしました。さらに25日昼には、衆院第二議員会館前で集会をもち、リレーアピールと情宣行動を行うとともに、同日、天皇に対する抗議文を内閣官房に提出する行動にとりくみました。

一連の天皇「代替わり」に反対していく闘いははじまったばかりです。これからも、広くつながり合って、天皇制反対の運動を拡げていきましょう。

2017年6月9日

8.15反「靖国」行動(準備会)

 

2017.4.29行動【集会宣言】天皇「代替わり」と安保・沖縄・「昭和の日」を考える4.29反「昭和の日」行動集会宣言

安倍政権は、2013年に国家安全保障会議設置、特定秘密保護法を制定、2015年には、集団的自衛権行使合憲の解釈のもとで、安保法制(戦争法)を整備した。ここ一月の間でも、「教育勅語」容認の閣議決定がなされ、中学校の教育指導要領の武道に銃剣道が明記された。さらに、国会では、テロ等準備罪(共謀罪)も審議入りした。「戦争をする国」の体制が着々と構築されているのだ。

しかも、「戦争」は、この間の「朝鮮半島危機」を前に、極めて具体的に姿をあらわしつつある。

侵略と植民地支配によるアジア民衆に対する膨大な被害と、国内においても多大な犠牲をともなった戦争・敗戦の結果生み出された平和憲法(戦争放棄、基本的人権、国民主権)は、もはや風前の灯火となっている。

戦争の最高責任者である天皇裕仁は、占領政策の都合により「免責」され、「象徴」となったが、その継承者である天皇明仁は、「生前退位」を国民に直接アピールすることによって、事実上の法改正を要請し、憲法を蹂躙した。それは正に、憲法を壊憲へと導く安倍政権を「象徴」しているともいえる。

日本の軍事化=日米安保体制強化の矢面にあって、しかし、それに非暴力でもって粘り強く抵抗する沖縄民衆の闘いに対して、安倍政権は、ありとあらゆる手段を使って、高江のヘリパッドや辺野古新基地の建設を推進し続ける。

戦前の皇民化政策、戦争末期の「捨て石」作戦、そしてサンフランシスコ講和条約での「切り捨て」と連綿と続く、沖縄に対する構造的差別政策である。

私たちは今日、片面講和条約と日米安保条約の発効が強行され、沖縄が「切り捨て」られた4月28日と一切の植民地支配責任・侵略戦争責任をとることなく死んだ天皇裕仁の誕生日=「昭和の日」(4月29日)に向き合い、集会とデモを持つ。

果たされていない植民地支配責任・侵略戦争責任の追及を継続していくとともに、安倍政権の新たな戦争を準備する態勢づくりに対して断固たる反対の意思表明する。また、そうした政策を推進するための沖縄に対する差別政策に対してもNO!の声を上げる。さらに、「退位特別法」の制定に向けての国会の「自死」ともいうべき議論の放棄を許さず、今後、2020年の東京オリンピック開催までに展開されるであろう「天皇代替わり過程」において予想される、「日の丸・君が代」の強制、学校・地域における動員と差別・排除、ボランティアの「強制」等、さまざまな策動も許さない。

天皇制の植民地支配・侵略戦争の責任を追及する!

現在審議中の共謀罪の成立を断固として許さない!

辺野古の米軍新基地建設強行を許さない!

自衛隊の宮古島、与那国島、石垣島への配備を許さない!

日米安保体制の強化、集団的自衛権の発動を許さない!

天皇の憲法違反の意思遂行を許さない! 明仁天皇に断固抗議する!

国会の「自死」ともいうべき「天皇メッセージ」の容認と議論なき「退位特別法」の成立を許さない!

安倍政権・天皇明仁による壊憲を許さない!

