「よびかけ」カテゴリーアーカイブ

2020.8.15行動【よびかけ】国家による「慰霊・追悼」を許すな! 8・15反「靖国」行動の呼びかけ

敗戦から75年目の8月15日を迎える。75年を経ても、天皇制国家による侵略戦争・植民地支配責任は果たされることがなく、被害者に対する謝罪や補償も十分になされていない。それどころか、「徴用工」や「慰安婦」をめぐる問題の近年の状況が明らかにするように、日本政府の傲慢な開き直り、逆ギレによる、韓国・中国政府に対する攻撃的な言動によって、歴史修正主義、排外主義の跋扈を生み出している。

さらに、現在の新型コロナウイルスの社会的蔓延状況に対する安倍政権の施策は、感染防止はただひたすら「自粛」を強制するのみで、感染者したものが犯罪者であるかのように扱う社会的監視圧力(「自粛警察」)に棹さし、多額の税金が投入される「コロナ対策」も、その業務執行にあたっては不透明な組織を経由して電通やパソナなどの大企業に丸投げする利権まみれのものであることも明らかになってきている。「人の不幸」に便乗して利権を分け合う、災害便乗資本主義の醜悪な姿が露呈している。

日本社会全体においても、政府に対する批判の意思表示は冷笑・攻撃され、「自粛」への社会的同調圧力が増すばかりである。

天皇制が歴史的に果たし続けてきた役割は、社会的統合の「危機」にあたって、これを観念的な国民の共同性において緩和することの要求である。

さきの大戦における350万人もの「国民」の死に対する天皇による慰霊と追悼は、その最たるものである。この慰霊・追悼により「国民」は再統合され、天皇制の戦争責任・植民地支配責任が隠蔽されていく。先代の明仁天皇は、天皇在位の間に、この戦没者追悼・慰霊を8.15だけでなく、沖縄を含む日本全国、さらには侵略先のフィリピンや南洋群島においても進めてきた。さらにこれに加え、雲仙普賢岳噴火に始まり、阪神・淡路大地震、東日本大震災、近年における各地の豪雨災害など、自然災害における死者・被災者の追悼・慰問にも積極的であった。

しかしそれらも、被害を拡大させることになった都市開発等の施策や原発推進政策といった「人災=政策の過ち」を糊塗し、その責任に対する追及を曖昧にしながら、政権政党の政治を「情」の世界において追認していく機能を果たしているのである。そのために天皇は常に「国民」の幸せを祈り続ける、政治から超越した「慈愛」に満ちた存在として描き続けらているのだ。

現在のコロナ禍に際して、現時点において天皇のメッセージなるものは発せられていない。基本的に明仁天皇の象徴像を引き継ごうとしていると思われる徳仁新天皇が、この「危機」に際してどのような動きをして自らをアピールするのか、その動向に対しても注視する必要がある。

私たちは、今年の8・15行動にあたって、例年の靖国神社や、今年はどうなるか現時点では不明であるが、政府主催・天皇出席の戦没追悼記念式典に対する抗議行動を準備する過程で、この現在進行形の社会状況における天皇制の役割を批判的に解読しつつ、身分差別と格差社会の象徴としてある天皇制そのものを、「戦後75年」の天皇制国家の歴史的責任と重ね合わせて問題としていきたい。

参加・賛同を訴えます。

呼びかけ ● 国家による「慰霊・追悼」を許すな!8.15 反「靖国」行動

【呼びかけ団体】
アジア連帯講座/キリスト教事業所連帯合同労働組合/研究所テオリア/市民の意見30 の会・東京/スペース21/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/ピープルズ・プラン研究所/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動評議会

2020.4.28-29行動【よびかけ】今こそ問う「安保・沖縄・天皇」4.28-29連続行動実行委員会の呼びかけ

 私たちは、60年安保闘争から50年目となる2010年から、4月28日・29日の連続行動に取り組んできた。

4月28日は1952年にサンフランシスコ講和条約と日米安保条約が発効した日であり、29日はかつての天皇誕生日であって、裕仁の死後、「みどりの日」を経て「昭和の日」となった。この両日を連続行動として取り組むことに意味があることを改めて確認しよう。

■誤った戦後日本のスタート

サンフランシスコ講和条約は、朝鮮戦争下で講和を急ぐ米国主導のもと、最大の被害国である中国やソ連を排除した西側諸国とのみ結ばれたものであり、日本の侵略戦争・植民地支配に対する賠償を経済援助方式によって切り詰めるものであった。さらには沖縄を含む南西諸島を米軍支配のもとに切り捨てるものでもあった。

これにより「主権回復」し国際舞台に復帰した日本であるが、それは同時に、天皇制国家による侵略戦争責任・植民地支配責任の追求とそれがもたらした被害に対する賠償をあいまいに糊塗してしまうものであった。

そして同時に発行した日米安保条約は、占領軍であった米軍の、日本領土内自由行動を含むさまざまな特権的地位を有した状態のままでの駐留継続を認めるものであった。

こうした米国による戦後の対日本政策は、占領政策を有効に進めようとする意図の下で戦犯としての追及をせず延命させた裕仁天皇との米国主導の下での共同作業でもあった。共産主義勢力による戦争責任追及や革命を恐れる裕仁は、米軍の駐留継続を強く望み、そのために沖縄の切り離し(占領の継続)の提案を、日本政府の頭越しに行ったのである。

