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2019.2.11行動【報告】天皇「代替わり」に反対する2・11 反「紀元節」行動報告

今年、天皇「代替わり」がいよいよ本番を迎えようとしている。天皇賛美一色に塗りつぶされる年の最初の取り組みとして、二月一一日に「天皇『代替わり』に反対する2.11反『紀元節』行動」を行った。

講師に靖国合祀イヤですアジアネットワーク、即位・大嘗祭訴訟呼びかけ人の菱木政晴さんをお招きし、会場の在日本韓国YMCA9階国際ホールは、一三〇名の参加者で満員となり、最初に実行委のメンバーから基調報告がなされ、講演へと移った。菱木さんは真宗大谷派の僧侶という立場から、天皇制・靖国の問題について、ときに関西人特有のユーモアを交えながら語ってくれた。

その後質疑応答を挟んで、3.1朝鮮独立運動100周年東京集会、「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会、即位・大嘗祭違憲訴訟の会、3.11 行動、「オリンピック災害」おことわり連絡会、辺野古への基地建設を許さない実行委員会、終わりにしよう天皇制!「代替わり」反対ネットワークからそれぞれアピールをもらい、なくせ!建国記念の日・許すな!靖国国営化2.11東京集会実行委との交換アピールを読み上げた。

最後に「おっちんズ」の「天皇制はいらないよ」の歌で集会を終え、元気にデモに出発。警察の規制が酷く、神保町から御茶ノ水までのデモの間中参加者の体を押し続け、転倒させる事態もおきた。実行委は警察への抗議を準備中である。しかし弾圧にもめげず、天皇制に反対する声を響かせあうことができた。これに先立ち昨年十月二二日に「明治150年記念式典」反対デモも行ったことを最後に記す。

(実行委・桃色鰐)

「明治150年」記念式典反対行動【報告】「明治150年記念式典」反対10.22デモ報告

昨年の反天皇制の実行委員会は、例年取り組んでいる、2.11反「紀元節行動」、4.28─29沖縄デー・反「昭和の日」連続行動、8.15反「靖国」行動のいずれにおいても、政府による「明治150年記念事業」に対する批判を中心的な課題として取り上げ取り組みを行った。

そうした行動の積み重ねの上で、政府による「明治150年記念式典」前日の10月22日の夜に、「明治150年記念式典」反対デモを行った。

▼ショボかった政府式典

佐藤栄作内閣時代に行われた「明治100年式典」は、「昭和天皇・香淳皇后をはじめ常陸宮正仁親王・正仁親王妃華子、閣僚、国会議員、在日外交団、各界代表、青少年代表ら約1万人が出席した。/田中総理府総務長官の開会の言葉に始まり全員が国歌を合唱して佐藤栄作内閣総理大臣が式辞を述べる。天皇の言葉に続き小平久雄衆議院副議長、重宗雄三参議院議長、横田正俊最高裁判所長官、フレーチャ・トーレス在日外交団長の順序で祝辞を述べ近衛秀麿指揮のNHK交響楽団がワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲を演奏、続いて青少年代表が「若人の誓い」を述べた。/次いで、明治100年頌歌『のぞみあらたに』の合唱が行なわれる中、日本体育大学の男女学生約130人による体育演技「若人の躍動」が行なわれ、NHK交響楽団がヘンデルの「王宮の花火の音楽」を演奏。佐藤総理大臣が音頭を取り万歳を三唱」(「Wikipedia」より)という「盛大」のものであったが、今回は、東京・永田町の憲政記念館で、与野党の国会議員や各界の代表者ら約350人のみの出席で、わずか30分というショボイものであった。

この式典反対行動を呼びかけた実行委員による「呼びかけ文」(20189月発信)には、「式典への天皇の参加は、いまのところ明らかにされていませんが、今年3月の『琉球処分』の日を選んだ沖縄訪問と国境島・与那国島への初訪問、8月の『北海道150年記念式典』へ出席といった天皇の動きを見るに、この『明治150年記念式典』への参加は、おそらく間違いないと思われます(そもそも天皇が参加しない「明治150年記念式典」などありうるでしょうか?)」と書かれていたが、天皇(皇族)
の出席は実現しなかった(新聞報道によれば「宮内庁は『政府からお声がけがなかった』(西村泰彦次長)としている」)。