 

2017年4月29日

天皇「代替わり」と安保・沖縄・「昭和の日」を考える4.29反「昭和の日」行動参加者一同

2017.2.11行動【集会基調】天皇制はいらない!「代替わり」を問う2.11反「紀元節」行動集会基調

1 天皇「代替わり」過程のなかで

 私たちは、明仁天皇が主導して開始された「代替わり」過程の中で、今年の2・11を迎えた。昨年七月一三日のNHKの報道と、明仁自身の八月八日のビデオメッセージによって始まったそれは、明仁天皇がたんに年老いたので「退位」をしたいと希望したというような話ではない。憲法の条文の上で、天皇は政治的権能をもたないとされている。したがって、天皇が「国民統合」の象徴であるという憲法上の規定は、その是非は別として、現実に存在している「国民統合」の状態(必ずしも「統合」されていないという現実をも含む)を、そのまま「象徴」する存在でしかないという意味に解されなければならない。しかし、天皇によるビデオメッセージの内容は、それとは逆に、天皇は「国民統合」を積極的に作り出すことにおいて象徴となるのだ、という「能動主義的天皇制」の論理を、「国民」に対して宣言するものだった。すなわち、天皇自身が天皇の行為の内容を決め、それに基づいて天皇制の「制度設計」の変更を主導することが、公然と開始されているのである。

 九月二三日には、政府が「生前退位」などを論議する「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」のメンバーを発表し、一〇月一七日には第一回の会合が開かれた。有識者会議は一六人にヒアリングを行い、一月二三日の第九回で「論点整理」を公表。三月中には、最終答申が出る見込みだ。

 一方、報道などでは、二〇一八年ともいわれる明仁の退位と新天皇の即位、二〇一九年元日の「改元」、同年秋の「即位の礼・大嘗祭」実施などといったスケジュールが規定の方針のように出されている。

 安倍政権は、天皇の「生前退位」を根拠づけるものとして、「一代限りの特例法」でしのごうとしている。女性天皇・女系天皇につながりかねない「皇室典範改正」にはきわめて消極的だ。これにたいし野党は、「皇室典範の改正が本筋」などと主張している。だが、「皇室の問題を政争の具にしてはならない」といった論理で、衆参両院の正副議長による異例の会議が開かれ、事前の談合がすすめられている。

 与野党ともに、天皇制の「安定的継承」こそが大前提なのだ。かつて、国会開会式をはじめとする、天皇の「公的行為」の違憲性を問題にし、前の「天皇代替わり」の際には天皇の戦争責任を批判していた共産党は、いまでは国会開会式への出席に踏み切ってしまった。天皇制それ自体を問題にする議会内勢力はもはや不在だ。ここに出現しているのは、まさに「天皇翼賛国会」そのものである。

 一月二六日の衆議院予算委員会において、民進党の細野豪志代表代行の「皇位断絶の危機」の指摘に答えて、安倍首相は、今回の議論とは切り離して、「安定的な皇位継承の維持について引き続き検討していきたい」と述べた。旧皇族の皇籍復帰や旧皇族の男系男子を皇族の養子に受け入れることも含めて、「今後議論してもらえればと考えている」というのだ。

 そして、天皇の退位を可能とする法案が、今国会において連休明けにも提出といわれている。これに対してわれわれの立場は、天皇の退位に反対することでも、皇室典範改正を要求することでもない。そのような選択肢しか与えられない構造こそ、天皇制そのものであることを問題にし、民主主義に天皇制はいらないという声を大きくしていく以外にない。こうして天皇制をめぐる状況が、日々大きく動いている中でのわれわれの本日の行動は、今後数年にわたる「代替わり」過程全体をみすえた反天皇制運動の課題を確認し、その闘争方向を議論していく場として設定されている。

2 2・11 と右派の動向

 本日二月一一日は「建国記念の日」とされている。天皇神話に基づく戦前の「紀元節」は、一九四八年に一度は廃止されながらも、多くの反対を押し切り、一九六六年に「建国記念の日」として復活された。政府による式典は中止されたままだが、日本会議と神社本庁を中心とする右派勢力は、今年もまた各地で式典や行動を繰り広げている。

 「国旗・国歌法」や、教育基本法改悪、教科書改変などで草の根からの「国民運動」を展開してきた日本会議は、神社本庁や民間右翼のみならず、自民党など右派政党の国会・地方議員も多く組織し、政治的影響力を強めている。