■今こそ問う「安保・沖縄・天皇」

今日の「従軍慰安婦(日本軍性奴隷制度)」問題や「徴用工」問題、辺野古新基地建設に象徴される米軍基地の沖縄への押し付け問題などは、こうした「誤った戦後日本のスタート」に起因するものである。

侵略戦争・植民地支配による負の遺産は、私たちの手によって精算されなければならない。

昨年、裕仁の子(明仁)から孫(徳仁)への代替わりが行われた。米国主導の下で、裕仁天皇が積極的に加担してつくりあげた戦後日本は、裕仁一代で完結するものではもちろんない。子、孫へと天皇の座は引き継がれ、それぞれ意匠を異にしながらも、侵略戦争・植民地支配責任を忘却の彼方におしやり、新たな戦争国家へ向けて国家統合体制を整えるという役割は継続・強化されている。

今年の4.28-29の連続行動は、戦後の「国体」といわれる象徴天皇制・日米安保体制の総体を改めて問い直す取り組みにしたい。

また、今年は、昨年の一連の代替わり儀式の締めくくりとしての「立皇嗣の礼」が行われる4月19日にもこれに反対する取り組みも行う。

実行委員会への参加・賛同を呼びかけます。共に闘いましょう!

 

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/市民の意見30 の会・東京/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会/ピープルズ・プラン研究所/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

2020.2.11行動【よびかけ】「代替わり」に露出した「天皇神話」を撃つ! 2・11反「紀元節」行動への参加・賛同の呼びかけ

二〇一九年は、文字通り、天皇「代替わり」をめぐって、天皇制賛美キャンペーンが吹き荒れた一年だった。私たち反天皇制運動の枠組みとしては、この「代替わり」過程の総体と対決することを目指して、首都圏の仲間たちとともに、一回り大きな実行委員会を立ち上げ、「終わりにしよう天皇制!『代替わり』反対ネットワーク」(おわてんねっと)として、この一年余り、さまざまな行動を作りだしてきた。おわてんネットの行動は首都圏における反天皇制運動の結集軸となり、一連の行動には多くの仲間たちが参加し、10・22即位式反対デモにおける三名逮捕という不当弾圧をもはねのけて、それなりの「存在感」のある闘いを組むことができた。

新天皇の即位儀礼は、実に四〇余りのさまざまな儀式によって構成されたものであった。おわてんねっとは、明仁天皇の退位・徳仁天皇の即位、即位式、大嘗祭などに対しては、街頭で大衆行動に取り組んできた。この反対行動も一段落したいま、おわてんねっととしては解散することになるが、二〇二〇年も秋篠宮の「立皇嗣礼」などの儀式や周近平・天皇会談、そして夏には天皇が名誉総裁となって開会宣言をおこなうオリンピック・パラリンピックなど、天皇制に関わるさまざまな動きは続いていく。

徳仁天皇の「代替わり」儀式は、一一月の「大嘗祭」を頂点として、いずれも皇室神道の儀礼空間に染め上げられていた。それらの多くは、「政教分離への配慮」と称して、皇族の「私的行為」という名目でなされたが、「代替わり」というその「公的性格」に鑑みて、総額一六六億円に上る国費が支出されることになった。さらに「国事行為」として行われた「即位の礼正殿の儀」や「剣璽等承継の儀」なども、天皇神話を基礎とする儀式である。一連の「代替わり」儀式は、天皇が「神」とつながり、また自身も神であることを確認するものであり、そのことを通して、国家の神聖性を文字通り「象徴」として体現するものである。憲法における政教分離原則は、かつての国家神道への反省から、国家が宗教的行為に関わることを厳格に禁止する規定である。儀式を通じて、そのような意味での国家の宗教が、公然と宣教されていたのである。

一方、マスメディアは、「代替わり」の儀式が、尊重されるべき日本の美しい「文化・伝統」であるかのように描き出した。「文化・伝統」といえば、政治の世界とは切り離された、「国民の共同の観念」として、誰もが「文句なく」受け入れられるものであるかのように言われるが、現実には、いわゆる「国民」の内と外を線引きし、排除と包摂を果たすものとならざるをえない。日本人であれば天皇を敬愛するのは当たり前であり、敬愛しないのは外国人か「非国民」であるというおなじみの論理は、その代表的なものだろう。

私たちは、二〇二〇年の反天皇制運動を開始するにあたり、それ自体が天皇神話に基づく「紀元節」反対の取り組みとして、「代替わり」に露出した「天皇神話」を撃つという視点で、二月一一日に集会とデモに取り組むことを呼びかける。多くの人びとの参加と協力を。

 

「代替わり」に露出した「天皇神話」を撃つ! 2・11反「紀元節」行動

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2019.2.11行動【よびかけ】天皇「代替わり」に反対する2. 11 反「紀元節」行動への呼びかけ