安倍首相の思惑と式典のショボさ(それは主に天皇の不在によるものだろうが)の「乖離」について今後も分析は必要であろう。

▼銀座に「侵略戦争の歴史に向き合え!」の声を響かせ

反対デモの集合場所となった日比谷公園(霞門)前で、まず主催が「明日、憲政会館で明治150年記念式典が行われる。今年一年、各地で色々なイベントも行っているが、ほとんどが『こじつけ』に近い、ただ単に『明治150年記念』の冠をつけたものばかりだ。明日の式典のこともほぼ知られていない。安倍首相が、侵略・植民地主義の歴史や天皇制の責任を糊塗し、天皇制国家の歴史を賛美するだけの式典となるだろう。私たちは、今年の2.11反『紀元節』行動、4.28(沖縄デー)〜29反『昭和の日』、8.15反『靖国』行動では、安倍とは逆の方向から『明治150年』の歴史を批判する取り組みを行ってきた。その成果を確認し、明治150年式典反対を訴えていこう」と挨拶。その後、「来年の3.1朝鮮独立運動100周年に向けてキャンペーン」に取り組む日韓民衆連帯全国ネットワーク、終わりにしよう天皇制!「代替わり」反対ネットワークから連帯のアピールを受け、デモに出発した。デモでは、「『明治150年記念式典』反対!」「侵略戦争の歴史に向き合え!」「天皇制国家の植民地支配を反省しろ!」「天皇制はいらない!」のシュプレヒコールを日比谷から銀座に一帯にわたって響かせた。

(実行委・K)

2018.8.15行動【報告】「明治150年」天皇制と近代植民地主義を考える8.15 行動

今年の反「靖国」行動は、2.11反「紀元節」行動、4.29反「昭和の日」行動に引き続き、「明治150年」を射程にして取り組まれた。

■パネルディスカッション

集会では、四人のパネラーから問題提起が行われた。

酒田弁護士は、来るべき二〇一九年の即位・大嘗祭を見据えて報告。「三〇年前の即位・大嘗祭訴訟では『一切の儀式・行事に国費を支出してはならない』などを請求した。大阪地裁(一九九二年)・高裁(一九九五年)は、政教分離について疑義は一概に否定できないと認めた。さらに天皇の即位を祝うことについて、個人が祝意を表すことを国家が事実上にしろ強制すれば、私人の思想、表現の自由の侵害になると認めた。しかし、控訴審判決では控訴人らの訴えを全面的に退けた。今回は退位の礼もあり、すでに過去の批判を踏まえた上で実施が検討されている。だから現時点における訴訟の論理構成として(1)政教分離、(2)主権在民、(3)納税者訴訟、(4)天皇代替わりの手続きの問題を取り上げ、批判していきたい」と述べた。

黒岩さん(「北方領土の日」反対!「アイヌ新法」実現!全国実行委員会〈ピリカ全国実〉)は、八月五日の「天皇出席の『明治・北海道一五〇年式典』反対、アイヌ民族連帯決起集会」とデモの取組みを報告し、「式典はアイヌモシリ(北海道)の侵略・植民地化、アイヌ民族同化・抹殺政策の歴史の隠ぺいだ。天皇制国家による他民族侵略・支配の『原型』としてのアイヌモシリ侵略である。私たちは、この開拓史観、民族排外主義が問われている。『明治一五〇年』式典から天皇退位・即位式典とうち続く天皇制永続化攻撃と対決する統一戦線を構築しよう」と呼びかけた。

井上森さん(元号いらない署名運動)は、「署名は五〇〇〇筆を突破し、一万筆目指してさらなる行動をしていきたい。当初、
二〇一八年夏に『新元号発表』だったが、自民党保守派などの反発もあり代替わり一カ月前に延ばした。すてに大迷惑な状況が発生しているが、中央官庁、JR、警察らは書類、コンピューター、免許証などでは元号を使わず西暦で統一化している。元号をめぐって天皇明仁は沈黙し続けている。その一方で『平成のうちに』ということでオウム大量処刑を強行している。やはり日本において最高度の国家暴力を正当化する論理は天皇制しかないことを現している。この論理を打ち破る闘いが問われているだろう」と発言した。