 とりわけ安倍政権は、安倍自身を始め閣僚の多くが日本会議国会議員懇談会のメンバーである。日本会議を中心として設立された「美しい日本の憲法をつくる国民の会」は、天皇の元首化、憲法九条改憲、「国家緊急事態」の制定など、自民党改憲草案を丸ごと実現する趣旨で、全国の神社において昨年一月、改憲署名を開始した。

 このような、宗教右翼と結びついた右派の運動は、国家による宗教行為を禁じた、憲法二〇条の政教分離原則をないがしろにする安倍政権の行為を、明確に後押ししている。

 安倍首相は、二〇一三年一二月の靖国神社参拝が、国内外の大きな批判を浴びたことから自らの参拝は見合わせているが、靖国神社の例大祭などへの供え物は欠かさない。こうした状況を受けて、国会議員の靖国神社参拝の人数は激増している。また、昨年五月の伊勢志摩サミットの初日には、サミット公式行事としてG7首脳を伊勢神宮に案内してみせた。とりわけ、安倍内閣の防衛相である稲田朋美が、昨年一二月二九日に靖国神社を参拝したことを見逃すことはできない。かつて稲田は、「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです」と述べていた人物である。戦争国家体制が着実に構築されている現在、戦争体制を精神的に支える装置として、死者の「慰霊と顕彰」の場が要請されている。靖国神社だけがストレートにそういう場所になりうるかどうかは疑問だが、戦争神社・靖国に現役の防衛大臣が参拝することの政治的意味合いはきわめて大きい。

 その稲田は昨年一一月「明治の日推進協議会」の集会で、「神武天皇の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神だった」とあいさつした。同団体は、明治天皇の誕生日である一一月三日を、現在の「文化の日」から「明治の日」に変えようというグループである。こうした動きは、二〇一八年に実施が決まっている、政府の「明治維新一五〇年」記念事業とも連動しているだろう。そして、この二〇一八年がまた、「平成最後の年」というキャンペーンと重ねられることは明らかだ。そこではいわば、近代天皇制国家の一五〇年の総体が、まとめて総括されることになるはずだ。そして二〇一九年の「改元」が、新たな天皇の世紀を開くものとして喧伝されることになるだろう。

3 新天皇即位・「大嘗祭」に反対しよう

 さしあたり、新たな天皇制がどのようなものとして打ち出されることになるのか、それはきわめて不透明である。美智子に匹敵する存在感のある皇后の不在は、「平成流」の天皇制を続ける上で、有利とは言えない。そうした新天皇の権威づけは、どのようになしうるのか。だが、さしあたり明仁天皇が描いた天皇像を逸脱することはなく、その基本路線を引き継ごうとすることから始められるだろうと想像するだけで十分である。

 この間、明仁の退位と新天皇の即位の日付をめぐって、政府と宮内庁との間に、若干の「応酬」があった。報道によれば政府は、二〇一九年一月一日に皇太子の天皇即位に伴う儀式を行い、同日から新元号とする方向で検討に入った。具体的には、この日に「剣璽等承継の儀」(三種の神器等引き継ぎ)と「即位後朝見の儀」(三権の長らの初拝謁)を宮中で行い、官房長官が速やかに新元号を発表する。そして同年の一一月に大嘗祭がおこなわれ、皇位継承を内外に示す「即位礼正殿の儀」が大嘗祭の前に行われる、とされた。

 ところが、これに対して西村泰彦宮内庁次長が、一月一七日の定例会見で「譲位、即位に関する行事を(元日に)設定するのは実際にはなかなか難しい」との見解を述べたのである。そこには、「元日は早朝から重要な行事が続くので、それらに支障があってはいけない」という天皇サイドの意向が反映されているのではないか、とも報じられている。皇室にとっての「重要な行事」というのは、早朝からおこなわれる「四方拝」などの宮中祭祀や「新年祝賀の儀」などのことである。これをうけて、政府は二〇一八年一二月二三日の退位の検討へと切り替えたといわれている。

 天皇制が国家の制度であれば、それは政府や議会が決定することで、天皇の「私事」にすぎない宮中祭祀などに左右されてよいはずはない、と安倍官邸が言っても不思議ではないが、そのようなことはありえない。自民党の改憲草案においても、天皇の祭祀を「国事行為」に入れるということは主張されていないが、天皇も安倍も完全に一致している天皇の「公的行為」の拡大のなかで、天皇の「祭祀」の「公的性格」を強調し、事実上国家の行為としてそれを拡大していく方向性が強まっている。