 一一月三〇日に公表された誕生日記者会見における秋篠宮の発言は、国費を使って「公的」に行われる天皇の「代替わり」儀式がどうあるべきかということを皇族自らが語ったという意味で、「生前退位」の意向を表明した明仁の発言がそうであったように、明白な政治的発言にほかならなかった。前回の「代替わり」儀式において、「政教分離」の観点から疑義が提出され、その違憲性が訴訟でも争われた大嘗祭に関して、「やはり内廷会計で行うべきだと思っています」と秋篠宮は述べた。「大嘗祭自体は絶対にすべきものだ」が、「できる範囲で身の丈に合った儀式で行うのが、本来の姿ではないかなと思います」というのだ。

政教分離と簡素化に配慮しているかのように報じられたこの発言は、しかし、大嘗祭をめぐる政教分離とは何かというときに、それが天皇家の「私費」とされる内廷費から支出しさえすれば問題ないという解釈を、皇室の側から示してみせたものとしてとらえなければならない。しかし、政教分離は国家が宗教的行為を行うことを禁止する規定であって、それは当然、国家の機関としての天皇にも及ぶのだ。内廷費も税金であり、とりわけ大嘗祭は、新天皇に神格を付与する「代替わり」における宮中の秘儀として、きわめて大きな意味が与えられ、マスメディアもこれを大々的に報道する。内廷費であれば請求分離違反にならないなどというのは、まったくのごまかしである。

他方、政府の側は、即位の礼正殿の儀や剣璽等承継の儀などを「国事行為」として、また、大嘗祭を「公的」なものとして公費を支出する姿勢を変えようとはしない。少なくとも、大嘗祭に関してはその宗教性を国も認めているのに、「日本国および国民統合の象徴」である天皇の即位に関わる重大な儀式であるからとして、そのような行為を正当化しているのである。

二〇一九年、一年をかけて行われる天皇「代替わり」とは、四〇ほどの一連の儀式と行事の総体である。それは、象徴天皇制の下で、日常的には表に出ないで隠れている皇室祭祀が、天皇制を支えるもう一つの柱にほかならないという事実をさらけだす。日頃、明仁天皇が「護憲」天皇であると持ち上げる人々は、これを「伝統・文化」の儀式として強弁するだろうが、それが紛れもなく国家神道の儀式であることを無視してはならない。

そして天皇「代替わり」とは、このように神聖化された天皇儀式を経て、「新たな時代」の天皇制国家・日本の姿を演出する、大きな機会となるのである。安倍政権の掲げていた「改憲四項目」の国会提示は来年以降に持ち越される見込みだが、「新たな時代」の演出が、いわゆる「戦後レジーム」を最後的に解体する明文改憲への動きと連動していくことは間違いない。新天皇徳仁が、そこにおいていかなるイメージをまとうことになるのかはまだ不分明であるが、新天皇即位直後の五月に、新天皇・トランプ会見が予定されていることに明らかなように、日米同盟のもとでの戦争国家体制に、より適合的な天皇制として、その役割を果たすに違いない。

私たちは、この「代替わり」総体との対決という課題を掲げた、二〇一九年の反天皇制運動を、2・11反「紀元節」行動から開始していくべく、準備を開始している。言うまでもなく2・11は、神武天皇の建国神話に基づく天皇制の記念日だ。そして私たち反天皇制運動の実行委構成団体も合流して、首都圏において、反天皇制運動の大きな枠組みとして「終わりにしよう!天皇制『代替わり』反対ネットワーク」(おわてんねっと)も結成され、2・24の天皇在位三〇年式典反対行動に取り組もうとしている。この式典は、まさに「平成天皇制の三〇年」を向こう側から総括し、それを「国民こぞって」祝い、「代替わり」に向かっていこうという儀式となる。そして、新「元号」発表、四月三〇日の明仁退位─五月一日の徳仁即位、愛知植樹祭や秋田海づくり大会、茨城国体への新天皇の出席などが続く。新潟でおこなわれる国民文化祭は、「代替わり」後に天皇行事へと「昇格」する。そうして、秋の即位の礼、大嘗祭へと天皇行事は続いていくのだ。

次から次へと、さまざまな天皇儀式が繰り出され、天皇制が神聖かつ大切なものであるという意識が、人びとの日常意識にすり込まれる。それは、天皇の神聖性を通して日本国家の神聖性を自明のものとする、国家主義の攻撃でもある。こうした攻撃にひとつひとつ反撃し、さまざまな視点から天皇制を問い続けていこう。2・11反「紀元節」行動への参加賛同を訴える。

 

天皇「代替わり」に反対する 2・11反「紀元節」行動

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村 /反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制に反対の意思表示の会/連帯社/労働運動活動者評議会

「明治150年」記念式典反対行動【よびかけ】10.22デモ実行委員会へ参加を

8月10日の産経新聞は、「10月23日に政府主催『明治150年記念式典』開催へ」と題して以下のように報じています。

「政府は10日の閣議で、今年が明治改元から150年に当たることを踏まえ、政府主催の記念式典を10月23日に東京・永田町の憲政記念館で開くと決定した。菅義偉官房長官は記者会見で「明治以降のわが国の歩みを振り返り、未来を切り開く契機としたい」と述べた。内閣府に10日付で準備室を設置したことも発表した。/明治への改元は、明治天皇の即位に伴い1868年10月23日に行われた。「明治100年」だった昭和43年10月23日には、東京・北の丸公園の日本武道館で昭和天皇・皇后両陛下ご臨席の下、当時の佐藤栄作首相ら三権の長らが出席して政府主催の記念式典を開催した」。