新孝一さん(反天連)は、「反天連第II期」(一九九一・四)のスタートをふり返り、「『国際化』時代の『ソフト』で『クリーン』で環境問題にも理解あるというイメージをふりまくアキヒト(天皇制)との正面からの政治的対決をこそ、主要課題として私たちは結集する」と位置づけ、明仁天皇制を性格、役割、犯罪性などを暴露し、批判してきたことを浮き彫りにした。そして「結論を言えば、時に強い独自性や個性を発揮して明確なメッセージを発信することもあった。明仁天皇の言動は、歴史と政治によって大きく規定され、変化する。同時に、天皇の憲法の規定とは別の役割がある。この間の天皇主導の『退位』と天皇による天皇制の再定義に現れている。三〇年かけてここに収斂し、天皇像の到達点だとも言える」と集約した。

その後の、連帯アピールでは、沖縄一坪反戦地主会・関東ブロック、日韓民衆連帯全国ネットワーク、オリンピック災害おことわり連絡会、米軍・自衛隊参加の防災訓練に反対する実行委員会から発言を受け、集会宣言(別掲)を採択した。

■反「靖国」デモ

最後には、いつものように、靖国神社に向けてデモに移った。

例年のように、規制されて進入できない街宣車から降り立った天皇主義右翼が、デモ隊への挑発と威嚇を繰り返すなかで、権力・機動隊は、右翼の突入こそ阻止はするものの執拗に繰り返し飛びかかってくる右翼を拘束しようとはせず、逆に、デモ隊列に対しては、不当な規制を行ってきた。九段下の交差点では、在特会や右翼も集まってはいたが、むしろスマホで動画や写真を撮影する「見物人」の多さが目を引いた。

私たちは、挑発や威嚇に対しても毅然と対応し、「天皇制はいらない」「戦争責任を忘れない!」「戦争賛美の靖国神社はいらない!」などをシュプレヒコールや横断幕、プラカード、のぼりでアピールした。参加者は、二五〇名だった。

2018.4.28-29行動【報告】3.24-4.28-4.29連続行動報告

私たち「天皇『代替わり』と安保・沖縄を考える4.28-29行動」は、実行委の名称にあるとおり、今年も4.28(「沖縄デー」)と4.29(「昭和の日」)を、連続して行動する日として位置づけ、28日の講演集会と29日のデモに取り組んだ。

今年は、三月二七日から二九日にかけておこなわれた明仁・美智子の沖縄・与那国訪問に反対する集会を準備することから、実行委の活動をスタートさせた。天皇が沖縄を訪れたのは、いわゆる「琉球処分」によって近代天皇制国家が沖縄を日本の版図に編入した、まさにその同じ日である。同時に二年前の三月二八日は、与那国に陸上自衛隊沿岸監視部隊が設置され、この地が、文字通り「離島防衛」の最前線に置かれた日なのである。今年、天皇が沖縄に入ったまさにその日に、陸上自衛隊の「陸上総隊」が発足し、直轄部隊として「離島防衛」の専門部隊としての「水陸機動団」(日本版海兵隊)も置かれた。そういう時期に、そういう場所を天皇が訪れる。「平和天皇」イメージとは裏腹に、天皇制と軍隊の露骨な結びつきが、そこにあったのだ。私たちは、天皇の沖縄・与那国訪問を前にした三月二四日に、駒込地域文化創造館において、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの大仲尊さんと、実行委の天野恵一を発題者として「天皇の沖縄・与那国訪問を問う」討論集会を持った。