 「剣璽等承継の儀」や「大嘗祭」などは、いうまでもなく皇室神道の儀式である。それに対して「公的性格」をみとめて国費を支出することは、政教分離違反である。明仁天皇を、安倍と対立する「護憲・平和主義」者として描き出すことは、いわゆる「リベラル」な立場に立つ人からもしきりになされているが、今回の「生前退位」意向表明、そして、それによって日程に上りつつある「代替わり」儀式において、天皇は明確に違憲の行為を積み重ねていくのだ。そしてそれが、改憲を押し進めようとする日本会議などの右派勢力の「復古主義」と重なりつつ、またそれとは異なる天皇主義の強化をもたらすことになるだろう。

4 反天皇制運動の大衆化を

 このような天皇制の行為は、まさに反憲法的な行為である。私たちは、民主主義・人権・平和主義といった普遍的な価値を中軸的な原理としておいている現憲法が積極的な性格を認めるが、象徴天皇制自体がこれらの原理と矛盾するものとして憲法内に埋め込まれており、そのことがたえず、反憲法的な行為を引き起こしているといわなければらない。

 天皇制はひとつの身分制度であり、差別と人権侵害、自由な表現の抑圧をもたらす存在として現実的に機能している。それが行なっていることは、戦争や原発事故、沖縄の基地問題、社会的格差と不平等など、さまざまに生じている現実的なあつれきを、慰撫し、融和し、「国民」的に統合していくことである。そして最終的に天皇が果たす役割は、現実政治の正当化以外ではありえない。

 今年の「天皇行事」としてはまず天皇・皇后のベトナム訪問が予定されている。「三大天皇行事」については、「68 回全国植樹祭(5/28、富山)」、「72 回国民体育大会(9 /30〜10/10 、愛媛)」「37 回全国豊かな海づくり大会(10/28 ・29 、福岡)」があり、例年の8・15 「全国戦没者追悼式」がある。3・11 の「東日本大震災追悼式」は、五年がすぎたので、天皇出席行事から、秋篠宮出席の行事となった。だがこれは、新天皇の即位後、皇位継承者第一位になる秋篠宮の、実質的な「皇太子化」の先取りというべきものだろう。

 われわれは、こうした天皇制の動きを批判し、闘争課題としつつ、長期的には「即位・大嘗祭」へと向かう天皇「代替わり」攻撃を見すえた闘争を準備していきたい。大量の右翼と警察の暴力に見舞われた、各地で「生前退位」表明以降の天皇制再編に抗するさまざまな反撃がすでに始まっているが、昨年11・20の吉祥寺の反天皇デモは、警察と右翼による激しい規制と暴力に見舞われた。さまざまな暴力や人権侵害、市民社会からのそれも含んだ排除の言論、不当弾圧といった課題は、反天皇制運動の課題でもある。いま、2020東京オリンピック・反テロを口実とした共謀罪の国会審議が進んでいる。東京オリンピックの名誉総裁には新しい天皇が就任し、一連の儀式を終え、新天皇として国際舞台にデビューするイベントの場としても使われる。その意味で、オリンピック警備と天皇警備も連動するだろう。

 これらのさまざな課題を出し合い、これまでの経験なども交流させつつ、本格的な天皇「代替わり」に反対する運動陣形・そのためのことばと表現を展望していこう。

 二〇一七年二月一一日

2016.8.15行動【連帯アピール】山形「豊かな海づくり大会」反対現地闘争に参加されている皆さんへ

山形「豊かな海づくり大会」反対現地闘争に参加されている皆さん

この間、首都圏において反天皇制運動に取り組んできた、「『 聖断神話』と『原爆神話』を撃つ8.15 反『靖国』行動」より、本日の現地闘争を準備し、また現地に結集されている皆さんに、連帯のアピールを送ります。