政府は今年、「平成30年(2018年)は、明治元年(1868年)から起算して満150年の年に当たります。この『明治150年』をきっかけとして、明治以降の歩みを次世代に遺すことや、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは、大変重要なことです」との認識のもとで、地方自治体や民間もまきこみつつ「明治150年」に関連する様々な取り組みを行ってきた。どれほど話題になっているかはともかく、全国各地で相当な数の「明治150年」を冠に付けた企画が行われてきているようで、また今後も行われつつあるようです。

その集大成としての「明治150年記念式典」の開催が(予想されていたとはいえ)冒頭の記事のようにようやく発表されました。

式典への天皇の参加は、いまのところ明らかにされていませんが、今年3月の「琉球処分」の日を選んだ沖縄訪問と国境島・与那国島への初訪問、8月の「北海道150年記念式典」へ出席といった天皇の動きを見るに、この「明治150年記念式典」への参加は、おそらく間違いないと思われます(そもそも天皇が参加しない「明治150年記念式典」などありうるでしょうか?)

政府の「明治150年記念事業」の企てに対して、私たちは、例年取り組んでいる、2.11反「紀元節行動」、4.28-29沖縄デー・反「昭和の日」連続行動、8.15「反靖国」行動のいずれにおいても、今年は「明治150年」批判を掲げた行動を行ってきました。

そうした行動の積み重ねの上で、この10月23日の「明治150年記念式典」に対しても、抗議の声を上げる行動に取り組みたいと思います。

具体的には、前日10月22日(月)の夜のデモを考えています。

8.15「反靖国」行動の実行委員会が解散したばかりですが、この取り組みの1日実行委員会にぜひ参加下さい。

2018.8.15行動【よびかけ】「明治150年」天皇制と近代植民地主義を考える8. 15反「靖国」行動への参加・賛同の呼びかけ

二〇一九年四月三〇日明仁天皇「退位」・五月一日新天皇「即位」まですでに一年を切った。

四月初め、政府の式典準備委員会は「代替わり」儀式の基本方針を固め、明仁への「代替わり」のそれを今回も踏襲するとした。「即位の大礼」など五つの儀式を「国事行為」とし、「大嘗祭」は「国事行為」とはしないが、その「公的性格」に鑑みて、特別に公費を支出するという。政府や一部マスコミは、それが「政教分離」への配慮などというが、そもそも新天皇の即位儀礼とは、三〇にも及ぶさまざまな儀式の総体であって、その一部だけを切り離すなどということ自体無意味だ。私たちはまず、一連の「代替わり」儀式が、憲法上の「政教分離原則」と「国民主権」の原理を公然と踏みにじる、違憲の行為であるということを指摘しなければならない。そして、一連の天皇「代替わり」儀式は、日本が、天皇という世襲の君主を戴く国家であり、「国民」もまた天皇に象徴されることによって「国民」なのだということを再確認させる、最大の天皇制攻撃にほかならない。

そもそも、八〇歳を超える高齢となり、「天皇のつとめ」を充分全うすることができなくなったということを理由に、「生前退位」のメッセージを発し、退位特例法なる新たな立法すら実現させていったのが、この間の「天皇退位」の動きであった。にも関わらず天皇は、退位するその日まで、天皇としての「公務」や、皇室祭祀などを精力的に続けていく意思を示している。宮内庁がこの一年の間に、天皇としての「公的な活動」を、皇太子や秋篠宮に引き継ぐことを提案したが、天皇はそれに同意しなかったというのだ。

今年の三月二七日、明仁・美智子は沖縄・与那国を訪問した。この沖縄訪問を、マスメディアは相変わらず「慰霊の旅」などと描き出している。しかし、この地域は、対中国シフトをイメージした軍事的な拠点としてクローズアップされている。すでに二年前の三月二八日に、この与那国に陸上自衛隊沿岸監視部隊が設置され、そして天皇が沖縄に着いたまさにその日に、陸上自衛隊は全国の五方面隊を一元的に指揮する司令部として「陸上総隊」を発足させ、直轄部隊として「離島防衛」の専門部隊としての「水陸機動団」(日本版海兵隊)をおいている。与那国では、町内のあちこちに、自衛隊協力会によって、「奉迎」の横断幕が掲げられ、天皇が乗った車は、自衛隊与那国駐屯地の隊員によって、と列で迎えられた。また那覇の国際通りでも、自衛隊の陸・空特別編成音楽隊を先頭に、「日の丸」と提灯を掲げた四五〇〇人の奉迎パレードが行われている。「平和主義」イメージとは裏腹に、天皇と軍隊との軍隊との結びつきは、より露骨に現れていたのだ。

明仁はまた、六月九日には、全国植樹祭への出席に伴って福島県を訪問し、さらに八月五日には、アイヌモシリが「北海道」と命名されてから一五〇年を記念する式典が行われるのに合わせて札幌を訪問し、その前後に離島・利尻島を訪ねる計画となっている。