そして四月二八日には、那覇市出身の近代法制史研究者である湖南通さんの講演集会を持った。

今年の2.11反「紀元節」行動においても課題として打ち出した「明治一五〇年」を批判的に問い直すという課題を、近代天皇制国家による沖縄支配の現実をとらえ返す中で考えたいという問題意識があった。文京区民センターで行われた集会には約一〇〇名が参加。講演の後には、一坪反戦関東ブロック、基地・軍隊はいらない4・29集会、安倍靖国参拝違憲訴訟、警視庁機動隊の沖縄派遣に対する住民訴訟、優生保護法や元号など、さまざまな課題と取り組む団体からアピールを受けた。

翌二九日には、神田駅近くの常盤公園に集合し、反「昭和の日」銀座デモをおこなった。デモ出発前には、実行委から二八日の集会報告、元号はいらない署名運動、辺野古への基地建設を許さない実行委員会からのアピールが行われ、またデモの解散地点では、多摩地域メーデー、明治公園オリンピック追い出し国賠訴訟、労働運動活動者評議会のアピールを受けた。

一〇〇人ほどのデモは、随所で街宣右翼の宣伝カーの妨害に遭い、数寄屋橋周辺には在特会系の「カウンター」などもあり、また解散後には右翼の待ち伏せなどもあったが、直接物理的に接触するような場面はほとんどなかった。それに比べ、右翼を理由にした警察・機動隊の介入は相変わらずひどく、実行委としては、警察に対する「苦情申し立て」など、原則的な抗議を重ねるべく準備しているところだ。

すでに、8.15に向けた活動も準備しており、また、首都圏の反天皇制運動の枠で取り組んでいる「元号はいらない署名運動」でも、七月二一日に集会を準備している。8.15以後も、秋から来年にかけて、本格化する天皇「代替わり」攻撃に抗するさまざまな取り組みを、連続的に打っていくことになるはずだ。引き続き、多くの方々の注目と参加をお願いします。

(北野誉)

天皇の沖縄・与那国訪問反対行動【集会報告】3.24 集会報告 天皇の沖縄・与那国訪問を問う

三月二四日午後六時から見出しの集会が、東京・駒込地域文化創造館で約五〇名の結集で開催した。集会は冒頭、司会者が次のように挨拶した。

《天皇アキヒトが沖縄訪問する三月二七日は、『明治』天皇制太政官政府の命を受けた松田道之処分官が、警官一六〇名、熊本鎮台分遣隊約四〇〇名を従えて首里城に押し入り廃藩置県を布達、首里城明け渡しを命じた日である。与那国に行く三月二八日は二年前、陸上自衛隊・沿岸監視部隊の駐屯地が与那国に開設された日である。アキヒトの沖縄・与那国訪問は、日米両政府による辺野古新基地建設をはじめ琉球弧の軍事植民地化のための宣撫工作である。》

お話は、大仲尊さん(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)が、「自衛隊配備と天皇の与那国訪問」と題して報告した。

《私は一九四九年、与那国生まれで一五歳の時に那覇に行き、その後ヤマトに住んでいる。沖縄戦では与那国は空襲がなく、日本軍の食糧調達のためマラリア地帯であった西表や石垣に住民を強制疎開させた結果、マラリア被害で多くの人が亡くなった。被害の問題はまだ決着がついていない。

報道によれば天皇は、与那国で最初に東牧場の「与那国馬」を見る。その後複合型施設で「ヨナグニサン」(沖縄県天然記念物・世界最大級の蛾)を見る。そこは、自衛隊駐屯地から徒歩で行ける距離にある。駐屯地に行くかはわからないが自衛隊幹部と会うだろう。そして久部良小学校で郷土芸能・棒踊りを見て、漁業協同組合に行く。漁協は、保守の地盤である。その後、日本最西端の碑を訪れるらしい。

戦中有名な与那国出身の二人がいる。一人は伊波南哲、一九四三年作の与那国の詩で与那国島を「南海の防波堤與那國島」「沈まざる二十五万噸の航空母艦」と称して今も祖納にある「讃・与那國島の碑」がある。あと一人は戦死し、「軍神」とあがめられた大枡松市、大枡に続けといわれていた。その弟が元沖縄県警刑事部長であった。自衛隊配備でこのことが過去の話ではないと思える。