私たちは、天皇制の「三大行事」といわれる「国体・植樹祭・海づくり大会」が、日本各地において行なわれてきた、天皇を戴く儀礼を通じて民衆統合をすすめる装置であり、その地域において、天皇警備という名の人権弾圧をともなう、官民一体の天皇翼賛体制をつくりだすものであるとして、反天皇制運動の大きな課題として位置づけています。

本来であれば、実行委メンバーの多くがこの場に結集していなければならないところ、日程的な諸事情で不十分な取り組みになってしまったことをお許し下さい。

私たちは、8.15に向けた前段集会のひとつとして、7月18日に「天皇行事の『海づくり大会』はいらない! 海づくりは、海こわし」と題して、現地闘争を準備されている方を講師にお招きし、討論集会を持ちました。そこでは、近代天皇制国家による東北支配の歴史と、政府・資本によって現地漁業が破壊されていく実態が明らかにされました。また、今回の「海づくり大会」が福島原発事故の翌年に開催を決定したものであり、それは2016年岩手国体、2018年福島植樹祭とつづく、東北における天皇行事のさきがけであること。そこで強調される「東北地方の復興再生」なるものが、現在進行形である福島原発事故や、汚染水の海洋放出という現実を隠ぺいし、原発再稼働政策を後押しするものに他ならないことを確認しました。

私たちは7月30日にも前段集会を持ち、さらに8.15の反「靖国」デモにも取り組みました。

それは、天皇明仁の「生前退位」の意向なるものがNHKにリークされ、そして天皇みずからの、「ビデオメッセージ」のテレビ報道という時期に重なりました。これらの天皇の行為は、「皇室典範」の改正を自らの意志で迫るという、象徴天皇制にとっての明確な違憲行為であり、さらに天皇制の「未来像」を、天皇主導によって確定していこうとする意思を示したものに他なりません。日本の国家社会を、戦争をする体制へと全面的に再編していく時代にあって、象徴天皇制がその存在意義である「国民統合」の機能を、より積極的なものとして高度化させていくという意味において、それは、天皇自身の手による、天皇制再編攻撃の開始であったといわざるをえません。

私たちの8.15行動が、首都圏においては、こうした天皇制攻撃に対する最初の街頭デモであったとすれば、今回の山形現地の闘いは、天皇行事そのものに対して、天皇に対して直接抗議の声を上げていく最初の闘いであると思います。

反天皇制運動の更なる展開をめざし、ともに闘っていきましょう。

2016年9月10日
「 聖断神話」と「原爆神話」を撃つ8.15 反「靖国」行動

2016.8.15行動【連帯アピール】第43回許すな!靖国国営化8.15集会に参加された皆さんへ

第43回 許すな!靖国国営化 8.15集会に参加された皆さん

参院選の結果、改憲勢力が衆参両院で改憲発議が可能な全議席の3分の2を超え、また日本会議の副会長でもある小池百合子が東京都知事に当選し、そして第3次安倍改造内閣に、4.28と8.15に靖国神社を、閣僚であった時期も含めて欠かさず参拝してきた稲田朋美が防衛相となる。そしていま、明仁天皇の「生前退位」の意向表明によって、新たな形態での天皇「代替わり」が開始されている──。このような時代状況のなかで、私たちは今年も、8.15反「靖国」行動を迎えています。

本日九段で行なわれている「全国戦没者追悼式」は、戦争の死者を戦後日本の「平和と繁栄」のための「尊い犠牲」として称えることで、人びとを死に追いやった日本国家の責任を解除する欺瞞的な儀式であり、天皇はその儀式の中心にたっています。こうした天皇の、いわゆる「公務」なるものが違憲の行為であり、今回の天皇のビデオメッセージの意味は、「天皇の仕事」が何ものであるかは天皇が決める、国民はそれを忖度して受け入れよということにほかなりません。

天皇の憲法違反は許されません。天皇の「公務」自体いらないし、民主主義に反する天皇制そのものは廃止されなければなりません。本日の私たちのデモは、今後数年間にわたる、天皇主導の新たな天皇制づくりに反対する最初の街頭デモとしても位置づけています。同じ日に東京で集会を持たれている皆さんに連帯し、ともに闘っていきたいと思います。

2016年8月15日
「聖断神話」と「原爆神話」を撃つ8.15反「靖国」行動