明仁は昨年八月のビデオメッセージで、「とりわけ遠隔の地や島々への旅も、天皇の象徴的行為として、大切なもの」と述べていた。天皇としての「最後」の訪問地としてこれらの地域が選ばれていることは象徴的である。沖縄と北海道は、近代天皇制国家の出発にあたって、「日本の版図」に編入された地域であり、その一五〇年間の歴史には、日本帝国による国内植民地支配の経験が刻み込まれている。その地域と住民(先住民)を、あらためて日本の「国土」・「国民」として再統合していく「象徴的」な行為として、天皇の訪問はあるのだ。そして侵略戦争と植民地支配の歴史を後景化させる方向での歴史の「清算」は、日本の近代全体を、文明化と経済発展の軌跡としてひたすら明るく描き出そうとする、政府の「明治一五〇年」賛美の動きと連動するものだ。

さらに、明仁天皇がこだわってきたとされるのが「戦没者慰霊」である。今年の八月一五日の全国戦没者追悼式は、明仁にとっては、天皇として最後の式典出席となる。全国戦没者追悼式は、戦争の死者を、戦後日本の発展をもたらした「尊い犠牲者」と賛美することによって、その死を美化し顕彰する儀式にほかならない。その意味において、軍人・軍属(戦闘協力者)の死者を「英霊」として祀る靖国神社と同質のものだ。

8.15反「靖国」行動は、国家による「慰霊・追悼」を撃ち、天皇制の植民地支配、戦争・戦後責任を批判し抜く行動として取り組まれてきた。日本が、戦争法や治安法を整備し、海外における米軍への協力活動など、実際の軍事行動に踏み込んでいる現在、国家にとって「新たな戦争の死者」をどう位置づけ、利用していくかという課題は、ますます現実的なものとなっている。国家による「慰霊・追悼」それ自体が、戦争準備の一環をなしているのだ。そして「代替わり」に伴って新たに登場する新天皇が、そこでどのような役割を果し、また果すことが期待されているのかを問うていかなければならない。

8.15反「靖国」行動をステップに、「明治一五〇年」から「代替わり」諸儀式に具体的に反対していく運動を強化し、向こう側からの「平成の総括」を批判しぬき、天皇「代替わり」を契機として創り出される天皇制社会の時間と空間に抗していく、私たちの自由を取り戻す闘いを準備しよう。8.15反「靖国」行動実行委員会への多くの参加・賛同、協力を!

「明治150年」天皇制と近代植民地を考える8・15反「靖国」行動

[呼びかけ団体]

アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」の強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

2018.4.28-29行動【よびかけ】天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4.28-29連続行動への参加・賛同の呼びかけ

一八七九年三月二七日に、内務官僚・松田道之は、軍隊三〇〇名余、警官一六〇名余を率いて首里城に入り、琉球国王に城の明け渡しを求め廃藩置県を布告した。いわゆる「琉球処分」の最終局面である。

「明治一五〇年」キャンペーンを政府が展開する今年(二〇一八年)、この三月二七日に、天皇明仁は沖縄へ行く。皇太子時代に五回、天皇になってから五回の訪沖をしている明仁にとって一一回目となる。自ら敷いた路線で来年四月末に退位し、息子・徳仁に皇位をゆずる彼の、天皇として最後の沖縄訪問となるであろう。その翌日の三月二八日には、天皇として初めて国境の島・与那国を訪れる。この日は、二年前(二〇一六年)に、自衛隊与那国駐屯地が開設され、与那国沿岸監視隊(一五〇名程度)が配備された日にあたる。

この三月二七日(琉球処分の日)、二八日(自衛隊開設日)の日程での、天皇の沖縄・与那国訪問は、これまでの天皇による、慰霊や追悼の旅とは違った、別の意味を持つことにだろう。「象徴としてのありかた」を模索してきたという明仁天皇は、自ら「生前退位」の道を開いた。そして次なる天皇の即位を導いた。明仁の最後の沖縄訪問は、徳仁新天皇に課す新たな役割(「象徴的行為」)への布石としての旅かもしれない。

沖縄は、武力によって大日本帝国(天皇制国家)の版図へ強制的に組み込まれ、皇民化政策のもとで植民地的支配を自ら被りながらも、侵略・植民地支配の先兵として動員された。敗戦局面では、本土防衛の捨て石とされ、住民の四人に一人が死を強いられた。そして敗戦後は、間接統治の日本(ヤマト)とは違って、米軍による直接統治下に置かれ、一九五二年にサンフランシスコ講和条約によって「本土」が「主権回復」した後も、裕仁天皇のメッセージによって米軍の占領状態が継続された。同時に結ばれた日米安保条約により、占領(米)軍の日本への駐留が継続されることとなるが、軍政下で銃剣とブルドーザーによる強制的な土地の収用=米軍基地建設が行われた沖縄に、さらに日本からも海兵隊を中心とした米軍基地が移転され、その結果、「国土」の〇・六%を占める土地に七四%の米軍基地が押しつけられることになった。

このように沖縄にとっての「明治一五〇年」とは、大日本帝国による戦争・植民地支配政策(その破綻)と戦後のアメリカ核軍事力に依存した日米安保体制の矛盾が押しつけられてきた一五〇年であるといえる。