自衛隊が入ってきて二年。誘致派は自衛隊と家族三五〇人によって経済が活性化すると言っていたが、現実はそうなっていない。自衛隊員が迷彩服のまま空港や居酒屋に来るようになった。「菊の御紋」があることによって、天皇の権威が生まれ、村八分があるように、自衛隊がきたことによる島の分断が天皇訪問後一層深まるだろうと心配している。》

続いて天野恵一さん(反天皇制運動連絡会)が、「アキヒト天皇と沖縄」と題して報告した。

《自分達が、天皇と沖縄の問題を意識するようになったのは、天皇ヒロヒトが沖縄・海邦国体(一九八七年)出席のため沖縄を訪問しようとしたことに対して反対運動を準備する過程であった。ヒロヒトは、なぜ沖縄に行かなければならないと思っていたのか。それは「国体護持」のための沖縄戦で「集団自決」を強要し、安保条約の下で売り渡した沖縄を日本国家に統合するのは自分の務めだと思ったのだ。しかし沖縄訪問は果たせなかった。

私は知花昌一さんの救援会(日の丸焼き捨て裁判)にかかわり、その過程で「ひめゆりの塔」火炎瓶闘争の知念功さんの『ひめゆりの怨念火(いにんび)』(インパクト出版会)の出版を手伝ったりした。その中でなぜ裕仁が沖縄に行けなかったのかわかった気がした。

当時、屋良県政はアキヒト皇太子の来沖を受け入れたが、組合レベルでは、「戦犯天皇の上陸を許すな」の闘争があった。火炎瓶闘争だけがとりざたされているが、それは大衆的な抗議行動の象徴的なものであったことを学んだ。ヒロヒトからアキヒトにかわっても変わることなく天皇制の問題として捉え、糾弾する視点があった。アキヒトは今回で一一回目の沖縄訪問であるが、国家・天皇制が強いた犠牲を「慰霊・追悼」することをもってその責任をあいまいにする政治である。》

フロアーから北村小夜さんが、当初から知花さんの支援を行っていたが、「日の丸」の問題だけでなく、「障害児」のことでも議論したことを話された。ピリカ全国実の仲間から「アイヌ民族抹殺の司令官だった天皇の『北海道150年』式典(八月五日)出席に反対しよう」と訴えがあった。

次に、清水早子さん(止めよう!「自衛隊配備」宮古郡民の会)からの連帯メッセージが読み上げられた。│沖縄の元海兵隊員による│性暴力殺害から2年 基地軍隊はいらない4・29集会実行委、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックから連帯アピールを受け、最後に「天皇の沖縄・与那国訪問を許さない!集会宣言」を採択し、4・28「明治150:日本による沖縄差別を問う 近代天皇制国家形成から日米安保体制のもとで」、29日デモへの結集を訴え集会を終えた。

(野村洋子)

2018.2.11行動【報告】「代替わり」と近代天皇制150年を問う反「紀元節」2 .11行動報告

今年の二月一一日の反「紀元節」行動は、「明治150年= 近代天皇制を問う」と題して取り組まれた。

集会会場は水道橋の全水道会館大会議室。集会は、実行委員会に参加している立川自衛隊監視テント村からの緊急アピールから始まった。この日のデモの宣伝カーを出す予定であった立川自衛隊監視テント村であったが、早朝から駐車場を右翼の街宣車が囲み、それを取り巻く公安警察も眺めるだけのなかで、宣伝カーの移動をあきらめた旨が報告された。テント村の宣伝カーは、一昨年の一一月の吉祥寺デモの際と昨年一一月の「終わりにしよう天皇制」デモの直前の二度にわたり、右翼によって(いずれも警察の眼前で)フロントガラス等が破壊されている。アピールでは、右翼とその行為を容認する警察による表現の自由・デモの自由に対する攻撃に対して抗議するとともに、多様な協力関係を築き上げながら断固として行動を継続していくことが強調された(テント村の事務所にも右翼団体が押しかけたという)。