軍政下における「島ぐるみ闘争」(一九五六年)から近年の辺野古新基地建設や高江ヘリパッド建設を阻止する運動、オスプレイの配備に反対する運動など、幾たびも沖縄は反基地・反安保の声を上げ続けている。沖縄の声は、しかし、日本(ヤマト)にとって大きくは響いていないようにみなされる。

政府・安倍政権は、中国脅威論を煽りながら、沖縄の米軍基地強化とともに南西諸島(宮古島、石垣島、奄美大島)への自衛隊配備もすすめている。

私たちはヤマトの人間として、安倍政権の「明治の精神に学び、日本の強みを再認識する」として「明治の精神」を礼賛し、戦争と植民地支配の歴史を糊塗し、さらにその破綻の結果として生まれた平和憲法(憲法九条)をもなきものとする動きを許すことはできない。

沖縄を常に利用(構造的差別)し続けた「一五〇年」の歴史=近代天皇制総体の歴史を批判的に検証する集会(4・28:沖縄デー)と、天皇制の戦争責任・植民地支配責任を問い、歴史の改竄を許さない反「昭和の日」デモ(4・29:裕仁誕生日)の連続行動を、今年も作りだしていきたいと思います。ぜひ多くの方の賛同をお願いします。

天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4・28─29 連続行動実行委員会

【呼びかけ団体】

アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/反/安保実行委員会反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」の強制反対の意思表示の会靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

2018.2.11行動【よびかけ】「代替わり」と近代天皇制150年を問う 2.11反「紀元節」行動への参加・賛同の呼びかけ

二〇一九年四月三〇日明仁「退位」、五月一日徳仁「即位」、同日「改元」という日程が、政令として公布された。政府は、菅官房長官をトップとする準備組織を二〇一八年一月に発足させる。これによって、二〇一六年七月一三日の突然のNHKの報道に始まり、明仁天皇自身のビデオメッセージ、「有識者会議」と「退位特例法」の制定と進んできた「生前退位」の道筋が確定した。

私たちも繰り返し主張してきたように、一連の経過のなかで実現したことは、「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果す」こと、すなわち、天皇があるべき「国民統合」を積極的に作り出す能動的存在であるという定義を天皇自身が下し、国会が一致してそれを支持し「国民」がそれに「共感」するという、文字通りの天皇翼賛・挙国一致的な事態であった。

マスコミ挙げての天皇賛美や、隠然と、あるいは公然と露出する右翼暴力に支えられて、天皇制に対する疑問を公然と口にすることが憚られる社会状況が作り出されている。

明仁の退位にあたっては、「退位の儀」なるものを「国事行為」として行う方向性が示されている。当然のことだが、近代天皇制の歴史においてそのような儀式がおこなわれたことなどなく、もちろん、憲法上に何の規程もない。また、明仁即位の時と同様、徳仁即位に関する諸儀式が「国事行為」としておこなわれることもすでに前提とされており、「高御座」や装束など、その儀式に使うための経費の一部として、一二月に発表された財務省の予算案には、早々と一六億円が計上されている。「即位の礼」において新天皇が登る「高御座」とは、高天原から地上に下った皇祖神が座ったとされる神座であり、「皇位の象徴」とされているものだ。このような「天皇制神話」に基づく儀式を、政府は国費で執り行おうとしているのである。

われわれは、こうした状況のなかで、2・11反「紀元節」行動の準備を開始している。この「紀元節」こそ、神武天皇の建国神話にもとづく天皇主義の祝日である。そして、今年の秋(一〇月二三日が予想される)には、「明治一五〇年式典」が、政府主催で行なわれようとしている。私たちは、一九六六年に制定された「建国記念の日」=「紀元節」復活が、一九六八年一〇月二三日に行われた「明治百年記念式典」と連動したものであったことを確認しておかなければならない。それは、日本は歴史貫通的に天皇の国であって、近代化もまた再編された天皇制のもとで実現したという歴史観に基づいている。

今回の一五〇年式典にあたって政府は、「明治以降の近代化の歩みを次世代に残す」とし、「明治の精神に学び、日本の強みを再認識し、更なる発展を目指す基礎とする」などと、その「基本的な考え方」を示している。言うまでもなく、「明治一五〇年」とは、そのまま「近代天皇制一五〇年」にほかならない。それは、植民地化と侵略戦争に始まる近代日本の一五〇年を一連の「近代化過程」としてとらえ、「不幸な時代」はありつつも、それを乗り越えて現在の「平和と繁栄」につながっているのだという、歴史の肯定と賛美とならざるをえない。さらに、かつて「昭和の日」を実現させた民間右派勢力は、現在「文化の日」である一一月三日を「明治の日」とする運動を進めている。「紀元節」「昭和の日」「明治一五〇年」と続く一連の「記念日」を通して、今年一年、天皇と天皇制をめぐる向こう側の歴史観の押しつけは、強化されていくだろう。そしてそれが、来年の天皇「代替わり」に向けた前哨戦となることも確実だろう。

われわれは、この間各地でさまざまなかたちで取り組まれている「天皇代替わり」状況にたいする抵抗とつながりあいながら、今年一年の運動を展開していきたいと考えている。2.11反「紀元節」行動への、多くの参加・賛同、協力を訴えたい。

「代替わり」と近代天皇制150年を問う 2.11反「紀元節」行動

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制に反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

2017.8.15行動【よびかけ】「代替わり」過程で天皇制と戦争を問う 8.15反「靖国」行動へのよびかけ

6月9日、天皇の「退位特例法」が参院本会議で成立させられた。これによって、来年末の天皇退位、2019年初頭ともいわれる天皇「代替わり」のスケジュールが正式に日程に上ることになった。

法成立にあたって安倍首相が、「衆参両院の議長、副議長に御尽力を頂き、また各会派の皆様のご協力を頂き、静謐な環境の中で速やかに成立させていただいた」と談話で誇ったように、天皇問題に関しては、仮に議論があったとしても、そのことが公然と交わされてはならず、あらかじめ談合して一致させるという「翼賛国会」としかいいようのない状況が現出したのだ。

この法律の第一条に、これまでの天皇明仁の「公務」が初めて明記され、「国民は、御高齢に至るまでこれらの御活動に精励されている天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感していること」と明言している。天皇と「国民」とは、憲法上の法的な関係であるよりも前に、「情」において結びついているという、「君民一致」の「国柄」であることを宣言したに等しい。

「退位特例法」国会上程にあたって私たちは、「8.15反『靖国』行動実行委員会(準備会)」として、国会議員への申し入れ、明仁に対する抗議文を共同声明として提出する行動などに取り組んだ。あらためて今年の8.15反「靖国」行動への参加・賛同のよびかけを発するにあたり、われわれは現実的に開始された「天皇代替わり」過程に対して、具体的な反対の行動を作り出していくこと、同時に、そのための共同の作業を、ともにすすめていくことをよびかける。

いうまでもなく天皇「代替わり」というのは、前天皇の「総括」と、それをふまえた新天皇の「展望」のキャンペーンの時間となる。

天皇裕仁の死=「Xデー」による「代替わり」においては、新天皇明仁の「護憲・平和」「皇室外交」への期待がマスコミを覆った。「軍部に反対していた平和主義者」として描かれていたとはいっても、裕仁と「大元帥」のイメージは分かちがたく、天皇制の戦争責任を糾弾する声は、この時期大きく上った。そして「Xデー」が社会的にもたらした「自粛」の重圧と閉塞感が、天皇制のもつ同調圧力と暴力性を露出させ、全国的な反天皇制闘争の力の源泉ともなった。

しかし、新天皇明仁がなしたことは、いわばそうした天皇制のありかたを、イメージの上で「脱色」していくことであった。戦後民主主義や憲法への肯定的な言及、東南アジアや中国をはじめとするかつての戦争加害国への訪問、沖縄を含む国内外の「戦地」への「慰霊」の旅など、その「親しみやすさ」が演出されたふるまいとあいまって、天皇制イメージを塗り替える役割を果していったといえる。それはいわば、「象徴天皇制の完成」であると言ってもよい。

その結果として、いわゆる「リベラル派知識人」を含む、明仁天皇賛美の大合唱がある。安倍政権が強行している国家主義的・排外主義的な政治を単純な「復古主義」「戦前回帰」とみなし、戦後的価値に適合的な明仁天皇の「権威」をも使いながらこれと闘おうという主張は少なくない。「立憲主義」を掲げて安倍政治に対する反対運動を大きく作り出した潮流のなかに、天皇自身による憲法破壊にほかならない「退位特例法」を、おなじ立憲主義の原理に立って批判する声がほとんどみられないことには、このような「政治判断」があるのではないかという危惧さえ私たちは抱いている。

しかし、天皇と政治をめぐる関係は、実際にはどのように存在しているのか。とりわけ、日本の「戦争国家化」において、その国家の「象徴」たる天皇制はどのような役割を果し、また果すことが期待されているのか。現在的な、明仁天皇制に対するわれわれの側からの「総括」を果していかなければならない。 安倍首相は、「東京オリンピック」の年である2020年の改憲実現を明確に主張し、年内に改憲案を国会提出すると明言した。具体的な改憲項目などについては紆余曲折があるだろうが、2012年の自民党の改憲草案においては、「天皇が元首である」ととともに、前文で日本は「天皇を戴く国家」であると明記していることを見落としてはならない。また、「代替わり」前年にあたる2018年は、「明治150年」にあたる。政府はすでに記念行事の準備をすすめ、右派勢力は、現在「文化の日」である11月3日を「明治の日」としようという運動を強化している。これもまた、向こう側からの日本の近代の総括となるだろう。

われわれは、こうしたことのすべてが、天皇「代替わり」過程と重なり合っていくだろうことを問題としていく。近代天皇制国家において、そもそも天皇制と戦争との関係はいかなるものとしてあり続け、そしてそれがどのように変容し、戦後社会を規定してきたのかといった問題を考えていかなければならない。8.15反「靖国」行動は、国家による「慰霊・追悼」を撃ち、天皇制の植民地支配、戦争・戦後責任を批判し抜く行動として取り組まれてきた。現在の戦争国家の進展によって、「新たな戦争の死者」はますます現実化している。天皇のための死者を「英霊」として顕彰し、国家のための死を宣揚する靖国神社はいらない。そして天皇出席の「全国戦没者追悼式」もまた、国家による「慰霊・追悼」自体が、戦争準備の一環をなしている。8.15当日のデモと、8.11講演集会に参加を。そして、実行委員会への多くの参加・賛同、協力を訴える。