実行委のメンバーからの基調報告に続き、太田昌国さんの講演が行われた。 太田さんは、一五〇年前(さらに数十年遡る時代の中)には、その後に日本国家(天皇制国家)が実際に進んだ侵略・植民地支配への道ではない方向へと進む契機や可能性が多様に存在していたことを改めて認識しなければならないと強調された。

質疑応答を挟んで、様々な課題で活動に取り組むグループからの連帯のアピールが行われた。日韓民衆連帯全国ネットワークの渡辺さんからは「3・1朝鮮独立運動99 周年止めよう!安倍政権が煽る米朝戦争の危機2・24 集会」について、一坪反戦地主会・関東ブロックの青木初子さんからは、名護市長選挙の背景にも触れながら「辺野古新基地建設NO!2・25 首都圏行動」のアピール、「オリンピック災害」おことわり連絡会の仲間からは、「オリンピック・パラリンピック教育」の撤回を求める都知事と東京都教育長宛の署名への協力が呼びかけられた。天皇の代替わり過程を首都圏で闘う仲間からは、「新元号制定に反対する署名」への協力の呼びかけ、「安倍靖国参拝違憲訴訟」を担う浅野史生弁護士(デモの監視弁護もしていただいた)から、四月二七日から始まる高裁での闘いに向けてのアピール、「大軍拡と基地強化にNO!アクション2017」の仲間からは、「大軍拡と基地強化にNO!2・24 防衛省デモ&集会」のアピール、そして政府主催の3・11 東日本大震災追悼式に対する抗議行動についてのアピールがなされた。

集会後は、宣伝カーなしにもめげずに、神保町から御茶ノ水へとデモ行進を行って、「民主主義に天皇制はいらない」「神話に基づく記念日はいらない」の声を響かせた。

定員一六〇名ほどの集会会場に入れない人も相当数出る一九〇名が参加した。

(梶野宏)

2017.8.15行動【報告】「代替わり」過程で天皇制と戦争を問う8.15反「靖国」行動報告

今年の8.15 反「靖国」行動は、「『代替わり』過程で天皇制と戦争を問う」をメインに掲げて行われた。実行委の立ち上げの時期が、ちょうど「天皇退位特例法」の国会上程の時期に重なったため、私たちは「8.15 行動(準)」として、「退位特例法」に反対する行動に取り組むことになった。具体的には、実行委で呼びかけ、約四〇団体が連名した「国会議員宛申し入れ」と「天皇明仁宛抗議文」を、同法案が国会提出された五月一九日にマスコミ各社に一斉配信、同二二日に衆参国会議員全員にポスティング、二五日には国会議員会館前でアピール行動をもち、その後内閣官房に移動して天皇に対する抗議文提出行動をおこなった。

そして、退位特例法が衆院を通過し、参院で審議されるタイミングで行われた六月三日の吉祥寺デモ(三多摩の仲間たちの実行委員会によって取り組まれた)に参加・協力するとともに、翌日四日には、在日本韓国YMCAで岡田健一郎さん(憲法学、高知大学教員)と中村利也さん(差別・排外主義に反対する連絡会)を発言者として、「新たな『天皇代替わり』に抗う討論集会」をもった。同法は結局、六月九日の参院本会議で可決・成立させられてしまったが、その法案は、第一条に「国民」は天皇を「深く敬愛」し、今回の「お気持ちを理解し、これに理解し共感」しているという、異例づくめの法律だった。

当然、このような状況に対して、各地で天皇制反対のさまざまな声が上がっている。少数とはいえ、天皇が、政治にたいして積極的な働きかけをしていることに、一定の危機感を感じる人が増えていることは間違いない。

8.15 前段集会は、一一日に文京区民センターで「天皇制と戦争:アキヒトにも責任はある!」と題して行われ、日本近現代史研究の伊藤晃さんに、「戦後天皇制と戦争を問う」をテーマとして問題提起をしていただいた。