「代替わり」過程で天皇制と戦争を問う8.15反「靖国」行動

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/天皇制いらないデモ実行委員会/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制に反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

「退位特例法」反対行動【よびかけ】天皇に対する抗議文

 私たちは、以下のメッセージへの賛同を集め、天皇に向けて送る予定です。時期も迫っておりますので、すでに5月18日段階で仮集約を行い、閣議決定がなされるという19日付で、天皇やマスコミに向けて現在の賛同団体の連名で発信を行います。

 なお、こののちにも引き続き賛同を集めたいと考えます。この文書に賛同をいただける団体は、メールを、
akihito@han.ten-no.net ……にお送りください。

8・15 反「靖国行動」実行委員会(準)


天皇明仁 殿

国の機関である天皇は、憲法上いくつかの制約を受ける存在です。

立憲主義の基本原理は、主権者人民によって国家の恣意を縛ることにあります。だからこそ、憲法第99条は国家の機関を担っている人間に対して、憲法尊重擁護義務を課しているのです。そしてこの条項のトップに上げられているのは天皇、すなわちあなたです。

いうまでもなく天皇は、憲法第7条に列挙されているところの「国事行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と、第4条において明記されています。

しかしあなたは、2016年7月13日のNHKリーク放送、8月8日には「国民」に直接訴えかけるかたちでのビデオメッセージを放送させ、そのことによって政治家を動かし、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」を国会に上程させるに至りました。

この一連のあなたの行動は、紛れもなく憲法違反の行為です。私たちは、まずこのことに対して強く抗議します。

そもそも、あなたは退位の理由として、「天皇の象徴的行為」が十分果たせなくなったということを挙げていますが、この、「国事行為」とは区別される天皇の「公的行為」なるもの自体が、戦後象徴天皇制が発足して以後も行われ続けた天皇の逸脱行為を、後付けで正当化するために生み出された、いわば天皇条項の「解釈改憲」の産物です。あなたは、「天皇の象徴的行為」といういい方で、憲法解釈上も議論がある天皇の役割を、自分で決めたのです。

今回あなたが発議し、政治家が忖度することによって、「皇室典範」の事実上の「改正」とそれに伴う関連法「改正」がおこなわれようとしています。民主主義とは真逆な態度と言わざるをえませんが、天皇の行為を認めた政治家の責任と共に、そのような権利がないのに「法改正」を発議したあなたの責任も大きいと言わなければなりません。

あなたの父親である昭和天皇は、「天皇家の家法」といわれた戦前の「皇室典範」を廃止し、新たに国会の下で制定される一般の法律としての「皇室典範」が作られる際に、「皇室典範改正の発議権を天皇の手中に留め置けないだろうか」という願望を強く抱いていたといいます(『芦田均日記』)。もちろん、現行の「皇室典範」に、天皇による「改正発議権」は認められていません。しかし今回あなたは、違憲の行為を重ねることによって、実質的にそれを自らの「手中」のものとしました。

私たちは、将来的に天皇制という身分差別の制度をなくしていくことを求めています。ですから、あなたが天皇を辞めることに反対はしません。しかし、それが「上皇」や「皇嗣」などという新たな皇族身分の新設と制度化を行い、天皇制の拡大をもたらすことになる法改正には反対します。退位するなら天皇を辞めるだけでなく、皇族からも離脱して下さい。

「天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づく」と憲法では明記されています。この総意には私たちは含まれていませんし、ましてやその総意とは決して「一般意志」ではありません。

上記の通り考えるものも少なからず存在することを認識されるよう、書状としてお送りします。

2017年5月19日

アジア連帯講座
安倍靖国参拝違憲訴訟・東京事務局
茨城不安定労働組合
映画『侵略』上映委員会
関西単一労働組合
京都「天皇制を問う」講座実行委員会
研究所テオリア
札幌・改憲阻止!労働者市民行動
参戦と天皇制に反対する連続行動
しずおか改憲阻止の会
静岡県学校労働組合
志太憲法を大切にしよう会
象徴天皇制を考える会
女性と天皇制研究会
人権と報道・連絡会
全関東単一労働組合
戦時下の現在を考える講座
戦争と「日の丸・君が代」に反対する労働者連絡会・豊中・北摂
立川自衛隊監視テント村
天皇制いらないデモ実行委員会
天皇制に問題あり!福岡連絡会
天皇制を考える会(静岡)
反安保実行委員会
反戦反天皇制労働者ネットワーク
反戦反天皇制労働者ネットワーク・関東
反天皇制運動連絡会
反天皇制市民1700ネットワーク
ピース・フィロソフィー・センター(カナダ・バンクーバー)
「日の丸・君が代」強制に反対の意思表示の会
「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会
平和をあきらめない人々のネットワーク・福岡
平和を考え行動する会
不戦へのネットワーク
辺野古リレー~辺野古のたたかいを全国へ~
靖国合祀イヤです!アジアネットワーク
靖国・天皇制問題情報センター
連帯社
労働運動活動者評議会
労働者共闘