8.15 当日は、あいにくの雨。私もこの三〇年ほど8.15 行動に参加しているが、こんなに降ったのは、一回くらいあったかどうか。

在日本韓国YMCAにも一〇〇人を超える人がつめかけ、安倍靖国参拝違憲訴訟の会・東京、「日の丸・君が代」被処分者の都立学校教員、米軍・自衛隊参加の東京都総合防災訓練に反対する実行委、沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック、日韓民衆連帯全国ネットワーク、辺野古リレー・辺野古のたたかいを全国へ、「2020オリンピック災害」おことわり連絡会から、次々とアピールを受けていった。

デモには一六〇人の参加。雨のせいで例年より少ない。しかし、九段下に陣取って「カウンター」と言っている右翼・レイシストのほうは、これはもう、目に見えて動員力を低下させていた。もともと、ここに集っていた圧倒的多数が、確信的な右翼・レイシストというよりも、「反左翼」の野次馬たちであってみれば、それも当然だろう。ちなみに、「在特会」も二手に分かれていたが、これは内部対立による分裂行動でもあるらしい。

また、街宣右翼によるデモ妨害・暴力は、例年に比べれば激しいものではなかった。右翼を口実にした機動隊のデモ規制はあいかわらずであったが、右翼とデモ隊との物理的な「接触」を避けようという警察の姿勢が今回はとくに目立った。マスメディアでも取り上げられた、昨年一一月の吉祥寺デモが激しい右翼暴力に見舞われ、その事実を広く知らせることで反撃していったことが、公然と右翼を泳がせる権力に対する歯止めとなったか。あるいは、天皇「代替わり」過程では、右翼暴力と天皇制との結合が露骨に見えるのはまずいという判断もあるのか。検討が必要なところだ。

8.15 を終えて実行委として一段落するところだが、すでに「代替わり」過程の総体を撃つための運動をめざして、次の行動の準備が始まっている。

一一月二六日には、首都圏の仲間たちと協力して「終わりにしよう天皇制 11 ・26 集会・デモ」を行なう。また、一〇月二八・二九日には、福岡「海づくり大会」反対の集会とデモが、地元で長く反天皇制運動に取り組んできた「天皇制に問題あり!福岡連絡会」によって呼びかけられている。私たちも、そこに合流していく。

これらの反天皇制の行動の中で、多くのみなさんと出会い直していくことを願っています。

(北野誉)

「退位特例法」反対行動【報告】抗議文を、天皇・議員・メディアに送付しました

「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」案を廃案へ

「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」に際し、天皇や国会議員に対する抗議声明へ、多数のご賛同をいただき、ありがとうございました。

5月19日、メディア各社、約30社には、ファックスにより声明を届けました。

また、5月22日には、多数の衆院議員、参院議員に向けて、声明を配布いたしました。

そして、5月25日には、衆議院第二議員会館前において、約35名の参加者とともに、1時間近くにわたってリレートークを実施しました。この法案の違憲性、法の内容の問題点と同時に、天皇や皇族に対する「忖度」によって立憲制、民主主義が損なわれているという問題などさまざまな角度から批判が語られ、充実した行動を行なうことができました。

そののち、総理府・内閣官房前に移動し、天皇宛の抗議文の提出行動を行ないました。抗議文を読み上げ、参加者全員の拍手とともに文書を手交しました。

これからも、こうした行動を展開することができればと考えています。

2017.4.29行動【集会報告】天皇「代替わり」と安保・沖縄・「昭和の日」を考える4.29 行動報告

2017.2.11行動【報告】天皇制はいらない!『代替わり』を問う2.11反「紀元節」行動報告

「天皇代替わり」を問う闘いを一つずつ積み上げ、

反天皇制の大衆運動をつくりあげていこう!

今年の二月十一日は、「天皇制はいらない!『代替わり』を問う 二・一一反『紀元節』行動」として、十二団体の呼びかけにより取り組まれた。

まず、日本キリスト教会館から出発したデモ行動は、早稲田通りを高田馬場駅前まで進み、左折して諏訪通りから明治通りに出て、また早稲田通りから集会場の日本キリスト教会館に戻っていくというコース。十一月二〇日の吉祥寺における反天皇制行動を圧殺しようとした右翼の攻撃と警察の警備を撃ち返そうと、一〇〇名を超える人々が結集してくれた。右翼の妨害はやはりあったが、今回は散発的であり、警察の警備体制がかなり広範囲にデモ行動を取り巻いていたため、右翼による攻撃よりも警察の規制が厳しかったが、旗や横断幕、トラメガを奪われたりすることなく、力強い反「紀元節」・反天皇制の声を上げることができた。
今回の2.11集会は、開始された「天皇代替わり」状況の中で、これらとどのように闘っていくのかについて、現場の活動家の声を中心に、問題提起とシンポジウムを行なっていくという内容で行なわれた。

まず、実行委から、集会基調をベースにしながら、天皇代替わり以降の全体情勢の小括を行なった。その中で強調されたのは、天皇制をめぐる憲法論も歴史的に再論議しなければならないのに、それが等閑視されてしまっていることだ。憲法改悪の問題が重大化している中だからこそ、あらためてこれまでの議論を前提に、反天皇制の立場をより打ち出していかねばならない。

続いて、井上森さん(立川自衛隊監視テント村)から、吉祥寺での「11・20 天皇制いらないデモ」への右翼の襲撃と警察の弾圧の経験をもとに、今後の反天皇制の闘いへの問題提起がなされた。圧倒的な暴力にひとたびは潰されたが、逆に、暴力と弾圧をきっかけに、「平成」天皇制のじっさいの姿が露わに浮かび上がったのだ。反撃への意志が多くの人々との深いつながりとともに形になろうとしており、その態勢こそをこれからの闘いの核にしていきたい、そのための活発な議論を呼びかけたいというものだ。

京極紀子さん(「ひのきみ」法制化と強制に反対する神奈川の会)からは、八九年の代替わり過程への神奈川での取り組みの貴重な資料や報道とともに、当時の状況や問題意識を丁寧に紹介。当時と今とでは、天皇制などに対する批判意識も批判層もあまりに縮小してしまってはいるが、そのときの問題意識を現在につなげながら、新たな「天皇のいない社会」を選択する活動をつくりだしたいと報告。

酒田芳人さん(安倍靖国参拝違憲訴訟弁護団)からは、この靖国訴訟がこれまでに問うてきた、政教分離や信教の自由、平和的生存権をはじめとする重要な内容をあらためて提起。判決日も四月二八日と決定し判決の内容も決して期待はできないが、数々の感動的な原告証言がなされ、大きな意味を持つ裁判となっている。発言では、法曹関係者としてはオフレコの発言も交えながら、今後への決意が表明された。

桜井大子さん(女性と天皇制研究会)からは、天皇制の継承が焦点化される中で、あらためて強調されてきた「家父長制」「男系主義」イデオロギーの問題を提起。代替わり過程で自明視されている「伝統」が、どれほど異様なものであるかを問いながら、「家族国家」観を国家の支配と重ねる、自民党改正憲法草案二四条の批判がなされた。

藤岡正雄さん(はんてんの会・兵庫)からは、明仁のメッセージに対する批判論を一つひとつ紹介しながら、これまでの天皇制に対する関西での反対活動について語った。九五年の阪神淡路大震災への訪問をはじめとする天皇の動きが、多くの人権侵害を生みだしてきた。こうした事実への批判を突き出しながら、労働者や市民の運動をいまこそ深いところから作っていきたいとの発言がなされた。

会場からは、さらに憲法論や共謀罪の問題についての提起があり、これらの発言を受けてディスカッションに。裕仁の重病の発覚から「自粛」強要、そしてその死の経過で展開された「天皇代替わり」と比べると、より翼賛の色の強い今回の「代替わり」過程だが、これまでの議論や闘いの経過をふまえながら、天皇制や安倍政治を撃っていく全国的な行動が必要とされている。多くの論点が出されたが、これらは今後もさらに積み上げていきたい。

最後に、つくばの「戦時下の現在を考える講座」や、キリスト者らにより一九六七年からずっと持続されている「なくせ!建国記念の日・許すな!靖国国営化 2.11東京集会実行委」との連帯アピールを交換し、今回の2.11反『紀元節』行動を締めくくっていった。

(蝙蝠)